今月は久しぶりにスポーツシリーズです。
メジャーリーグの日本人選手活躍記
WBCでの侍ジャパンの優勝で幕が明けた今年の野球シーズンが終わりました。
日本シリーズはジャイアンツが7年ぶりに優勝、ワールドシリーズではヤンキースが2000年以来9年ぶりに優勝しました。
ワールドシリーズでは松井秀喜が大活躍、見事シリーズMVPを獲得しました。
今やメジャーリーグは日本人選手が大きな役割を占めています。今回はメジャーリーグのなかの日本人選手についてまとめてみたいと思います。
「フリー百科事典Wikipedia」の情報と私の記憶からたどってみましょう。
1.今年メジャーリーグに在籍した日本人選手
平成21年のスプリングキャンプに参加した日本人選手は次の通りでした。
アメリカンリーグ
<東地区>
・ | ニューヨーク・ヤンキース 松井秀、井川(マイナー) |
・ | ボストン・レッドソックス 松坂、岡島、斉藤、田沢 |
・ | ボルティモア・オリオールズ 上原 |
・ | タンパベイ・レイズ 岩村 |
・ | トロント・ブルージェイズ 高橋健(マイナー)、野口(マイナー) |
<中地区>
・ | クリ−ブランド・インディアンズ 小林雅、大家(マイナー) |
・ | カンサスシティ・ロイヤルズ 薮田(マイナー) |
<西地区>
・ | シアトル・マリナーズ イチロー、城島 |
・ | テキサス・レンジャーズ 福盛(マイナー) |
ナショナルリーグ
<東地区>
<中地区>
・ | ヒューストン・アストロズ 松井稼 |
・ | セントルイス・カージナルス 前川(マイナー) |
・ | シカゴ・カブス 福留、田口(マイナー)、門倉(マイナー) |
<西地区>
・ | ロサンジェルス・ドジャース 黒田 |
・ | サンフランシスコ・ジャイアンツ 藪 |
日本人選手はメジャー15人、マイナー9人、合計24人でした。マイナー9人のうち、7人はメジャーキャンプに招待されていました。
その後のシーズン中の実戦で何人かはメジャーに昇格したり、マイナーに降格したり、球団から戦力外を通告されています。
2.今年活躍した主な選手
以上の選手の中から今年または今までに活躍した選手、注目を浴びた選手を選んでみました。
(1)野手
@イチロー
今年の野球界で一番注目を浴びたのがイチローでした。3月にはWBCの韓国との決勝戦で延長10回決勝の2点タイムリーを打って日本に勝利を呼びました。
メジャーリーグではWBCの影響からか開幕の8試合を欠場しました。ところが復帰後はご存知の大活躍、9月6日には日本人選手で初めて大リーグ通算2000本安打を達成、9月13日には9年連続200本安打というメジャーリーグ記録を作りました。ウィリアム・キーラーの記録を108年ぶりに更新したのです。
イチローは1992年ドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに入団、1994年から7年連続首位打者の成績を残しました。
2001年ポスティング制度でシアトル・マリナーズに入団しました。野手としてメジャーリーグに移籍した第1号でした。
その年いきなり新人王、首位打者、盗塁王、ゴールデングローブ賞を獲得、MVPに選ばれました。2004年には年間262本のヒットを打ち、ジョージ・シスラーのメジャーリーグ年間最多記録を84年ぶりに更新しました。ゴールデングローブ賞、オールスター戦出場は8年連続で続いています。その他獲得したタイトルや賞は数え切れません。
A松井秀喜
2003年FA権を行使してニューヨーク・ヤンキースに入団しました。入団後2005年までの3年間は全試合出場を果たし、打撃成績は、ホームランは26、31、23本、打率は0.287、0.298、0.305、とまずまずの活躍でした。2003年と2004年にはオールスター戦にも出場しています。
ところが4年目の2006年5月11日の守備で左手首を骨折し、巨人時代から続いていた1768試合連続出場が途絶えました。2006年9月12日にはカムバックを果たしましたが、以後現在まで太ももやひざのけがや故障でフル出場出来ず、ときどき目覚しい活躍があると思えば不調に陥り、不本意な成績となっていました。
今年の松井は指名打者での出場でした。指名打者は守備につく選手と比べると出場機会が減ります。他の有力選手が休養を兼ねて指名打者になることがあるためです。それにもかかわらず、9月27日に地区優勝を決める逆転のタイムリーヒットを打つなど大活躍でした。打率こそ2割7分4厘でしたが、ホームラン28本、打点90で勝負強さが戻ってきました。
そしてワールドシリーズでは今までの鬱憤を晴らすように、13打数、8安打、3ホームラン、8打点、打率6割1分5厘で勝利に貢献、シリーズMVPを獲得しました。
B松井稼頭央
2004年FAでニューヨーク・メッツに入団しました。4月6日の開幕戦で、開幕戦・新人・初打席・初球ホームランというメジャー初の記録を作りました。しかし期待通りの活躍ができず、2006年にはコロラド・ロッキーズへトレードされました。2008年にはFAでヒューストン・アストロズと契約、2009年8月15日には日米通算2000本安打を達成しています。
C福留孝介
2008年FA権を行使してシカゴ・カブスに入団しました。5月1日には打率3割5分3厘を記録、オールスター戦にファン投票で選ばれるなど前半戦は大活躍でした。しかし後半は欠点をつかれて打撃不振となり守備要員となりました。
今年も打率2割5分9厘とあまり調子はよくありません。
D岩村明憲
2007年ポスティングでタンパベイ・デビルレイズ(現レイズ)に入団しました。守備率0.998はメジャーリーグの三塁手としては1位でした。2008年から2塁手にコンバートされ、リーグ優勝に貢献しました。レイズはそれまで万年下位グループでしたが、若い選手を引っ張った岩村の働きで優勝できたのです。
今年は5月24日一塁走者の激しいスライディングを受けて、左ひざのじん帯を断裂、手術を受けました。年内の出場は絶望視されていましたが、8月29日にカムバック、故障前と同様の活躍を見せました。
来年はピッツバーグ・パイレーツでの活躍が期待されます。
(1)野手
投手陣は野手に比べると低調でした。
@松坂大輔
2007年ポスティングシステムを利用してボストン・レッドソックスに入団しました。6年契約の松坂の契約内容は総額5200万ドル(当時のレートで約61億円)と報じられました。
2007年は15勝12敗でしたが、2008年には18勝3敗で、野茂が3度記録した16勝を上回る日本人最多勝利を果たしています。
2009年はWBCで前回に続くMVPを獲得しましたが、WBCの後遺症か開幕から大不振で、故障者リストに長く入り、4勝6敗の成績でした。
A岡島秀樹
2007年FA権を行使して松坂と同じボストン・レッドソックスに入団しました。
日米のマスコミの評価は低かったのですが、チェンジアップをマスターしてセットアッパーとして成功しました。2007年にはオールスターゲームに選ばれ、アメリカンリーグ3位の27ホールドを記録し、ファンによって最優秀セットアップ投手に選ばれました。
2008年、2009年も好調を維持し、今年は中継ぎで68試合に登板、6勝をあげました。
B黒田博樹
2008年FAでロサンジェルス・ドジャースに入団しました。先発投手として9勝10敗の成績でした。7月7日には1安打無四球完封勝利で、8回途中まで完全試合のぺースでした。
2009年には野茂、松坂についで開幕投手に選ばれました。今年の成績は8勝7敗の成績でした。
C斉藤隆
2006年自由契約から36歳でメジャーリーグに挑戦、ロサンジェルス・ドジャースとマイナー契約を結んで入団しました。開幕直後メジャーに昇格、クローザーとしてセーブ24の見事な成績を上げました。2007年にはオールスターゲームに選ばれました。
2009年にはボストン・レッドソックスに移籍、セットアッパー兼クローザーとして活躍しました。
D川上憲伸
2009年FA権を行使してアトランタ・ブレーブスに入団しました。先発投手の一人として活躍、7勝12敗の成績でした。
3.今まで在籍した日本人選手
今までメジャーリーグに在籍した日本人選手は合計40人です。今年在籍した日本人選手を除いて、過去在籍した日本人選手は以下の通りです。
年は入団年、球団名はSF(サンフランシスコ・ジャイアンツ)、LAD(ロサンジェルス・ドジャース)、SEA(シアトル・マリナーズ)、ANA(アナハイム・エンジェルス)、NYM(ニューヨーク・メッツ)、NYY(ニューヨーク・ヤンキース)、DET(デトロイト・タイガース)、MIL(ミルウォーキー・ブリュワーズ)、CHW(シカゴ・ホワイトソックス)、CLE(クリーブランド・インデアンズ)、PIT(ピッツバーグ・パイレーツ)です。
年 | 選手 | 守備 | デビュー | 球団 |
1964年 | 村上雅則 | 投手 | 9月1日 | SF |
1995年 | 野茂英雄 | 投手 | 5月2日 | LAD |
1996年 | マック鈴木 | 投手 | 7月7日 | SEA |
1997年 | 長谷川滋利 | 投手 | 4月5日 | ANA |
柏田貴史 | 投手 | 5月1日 | NYM |
伊良部秀輝 | 投手 | 7月10日 | NYY |
1998年 | 吉井理人 | 投手 | 4月5日 | NYM |
1999年 | 木田優夫 | 投手 | 4月5日 | DET |
2000年 | 佐々木主浩 | 投手 | 4月5日 | SEA |
2001年 | 新庄剛志 | 外野手 | 4月3日 | NYM |
2002年 | 野村貴仁 | 投手 | 4月3日 | MIL |
小宮山悟 | 投手 | 4月4日 | NYM |
石井一久 | 投手 | 4月6日 | LAD |
2004年 | 高津臣吾 | 投手 | 4月9日 | CHW |
多田野数人 | 投手 | 4月27日 | CLE |
2005年 | 井口資仁 | 内野手 | 4月4日 | CHW |
中村紀洋 | 内野手 | 4月10日 | LAD |
2007年 | 桑田真澄 | 投手 | 6月10日 | PIT |
4.日本人選手活躍の歴史
今までに活躍した選手、私の印象に残っている選手について書いてみました。私の好みが入っています。下記以外にも佐々木主浩、新庄剛志、長谷川滋利、などの選手についても書きたいのですが、紙面の都合で4人に絞りました。なお江夏豊は例外的に取り上げました。
@村上雅則
村上雅則がメジャーリーグ日本人選手第1号です。村上は南海ホークスの選手でした。南海ホークスは今はソフトバンクホークスになっています。
村上は1964年サンフランシスコ・ジャイアンツに野球留学で派遣されました。今のようにアメリカの球団と契約するのではなく、野球の技術を磨くための勉強でした。
そしてマイナーでの経験を経て1964年9月1日にジャイアンツの投手としてメジャーのマウンドに立ったのです。そして9月29日メジャーリーグ初の日本人勝利投手となりました。
村上がメジャーリーグに在籍したのは1965年までの2年でした。2シーズンで5勝1敗9セーブ防御率3.43の好成績でした。野球留学に派遣した南海が呼び戻さなければ、もっと長くメジャーで活躍し好成績を挙げられたことでしょう。
1964年は東京オリンピックの年でした。マスコミの報道はオリンピック一色、村上の活躍は小さく報道されただけでした。私は野球ファンとして新天地での村上選手の活躍を期待を込めて見つめていたのを覚えています。
A野茂英雄
野茂英雄は村上雅則以来31年ぶりの2人目の日本人メジャーリーガーです。1995年近鉄を退団しロサンジェルス・ドジャースとマイナー契約を結びました。年棒は近鉄時代の1億4000万円からわずか980万円になりました。
ところが大方の予想に反してメジャーリーグで大活躍、その後日本人選手がメジャーリーグに続々入団するきっかけとなりました。
2000年12月発行の手賀沼通信第33号に次の記事を載せました。
「1995年5月2日ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄はサンフランシスコ・ジャイアンツ戦に先発し、5回を投げて、被安打1、奪三振7、無失点という見事なピッチングでデビュー戦を飾りました。メジャーリーグは前年8月から続いていたストライキがやっと終わり4月25日に開幕したばかりでした。翌日のニューヨーク・タイムズは、一面で野茂のデビュー戦を取り上げ「野茂英雄は米国の野球界に対する、日本の最高の贈り物だ」と報じました。
野茂は1989年ドラフト1位で近鉄に入団、いきなり最多勝、防御率・勝率・奪三振1位、新人王、ベストナイン、沢村賞、MVPの8冠を獲得しました。しかし突然1995年1月近鉄を退団、ドジャースに入団するのです。
日本人が大リーグに入ったのは野茂が初めてではありません。1964年に村上雅則がサンフランシスコ・ジャイアンツに入団しています。しかし村上の場合はいわば武者修業のかたちで行ったのですが、野茂の場合は、自分の意志で、懸念する声を振り切って出かけたわけです。野茂はこの年13勝をあげ新人王を獲得、翌年は16勝でオールスターにも選ばれました。野茂の活躍がその後の日本人大リーガーを生むことになりました」
野茂は1996年ノーヒットノーランを達成、レッドソックスで2001年にノーヒットノーランを達成しました。両リーグでノーヒットノーランを達成したのは史上4人目でした。
野茂はドジャースのあと、メッツ、ブリュワーズ、タイガース、レッドソックス、ドジャース、デビルレイズ、ロイヤルズと球団を変えながらメジャーリーグで活躍しました。
B桑田真澄
巨人を退団したあと、2007年ピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結びました。
ところがオープン戦でアンパイアと激突、右足首じん帯断裂のけがを負い、回復するまで約2ヶ月かかりました。
6月9日にメジャー昇格、10日に初登板となりました。39歳70日でのメジャーデビューは日本人選手としては当時最年長でした。しかし体力の衰えは如何ともしがたく、0勝1敗、防御率9.43で戦力外通告を受けました。
桑田の凄いところは入団年齢が高いのもそうですが、通常代理人に依頼する交渉などすべてを自分で進めたことです。
C江夏豊
阪神、南海、広島、日本ハム、西武で数々の伝説を作った男が36歳でメジャーに挑戦しました。
野茂がドジャースに入団するより10年前の1985年、ミルウォーキー・ブリュワーズの春季キャンプに参加しました。「アメリカでの野球生活を終えて日本に移るメジャーリーガーが多い中、日本での野球生活を終えてメジャーに挑戦する36歳のルーキー」として注目されました。
当初は順調でしたが、最後に調子を落とし、球団からはマイナー契約を打診されました。しかし江夏はそれを拒否しました。おそらく今ならマイナーで入って途中からメジャー昇格をねらったことでしょうが、当時は日本人選手は皆無だったため情報不足だったのではないかと思います。
挑戦したとき「さすが江夏、目の付け所が違う」とその思い切った行動に感心したものです。