あけましておめでとうございます

 今年も手賀沼通信をよろしくお願いいたします。

 21世紀も10年目を迎えました。今年はどんな年になるか楽しみですね。
 新年号は私の体験談です。もう少し気のきいた記事にしたかったのですが、適当な話題が見つかりませんでした。
 今年も手賀沼通信のネタ探しに苦労しそうです。
 皆様のご寄稿をお待ちしております。

日本女子オープン観戦記

 平成21年10月1日から4日まで、千葉県我孫子市の我孫子ゴルフ倶楽部で日本女子オープンが開催されました。
 我孫子ゴルフ倶楽部は我が家から歩くと45分、自転車で15分、車で7分くらいのところにあります。成田線の電車なら1駅です。1930年(昭和5年)にオープンした関東屈指の名門コースで、青木功が育ったことでも有名です。
 日本女子オープンがここで開催されるのを知ったとき、手賀沼通信の恰好のネタになると考え、またボランティアを申し込むつもりでした。2002年日本シニアオープンが我孫子ゴルフ倶楽部で行われたとき、初日から3日間ボランティアをやった経験があります。そしてその報告を手賀沼通信第58号に「ゴルフボランティア体験記」のタイトルでまとめています。
 今回もボランティア体験記を書くつもりでした。そのためボランティアの申し込み用紙をもらってきたのですが、いろいろ身辺の事情を考え、都合で申し込みをやめました。今回は見るほうに方針を変え観戦記としました。

1.初めてのゴルフ観戦
 ゴルフの競技会をゴルフ場に出かけて観戦した今回が初めてです。
 私は21年前にバイクを運転中転んで、鎖骨を粉砕骨折し30日間入院しました。その後もあまり肩の調子がよくなかったため、ゴルフとテニスをやめました。
 それ以来私にとってゴルフはやるスポーツから見るスポーツになりました。でもあまり熱心なファンではありませんでした。数年前から女子では宮里藍、横峯さくら、諸見里しのぶなど、男子では石川遼などの若くて魅力あるスター選手が注目を浴びるようになって関心が高まりました。
 今回はデビューした当時から応援している藍ちゃんがアメリカから帰国して参加するため、藍ちゃんを身近に見られる楽しみがありました。
 初日の10月1日8時10分、我孫子ゴルフ場に到着しました。入場料は4日間通しが1万円、1日入場券は1日目と2日目が3千円、3日目と4日目が5千円でした。
 試合は7時から始まっていました。初日と2日目は120人の選手が出場します。3人ずつ40組です。1番ホールと10番ホールから同時スタート、午前と午後に分かれてそれぞれ10組ずつとなります。9分おきにスタートしていました。お目当ての藍ちゃんは午後の部の11時36分のスタートです。

(画像のクリックで拡大表示)
 どのように観戦すれば効率的に見られるか、初めてなので見当もつきませんでした。まずスタート地点の1番ホールと10番ホールでスタートしていく選手を眺めました。そのあと、我孫子ゴルフ場の各ホールの配置やこの試合のために設置された設備をみてみようと、あまり有名でない選手の組に着いて何ホールか回りました。
 クラブハウスは立ち入り禁止でした。一番多く目に付いたのは選手のスコアを掲示する速報板です。仮設トイレは8ヶ所に設けられていました。お弁当や軽食を売っている売店は3ヶ所だけでした。ギャラリースタンドはスタートの1,10番と、最終の9,18番ホールにありました。
 お天気は午前中曇りで、昼過ぎから秋晴れとなりました。秋の日差しが降り注ぎ日陰が恋しくなるほどでした。
 6ホールほど歩き回ったあと、9番ホールも眺められる18番のギャラリースタンドの前のほうに座り、次々とやってくる各組のパッティングを観戦しました。持参したおにぎりを食べるのにも便利でした。
 午前の組が終了すると、1番ホールに移動し午後の組のスタートを見物しました。藍ちゃんがスタートするとあってギャラリースタンドは満員、1番ホールのコースの両側も黒山の人だかりでした。私は報道陣のカメラの後ろで見物です。

18番ホール前のギャラリースタンド(画像のクリックで拡大表示)

18番ホール(画像のクリックで拡大表示)
 藍ちゃんは鮮やかなブルーのシャツにチェックのズボンで現れました。やはり拍手とシャッターの音が一番大きく響き、人気の高さを示していました。藍ちゃんはじめ、宮里美香、諸見里しのぶや午前スタートした横峯さくらや上田桃子などは皆さん、個性的で若さあふれるスタイルでした。ただ帽子は全員同じです。
 不動裕里や福嶋晃子などのベテランは、重量感あふれ堂々として風格を感じさせました。若手と好対照でした。
 1番ホールからスタートした午後の部10組を見終わると、また18番ホールのギャラリースタンドに戻り、のんびりと18番と9番でパッティングする選手を待ちました。
 18番ホールは377ヤード、パー4のまっすぐなコースです。双眼鏡で見るとティーショットやセカンドショットもよく見えます。9番ホールのセカンドショット以後も見えるので直射日光さえ我慢すれば絶好の観戦場所だったと思います。
 観客も最初は少なかったのですが、午後から急速に増え、人気選手のラウンドには2重、3重の人垣が取り囲みました。
 カメラは持ち込み禁止のようでしたが、入場時の荷物検査はなく、何人か首にぶら下げている人も見かけました。
 なるべく人に見られないようにして撮影したので、いい写真は撮れませんでした。遠くの人を撮ろうとスタンドでカメラを向けたときは、近くの観客にとがめるような目で見られました。とにかく手賀沼通信のために写真を撮りたい一心でした。

2.頑張った宮里藍と横峯さくら
 2日目は見ませんでしたが、3日目と4日目はテレビで観戦しました。NHKのハイビジョンでは連日午後1時から5時まで放送しました。3日目と4日目は総合テレビでも放送がありました。
 初日は
 @下村真由美 6アンダー
 A馬場ゆかり 5アンダー
 A宮里美香
 横峯さくら 2アンダー9位
 宮里藍   1オーバー40位
 2日目は
 @宮里美香  9アンダー
 A横峯さくら 6アンダー
 A宋ボベ(韓国)  A福嶋晃子
 宮里藍   イーブン23位
 2日目と3日目はあいにくの雨となりました。日本シニアオープンのボランティアでも2日目に雨に会い、10月下旬でしたので大変寒い思いをしました。今回もボランティアはこの2日間はきつかったと思います。初日に見に行ったのは運がよかったようです。
 3日目雨の中で宮里美香、福嶋晃子、宋ボベ、宮里藍などがスコアを伸ばすなか、横峯さくらはスコアを落としました。
 3日目は
 @宮里美香 11アンダー
 A福嶋晃子  7アンダー
 A宋ボベ
 宮里藍   4アンダー5位
 横峯さくら 4アンダー5位
 最終日は好天で絶好のゴルフ日よりでした。テレビは優勝争いの選手を追っかけるので、勝敗を争っている選手の一挙手一投足や表情がよく分かります。大型のデジタル画面になって観客の表情までくっきりと映し出されます。
 宮里美香は調子を落とし優勝争いから脱落しました。宮里藍はさすがアメリカで戦っている実力を発揮し、毎日順位を上げてきました。しかし出遅れがたたって8アンダーの3位に終わりました。
 最後まで楽しませてくれたのは最終日ベストスコアを出した横峯さくらでした。最終ホールでバーディーを決め、首位を走っていた宋ボベに並びました。プレーオフでは敗れましたが、すばらしい健闘でした。
 ゴルフ場でのゴルフ観戦はゴルフ場の感じや選手のイメージを知るにはテレビで見る数倍の効果があったと思います。4日間通うに越したことはありませんが、最初に現場を見て最後にテレビ観戦をするのも、天候を気にすることもなく大変楽しく有意義な観戦だったと思っています。いささか我田引水となりました。

手賀沼エコマラソン・ボランティア体験記(その3)

1.3度目の手賀沼エコマラソン・ボランティアに応募
 2009年10月25日第15回手賀沼エコマラソンが手賀沼で開催されました。手賀沼エコマラソンは柏市と我孫子市にまたがる手賀沼を1周するハーフマラソン大会です。毎年10月の第4日曜日に開催され、大変人気の高いマラソン大会です。今回も募集開始から2日で定員いっぱいになったそうです。
 私は2005年の第11回大会にボランティア募集に応募し、ランナー受付を担当しました。当日の朝マラソンに参加するランナーを受付け、ゼッケンやトルソータグなどのナンバーカードセットを渡す役割でした。
 2008年の第14回大会では給水係りを担当しました。紙コップに水を入れ、テーブルの上に並べる仕事でした。一団となってやってくるランナーに途切れなく水の入ったコップを並べるのはかなり肉体的にしんどい作業でした。中腰での作業で、腰が痛くなりました。
 一度ボランティアに志願すると毎年依頼の手紙が来ます。2009年はもっと楽な役目をと、「腰が痛くて高齢者にはつらい。昨年は腰を痛めたので走路員を希望します」と返信用のはがきに書いて出したところ、希望通り走路員にアサインされました。事務局はなるべく昨年と同じ役割を担当してほしかったようですが、手賀沼通信のネタにするためにも、新しい仕事でないと記事になりません。
 走路員はランナーが通過する道路の歩道の端に立って、目の前をランナーが通り過ぎるまで、観客やランナーに眼と気を配る仕事です。走路員がボランティアの中では人数が一番多いようです。割り当てられたのは出発から3〜4キロの地点でした。

 マラソン当日から3週間前の2009年10月4日、前年同様柏市民体育館でボランティアの打ち合わせがありました。ボランティアには小中高の学校の先生、大学生、企業のスポーツ愛好家、地元の走る会など数人単位で応募している人が多く、私のように個人で応募しているほうが少数でした。総数は1270人とのことでした。
 今年から渡される資料は選手に渡される資料と同じで、ボランティアのマニュアルはありません。その代わり胸にぶら下げるプレートのなかにボランティア用の情報が入っていました。年々アイデアが積み重なって改良が図られているようです。
 全体の説明の後、各役割ごとに分かれて説明がありました。走路員は仕事が簡単なので説明も簡単に終わりました。

2.走路員ボランティアは楽だった
 第15回手賀沼エコマラソンには、北は北海道、南は沖縄県の全国29都道府県から9484名の申込がありました。男性7344名、女性2140名です。当日スタートした人は7973名、完走は7917名でした。
 天候は朝小雨が降っていましたが、マラソンが始まるまでには雨はあがり、風も弱く、絶好のマラソン日和になりました。


トップグループ(画像のクリックで拡大表示)
 走路員のボランティはコースに沿って4ヶ所に分かれて集まりました。私たちのD地区の集合場所は手賀沼親水公園で、8時半集合でした。私に割り当てられた地区はスタートから3〜4キロの地点、10名ほどで担当しました。
 リーダーから走路員の役割と注意点の説明を受けたあと、みんなで担当地区まで歩いて行きました。リーダーが一人一人の立つ場所を決めていきます。私は小学校の先生2人と信号機のある四つ角を指示されました。信号機があるため警官も1人立つことになりました。
 9時30分から11時30分まで車道は通行止めとなるため、まず近所のクリーニングセンターとメガネ販売店に協力のお願いの挨拶をしました。車両通行止めの間、商売に影響が出るため、大会事務局にクレームをつけてくる人もいるようです。
 実際に車両通行止めになったのは、10時スタートの5分くらい前から、11時ころの最終ランナーが通り過ぎるまででした。ここはまだスタート地点からそんなに離れていませんが、コース後半の場所では通行止めの時間はもっと長くなります。

市民ランナーと観客(画像のクリックで拡大表示)

担当場所から見たランナー(画像のクリックで拡大表示)
 10時10分頃、パトカーに先導されてトップグループがやってきました。招待選手の中央学院大学陸上競技部のランナーが目立ちました。中央学院大学は2010年の箱根駅伝に出場します。
 記録狙いの選手のあとはマラソンを楽しむ市民ランナーでした。続々と続きます。仮装したグループや仲間と話しながら走っている人もいました。疲れた様子の人はまだいませんでした。
 通行止めを知らないで来た車が何台かありましたが、警官に説明されて引き返したり、マラソンランナーの通過をみてあきらめたりしていました。
 選手が通過する時間になると、観客も増えましたが、マナー違反やルール違反の人は見かけませんでした。走路員はランナーにも気を配る必要がありますが、体調を悪くする選手もいなかったので、何もすることのない走路員でした。
 楽なボランティアでしたが、達成感は以前行ったランナー受付や給水係りのほうがありました。
 ランナーが通過したあとは、通行止めにおいていた三角の機材を道路わきにどかして集合場所まで戻りました。そこでお弁当を受け取りボランティアを終えました。

 リーダーから「来年もお願いします」と言われました。来年は手賀沼通信の記事と関係なくやってもいいかなと思っています。

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