手賀沼通信第101号は篠原寿一さんからいただいた寄稿文と私の弟の寄稿文を紹介させていただきます。

 篠原さんは元の会社の同僚で、いまも時々日本アイ・ビー・エムグループの新入社員研修の仕事現場でご一緒しています。外交評論家の岡本行夫氏の主宰する「新現役ネット」で「教育を考える懇談会」の世話役として活躍されておられます。

 2つの寄稿文は、いずれも今問題になっている教育についてのものです。日本の教育は太平洋戦争の終結を境に大きく変わりました。終戦時私は小学校3年生でしたが、その変りようの激しさはいまだにはっきりと覚えています。価値観が逆転、混乱と試行錯誤の教育現場でした。
 その混乱は戦争への反省を基調としてまもなく収まりましたが、戦後61年も経っているにもかかわらず、今度は戦争への過大な反省に縛られていると思います。いまこそ教育の原点に立ち返り、人間として何が大切か、日本人としてどうあるべきかを教えるときと考えます。

特別寄稿
「中学校教科書採択」現場からの報告

篠原 寿一     

 私は平成13年5月以来、原則毎月第4月曜日に開催される地元教育委員会をほぼ毎回傍聴してきた。27年余勤めた会社を早期定年退職した後友人の紹介でコンピュータ専門学校の教壇に立つようになり、そこで聞きしにまさる教育現場の荒廃を目の当たりにし、それ以来教育問題に強い関心を持つようになった。
 その一環として教育委員会ではどのような議論がなされているのかに興味をもち、具体的な議論の内容を知りたいとの思いから傍聴を思い立った。
 この5年間の傍聴を通じてわが耳を疑うような場面にしばしば遭遇したが、中学校で使う教科書採択の場面もその一つである。
 義務教育の教科書は4年毎に地元教育委員会が決めることになっているが(現実にはいくつかの市町村の教育委員会が地区採択協議会を結成し、その地区の教科書はここで決められている)、これがこれまではほとんど形骸化し、実際には現場の教師の意向が強く反映された採択がなされてきた。
 昨年の採択の様子は後で詳しく述べるが、5年前の7月の教育委員会の光景も異様だった。
 まず教育長より、教育長および教育委員長が出席したという地区採択協議会で来年度から中学校で使用する教科書が決まったこと、決まった教科書は概ね当教育委員会の決定と同じであったと報告があり、その後事務方より、決定された教科書が記載された一片の紙が配られた。そもそも前月(6月)も前々月(5月)の教育委員会でも教科書採択に関する議論は一切なく、議事録で確認したところ4月の教育委員会でも教科書採択に関する議題はなかった。要するに教育長と教育委員長以外の委員は教科書選定作業には何ら関与しておらず、当教育委員会としては地区採択協議会に丸投げしていたということである。それを『決まった教科書は概ね当教育委員会の決定と同じであった』という教育長報告にまず耳を疑った。
 その上教育委員達は配られた紙を黙って見るばかりで、誰一人意見を述べる者も質問をする者もいなかった。やがて事務方より「8月15日前にこのことが外部に漏れますといろいろ問題がありますので、これから回収させて頂きます」と言って回収してしまった。回収されたことについても委員達からは何の異議も出ず、このことからも委員達には当事者意識が完全に欠落していることは明らかだった。こうして教科書採択の議題は5分もかからず終り、次の議題に移っていった。これが5年前の実態である。
 さて、昨年である。私は、文部科学省が来年度から使われる中学校の教科書の検定結果を新聞が報じた4月6日、教育委員長に手紙を送り、当教育委員会は教科書採択について4年前のような地区採択協議会に丸投げしないこと、教育委員全員が教科書を直接手にして読み比べ、自分達の目で確かめて選ぶこと、特に、国際化が進むこれからは、国際化とは国境線がなくなって地球市民が生まれることではなく、自国の歴史や文化を深く理解し、自国に誇りをもって活躍できる子供を育てることが大切であること、そのためには教育が極めて重要なこと、その視点から教科書採択を進めて欲しいと要望した。
 私は、それまで4年も傍聴を続けていたので教育委員長とも親しくなり、昨年は1月の教育委員会終了後教育委員長と立ち話した際、教育は子供達に日本人の誇りを持たせることが何よりも大事であること、そのためにはまともな教科書を使うことが極めて大事なことを確認し合い、大いに意気投合した。ところが教育委員長からの返書では、当該教育委員長はその3月に任期が切れて既に教育委員を辞任したこと、しかも私と確認し合ったことは単に私的なことでありその意向をこれからの教育委員会に反映させようとする気持ちはないことなどが判明した。そこで改めて教育長に電話して(実は、この教育長も昨年就任した新人)教育委員長に送った私の手紙が教育長に引き渡されていることを確認し、また、手紙の趣旨を再確認し、教育委員会が直接教科書を選ぶよう要望した。
 私の働き掛けがどの程度効を奏したかは定かではないが昨年はまず、5月の教育委員会で教科書採択の件が議題となった。そこでこれからの教科書採択の日程と、各教育委員がどの科目を担当するかの割振りが行われた。ただ、ここでおかしな制約が委員の間で合意された。中学校教科書採択の視点として、小学校の教科書の内容との一貫性を重視する、というのである。要するに小学校で教えられている内容、もっと言えば小学校で使われている教科書から逸脱しないように足かせをはめたのである。
 後でも詳しく述べるが当教育委員会ではどのような日本人を育てるかという視点が完全に欠落していて、小学校からの一貫性や、公平、公正な議論といった表面的、形式的な観点ばかりが重視され、教育の本質をどう捉えるかという視点がまったくなかったのである。
 6月の教育委員会では特に重要な議題はなく、この日は早々に委員会を切り上げて委員は全員バスで春日部市の教科書展示場に向かった。そこで調査討論会を開くというのである。しかし、採択候補の教科書はすべて教科書出版社から教育委員会に届けられており、わざわざ教科書展示場まで出向いてそこで調査討論会を行うというのは何か不自然だった。それが傍聴人の監視の目から逃れるためなのか、真面目に教科書採択活動をしていますというアリバイ工作なのか、兎に角私には奇異に感じられた。
 7月に教育委員会は3度開催された。7月15日の定例会は事前に告知されていたが1回目と3度目は臨時教育委員会であり、私のような部外者が事前にそれを知ることはできなかった。1回目の臨時教育委員会は、職員が不祥事を起こしたことの処分を話し合う会合だったようであるが、これは委員会自体非公開にされたようである。機会があれば別に報告したいがこのような不祥事を議題にする教育委員会では、以前も、当事者の人権というものを盾にして非公開にした。しかし、本当は、人権云々よりも不祥事が外部に漏れることを恐れ、自らに責任が及ぶことを恐れるばかりで、問題の根本を断ち切るために本気で対処しようとする気はなく、隠密に処理してしまおうとする本音が見え隠れする。
 教科書採択を議論する7月15日の定例会には10数名の傍聴者が押しかけた。それまでの4年間私を除き傍聴者は皆無だったが(例外として昨年4月の定例会には、その時議題の通学区見直しに反対する父兄30名ほどが押しかけ、その圧力に押されて見直しは白紙撤回された)、この日は多数の傍聴者があるのを見越してか広い会議室が用意され、傍聴者用の椅子も多数用意されていた。この日の教育委員会には2つの請願書が提出されていたが傍聴者の多くは、そのうちの一方の『基本教育を考える蓮田市民の会』と称する団体のメンバーだった。通常教育委員会は、傍聴者である私が会議場に入いる前に委員達だけで事前の打合せをしていて5分程度待たされるのだが、この日は事前打合せが長引き、入場できたのは開会予定より10分ほど過ぎていた。
 この日いくつかの議題があったが来年度の中学校教科書採択の議題になった時議長より、この議題に関する請願書が2通、教育委員会に届けられていることが告げられた。後日取寄せた請願書のコピーによれば1通は、当年2月に発足した『教育と自治・埼玉ネットワーク』と称する団体で、共同代表には片岡洋子(千葉大学教授)、坂本洋子(民法改正情報ネットワーク)、林量淑(埼玉大学教授)の3名の名前が連ねられている。もう1通は前出『基本教育を考える蓮田市民の会』からのものであり、いずれも扶桑社の教科書は採択しないようにという請願書だった。請願書のコピーをつき合わせてみると2通の文面は酷似しており、特に、前書き、『請願項目』、『請願説明』など多くの部分は完全に同じ文章だった。『基本教育を考える蓮田市民の会』は当日教育委員会の会場で代表が直接請願書の内容を説明することを求め、5分間の説明が認められたがその内容は概略以下のようなものだった。
 扶桑社の歴史教科書は、今までの歴史観を一変させる内容である、中国侵略の反省がない、歴史は今の視点で解釈すべきである、戦争被害が数字で示されていない、などなど。
 扶桑社の公民教科書は、今の憲法を変えるべきという内容で教科書として相応しくない、今の憲法は守るべき平和憲法である、子供が親と違った価値観を持つようになると親と子の対立が起こる心配がある、などという珍妙な内容だった。
 なお、両請願書とも、『請願を誠実に処理し(請願法第5条)、適切に対応し、結果を遅滞なく相当の期間内に書面にて通知』するように、とまったく同じ文章で結果の返答を迫っている。
 その後議長(教育委員長)は教育委員に対しこれ以降の会議を非公開とするかどうかを諮った。委員は全員異口同音に、『公正、公平、中立性』を保って教科書選定の議論をしたいので会議は非公開にすべきという『意見』を述べ、結局これ以降議論は非公開となってしまった。つまり請願書という圧力に屈し、会議の前に、会議を非公開とするシナリオを入念に打合せ、責任ある議論を放棄してしまったように見受けられた。
 前述したように、教育委員会が教科書を採択する大事な視点は、歴史教科書を例にとれば、これからの日本を背負ってたつ子供達に自国の歴史をどのように教えるか、すなわち、古代から現代に至るまで国益と国益が激しく衝突する国際社会においては自国の先人達が達成してきた偉業を敬い、国内的には豊かな文化を育み国情に合った制度を作り上げてきた先人達を誇りに思う、その矜持を持ってこれからの社会を力強く生きる子供達をどう育成するか、という視点と見識が教育委員には求められているのだが、残念ながらそのような委員は見当たらなかった。
 私は帰宅するとすぐに教育長宛に手紙を送り、非公開にしたことに抗議したが返事はなく、今後どう改善されるかは不明である。私は、少なくとも議論の透明性を求めて、非公開で秘密裏に、また教育委員達が自分の意見を隠蔽して無責任に採択を進める今回のやり方は今後是非打破しなければならないと考えている。
 8月24日の教育委員会定例会でこの非公開会議の議事録が朗読され承認されたので、早速そのコピーを入手した。発言者の部分は墨で消されていて分からないが調査員と思われる人物が科目ごとに推薦教科書を提案し、大した議論もなく推薦された教科書が教育委員全員の賛成で決められていった様子が分かる。歴史教科書では、扶桑社の教科書は『生徒が日本の歴史を通史として読みやすく書かれている』と評価されたものの、東京書籍が『自主的・主体的な学習ができるように努めている』『小・中学校の教科用図書を同じにすることで発達段階に即した学習内容や「学び方を学ぶ」等、小・中一貫した学習環境が提供できる等、生徒にとって最も学習しやすい教科書』『全ての学校で、地図以外の歴史、地理、公民において東京書籍を推薦しております』などの理由で、東京書籍に決定している。「日本人をどう育てるか」という観点などは一顧だにされていないことがよく分かる。
 そして3回目は7月29日にやはり非公開の臨時教育委員会が開催された。ここでは7月25日に開かれた地区採択協議会の結論が伝えられ、それについて各委員が意見を述べる機会が与えられたという形式的な会合で、議事録によれば短時間のうちに全委員承認したことが分かる。
 こうして昨年の教科書採択劇は終了した。5年前に比べれば教育委員達が一応採択に関与するようにはなった分進歩といえば進歩であるが、そこで教育委員達の自主性がどこまで発揮されたのか、各教育委員がどのような教育観を持ち、どのような視点でどの教科書を推薦したのかはまるで不明である。結局地区採択協議会の調査員(教師)にリードされ、リードされるままに教育委員達は素直に従ったという印象をぬぐえない。また、教科書を教育委員達が読み込んで最適な中学校教科書を選ぶよりも小学校からの一貫性が重視され、事実そのように教科書が決まったことが本当に『公平・公正の確保に万全を期し』た議論なのか、数々の疑問が湧く。
 教科書は教える現場の教師が推薦するものが最も良いのではないかという意見がある。しかし、教育現場は今でこそ日教組の組織率は低下したものの相変わらず日教組の自虐史観から抜け出せない教師が強い影響力を持っている。昨年すべての教科書からは従軍慰安婦という言葉は消えたものの、事実を歪め、嘘をあたかも真実のように教え、日本を貶めようと目論む人々が虎視眈々と機会を窺っているのが教育界の現実である。
 教育委員が首長の推薦を受けて議会で承認される今の制度では、まともな首長、または、まともな議員が増えない限りまともな教育委員は選任されず、これからもまともな教科書採択には苦戦が予想される。それを打破するには世論を味方にすると共に、我々自身日ごろから教育に関心を持ち、地道に教育委員会や学校と接し、現実を見定め、また時には教育委員や教師を励ますことで、少しでもまともな教育者を増やしてゆくことが我々熟年世代の役目ではないかと考えている。

特別寄稿
電車の中で感じたこと
新田 慎二     

 先日、東京まで出かけて帰りの電車の中のことである。ほぼ満席で、私は一つだけ空いていた優先席に腰を下ろした。以前は抵抗感のあった優先席も、この年になって空いていれば座るということができるようになってきた。通路を隔てて前の優先席には、三十代後半と思しき女性とその子供、小学校高学年くらい、が座っていた。
 新橋から乗ってきた人の中に私より少し上と思われる人がいた。どうも腰の具合が悪いらしく、吊革につかまっているのもきつそうであった。周囲を見回していたが空いている席はなく、ぶら下がるように吊革につかまっている。私は当然若いどちらかが立つのかと思っていたが、まったくそしらぬそぶりで本を読んだり話し合ったりしている。その老人に気がついているのだが、立たねばならないという思いが全くないのだ。車内放送では優先席についてのマナーをくどくどと説明しているのだが無頓着なのである。我慢できなくなって「お座りになりますか」と立ち上がったら「すみません、腰の具合が悪くって」と老人(こちらも老人だが)は喜んで座られた。その行為をどう見ていただろうかとふたりを見たがまったくわれ関せずで、相変わらずの状態であった。
 こんな話はよくある話で、とりたてて新しい話ではないが、見ていてこの国はこれでいいのだろうかと、改めて感じたのである。つまりこの親子には、困っている人がいてもどうでもよいことで、自分が快適であればそれでよいのだ。
 困ったひとがいれば助け合う、こういったことは普通は親が教えたり地域社会との関わりの中で周囲が教えたりするものだろうし、また学校でも教えるはずだ。この親子にはそれがまったくなされていないとしか思えなかった。だとすればそんなことをまったく知らない親から子に、という教育の図式は成り立たず、その子がある時不意に気づくなどということは百年河清を待つに等しい。社会が機能を発揮するには、そんな地域社会ももう存在しない。辻堂が近づいて、暗澹たる思いで電車を降りたのだった。
 とすれば学校教育で国が教えるしかない。ところが教育基本法の論議では「愛国心」の論議を見てもくだらない言葉の一句をめぐって、延々と議論が続き継続審議となりそうである。その間に子ども達はなんの教育もされないまま、肉体的にはどんどん成長し、このままではよくないと感じる世代はどんどん消えていく。かくして美しい日本は消えてしまうのか。ホリエモンにしろ、昨日逮捕された村上にしろ、学力だけは厳しく教えられ、わが国での最高学府に学んでいる。自分さえよければ他人にどんな迷惑をかけてよい、と逮捕されたいまでも、そう思っているとしかいいようのない態度を示している。「俺は勝ち過ぎたのだ」、と村上はテレビの前でほえていた。
 ノーブレスオブリージュといった道徳律もなく、それを支える宗教心も持ち合わせず、明治まで持ち得た儒教思想も姿を消し、そんな社会で子ども達はどのように教育され、大人になっていくのだろうか。もうこの国は外科的手術を必要にしている患者としかいいようがない。
 教育されない人間はしつけのされない犬より始末が悪いのだ、といったら言い過ぎだろうか。
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