1年ぶりに自分の経験した海外旅行を記事にしました。ここではテーマごとにまとめてみましたが、日程をおって日記風にまとめたものを「手賀沼通信ブログ」に載せております。
 あわせてお読みいただければと思います。

トルコ旅行記

 平成20年5月15日から27日まで妻と2人で、阪急交通社の「VIPバスでめぐるトルコ13日間」のパックツアーに参加しました。2人の体調を考えて、ちょっと費用がかかりましたが、航空機のビジネスクラスとVIPバスを利用するツアーを選びました。参加者は17名、2連泊が2回、3連泊が1回あるゆったりとした旅でした。
 正直言って、トルコについてはほとんど知りませんでした。高校時代に世界史で学んだ知識くらいしかありません。トルコは私の日常の生活とはほとんどつながりを持たなかった国だったのでしょう。
 旅行するにあたって、予備知識があるのとないのとでは楽しさが大きく違います。ガイドブックを購入、図書館で何冊か本を借りて読みました。でもにわか勉強で理解できるほど甘くはありません。はっきりとしたイメージがつかめないまま、旅行に出発することになりました。
 過去何回かの外国旅行で感じたことですが、外国に出るとかえって日本が見えてきます。日本では当たり前と思っていたことが、世界の常識でないことがありました。今回もトルコを通じて日本が見えてきたことがあります。そのあたりをトルコと日本を比べながらまとめてみようと思っています。

1.トルコの基礎知識
 まずトルコについての簡単なデータをまとめてみましょう。
 トルコは面積は日本の約2倍、人口は日本の半分強で、人口のおよそ95%がイスラム教ということが分かりました。ただ、宗教の自由が憲法で保障されており、政教分離が徹底されていてイスラム教は国教ではありません。国民もイスラム教で禁じられているお酒が飲めます。トルコは大変古くから歴史の舞台に登場し、国内には数多くの遺跡があります。それくらいの知識を仕入れたところで出発しました。

2.国旗はためく国−トルコ
 バス旅行を始めてまず気がついたのは、国旗を見る機会が大変多いということでした。トルコの国旗は赤地に白の三日月と星です。シンプルで見慣れてくるとなかなか立派なデザインです。
 その国旗がいたるところで目に付きました。初日に飛行機でイスタンブールからカイセリに飛んだ以外はずっとバスでの移動でしたので、ガソリンスタンドが一番数多く目に留まります。そのガソリンスタンドには必ずと言っていいほど、国旗が立っていました。街道沿いの工場にもポールがあり国旗がはためいていました。集合住宅では10軒に2軒くらいがベランダから国旗を吊り下げていました。
国旗のシンボルをかたどった街路灯
国旗のシンボルをかたどった街路灯
 ダーダネルス海峡をフェリーで渡りましたが、向こうの丘の斜面に大きな国旗がデザインされ何キロも手前からはっきりと見えるようになっていました。ちょっと驚いたのはチャナッカレのホテルの前を散歩していた時です。ホテルの前の道の中央分離帯に立っているすべての街路灯に、国旗のシンボルである三日月と星のマークがぶら下がっていてライトで光っていたことです。見事でした。
 日本では普段国旗を目にすることはまれです。自称平和主義者やいわゆる文化人の多くは日の丸や君が代に拒絶反応を示しています。一般の人もオリンピックやスポーツのワールドカップの時を除いて日の丸には無関心です。ところがヨーロッパを旅行した時も、トルコほどではありませんが国旗が目に付きました。もしかしたらあまり国旗をかざらない日本が異常なのかもしれません。

3.東洋と西洋を分ける国−トルコ
 トルコに行くことになってトルコの地図を眺めました。トルコは東側でグルジア、アルメニア、イラン、イラク、シリアの5カ国と国境を接しています。
 一方、北と西と南は海です。北側は黒海、西はマルマラ海とエーゲ海、南は地中海です。黒海とマルマラ海の間にはボスフォラス海峡があり、マルマラ海とエーゲ海の間にはダーダネルス海峡があります。この海と海峡が東洋と西洋の分岐点です。
 私たちは旅の9日目にダーダネルス海峡をフェリーで東洋側から西洋側に渡りました。わずか30分です。空と海はあくまでも青く、海は穏やか、とても過去数多くの戦いやせめぎあいのあった東洋と西洋を分ける海峡を渡っているという実感はありませんでした。
第2ボスフォラス大橋
第2ボスフォラス大橋
 東洋と西洋を分けるもう一つの海峡、ボスフォラス海峡には2本の橋がかかっています。そこを車でわたればおそらくほんの1〜2分ではないかと思います。私たちは11日目に海峡クルーズでその橋の下を通りました。両側には歴史ある建造物や近代的なビルや瀟洒な別荘が立ち並んでいました。わずか17名で借り切った贅沢なクルーズ船のデッキでトルコ風のチャイ(お茶)を飲みながら、すばらしい眺めを楽しみました。
 トルコを語るキャッチフレーズはいろいろです。「東西文明の十字路」「シルクロードの終着駅」「ヨーロッパとアジアの懸け橋」などです。いずれもトルコの歴史上の、あるいは文明上の立場を表しています。
 日本はといえば、四方を海に囲まれていて、陸続きの国境はありません。外国との戦いは、明治維新以後は大きな戦争がありましたが、それ以前は蒙古が襲来してきたくらいでほとんど経験していません。明治維新以前の日本は欧米の世界地図の上では、「Far East」で、いわば辺境だったのではないでしょうか。
 いろいろな帝国が現れては消え、地図を幾度も塗り替えてきたトルコと、国土と人種がほとんど変わらなかった日本とは、いかにも好対照を示していると感じました。

4.遺跡の宝庫の国−トルコ
 トルコは遺跡の国です。世界遺産が9つあります。今回の旅ではその世界遺産のうち
カッパドキアのウチヒサール(尖った城砦)
カッパドキアのウチヒサール
(尖った城砦)
・ギョレメ国立公園とカッパドキア
・バムッカレとヒエラポリス 
・トロイ遺跡
・イスタンブール歴史地区
の4つを回りました。
 またそれ以外にも、
・アフロディシアス
・エフェソス
・ベルガモン
の遺跡を回りました。これらの遺跡もなぜ世界遺産に登録されていないかと不思議に思うくらいすばらしい遺跡でした。トルコの歴史についてはよく知りませんが、トルコに遺跡が多いのは、おそらくギリシャ文明やローマ文明がトルコの国土にも広がっていたのでしょう。
 どの遺跡も大変感銘を受けましたが、特に印象に残ったのはカッパドキアとエフェソスです。
エフェソスの遺跡(ハドリアヌス神殿)
エフェソスの遺跡
(ハドリアヌス神殿)
 カッパドキアは面白い形をした岩の柱が立ち並び、まるでほかの惑星に来たのではないかと思うような光景でした。岩石をくりぬいてキリスト教会が作られていて、その中にはフレスコ画が描かれていました。またイスラム教徒の迫害から逃れたキリスト教徒が地下8階までに及ぶ地下都市を建設していました。
 エフェソスの遺跡は古代の都市の姿を示しています。いくつかの通りに沿って、神殿、教会、図書館、野外劇場、門、高級住宅、公衆浴場、公衆トイレ、泉などの跡が残っていました。世界遺産のトロイの遺跡にくらべるとエフェソス遺跡のほうが見事でした。エーゲ海クルーズでは、エフェソスの遺跡が観光の目玉の一つになっているようで、色彩豊かなクルーズ客で大変な混雑でした。
 これらの遺跡に比べると、日本の遺跡はおもちゃみたいなものではないかと思います。

5.エコ志向の国?−トルコ
 日本のガソリン平均店頭価格が6月9日現在、1リットルあたり172.2円となり3週連続で最高価格を更新したと新聞に出ていました。離島の利尻島では200円を超えたそうです。
ガソリンスタンドの価格表示
ガソリンスタンドの価格表示
 ところがトルコは5月下旬の時点で1リットルあたり300円前後でした。現地ガイドのトゥナさんの話ではトルコのガソリンは世界1高いそうです。そのせいなのか、車の値段が高いのか、あるいは所得水準が低いのかは分かりませんが、走っている車の数が少なくイスタンブール市内を除いてはほとんど渋滞はありませんでした。
 おそらく日本でも1リットル300円になれば車の利用は少なくなるのではないでしょうか。乱暴な意見ですが、温室効果ガスを減らすにはガソリンの値段を高くするのが手っ取り早い方法ではないかと思ったりしました。
 通勤はバスが中心のようです。トルコ第3の都市イズミールでは、大型バスよりミニバスが数多く走っていました。
 ガソリンに比べると、高速料金は日本よりかなり安いようです。トゥナさんによると、イスタンブールとアンカラの間は400キロほどあるようですが、12リラ(約1100円)とのことでした。日本の道路公団はぜひ見習うべきです。
 住宅の屋上に、太陽の熱で水を温めるソーラー温水器を取り付けている家が多いのに驚きました。集合住宅には必ずと言っていいほど取り付けられており、しかも1つだけでなく複数台乗っていました。私たちが旅した11日間は毎日快晴で、太陽がギラギラと照り映えていました。それだけに温水器の効果が大きいのでしょう。
 勝手な推測ですが、トルコはまさにエコ志向の国ではないかと思います。
 トルコが洞爺湖サミットに参加するのかどうか知りませんが、もし参加するならどんな発言をするか注目したいものです。

6.笑顔の国−トルコ
 トルコはホスピタリティを感じさせる国です。誰に対してもそうなのか、観光客に対してだけそうなのか、日本人に対しては特にそうなのかは分かりませんが、私たちが接した場所場所で笑顔があふれていました。日本語をよく耳にしました。
 観光地のお土産店やイスタンブールのグランドバザールで笑顔や日本語で迎えてくれるのは、お土産を買ってほしいためなのかもしれません。そうと知りながらも、やはり笑顔や片言の日本語はうれしいものです。ついこちらも笑顔になります。
 遺跡などの観光地ではたくさんの子供たちに会いました。大変明るく人懐っこく積極的で、子供たちのほうから英語で話しかけてきました。中には知っている日本語の単語を並べる子どももいました。トルコ人は目鼻立ちがはっきりしているので、子供も可愛いく笑顔が映えます。トルコは米ドルが通用し英語も結構通じます。私立の小学校では英語教育をしているとのことでした。
 日本の子どもたちが遠足などで外国人に会ったとき、はたしてこのような態度がとれるだろうかと考えてしまいました。
 トルコは日本と日本人に親近感を持っているといわれています。ガイドブックによるとそれらしい理由がいくつかあるようです。
可愛いトルコの子供
可愛いトルコの子供
 一つは1890年和歌山県串本市沖でトルコの軍艦が座礁沈没して五百数十名の犠牲者を出したとき、日本人の遭難者援助活動がトルコに感銘を与えたことです。二つ目はトルコと仲の悪かったロシアに日露戦争で日本が勝利したこと、三つ目はボスフォラス海峡にかかっている第2ボスフォラス大橋が、1988年日本のODA協力で架けられたことだそうです。そして何よりも国家近代化政策のモデルを日本に求めたことにあると書かれていました。
 私たちのバスがドライブインで休憩するたび、バスの窓を外からきれいに磨いてくれていました。日本ではあまり経験したことがありません。快適なバス旅行ができた原因の一つでもありました。

7.世界三大料理の国−トルコ
 トルコ料理が世界三大料理の一つということは、トルコに来るまで知りませんでした。そのことを聞いたとき、フランス料理と中国料理が三大料理に入るのは分かりましたが、トルコ料理は意外でした。
 世界各国の料理を味わうほどグルメではないので、私に発言権があるとは思いませんが、出てくるトルコ料理は大変美味しく食べることができました。バイキングは別にして、出てきた料理を残したのは1回だけです。量が多く食べ切れなかったからです。
 トルコは食料自給率が100%に近い国です。日本と違って食材はほぼトルコ産です。中国産は使っていないでしょう。トルコ料理に欠かせない食材は、オリーブと羊です。オリーブの木はいたるところに植えられています。オリーブの実はいろいろな漬物になります。オリ−ブオイルをサラダに直接かけて食べます。羊は肉料理だけでなく、羊乳でヨーグルトやチーズなどの乳製品が作られます。トルコのヨーグルトはそのまま食べるだけでなく隠し味やソースなどにも使われています。
昼食に出たシシケバブ
昼食に出たシシケバブ
 パンもスープも大変種類が豊富でどれもいい味です。風船のように膨らんだ皮ばかりのパンを食べましたが、実に美味でした。トマトや豆のスープがよく出ました。肉料理は羊だけでなく、牛や鶏もあります。イスラム教なので豚は食べません。中華料理も豚肉抜きです。黒海とマルマラ海とエーゲ海に囲まれているため、海鮮料理もありますが、料理の種類は少ないとのことです。
 お酒はビールとワインとラクを飲みました。ラクはぶどうを原料にアニスの風味をつけたアルコール度45%の無色透明な蒸留酒です。なんともいえない独特の香りがあり、水で割ると白く濁ります。お土産に買ったものを息子たちに飲ませましたが、香りのためか途中でギブアップしました。でも好きな人は手放せなくなるようです。
 日本に帰国した日、おすしを食べました。妻と顔をあわせて二人とも思わずにっこりしました。三大料理もいいですが、やはり私たちには和食です。料理だけは和食にかなうものはありません。

 私は今までほとんど知らなかった国に行くと、なじみの深い国以上にその国が好きになるくせがあります。トルコにはまってしまった感じです。

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