オーロラを見に行きました。その旅行記です。
 日記風の記録はブログに載せてあります。

アラスカ旅行記

 平成20年9月6日から9月12日まで、クラブツーリズムの「秋のアラスカ大満喫7日間−チェナ温泉3連泊!JALチャーター直行便」というパックツアーに妻と二人で参加しました。
 シベリア上空を飛べなかったソ連時代にはヨーロッパ便はアラスカのアンカレッジで給油していました。その後シベリア上空を自由に飛べるようになり、航空機も航続距離が伸びたため、現在はアラスカへの直行定期便はありません。アラスカに行くためにはシアトルやサンフランシスコで乗り継ぐことになります。10数時間かかります。
 直行チャーター便なら7時間足らずです。オーロラ観光シーズンに、JALのチャーター便でのパッケージツアーをいくつかの大手旅行業者が企画しています。今回もジャンボジェット機がほぼ満席になりました。大半は中高年の女性客でした。

1.3日連続でオーロラが現れた
 今回の旅行では3晩続けてオーロラを見ることが出来ました。以前からオーロラをみたいと願っていた妻の願いがかないました。
 オーロラは太陽から放出される電気を帯びた粒子(プラズマ)の流れが地球の大気と衝突し、そのエネルギーが光となったものだそうです。ちょうど粒子と大気はテレビのブラウン管の電子ビームとスクリーンのようなものです。
 オーロラは北極と南極のそれぞれで、地磁気の極点を中心とした環(オーロラオヴァールまたはオーロラベルトと言われます)の下が最もよく見える場所です。その環はアラスカ、カナダ、グリーンランド、アイスランド、ノルウェー、シベリアなどを結んでいます。アラスカのフェアバンクスはその環の下に近いところにあり、年間243日もオーロラ現象が起きています。
 私たちはフェアバンクスから100キロほど東のチェナ温泉に3泊し、オーロラ見物に挑戦しました。オーロラはいつ現れるか、いつ消えるか分かりません。オーロラ見物の秘訣は寒さに耐えながらひたすら待つことです。

チェナ温泉の黄葉
 私たちはフェアバンクスについた日の夜11時過ぎにオーロラ見物の場所となっているチェナ温泉のアクティビティ・センターに繰り出しました。9月初旬、出発する前日まで我が家は気温30度を超え、Tシャツにショートパンツでした。ところがオーロラ見物には、ウールの長袖シャツにセーターと分厚いヤッケを着て、真冬用のズボン下とズボン、マフラー、防寒帽子、ウールの靴下、手袋を身につけました。妻はポケットと靴の中にホカロンを入れました。
 アクティビティセンターの外にはオーロラ観測用の場所が用意されていました。昼間はセスナの滑走路になっているところです。真っ暗なので懐中電灯が必要でした。そこに椅子を並べ、日本から持参した暖かい座布団を敷いて北の空にオーロラの兆候が現れるのを待つのです。12時をすぎて気温はマイナスになりました。足の方から寒気が身にしみます。空にはとても日本では見られないような満天の星が輝いていました。北極圏に近いため、北斗七星と北極星がすぐ近くで大きく瞬いていました。
 耐え難くなると、アクティビティセンターに戻ります。暖房が効いていて椅子と机があり、くつろいでオーロラの出現を待つことができました。センターの中にも、外の見物場にも100人近い人が集まっていました。
 1時すぎになってオーロラに詳しい人がそろそろ出そうだと声を掛けてくれました。急いで外に出ると、北の山並みの上が帯のように薄明るくなっていました。まもなく東の方から青い光の帯が立ち上がりました。オーロラです。その帯は瞬く間に真上にやってきて、カーテンのように揺らぎ始めました。回りから一斉に拍手と歓声が起こりました。夜中の1時半でした。私たちはオーロラが消えるまで,光の競演に酔いしれていました。写らないと知りつつ思わずデジカメやASA1600の使い捨てカメラのシャッターを切りました。何も写っていませんでした。
 ちなみにオーロラを撮るためには、広角の明るいレンズの一眼レフカメラ、ASA400以上の高感度フィルム、三脚、シャッターレリーズなどが必要とのことです。私は持っていません。
 2日目は北極圏体験バスツアーから戻ったのが夜中の1時でした。バスの中から北の方向に薄明かりが見えました。しばらく前までは雨が降っていたのですが、現地のガイドの伊藤さんは今日も必ずオーロラが見られると予言してくれました。
 部屋に戻るのももどかしく、すぐ身支度を整えて滑走路にかけつけました。ぴったりのタイミングでした。頭上にあった光の帯が全天に広がり、見る間に大きなオーロラとなって躍動を始めました。前日見たオーロラの何倍もの大きさです。感動のあまり涙がこぼれそうになりました。
 帰国後下の写真が旅行会社から送られてきました。日にちと時刻が抜けていましたが、おそらく2日目の夜のものと思われます。

2日目に見えたオーロラ
 オーロラは目で見るのと写真では色がちょっと違います。目で見たときは薄い青でしたが、写真では緑が出ています。赤い色のオーロラを見たかったのですが、赤はめったに出ないとのことでした。
 3日目は日中ずっと曇っていました。雲があるといくらオーロラ現象が起こっても見ることはできません。夜12時に偵察に出かけましたが、星空は南の方に少し見えるだけでした。私はあきらめてベッドに入りましたが、妻は見られるかもしれないと1時頃身支度をして出かけました。30分ほどして戻ってきて見られたといいました。執念がオーロラを引き寄せたのでしょう。規模は3日間では一番小さかったようですが、3日連続で見られたことに妻は大満足でした。

2.観光客に優しくない国−アメリカ
 アメリカのセキュリティチェックは厳しいと聞いていましたが、それを身をもって体験させられました。
 まずフェアバンクスでの入国審査です。空港に到着すると待合室に案内されました。待合室にはコーヒーと菓子パンが用意されていました。時間がかかるのでゆっくり召し上がれということなのでしょう。待つこと2時間ほど、やっと入国審査の部屋に入りました。そこで時間がかかった理由が分かりました。一人一人入国カードを検査し、不備のカードは書き直しさせられます。両手の人差し指の指紋を取られ顔写真を写されていました。それをわずか3人の審査官と助手1人でジャンボジェットの乗客全員を審査していたのです。10時10分に空港に到着、観光バスが出発できたのは12時40分でした。
 4日目にフェアバンクスからアンカレッジまで国内線を利用しました。国内線のセキュリティチェックも半端ではありませんでした。手荷物検査は国際線同様液体の持ち込み制限がありました。上着や靴は脱ぐ必要があります。私と妻はブザーがなったわけではないのに、ボディタッチのチェックを受けました。そしてホテルで荷物を開こうとした時、妻のスーツケースの鍵が外れているのに気がつきました。開いてみると、「NOTICE OF BAGGAGE INSPECTION」の用紙が、日付印が押されて入っていました。スーツケースを開けてチェックされたのです。まさか国内線でスーツケースが開けられるとは想定外でした。
 私のスーツケースは帰りの国際線で開けられていました。開けられたということは、「NOTICE OF BAGGAGE INSPECTION」が入っていることで分かります。そこには「セキュリティ・オフィサーがスーツケースを開けられないときは鍵を壊す。申し訳ないとは思うが、その責任は当局にはない」と書かれていました。私も妻も鍵は掛けていなかったので鍵を壊される難は逃れました。
 ヨーロッパに比べてアメリカは観光客には優しくはありません。しかし安全が観光客にとっても第1と考えれば、テロの標的となりやすいアメリカを旅行する限り仕方がないのかもしれません。

3.アラスカの産業は石油と漁業と観光
 アラスカに1年以上住んでいると、赤ん坊から老人まで、1人年間3200ドルもらえます。2000ドルは石油の利益のおすそ分け、1200ドルはガソリン値上げの補助だそうです。石油は途方もない富をもたらしているようです。それも日本の約4倍の広さの土地に、わずか66万人ほどしか住んでいないことにもあるのかもしれません。
 アラスカは元ロシアの領土でした。1867年アメリカが720万ドルでアラスカを買い取りました。その交渉に当たったウィリアム・スワードは当時愚行として国民から非難されたそうですが、今は石油資源だけでも高く評価されています。逆にロシアはしまったと思っているでしょう。

石油パイプライン
 北極圏を体験するバスツアーでは、北極海とアラスカ湾を結ぶ石油のパイプラインに沿った道を1日中走りました。パイプラインは永久凍土の中にもぐったかと思えば地上にその姿を見せて、延々1280キロ続いています。構造物はそれしかないといった感じでした。
 水産業の中心は鮭です。鮭は文字通り鮭の王様のキングサーモンや日本で一番人気の紅鮭など全部で5種類あります。空港での食品のお土産は鮭の加工品が大半を占めていました。また鮭は食べるだけでなく、釣りの対象としても大人気、遠くから鮭つりのために大勢の釣り人がやってきます。
 観光業は「ラスト・フロンティア」を合言葉に雄大な大自然を楽しむアクティビティが中心です。ガイドブック「地球の歩き方」には、オーロラ観測のほかに、ハイキング、野生動物観察、フォトグラフィー、カヌー、カヤック、キャンピング、フィッシング、クルージング、フライトシーイング、ラフティング、サイクリング、スキーなどが紹介されていました。
 現地ガイドのマキコさんの話では、水産業と観光業は5月から8月の4ヶ月にほとんどの稼ぎが集中するとのことでした。

4.野生動物と飛行機とライフル
 今回の旅行では経験と知識の豊富な2人の現地ガイドに案内していただきました。フェアバンクスの伊藤さんとアンカレッジのマキコ・ボイドさんです。伊藤さんは日本を飛び出してアラスカに来て37年、家族でデナリ国立公園の近くに住んで観光ガイドをしています。先住民の友人も多く、狩りで暮らしを立てていたこともあります。
 その伊藤さんの話です。野生動物でもっと怖いのは熊、熊の出るところではライフルは手放せないとのことでした。ライフルと弾丸はスーパーでも売っているそうです。友人だった野生動物の写真家星野道夫さんはアラスカではありませんが、カムチャッカ半島で熊に襲われてなくなりました。自分でも危ない目に会ったことがあるそうです。
 野生動物はチェナ温泉でムースの親子を見かけました。氷河クルーズではトドとラッコに会いました。リスやアメリカの国鳥ハクトウワシはいたるところにいました。もう一つ怖いのは夏に大量に発生する蚊だそうです。昔は蚊を使った死刑の執行があったようです。
 マキコさんはアンカレッジの水上飛行機の基地に連れて行ってくれました。アラスカは列車や道路があまり整備されていないため、セスナや水上飛行機がよく利用されるとのことでした。飛行機でしかいけないところもあり、エアタクシーというのもあります。飛行機の免許は16歳から取れるようです。

5.黄葉と赤いツンドラの北極圏バス旅行
 2日目の午前10時5分、前日のオーロラ見物で寝不足の目をこすりながら、北極圏バス旅行に出発しました。北極圏への道路は、石油パイプライン建設のために作られた道路です。アラスカの大自然の中の一本道です。フェアバンクスを離れると交差する道路はありません。当然赤信号もありません。
 アラスカの秋は黄色の世界です。日本のような紅葉はほとんど見られません。シラカバやアスペンの葉が見事な黄金色に輝いていました。行けども行けども黄葉が続く風景は壮観でした。
 樹木の下にはヤナギラン、ブルーべリー、コケモモなどが見られました。熊は雑食なので、ブルーベリーなども食べに現れるとのことです。あんな小さな実をどうやって食べるのでしょう。
 途中、山火事で焼けた地帯を通りました。焼け焦げた木が残っており、そこには黄葉はありません。大きな山火事だったのでフェアバンクスは火事の煙に悩ませられたそうです。山火事のあともやはり行けども行けども続いていました。
 途中ユーコン川を渡りました。川幅はそんなに広くありませんが、満々と水をたたえて、いかにもラストフロンティアの川に恥じない流れです。新田次郎の「アラスカ物語」に出てくるビーバー村はユーコン川の上流にあります。
 北極圏に近づくとツンドラ地帯が現れました。湿地帯でところどころに池塘があります。まるで尾瀬ヶ原を数十倍も広くした感じです。尾瀬の草紅葉のようにツンドラの草も赤く萌えていました。
 北極圏の入口には小さな公園がありました。広場には北極圏を示す看板、テーブルと椅子、トイレの小屋がありましたが、無人の公園でした。そこで配られたまずいお弁当の夕食を食べ、来た道をチェナ温泉まで引き返しました。
 バスに乗るだけの北極圏ツアーでしたが、ガイドの伊藤さんのおかげで楽しく過ごせました。経験に基づいたお話は興味深く、15時間ほどの北極圏バスツアーの中は全く退屈しませんでした。

6.灰色の海と青い氷河の氷河クルーズ
 アラスカ旅行の最後の観光はサプライズ氷河見物のクルーズでした。アリエスカの元西武プリンスホテルからプリンス・ウィリアムズ湾のウィッティアまではバスでの移動です。ウィッティアに入る道は汽車と共用のトンネルを時間帯を分けて通ります。トンネルの中の線路の上をバスで通るのは初めての経験です。
 ウィッティアは人口170人ほどの寒村ですが、プリンス・ウィリアムズ湾観光の基地になっていて氷河クルーズや釣りなどの観光客が大勢訪れます。人口の何倍ものクルーザーやヨットがありました。

サプライズ氷河
 サプライズ氷河へは150人乗りのクルーズ船で、3時間半ほどかけて湾内をまわりながら行きました。乗客は私たち30人と、外人(この表現はおかしい。私たちが外人です)が20人ほど、船内はゆったりくつろぐことが出来ました。お天気が良ければデッキで景色を眺めながらの航海になるのでしょうが、冷たい雨が小止みなく降っていたため、船室の窓から外を眺めることになりました。
 写真をとるときだけ合羽を着てデッキに出ました。海は青くありません。雨空のせいでもありますが、氷河の氷の中に混じっている細かい岩や泥が海に流れ込んでいるからです。その泥や岩はグレーシャー・シルツというそうです。氷河に近づくと氷の塊が一面に浮いていました。
 午後2時半頃サプライズ氷河に到着しました。驚いたことに氷河は白でなく青色でした。70メートルの青い壁がそそり立っていました。そこで船を止め、氷河が崩れ落ちる瞬間を待ちました。よく地球温暖化を象徴する画面として氷河崩壊のシーンをテレビで見ることがありますが、あの光景を期待して待ちました。残念ながらテレビで見るあの壮大な風景ではありませんでしたが30分ほどの間に小さな崩壊が3回ありました。サプライズ氷河は氷の動きが早いため崩れる回数が多いとの説明がありました。
 アラスカには約10万の氷河があるそうです。そのうち名前がついている氷河は約600、地球温暖化の影響でどの氷河も後退しているようです。

 アラスカ旅行はオーロラと北極圏と氷河を楽しむ旅でした。オーロラや氷河の青色、黄葉の黄色、ツンドラの赤色、3色を楽しむ旅でもありました。

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