今月はまた100に関連するテーマを取り上げました。
五木寛之氏の「百寺巡礼」です。官製の「100選」と比べると内容の濃い100の数字です。五木寛之氏が約2年間をかけて自分の足で実際に歩いた百寺をご紹介いたします。
五木寛之の「百寺巡礼」
五木寛之の「百寺巡礼」は、講談社から2003年6月〜2005年9月にわたって発表されました。
第1巻 奈良
第2巻 北陸
第3巻 京都T
第4巻 滋賀・東海
第5巻 関東・信州
第6巻 関西
第7巻 東北
第8巻 山陰・山陽
第9巻 京都U
第10巻 四国・九州
の10冊、各巻ごとに10寺の巡礼記が収められています。
五木寛之の百寺巡礼 |
番号 | 寺名 | 所在地 | 宗派 | 各寺のサブタイトル | 巡礼 |
奈良 |
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 |
室生寺 長谷寺 薬師寺 唐招提寺 秋篠寺 法隆寺 中宮寺 飛鳥寺 當麻寺 東大寺 |
奈良県 奈良県 奈良県 奈良県 奈良県 奈良県 奈良県 奈良県 奈良県 奈良県 |
真言宗室生寺派大本山 真言宗豊山派総本山 法相宗大本山 律宗総本山 単立寺院 聖徳宗総本山 聖徳宗 真言宗豊山派 真言宗・浄土宗 華厳宗大本山 |
女たちの思いを包みこむ寺 現世での幸せを祈る観音信仰 時をスイングする2つの塔 鑑真の精神が未来へ受け継がれていく 市井にひっそりとある宝石のような寺 聖徳太子への信仰の聖地 半跏思惟像に自己を許されるひととき 日本で最初の宗教戦争の舞台 浄土への思いがつのる不思議な寺 日本が日本となるための大仏 |
○ |
北陸 |
11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 |
阿岸本誓寺 妙成寺 那谷寺 大乗寺 瑞龍寺 瑞泉寺 永平寺 吉崎御坊 明通寺 神宮寺 |
石川県 石川県 石川県 石川県 富山県 富山県 福井県 福井県 福井県 福井県 |
浄土真宗大谷派 日蓮宗本山 真言宗別格本山 曹洞宗 曹洞宗 浄土真宗大谷派 曹洞宗大本山 浄土真宗 真言宗御室派 天台宗 |
茅葺き屋根にこめられた信心 城のような寺と異色の画家 罪を洗い流し、生まれ変わる寺 現代人のこころを癒す修行道場 壮大な鉛瓦とつつましやかな花々 門徒の寺内町から工(たくみ)の門前町へ 生活こそは修行という道元の教え 蓮如がつくりだした幻の宗教都市 武人の祈りが胸に迫る寺 神と仏が共存する古代信仰の世界 |
○ |
京都T |
21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 |
金閣寺 銀閣寺 神護寺 東寺 真如堂 東本願寺 西本願寺 浄瑠璃寺 南禅寺 清水寺 |
京都府 京都府 京都府 京都府 京都府 京都府 京都府 京都府 京都府 京都府 |
臨済宗相国寺派別格本山 臨済宗相国寺派別格地 高野山真言宗 真言宗東寺派総本山 天台宗 真宗大谷派本山 浄土真宗本願寺派本山 真言律宗 臨済宗南禅寺派大本山 北法相宗 |
目もくらむような亀裂に輝く寺 暗愁の四畳半でため息をつく将軍 二つの巨星が出会い、別れた舞台 空海がプロデュースした立体曼茶羅 物語の寺に念仏がはじまる 親鸞の思いが生きつづける大寺 信じる力が生みだすエネルギー いのちの尊さを知る、浄瑠璃浄土 懐深き寺に流れた盛衰の時 仏教の大海をゆうゆうと泳ぐ巨鯨 |
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ |
滋賀・東海 |
31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 |
三井寺 石山寺 延暦寺 西明寺 百済寺 石塔寺 横蔵寺 華厳寺 専修寺 永保寺 |
滋賀県 滋賀県 滋賀県 滋賀県 滋賀県 滋賀県 岐阜県 岐阜県 三重県 岐阜県 |
天台寺門宗総本山 東寺真言宗大本山 天台宗総本山 天台宗 天台宗 天台宗 天台宗 天台宗 真宗高田派本山 臨済宗南禅寺派 |
争いの果てに鐘は鳴り響く 母の思いと物語に救われる寺 最澄の思いが息づく霊山 焼き討ちから伽藍を守った信仰の力 生きものの命が輝く古刹 “石の海”でぬくもりを感じる寺 最澄と山の民ゆかりの「美濃の正倉院」 人びとが生まれ変わる満願の寺 「念仏するこころ」という原点 「坐禅石」で覚えたふしぎな感覚 |
○ ○ |
関東・信州 |
41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 |
浅草寺 増上寺 築地本願寺 柴又帝釈天 成田山 建長寺 円覚寺 高徳院 久遠寺 善光寺 |
東京都 東京都 東京都 東京都 千葉県 神奈川県 神奈川県 神奈川県 山梨県 長野県 |
聖観音宗総本山 浄土宗大本山 浄土真宗本願寺派 日蓮宗 真言宗智山派大本山 臨済宗建長寺派大本山 臨済宗円覚寺派大本山 浄土宗 日蓮宗総本山 単立寺院 |
熱と光と闇を包む観音信仰 念仏のこころと東京タワー 埋立地に立つエキゾチックな寺院 寅さんの街に佇む古刹 聖と俗が混ざりあう庶民信仰 中国僧が武士に伝えた禅 明治の文学者たちを癒した寺 多くの謎と武士の祈りを秘めた大仏 情にあつく、さびしがり屋の日蓮像 濁る川に生きる覚悟をする寺 |
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ |
関西 |
51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 |
高野山 青岸渡寺 道成寺 粉河寺 観心寺 弘川寺 鶴林寺 亀山本徳寺 大念佛寺 四天王寺 |
和歌山県 和歌山県 和歌山県 和歌山県 大阪府 大阪府 兵庫県 兵庫県 大阪府 大阪府 |
高野山真言宗 天台宗 天台宗 粉河観音宗総本山 高野山真言宗 真言宗醍醐派準別格本山 天台宗 浄土真宗本願寺派別格本山 融通念佛宗総本山 和宗総本山 |
空海が猟師から譲り受けた聖地 海の浄土と山の浄土のつらなり 女性の情熱と強さを伝える物語 焼き討ちから甦った寺に、なごむ心 心惹かれる3人の足跡が残る寺 西行と役行者を結ぶ山 勇ましい聖徳太子と愛らしい聖観音 往時の宗教都市の面影が生きる寺 衆生のもとへ歩み寄る本尊 すべてを包みこむ「和宗」の祈り |
○ |
東北 |
61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 |
山寺 中尊寺 毛越寺 黒石寺 瑞巌寺 勝常寺 白水阿弥陀堂 本山慈恩寺 長勝寺 恐山 |
山形県 岩手県 岩手県 岩手県 宮城県 福島県 福島県 山形県 青森県 青森県 |
天台宗 天台宗東北大本山 天台宗 天台宗 臨済宗妙心寺派 真言宗豊山派準別格本山 真言宗智山派 慈恩宗 曹洞宗 曹洞宗 |
1人の僧がもたらした1200年の法灯 みちのくの黄金郷に鳴る青い鐘 壮大な伽藍の跡と老女の舞 薬師如来像に浮かぶ苦渋の色 神聖な石窟と伊達家の栄華 庶民が慕った、最澄の好敵手 泥中の蓮の花のように そこにあった信仰と新しい信仰 “じょっぱり”の地に立つ名刹 北の山に死者の霊が帰る |
○ ○ ○ ○ |
山陰・山陽 |
71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 |
三佛寺 大山寺 清水寺 一畑薬師 永明寺 東光寺 瑠璃光寺 阿弥陀寺 浄土寺 明王院 |
鳥取県 鳥取県 島根県 島根県 島根県 山口県 山口県 山口県 広島県 広島県 |
天台宗(天台修験道三徳山法流) 天台宗別格本山 天台宗 臨済宗妙心寺派 曹洞宗 黄檗宗 曹洞宗 華厳宗・真言宗 真言宗泉涌寺派大本山 真言宗大覚寺派 |
役行者が建てた断崖の堂宇をめざして 霊山を仰ぎ、神仏を信仰する寺 山陰の「キヨミズさん」に幟がはためく “目のお薬師さま”に詣でる人びと 津和野の歴史を物語る小寺の静けさ 萩の町にたたずむ中国風の菩提寺 嵐の翌日に見た五重塔の美しさ 東大寺を再建した老僧のパワー 海の見える寺に息づく共生のこころ “東洋のポンペイ”と隣りあった古寺 |
|
京都U |
81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 |
三千院 知恩院 二尊院 相国寺 萬福寺 永観堂 本法寺 高台寺 東福寺 法然院 |
京都府 京都府 京都府 京都府 京都府 京都府 京都府 京都府 京都府 京都府 |
天台宗 浄土宗総本山 天台宗 臨済宗相国寺派大本山 黄檗宗大本山 浄土宗西山禅林寺派総本山 日蓮宗一致派本山 臨済宗建仁寺派 臨済宗東福寺派大本山 浄土宗系単立 |
声明が響く隠れ里 壮大な伽藍に念仏の水脈が流れる 送る仏と迎える仏がならぶ寺 著名な人びとを惹きつけた禅宗の魅力 中国僧の思いが生きつづける大寺 紅葉の向こうの「みかえり阿弥陀」 “なべかむり日親”の伝説を支える力 戦国女性の思い出を包む堂宇 紅葉の橋を渡る人びとと大伽藍 念仏の原点に戻ろうとする寺のいま |
○ ○ ○ ○ |
四国・九州 |
91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 |
観世音寺 梅林寺 善通寺 霊山寺 興福寺 崇福寺 本妙寺 人吉別院 富貴寺 羅漢寺 |
福岡県 福岡県 香川県 徳島県 長崎県 長崎県 熊本県 熊本県 大分県 大分県 |
天台宗 臨済宗妙心寺派 真言宗善通寺派総本山 高野山真言宗 黄檗宗別格地 黄檗宗 日蓮宗六条門流 浄土真宗本願寺派 天台宗山門派 曹洞宗 |
境内に響く1300年の鐘の余韻 托鉢の雲水に雪が降りしきる 空海の生地に根を張る原日本のすがた 遍路の旅の出発点「一番さん」 隠元が来日してはじめて訪れた唐寺 海を渡る中国の人びとが信じた媽祖神 加藤清正が眠る庶民信仰の寺 命がけで守りつづけた「隠れ念仏」 自然の中で育まれた仏教の形 石段をのぼりつづけて、満願成就 |
○ |
巡礼の欄の○は、私が行ったことがあるお寺です。
百寺巡礼を読んで
私は「百寺巡礼」を2004年9月から、2005年の12月にかけて読みました。出版は第1巻から第10巻まで2年3ヶ月かかっていますが、我孫子図書館で借りて読んだため、1年3ヶ月で読み終えました。各巻と同時に出版された「百寺巡礼ガイド」も一緒に読むことができました。
「百寺巡礼ガイド」は「百寺巡礼」に出てくるお寺について写真入りで解説しています。そしてそのお寺を訪れる時に役に立つ情報が載っており、参拝案内や観光案内にもなっています。
なお、テレビ朝日でも2003年から百寺巡礼の放送があったようですが、残念ながらそれは見落としました。
「百寺巡礼」はお寺の少ない北海道と沖縄を除いて、東北から九州までの全国の寺院が対象になっています。どのような基準で100のお寺を選んだかは分かりませんが、日本の歴史に彩られた有名な寺院が集中している京都と奈良が目立ちます。五木氏が執筆活動を一時中断して京都の龍谷大学に学んだことも関連しているのかもしれません。滋賀、関西、北陸なども比較的多く取り上げられています。一方、関東や九州や四国はお寺の数が少なくなっています。四国は八十八ヶ所めぐりでマスコミに取り上げられることが多いので、あえて避けたのかもしれません。
100のお寺の巡礼記には、1つずつ短いサブタイトルが付いています。いずれも五木氏の思いがこもった言葉になっています。
百寺巡礼は大変分かりやすく読みやすい文章です。仏教や寺院というと、とっつきにくいとか難しいという感じがしますが、五木氏はそれをやさしく、理解しやすく書いています。五木氏は作家としてのモットーを、「第2巻北陸編 第18番吉崎御坊」のなかで偉大な僧侶になぞらえて次のように述べています。
『浄土宗を開いた法然、浄土真宗の開祖である親鸞、そして蓮如。この3人はそれぞれに個性のことなる陰影に富んだ宗教家だが、法然はむずしい修行を「やさしく」行うことを教えた人。法然の弟子の親鸞は「やさしいことを、真にふかく」きわめようとした人。蓮如は親鸞がきわめた「ふかいことを、できるだけひろく」伝えようと、懇親の力をこめて生き抜いた人。
むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをひろく
この3つは、私が物書きとして出発してからの初志であり、現在も大切にしているひそかな抱負である。』
「百寺巡礼」を読んで感じたのは仏教のふところの深さです。お寺とそこに祭られている仏様はいろいろな形をしていますが、例外なく私たちを温かく迎えてくれます。
100寺のうちどれくらい訪れたことがあるか数えてみたら31ヶ所でした。今まで特別に仏教に関心があったわけではないので、この年齢では訪れたお寺の数は少ないほうかもしれません。関東や京都が多く地域的にも偏っています。奈良は中学校の修学旅行で行ったきり、山陰・山陽は1つも行ったことがありません。
「百寺巡礼」を読んだ後、そこに出てきたお寺にできるだけ多く行ってみたいと思うようになりました。その思いはなかなか実現していませんが、機会を見つけて少しずつ訪ねてみようと考えています。
講談社のブック倶楽部のホームページに、「百寺巡礼」について次のような文章がありました。
『私たちの心のふるさとはどこにあるのか。それを探しに今日も旅に出る。百寺巡礼。日本列島の北から南まで、二年間に百の寺を訪ねる旅。旅の終りに何が見えてくるのか。風に吹かれて今日も寺への道を歩く。』
そして、五木氏は「百寺巡礼」第10巻 四国・九州編の最後に次のように記して、百寺巡礼の旅を締めくくっています。
『日本に七万五千もの寺院があると知ったのは、この旅をはじめる前だ。私がめぐった「百寺」は、そのごく一部にすぎない。しかし、その百の中にも学問の寺あり、修業の寺あり、庶民信仰の寺ありと、まさしく百寺百様の世界があった。
ひとことに「寺」といっても、数のうえでもこれだけたくさんあり、宗派も異なり、それぞれちがう顔をもっている。そう簡単になにかをいえるものではない、と痛感する。
第一巻の奈良では、南都六宗中心の時代に、国家が威信をかけてつくった東大寺のような大寺も訪ねた。第十巻の大分の羅漢寺では、無数のしゃもじの群れに出会った。いわば国家のために存在した寺と、庶民信仰によって支えられている寺。そのふたつの隔たりというか、亀裂の大きさにはめまいがするほどだった。
インドに端を発して、中国大陸・朝鮮半島をへて日本に伝来してきたこの仏教が、日本の風土のなかで日本的なものに変化していく。そのなかでは神仏習合も起こり、土俗的な風習とも結びついていく。そこに恐ろしく幅広い文化が生まれてきた。その“パノラマ”が今度の「百寺巡礼」で見えてきた、という気がするのだ。
日本人は宗教心がないといわれるが、見えない「何か」に対する信仰心をほとんどの人びとがもっているのではないか。そのことを感じる旅でもあった。
また、机の上で本を読んでいたときとはちがう、ある意味で生々しい実感を感じた旅でもあった。何百段の石段を一段ずつ踏みしめながらのぼるとき、足の疲れとともに、その足の下から伝わってくる感覚があったのだ。
それは、この石段を千年来のぼりつづけた人びとの思いであり、願いであり、希望だったのではないか。その感覚をえたことが、今度の旅の大きな収穫だったのかもしれない。』
読み終わった後、本当にすがすがしいものを感じました。それとともに、もうこれで終わるのかと大変さびしい思いもいたしました。