特別に暑かった今年の夏も終わりました。
 秋のエッセイと旅行記をお届けします。
 弟のエッセイは、昨年夏に妻を亡くしたあと昨年秋に書かれたものです。

 私の旅行記は昨年秋に佐渡に行ったときのものです。昨年書いたのですが載せるチャンスがなく今月になりました。この秋に佐渡旅行を考えておられる方のご参考になれば幸いです。

特別寄稿
秋の朝のスケッチ
         新田自然


 朝の散歩を始めてもう半月、日中はともかく、朝夕は気温が下がり、ひんやりとした中を歩くのは快い。五時を過ぎると、東の空は明るくなり、日の出にはまだ三十分ばかり、城址公園の木々が黒くシルエットとなって朝の空に貼りついている。老婆の悲しい伝説のある舟地蔵交差点、まだ信号の緑が鮮やかな光彩を放っている。車の量はそれ程ではないが、その分猛スピードで通り過ぎる。交差点を渡ると広く田圃が開け、遊水池を経て引地川親水公園にいたる。
 農道や遊歩道の周囲は秋の花が咲き乱れ、ヒガンバナが緑の中でひときわ鮮やかである。ススキはもう穂を風にゆらせており、セイタカアワダチソウは黄色く色づき始めている。ムラサキシキブが紫色をはっきりさせ、ジュズダマが実をつけている。エノコログサが揺れている。別名ネコジャラシ、ススキもネコジャラシもイネ科の植物で、この時期イネ科の植物が一斉に穂を伸ばして、まさに秋の野が広がっている。「花野」という秋の季語があるが、ススキやハギなどが咲き乱れた野原こそ花野にふさわしい。稲刈りがもう始まっており、刈り取られた稲が稲架にかけられている。雀が電柱に群がって、ときおり集団で田圃に舞い下りる。農家の人達は雀除けのネットを張ったり、かかしや、鳥の死骸に見立てたビニールの威しをぶら下げたりしているが、雀は頓着している風がない。
 葎の中からこおろぎの大合唱が聞こえてくる。こおろぎと思っているが、違う虫もいるのだろう、鳴き方はさまざまで、それが響き合って大合唱となっている、蝉の声は混声合唱というにふさわしく、秋の虫はまさに楽器の共鳴だ。
 もう人々が歩き始めている。犬を連れた人、大きく手を振って早足の人、ジョギングの若い女の人、自転車に乗る人など、さまざまなスタイルで早起きを楽しんでいる。多くの人は挨拶を交わしているが、挨拶をしても返事をしない人もいる。慣れるにしたがい、挨拶をしたくない人が見分けられるようになってきた。すれ違うとき相手の顔を見ると、目をそらしたり、こちらの顔を見ようとしない人は挨拶をあきらかに拒否している。まあなにがなんでも挨拶をする必要もあるまい。いやなときだってあるものだと、そのような人には声をかけないことにした。慣れてくると大勢の人だと思っていたが、ほとんど同じ人が同じ時間帯にでているようで、顔見知りも大分できた。
 コースの中ほどに十メートルほどの築山がある。天気のよい日にはそこからは富士山と大山を眺めることができる。朝日を浴びて赤く輝く富士山は素晴らしい。この時期富士山が見えるのは一週間か十日に一度くらいで、そんな日はつい嬉しくなり、腹の底から力がわいてくるような気がする。そこでやおらストレッチを始める。まず天に向かって大きく伸びをする。次いで身体を前後左右、後ろにねじったり、肩や首を回したり、自分で決めたストレッチをする。森光子さんのスクワットも二十回ほど、最後に大きく深呼吸をしてストレッチは終わる。身体がほぐれ、温かくなった状態でまた歩き始める。
 築山から上流に向かって百メートルほど行ったところに、川の水を引きこんで鯉を放っている池がある。木で作られたデッキ状の通路が設けられその上を歩く。捨てられた猫が七匹ほど、餌を持ってきてくれる人を待っている。池面に柳が伸びており、多くの水生植物が繁茂している。鯉とカルガモのつがいが一組、さかんに餌をついばんでいる。幸運に恵まれるとカワセミに出会うことができる。一度だけであったが、木の通路から鯉を眺めていたら、柳の枝にカワセミがとまった。翡翠色とオレンジの鮮やかなコントラスト、スズメくらいで頭が大きくくちばしが長く、どこか愛嬌のある姿を息を詰めて眺めていたら、いきなり池面に飛び込んで魚をくわえて木に戻った。この瞬間は興奮もので富士山が見えたときより嬉しかった。そういえばカワセミは藤沢市の鳥でもある。
 遊歩道に戻る。十年ほど前に植えられた桜はもう枝を歩道上に伸ばし、枯葉を落とした枝には、もう来春の花の芽をつけている。桜の木は植えられたときは真っ直ぐに伸びた幼木だが、すぐにわき芽を伸ばし上に横に斜めに枝を伸ばし、見事な半円形の姿を作る。歩道は淡い色をした小さな砂利を接着剤で固めた歩きやすい道で、周囲にはシバが植えられ、適当な間隔で木製のテーブルとベンチがおかれている。毎日のことだが、通路から少し離れたベンチに仰臥することとしている。木製のベンチは風雨にさらされ、木の表面がゴツゴツしているが木の風合いがなんとも気持ちよい。仰向けに横たわると、さえぎるもののない空が眼前に広がり、雲が動いていたり、鳥が横切っていたりする。こんな風に空を見上げたのはいつの頃だったか、ふと「なぜお前はここにいて、こんなことをしているのか?」と自問していた。大きな空と孤独な自分、お前はこれから何処へ行くのかと、自らに問いかけている。
 起き上がって歩道に戻ると、遠くの建物や、高い送電柱に日があたり、周囲を輝かせている。歩道にはまだ陽が届いておらず、そのコントラストが鮮やかである。
 目標の橋まできて橋を渡る。澄んだ水の中で鯉たちが集まってきてエサをねだる。男の人が水面近くまで下りてパンくずをやっている。鯉たちは群がって手からパンくずをもぎ取る。ほとんどが黒鯉で緋鯉は川全体で数匹しか見ていない。アオサギやゴイサギ、シラサギなどサギ科の鳥が流れの中に立って動かない。
 公園のそばの農道に戻る。コスモスを植えた畑があり、赤紫、ピンク、白の小さな花々が風にそよいでいる。まさにこれも花野だが、万葉集に詠われた花野は、やはりハギやススキ、キキョウ、オミナエシ、ワレモコウなど、秋の草々が咲き乱れた秋の野原であろう。ある日思いついてススキやエノコログサ、セイタカアワダチソウ、その他名前を知らない秋の野草を摘んできて、いただいた砥部焼の花瓶に生けてみた。肉厚の白と藍色の簡素な砥部は、野草に似合いの花器である。
 スタートした舟地蔵に戻ってくると、赤い帽子とチャンチャンコを着たお地蔵さんは、舟形をした台座に鎮座され、飽きもせず車の往来を眺めておられる。二リットルのペットボトルに、黄色と白のキクの花が供えられている。
 ここから家までは二千歩余り、途中セブンイレブンに立ち寄って、朝飯のおかずにおでんでも買って帰るか、それとも我が家に直行するか、まあその時決めればよいと帰途につく。
 こんな散歩が続いているのは、この秋の素晴らしい気候のせいで、はたして来年まで持つか、ともすれば弱気になる心を少しでも補強しようと、トレーニングウェアを買って防寒対策まで打ってはいるのだが。

佐渡旅行記

1.3度目の佐渡旅行
 平成21年10月31日から11月2日まで、妻と阪急交通社のクリスタルハート「宝の島 佐渡 絶景の旅 3日間」というツアーに参加し、佐渡に行ってきました。
 佐渡旅行は3度目です。
 1度目は登山靴を履いての佐渡旅行でした。今から45年前の28歳、まだ独身時代の夏でした。友人と2人で白馬岳から鹿島槍ヶ岳までの後立山連峰を縦走するつもりで白馬岳に登ったのですが、翌日大雨となり縦走を続けるのは危険と判断、山登りを変更して佐渡に旅行することにしたのです。
 直江津から佐渡の小木に渡り、小さな旅館に泊まったのを覚えています。
 両津でも小さな旅館に泊まり、翌日新潟では前年6月の新潟地震で横倒しになった鉄筋アパートを見に行ったりしました。
 2度目は10年前の6月、当時新潟県の安塚町で実施していた「まるごと体験」に仲間と参加、翌日安塚町役場の方の案内で佐渡に行きました。小木で1泊、町の社会福祉協議会のマイクロバスで観光名所を効率的に回ったのを覚えています。
 3度目の今回は新幹線とジェットフォイルで佐渡を往復、佐渡の中は30人乗りの中型バスで観光しました。相川のホテルで2泊、「大佐渡スカイライン」「佐渡金山」「尖閣湾」「妙宣寺」「トキの森公園」「大野亀」「小木たらい舟」「沢崎鼻灯台」「宿根木」など観光名所は回りきった感じでした。
 日記風の旅行記は2009年11月の手賀沼通信ブログに載せてあります。

2.流人や北前舟がもたらしたもの
 佐渡は新潟県です。新潟県の本土と佐渡は3つの航路で結ばれています。新潟−両津(67キロ)、直江津−小木(78キロ)、寺泊−赤泊(46キロ)です。両津と小木の間は島内唯一の国道350号線で結ばれています。驚いたことに両津−新潟と小木−直江津の大型旅客カーフェリーの中も国道350号線だそうです。
 このように佐渡は今では“まるごと”新潟県になっています。
 しかし佐渡の文化はちょっと違うようです。佐渡汽船のホームページには次のように出ていました。
 「佐渡の文化や風習は信濃ではなく北陸や西日本のものを受け継いでいると言われています。
 これは古くから佐渡に流された人々(皇族・貴族)が京の都の出身者であったことや、西廻りの航路が開かれていたため西日本や北陸の文化が入り込んできたことによります。
佐渡金山
佐渡金山 (画像のクリックで拡大表示)
 佐渡には3つの文化の特徴があります。1つは順徳上皇や日蓮聖人、日野資朝や観世元清などの知識階級の流人達のもたらした貴族文化が、国仲地方に根を張っていること。2つは佐渡金山の発展に伴って奉行や役人達が江戸からもたらした武家文化が、相川地方に根を張っていること。3つは商人や地頭達がもたらした町人文化が、小木地方に根を張っていることです。そしてこの3つの文化が合わさって佐渡独特の文化が生まれました。」
 佐渡のバスガイドさんは佐渡の方言に西のアクセントがあると例を挙げて説明してくれました。
 また、相川の「ホテル吾妻」と「ホテル大佐渡」の食事の味は関西風の薄味で、新潟駅のそば屋のおそろしく濃い味とは全く違いました。
 佐渡を代表する民謡の佐渡おけさも西からの文化の伝来を示しています。熊本県天草島の「ハイヤ節」が北前船の船頭達によって小木に伝えられ「小木おけさ」となりました。「小木おけさ」がその後相川町に伝わって金山労働者の唄う「選鉱場おけさ」となり、最後に「佐渡おけさ」となったのです。
 小木の近くに伝統的建造物群保存地区となっている宿根木という集落があります。廻船業で栄えた江戸時代の面影を残している宿根木の街並を傘をさしながら見て歩きました。北前船がもたらした栄華のあとは、雨によく似合っていました。
 前回の旅行では千石船展示館に入り、実物大の千石船を見物しました。司馬遼太郎の「菜の花の沖」を思い出させるすばらしい千石船でした。

3.美しい海と金山遺跡とトキにかける佐渡の観光
 ガイドさんの説明によると佐渡は過疎地とのこと、日本国内の他の過疎地と同じく人口が減っています。2008年9月現在64363人、2005年の国勢調査のときは67386人でしたので、3年間で3023人減りました。以前から1年1000人のペースで人口が減っているとのことです。島内には大きな企業はなく、若い人たちの流出が続いているようです。
尖閣湾
尖閣湾 (画像のクリックで拡大表示)
 かつて佐渡は黄金の島でした。1601年佐渡金山が発見され、江戸時代を通じて徳川幕府を支えていました。全国各地から鉱山技術者や商人、労働者が集まり、相川は人口5万人とも言われました。坑道は伸べ400キロにも及びました。江戸時代、犯罪者や無宿人が水替人足として佐渡金山送りになった話はあまりにも有名です。
 また北前船が盛んだったころ、佐渡はその基地として、また寄港地として栄えました。北前船とは主に江戸時代、大阪から瀬戸内海、関門海峡を通り、日本海側を北は蝦夷地まで伸びる航路を行く船です。北前船は日本の物流を支える最大の動脈だったと言えるでしょう。佐渡はその恩恵を受けた島でした。その後佐渡金山は金の産出が止まり閉鎖されました。鉄道や道路の発達により、北前船もなくなりました。
 私の独断ですが、今の佐渡を支えているのは農業と漁業と観光業ではないかと思います。佐渡のコシヒカリは魚沼のコシヒカリについで人気ブランドになっています。漁業ではカツオ、イカ、ブリなどの魚や海草がよく取れるようです。宿の食事も3食にイカと海草がついていました。
 しかし農業や漁業は後継者不足などもあって停滞気味です。観光業が切り札となるような気がします。佐渡の観光は美しい海と金山遺跡とトキが目玉です。
 佐渡が島の形はS字状で上の北のほうが大佐渡、下の南のほうが小佐渡と呼ばれます。大佐渡は高い山が連なり、北西の海岸は尖閣湾から外海府となっています。断崖絶壁が多く雄大で荒々しい風景が楽しめます。尖閣湾はその代表的な観光地です。島の北端の大野亀は初夏になると一面にカンゾウの花が咲き乱れるとのことでした。小佐渡は穏やかな海が多く、たらい舟などが楽しめます。そして島の各地でそれぞれ特徴ある自然の景観を楽しむことができます。
トキ保護センターのトキ
トキ保護センターのトキ (画像のクリックで拡大表示)
 金山の跡は坑道の一部が観光用に作り変えられて開放されています。ところどころに作業している本物そっくりの人形が配置されていて、昔の金の採掘の様子をうかがうことが出来るようになっていました。資料館にはさらに詳しく江戸時代の金の採掘から小判の鋳造までの流れが、小さな人形で再現されていました。その他歴史的に貴重な資料や道具などが展示されていました。じっくり眺める時間がなかったのが残念でした。
 雨にもかかわらずトキの森公園は大賑わいでした。一時絶滅の危機にあったトキは、資料によると、平成21年10月12日現在、全国に162羽いるとのことでした。そのうち120羽が佐渡トキ保護センターにいるとなっていました。28羽が放鳥されて野生で育っているようでした。
 佐渡金山が過去指向の観光資源とすれば、トキは未来指向の観光資源です。佐渡金山が暗いイメージを併せ持つ観光資源とすれば、トキは命を育てるという明るいイメージの観光資源です。佐渡の観光マップのタイトルは「朱鷺のいる島 佐渡」でした。

4.佐渡の気候はミニ日本本土
 佐渡に滞在した3日間の気候はめまぐるしく変わりました。
 1日目は10月31日にしては異常なくらい暖かく、バスはクーラーを入れました。
 2日目は低気圧が通過したため、風が強く雨が断続的に振りました。最初は温かかったのですが、途中から寒くなりました。
小木のたらい船
小木のたらい船 (画像のクリックで拡大表示)
 3日目は典型的な冬型の気候となりました。風が強く、最高気温は前日より10度も低くなって12度となりました。ツアースタッフは帰りのジェットフォイルの15時30分発を12時35分発に変更しました。案の定13時以降のジェットフォイルは欠航になりました。
 日本列島は冬型の天気になると日本海側は風雨や風雪が強く、太平洋側は晴天になります。佐渡は大佐渡小佐渡ともに中央に山脈が連なっているため、ミニ日本列島のように西側と東側では天気が違うようです。
 3日目は西側は風雨が強かったのですが、東側に来ると風雨が弱くなりました。船が欠航するぐらい荒れていたのに、小木ではたらい舟に乗ることができました。

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