今月は昨年7月以来となる手賀沼通信ブログからの抜粋です。ブログからの抜粋は6月と12月に決めているのですが、いろいろ書きたいテーマが続いたためずれ込みました。ちょっと新鮮さに欠ける記事もありますがお許しください。

イチローは20世紀と21世紀のベストナイン(平成21年4月18日)

 平成21年4月16日、アメリカ大リーグマリナーズのイチローがシアトルで行われたエンゼルス戦でヒットを打ち、日米通算3086安打とし、張本勲の持つ3085安打の日本プロ野球記録を更新しました。前日には2安打を放って、タイ記録を達成していました。
 WBCでの激しい戦いの後遺症で胃潰瘍をわずらい、開幕から8試合を欠場しましたが、出場するやいきなりの記録達成でした。
 本当にイチローは偉大な打者です。心からおめでとうと言いましょう。
 今年もぜひ200本以上ヒットを打って9年連続200本以上の大リーグ記録を作ってほしいと願っています。
 手賀沼通信第33号(2000年12月発行)で20世紀のベストナインを選びました。
 投手  金田正一
 捕手  野村克也
 一塁手 王貞治
 二塁手 千葉茂
 三塁手 長嶋茂雄
 遊撃手 吉田義男
 外野手 張本勲 福本豊 イチロー
 イチローは27歳、ベストナインの中で唯一の現役選手でした。2001年からアメリカ大リーグに移ったので、選んだ時はまだ日本の成績でした。この年まで7年連続パリーグの首位打者でした。
 野手としては最初の日本人プレイヤーです。どれだけアメリカで活躍できるか、期待と不安でいっぱいでしたが、その後の活躍はご存知のとおりです。
 メジャーリーグに移って、8年連続200安打以上の大リーグタイ記録、2004年には年間262本のヒットを打ち、年間の大リーグ記録を作りました。
 ピート・ローズの持つ大リーグ記録4256安打までは1170本です。イチローは35歳、41歳まで毎年200安打を打てば記録を更新できます。
 大変なチャレンジになりますが、不可能な本数ではありません。ぜひ達成してほしいですね。
 私は21世紀のベストナインを選ぶことはできませんが、イチローが21世紀のプロ野球日本人ベストナインに選ばれることは間違いないと確信しています。

 その後平成21年9月6日には日本人選手で初めて大リーグ通算2000本安打を達成、9月13日には9年連続200本安打というメジャーリーグ記録を作ったのはご存知の通りです。

我孫子市民会館跡地の売却が決まる(平成21年6月10日)

 平成21年6月9日の読売新聞に「我孫子市民会館跡地 柏の医療法人に売却」というタイトルで以下の記事(概要)が出ていました。
 「我孫子市は8日市民会館の跡地(約6520平方メートル)を医療法人社団蛍水会に3億2000万円で売却すると発表した。蛍水会は柏市で名戸ヶ谷病院を経営している。跡地には救急医療施設を建設する方針だが、病床数や診療科などは未定」
 市民会館は元ボーリング場です。ボーリングブームに乗って建てられたのですが、ブームが去ると同時に閉鎖、我孫子市が買い取って改修し、市民会館にしました。市が買い取る時には賛否両論がありましたが、おそらく早く市民会館を持ちたいという意見が通ったのではないでしょうか。
 市民会館が開館したのは昭和54(1979)年、閉館する平成19(2007)年3月まで、延べ10万人以上の人が利用しました。
 我が家から歩いて5分ちょっとのところにある市民会館はよく利用しました。その中の図書館には月に2〜3度は通いました。大ホールや会議室にはいろいろな行事で行きました。
 湖北地区公民館ができるまでは、我孫子市の民謡大会が年に2回以上ここで開催されていました。私の民謡の初舞台も市民会館の大ホールでした。
 建物の耐震度が問題になるようになって、市民会館が基準を満たしていないことが分かり、老朽化も伴って閉鎖されたわけです。民謡大会を台風襲来時に開催した時は、楽屋が雨漏りで水浸しでした。思い出の残る市民会館でしたが仕方ありません。
 現在我孫子市には1000人規模のホールはありません。ケヤキプラザのふれあいホール(県が管理)は収容人員550人ですし、湖北地区公民館は246人です。
 できるだけ早く1000人規模の市民会館を作ってほしいと願っています。豪華にする必要はありません。我孫子市に見合ったものでいいと思います。募金などそのための資金作りにはぜひ協力したいと考えています。
 また名戸ヶ谷病院がやってくるのも大賛成です。こちらも早く作ってほしいと願っています。

公的年金受給者の住民税の納税方法が変わる(平成21年6月17日)

 平成21年6月16日発行の「公報 あびこ」に、今年から公的年金受給者の市・県民税(住民税)の納税方法が変わるということが出ていました。
 前年の年収に対して課税される住民税は、今までは6月または7月から翌年の1月または2月まで、4回にわたって納付書または預貯金からの引き落としで納付していました。
 今年から法律が変わり、年金からの引き落とし(特別徴収)で支払うことになります。つまり、支給される年金は住民税が差し引かれた金額ということになります。
 引き落としは10月から実施されるため、住民税の半額は従来の方法で支払います。10月以後は偶数月に支払われる年金より引き落とされます。引き落とされる住民税の額は年税額の6分の1ずつということになります。
 来年からは、4月、6月、8月はその年の2月に引き落とされた額と同額が仮徴収されます。10月、12月、翌年2月は年税額から仮徴収された額を引いた残額の3分の1ずつが引き落とされます。
 つまり来年からは年6回の年金支給に合わせて住民税が差し引かれるということです。
 これは要するに年金受給者からサラリーマンと同じように確実に税金を徴収しようということなのでしょう。
 納付書による納付では払わない人もいると思います。税金を確実に取るというのは、国民負担の公平性を考えるといいことでしょう。
 あとは個人事業主から確実に税を取ることを考えねばならないと思います。国民健康保険の保険料と同時に徴収し、税金を払わない人には健康保険証を交付しないなどの方法もその1つではないでしょうか。

「劔岳 点の記」を見た(平成21年7月2日)

 平成21年6月30日、MOVIX柏の葉で「劔岳 点の記」を見ました。
 この映画は山岳小説の第一人者新田次郎の原作、同じ新田次郎原作の映画「八甲田山」のカメラマンを務めた木村大作が初めて監督・撮影に取組んだことで話題になっています。
 またCGを使わず、出てくる山の風景はすべて実写とのこと、その迫力は怖さを感じさせます。春の雪をかぶった山、夏の険しい岩壁、秋の紅葉した山など、冬を除く四季の景色が見事に捉えられていました。
 物語の時代は日露戦争直後の明治40年代初めです。
 物語の内容は陸軍測量部の測量士と山の案内人が未踏峰だった劔岳に登って三角点を設置するという実話に基づいています。海軍の支援を受けた日本山岳会と初登頂を競います。
 最後はちょっとしたどんでん返しがありますが、苦労を重ねて登頂に成功する感動的な映画です。
 私は今から46年前の26歳の頃、剣岳に登ったことがあります。黒部ダムが完成した年でした。富山側から入り、室堂から立山と劔岳に登り、黒部ダムまで下山、ダムを見て、完成したばかりのトロリーバスで関電トンネルを扇沢まで抜け、信濃大町から帰った記憶があります。当時は立山トンネルトロリーバス、立山ロープウェイ、黒部ケーブルカーはまだ完成していなかったように思います。
 立山は登りやすい山でしたが、劔岳は岩山をよじ登ったり、鎖にぶら下がったりの連続だったように覚えています。
 それでもしっかりした道だったので、素人の私にも登れましたが、道のないところを登頂した明治の先人達の苦労は大変なものだったということが、この映画から分かりました。命を懸けた登頂でした。
 映画に感動すると共に、青春時代の山行を懐かしく思い出しました。

裁判員による初めての裁判(平成21年8月10日)

 裁判員によるわが国初の裁判が、平成21年8月3日から6日まで東京地裁で行われ、6日には被告に対し懲役15年の判決が言い渡されました。
 裁判員は6名で、途中体調を崩した女性裁判員の代わりに3日目から補充裁判員の男性参加しました。
 裁判員を決めるに当たって東京地裁は候補者名簿の中から抽選で100人を選びました。その中から70歳以上の人や、事前の調査票に辞退を希望した人などを除いて、選考の出席予定者は49名となりました。
 そのうち47名が参加、最終的な抽選が行われて、6人の裁判員と裁判員が病気などで出席できなくなったときに代わりを務める補充裁判員3名が選任されました。裁判員は女性が5人、男性が1名でした。約2時間で選任手続きを終了したと新聞に出ていました。
 裁判員が担当した事件は、今年5月に東京足立区の路上で72歳の男性が近所の66歳の女性をサバイバルナイフで刺殺した事件です。被告は犯行を認めていたため、裁判の争点は刑の重さに絞られました。どれだけ強い殺意を持って被告を刺したかが量刑を決めるポイントとなりました。
 裁判員は市民の目線で被告に質問したようです。
 懲役16年の求刑に対して、判決は懲役15年となりました。
 8月7日の読売新聞の朝刊には、「裁判員裁判初の判決 全員が会見 『大約成し遂げた つらい部分も』」のタイトルでトップ記事で報道されました。新聞の論調も、裁判を膨張した人も、初の裁判員裁判に肯定的でした。
 平成20年12月12日のブログで、裁判員制度に反対する意見が多い風潮に対して、私は次のように書きました。
 「裁判員制度はこれからのシステムです。最初から万全のシステムなどありません。いたずらに反対するのでなく、少しずつでも、よりよいシステムにするよう国民が守り立てていくべきと考えます。」
 最初の裁判員裁判の報道をみて、裁判員制度はまずは国民に受け入れられたという感を強く感じました。

フジヤマのトビウオの思い出(平成21年8月11日)

 平成21年8月2日、国際水泳連盟副会長で元日本オリンピック委員会会長の古橋広之進氏がローマで死去しました。出発時間になっても姿を現さないので、関係者が部屋を訪ねたら、ベッドでなくなっている古橋氏を発見したと読売新聞に出ていました。
 まだまだ活躍してほしいことは多かったと思いますが、高齢者の一人としてはすばらしい死に方だったのではないかととうらやましく思いました。
 ここで私の記憶に残っている若き日の古橋選手の活躍の思い出を、NHKの「スポーツ大陸」と講談社の「日録20世紀」を見ながらまとめてみたいと思います。
 古橋選手は昭和3年静岡県生まれで、水泳は浜名湖の手作りのプールで覚えました。戦時中動員された工場の旋盤で左手中指の先端を失い一時は水泳をあきらめました。
 その後日本大学に進み生涯のライバル橋爪四郎選手と猛練習に明け暮れました。一日に3万メートルも泳いだそうです。
 昭和22年の全日本水泳選手権大会の400メートルの決勝で、4分38秒4の世界記録を出しました。ところが日本は国際水泳連盟から除名されていたため認められませんでした。
 翌昭和23年はロンドンで戦後初のオリンピックが開催されましたが、日本は参加が認められませんでした。日本水泳連盟はロンドンオリンピックの水泳大会と同じ時期にぶつけて全日本大会を開催しました。
 1500メートルでは古橋と橋爪両選手がデッドヒート、古橋選手が18分37秒、橋爪選手が18分37秒8でした。オリンピックの優勝者は19分18秒5、実に40秒以上の差で日本選手が勝ったことになりました。
 私は当時小学校6年生でした。映画館のニュースで日本選手権の様子をみて感激したことを覚えています。
 翌昭和24年、日本選手はロサンゼルスで行われた全米水泳選手権大会に招待されました。外務省からは国交が回復していないので生命の保証はできないといわれて出かけました。
 当時のロスの対日感情は悪く、「ジャップのプールはアメリカより短い」「日本の時計はゆっくり動いているに違いない」などといわれていました。
 日本選手団はホテルにも泊まれず日系人のフレッド和田氏の家に宿泊しました。
 1500メートル予選A組では、橋爪選手が18分35秒7で1位、予選B組では古橋選手が18分19秒で1位、2位のアメリカ選手に180メートルの差をつけました。陸上の5千や1万メートルでは周回遅れというのがありますが、水泳で周回遅れというのは聞いたことがないと元アメリカ選手が述べていました。
 翌日から新聞の論調は「ジャップ」から「ジャパニーズ」になり、古橋は「Flying Fish of Fujiyama」といわれました。
 「生命の保証はできない」から「日の丸を掲げたパレード」に変わったのです。日系人は大喜び、日本国内でも号外が発行され、臨時ニュースが流れました。フジヤマのトビウオは敗戦後の日本を奮い立たせるとともに、すばらしい民間外交を果たしたのです。
 古橋広之進さんのご冥福をお祈りいたします。

「大聖堂−果てしなき世界」を読む(平成21年9月7日)

 平成21年9月6日、ケン・フォレットの「大聖堂−果てしなき世界」を読み終わりました。久しぶりにすばらしい小説を読んだという爽快感に浸ることができました。「大聖堂−果てしなき世界」はソフトバンク文庫全3巻、どれも700ぺージにおよぶ大作です。
 1989年に発表された前作「大聖堂」は全世界で1500万部の大ベストセラーとなりました。本書は18年後の2007年に発表された続編で、発売後1年余りで全世界27カ国で350万部の売り上げとなりました。
 私はケン・フォレットの大ファン、出世作の「針の目」以後の作品はほとんど読んでいます。「針の目」は翻訳で読みましたが、その後の作品はすべて英語のペーパーブックで読みました。
 最近は歳をとったためか英語の本を読む根気がなくなり、「大聖堂−果てしなき世界」は日本語で読むこととなりました。
 今回の物語は前作の約200年後の14世紀中ごろです。主人公は前作と同様大聖堂を創る建築職人です。前作の主人公の末裔となっています。
 下記は下巻にでている解説記事、児玉清氏(俳優)の「一度飛び込んだら、もう絶対抜けられない面白地獄」の内容の一部です。
 『「大聖堂−果てしなき世界」の原題は「World Without End」。直訳すれば「果てしなき世界」と時間と空間を含めて永遠に続く世界といったところなのだろうが、実に持って意味深長なタイトルだ。
 まさにこの物語のメインキャラクター、男女4人の織りなす、1327年から1361年までの34年間にわたる長尺人生冒険物語は、人間が生きるうえでのすべてのことを網羅した、面白人生読本としての最高の1冊。
 営々と繰り返される人間の生きることへの営みは不変であり、永遠に繰り返すという点でも「終りなき、果てしなき世界」といえよう。作者フォレットの狙いはまさしくここにある。』
 愛、恋、憎しみ、歓喜、成功、没落、戦争、病気,殺人、強姦、いじめなど人生のあらゆる営みが克明に描かれている、最高のストーリーテラー フォレットの最新作です。

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