昨年の12月下旬に、親しくしている手賀沼通信の読者の方から、奥様の癌についての貴重な記録をお送りいただきました。
 一読して、この記録は他の読者の方に参考になり、勇気づけられる方もおられるのではないかと考え、手賀沼通信への掲載をお願いしました。氏名や場所を特定できないようにしていただければOKと快諾してくださいました。
 驚きや苦しみを抑えながら、いろいろな手立てを考え冷静に癌と戦っていく様子が、生々しく綴られています。皆様のご参考になれば幸いです。
 また、皆様方のご感想をお待ちしております。

 もう一つは私の体重の増減についてのお恥ずかしいお話です。こちらのほうはあまり参考にならないと思いますが、こういうこともあるのですね。

特別寄稿
妻の癌とつきあって一年半                                一読者

1.これまでの経過
 早いもので妻に発症した肝臓癌とつきあって一年半となる。三度の入院、再発、転移など、目まぐるしく変化する症状の中で情報や対策に翻弄された一年半でもあった。
 若い頃からC型肝炎を患っていた彼女は、肝硬変となってから肝癌に進行するものと思い、肝硬変対策を続けていたが、昨年七月、定期的におこなっていたCT検査で肝臓内に三個の癌があるといわれたのだった。いきなりの入院、アンギオ検査、ショックも大きかったが、とにかくそれらへの対応に追われた。入院は近くのA病院、セカンドオピニオンは築地の国立ガンセンターとした。妻は以前私が胃癌で入院したときの経験から、私の疲労を心配し、近くの病院にこだわった。
 肝臓癌治療としては、切除、エタノール注入、ラジオ波焼却、アンギオ、あるいは放射線照射などがあるが、癌が複数個あること、大きさが四・五センチもあることなどからアンギオしかないといわれ、セカンドオピニオンでも同意されたのでそれで対応することにした。アンギオとは血管塞栓術とも呼ばれ、そけい部から動脈内に挿入したマイクロカテーテルを操作して肝臓内にまで到着させ、患部を詳しく検査し、抗ガン剤を注入したり、患部に直結する血管を塞栓し、癌細胞の増殖を止めるやり方で、応用範囲は広いが根治しないとされる治療法である。
 アンギオとCT検査が都合三回断続的に続けられ、一旦治まっていた癌が再発したりまた治まったりして一年が過ぎようとした七月、腫瘍マーカーの値が急激に上がりすぎるのでPET検査をしましょうといわれた。PET検査とは試薬を注入し癌細胞に集まるタンパク質をチェックするやり方で、ほぼ全身のガンを見つけ出すことのできる検査方である。装置に莫大な費用がかかるため当地にはB市にしか検査病院が無く、そこで受けた。ちょうど彼女が発症する半年前、私がPET検査を受けたところでもあった。一緒に受けようという誘いに「定期的にCT検査をやっているから」と断った因縁のある病院である。
 写真が送られてきたが、それがまた恐ろしい写真であった。患部に大きく矢印がつけられ、そこに癌が発症しているのが分かった。右の腰骨に黒くタンパクが集中しているのが見えた。「すぐに放射線治療しましょう」といわれ、一も二もなく放射線科に回された。
 少し前から腰が痛いので整形外科から湿布薬をもらっていたが、その患部からの痛さで、湿布薬で治るものではなかった。転移した以上他の部位に転移するおそれがあり、抗癌剤の投与がおこなわれ、また痛みは癌にはよくないので痛み止めのクスリを飲んでくださいという。モルヒネ系の痛み止めと聞かされ、「中毒になりませんか?」と聞くと、「ごく微量ですからまったくその心配はありません」とのことであった。放射線治療は毎日、一五秒ほどの放射線を三回、異なった角度から浴びる。かなりつらいらしく家へ戻るとほとんど横になっていた。半月ほど通った段階でCT検査をしたところ、「やっと増殖は止まりました。治療はストップしましょう」といわれた。「これで本当に止まったか、また動き出すか、個人差があるからなんとも言えない」と放射線科の医師。
 ところが最近になってどうも風向きが変わってきたのである。消化器内科の先生も、放射線科の先生も「ずいぶん良化していますね」と言うのである。腫瘍マーカーも肝臓の指数もかなり改善され、四・五センチあった肝臓の癌も影が薄くなっているようで、腰骨に転移した癌も縮小しているというのである。二週間おきにしていた通院も四週間でよいという。信じられない話であった。発症以来よいことは全くなく、転移を聞いたときは絶望に近いところに追い込まれた。この話を聞いて私は咄嗟に「にんじんジュースだ」と思った。何が何に作用してよくなったのかは、神様しか分からないだろうが、私には確信に近い思いがわき上がってきたのである。それぞれの先生は自分の治療法が功を奏したのだと思っているが、私はにんじんジュースが効いてきたとひそかに思うことにした。

2.主治医の選択
 病院の担当医師は初診でかかった先生がなることになっているようで、C医師であった。最初の印象はずいぶん不機嫌な医者だなという印象で、妻が「五年くらい生きたい」と冗談めいていったら「ずいぶん強気ですね」と言い返してきたので返す言葉がなく、これがドクターハラスメントかと思った。看護婦には厳しく、極端な物言いで叱る。何か聴こうとしても不機嫌な回答ではつい聞きそびれる。セカンドオピニオンについても「行くならどうぞ」と不機嫌に言う。妻はひたすら先生について行くというタイプで、私が先生に「どうして?」とか「なぜ?」といった質問をすると「やめて」というのである。理由は先生の機嫌が悪くなると困るというのである。アンギオはしっかりやってくれたので、まあ、ちゃんとやってくれればいいかと諦めていた。
 腫瘍マーカーが上がり続け、PET検査を受け、その結果を聴きに行く日だった。行ってみると先生は休みだという。急遽別の先生に代わってもらうことになったが、結果報告書がないということで、大騒ぎして先生の机の引き出しから探し出した。結果は転移だった。代わりの先生はまだ若い中年の医師で、丁寧に次の治療について説明してくれた。質問にも耳を傾けてくれ十分理解できるよう詳しく説明してくれた。もし代わりの先生でもいいから結果を教えて欲しいといわなかったら、また一週間後となり、重大な結果を招いたかも知れないと思った。
 診察室を出てから妻は「いまの先生に代わってもらってもいいのかしら」と言いだした。さすがにこらえ性のよい妻も今回の騒動で我慢の限界を超えたようだ。私の印象でも、今度の先生の方がはるかに気持ちよく接することができるので賛成であった。看護師に話したら「わかりました。何とかしましょう」とのことでドクターのチェンジが実現した。しかし隣の診察室でC医師の声が聞こえてくる、だがもう気にしないでやろう。病院のパンフレットにも、医師や治療法の選択は患者の自由である、と書いてあるではないか。
 病院の看護師は本当に素晴らしい。患者の気持ちを察し、機嫌の悪いドクターとの繋ぎ役をきちっとこなしてくれ、患者に言葉をかけてくれる。看護師の教育がこれだけできるのなら、医師の患者への接し方の教育くらいやれるのではないかと思うのだが。

3.にんじんジュース
 転移した癌患者の患者の家族として、何かしてやることは出来ないものかと探していたとき、本屋で見つけたのがにんじんジュースの本であった。石原結実先生の「にんじんジュース健康法」という本で、「すべての癌に効くとは言えないが、にんじんジュースの大量摂取は癌の有効な治療法の一つである」と書かれていた。伊豆に治療設備も持ち、改善の実証例も多い、とにかく何かしなければという思いでいた時だった。早速ジューサーを買ってきて毎日飲ませることにした。
 にんじんの調達とジュース造りは私の仕事として毎日続けた。にんじんは有機栽培のもので、大きいものなら三〜五本、りんごは大一個、これで約八〇〇CCのジュースがとれる。時にはキャベツや柑橘類などもまぜるが、ベースはにんじんとりんごである。妻はりんごアレルギーという不思議なアレルギー持ちだったが、にんじんジュースに少しづつ混ぜていったらいつの間にかアレルギーは消滅していた。
 にんじんには人の生きていくために必要なほとんどのビタミンやミネラルが入っているそうで、先生は朝食をとらないでにんじんジュースだけにしろとまで書いている。
 ジュースを飲み始めて四ヶ月、最初に感じた顕著な変化は便通が極めてよくなったことで、本にも書いてあるとおりであった。そのことからしても、にんじんの効用は極めて大だと予感した。
 ジューサーで絞るのだが、絞りかすが大量に出る。毎日ソフトボール大のかすが出るのである。土に埋めたり、生ゴミ処理機に入れているが、面倒といえばジューサーの掃除とこれくらいで、これで癌がよくなるのであればたいしたことではない。
 そのにんじんジュースの効用か、肝臓や腫瘍マーカーの指数が劇的に改善されたという最近のニュースは二人を力づけるに充分なニュースだった。直近のCT検査でも肝臓も腰骨も治まってくれているようだ。大量摂取は嘔吐感のあるときなどは厳しいようだったが、結果がついてくる以上、彼女もジュースのお陰だと信じるようになり、喜んで飲み続けている。元の会社のOB会の役員で奥さんがまったく同じ状態の人がおり、このことを話したら早速やるようになったそうで、「にんじんジュース教」信者が一人増えた。私は今後もどしどし信者を増やす努力を続けるつもりである。

4.男子厨房に立つ
 入院が続いたり、退院してもしばらくは台所に立てないため、自然に私がやることになり、もうすっかり慣れてしまった。料理を作るのは創作的であり、適度に頭脳を刺激してくれるので、それほど嫌いではない。後片付けは面倒で好きではないが、それはやむをえない。
 献立は朝食を中心にし、牛乳、ヤクルト、みそ汁、もずく、大根おろし、納豆、それに動物性タンパク質のものを一品つける。果物は季節のものを切らさない。かなりのボリュームだが、よほどのことがないかぎり食べているのでカロリー、ミネラル、ビタミン、食物繊維などまかなえているつもりだ。これに大きなコップ一杯のにんじんジュースだから朝食としては頑張って食べているほうだ。昼は麺類が大半で、蕎麦かパスタかといったところ。夕食は主菜に副菜を二品ばかりつけるがむしろ軽めだ。食後に抗ガン剤や肝臓の薬、痛み止めなど数種類の薬を飲む。サプリメントはごまからとったセサミンとプロポリス。まあ効いているかどうかは分からないが飲み続けている。
 メニューはネットや料理本などで調べ、我が家の新しい定番料理が増えた。米、ハム、ベーコン、たまご、味噌、ケチャップ、ソース類、だし類などはいくつかの製品をチェックして使用する品を絞っていった。ブランドによっては取り扱いのスーパーが異なり、それぞれの店に買いに行ったりもする。条件は日本製でうまく感じるものでなければならない。調味料としての酒やワイン、にんにく生姜などはどうしても多用する。一時期はご飯に混ぜる雑穀類にも凝ったこともある。炊飯するときに、酢やオリーブオイルを入れてみたり、みそ汁に大根おろしを加えてみたり、チーズの一種であるマスカルポーネを、焼いたフランスパンにのせてキゥイとともに食べてみたり、アボカドや牛モツ、鯖や秋刀魚の酢締めなど、ネットで調べたり料理の本から教えられたり、遊びながらやっている。どうせやるからには遊びがないと楽しくない。パスタ料理、しめ鯖や魚の煮付けなどは、市販のものより「我が家のシェフの方が腕がいいよね」と好評である。

5.患者の家族として
 患者中心にやってきたので、最優先に彼女のスケジュールに合わせる生活となってきたが、彼女も私の予定を細かくチェックし、それに合わせるよう努力している。
「できればあなたの生活を普通にやっていただき、私のためにストレスを感じないような生活をして欲しいの」という。
 私の予定とは元の会社のOB会の理事会やOB誌の編集委員会、いまだに続いている会社の山岳部行事、団地の管理組合の役員会、校友会のハイキング部の行事、俳句会、地元の文芸サークル、地元の山の会、六年間続けている街道歩きなど結構多い。彼女も自分で動ける場合はなるべく自分で動いてくれる。後片付けや洗濯はすすんでやってくれるし、普段は運転もできるので駅までの送り迎えも務めてくれる。だから息抜きは十分やっている状態にある。
 妻にとって私の健康が最大の関心事で、「あなたになにかがあったら我が家は大変なことになる」というが、たしかにその通りで、二人が枕を並べたのではなにも出来なくなる。だからあまり気負うことなく、自然体で、私の健康に留意し、なにかが起こればただちに対応するということでやっていきたいと考えている。
 旅行も始めようということになり、とりあえず箱根に行き、晩秋の箱根の紅葉を楽しみ、美術館巡りをしてみたが、大変な喜びようで「もう来られないと思っていたのに」とつぶやき、「来年も来たい」と未来のことを口にした。
 しかしこれで全快したわけでもなく、いつかまた動き始める可能性は大きい。「その時はその時、しっかり対応するしかない」と決め、しばらくは癌が静かに眠り続けてくれるために、免疫力をつけ、くよくよせず、一日一日を楽しく過ごすよう、守り続けていきたい。
 もちろん「にんじんジュース」の力を信じて、これからも作り続けていくつもりである。

原因不明で体重が減り元に戻る

 1年あまりの間に体重が7キロ減って、元に戻るという不思議な体験をしました。減った原因は不明ですが、元に戻った理由ははっきりしています。
 その顛末をご披露いたしたいと思います。

1.原因不明の体重の減少
 2007年11月に61キロあった体重が、2008年4月に54キロに減りました。5ヶ月間に7キロ減ったのです。
 身長は163センチメートルです。61キロはやや太り気味ですが、今までダイエットを考えたことはありませんでした。
 ただ、やや血糖値が高く30年以上境界型糖尿病といわれ続けていました。2007年11月に検査したときは空腹時血糖値が147、HbA1c(グリコヘモグロビン)が7でした。また足の痺れや痛みがあり、足の裏に違和感がありました。糖尿病の合併症ではないかと考えました。
 怖くなって2008年の1月4日より、人一倍食べていた食事を普通の人並みに減らし、アルコールを焼酎のお湯割り1杯に減らしました。それまでは夕食時にカンビール1缶とお湯割を2杯、就寝前にお湯割を1,2杯飲んでいました。
 そして毎食後20〜30分散歩するようにしました。朝食と昼食の後歩くのは苦になりませんでしたが、冬の夜歩くのはちょっとつらいものでした。
 体重は糖尿病対策の前から減り始めていました。体中にしわが目立ち、ズボンのサイズは85から79になりました。
 お酒と食事を多少控えて運動をすることでこれだけ体重は減るなら、ダイエットは楽なものです。やせたい人にはうらやましいことかもしれませんが、メタボでない私は気持ちが落ち着かず深刻に考えました。ホームドクターもその程度の節制と運動でこれだけ体重が減ることに首を傾げていました。
 まず疑ったのは癌ではないかということでした。そしていろいろ検査をしました。人間ドックに入ることも考えましたが、それまでに市の健康診断を受けたり、定期的に病院でいくつかの検査を受けていたりしたので、足りない検査だけを受けました。
 どこにも癌は見つからず、原因は分かりませんでした。

2.元に戻る
 2008年4月に体重が54キロに落ちましたが、同時に糖尿病のほうも空腹時血糖値104、グリコヘモグロビン5.5の正常値に戻りました。1日3回のウォーキングとアルコールや食事の量を減らしたことが効いたようです。
 それを続ければよかったのですが、ここで私の弱さが顔を出しました。安心したせいか、ウォーキングは3回が2回になり、しばらくして1回きりになりました。アルコールの量も元に戻りました。食事も腹一杯食べるようになりました。
 お正月は家族9人全員が集まったため、飲みすぎ食べすぎでした。2009年1月には体重は61キロに戻りました。1月6日の検査では血糖値108、グリコヘモグロビン5.8の正常値でした。
 でも安心は禁物、これからも体重が増え続けるかもしれません。また血糖値が悪くなるかもしれません。様子をみて再度節制と運動を心がけたいと思っています。

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