今月は昨年なくなられた友人お二人から、以前手賀沼通信にお寄せいただいた寄稿文をご紹介いたします。
 手賀沼通信は平成10年4月に第1号を出して以来、この3月号でちょうど13年になります。
 いままでに、延べ72人の方から寄稿文をお寄せいただきました。大変ありがたいことです。
 ところが悲しいことに、寄稿文をお寄せくださった方のうち、13年の間に6人の方が亡くなられました。心からご冥福をお祈りいたします。

 永井克男さんは昨年11月に病気のため亡くなりました。松山南高校の同級生でした。松山南高校の同期6期生の会「南六会」の幹事を長く務め、会の運営に精力的に取組んでいました。
 永井さんは2回投稿いただいております。下記の寄稿文のほかに、「カナダ周遊雑感」を書いてくださいました。
 鈴木康夫さんは昨年10月ガンでなくなりました。日本IBMでの先輩でした。人材管理の仕事でいろいろ教わりました。
 鈴木さんは3回投稿いただきました。下記の寄稿文のほかに、「新疆ウィグルの旅行」「ロシアの記録」を書いてくださいました。

特別寄稿
退職記念 ヨーロッパ旅行    永井克男

 昨年7月末で43年間のサラリーマン生活を終了。退職記念と称して、JTB熟年旅行<ヨーロッパハイライト15日間>―9月10日〜9月24日―に参加した。熟年夫婦中心の小グループのツアーで、体力的に一寸強行軍すぎるかなと心配だったが、終わってみれば参加者に大好評で、成功だったと思う。

1.旅のあらまし
(1)訪問先、移動の方法、通貨など
●今回の旅は、ロンドン → パリ → スイス → ドイツ → イタリア の各地を、2〜3泊ずつする15日間の旅で訪問した国−都市・町は、通過のみを入れると8ヶ国−16都市になる。我ながら覚えきれない程よく廻ったものだと思う。
 (イギリス)−ロンドン・ウィンザー
 (フランス)−パリ・ヴェルサイユ
 (スイス) −ローザンヌ・インターラーケン・ルチェルン
 (リヒテンシュタイン)−ファドーツ
 (オーストリア)−(通過のみ)
 (ドイツ)−ミュンヘン・ハイデルベルグ・ローテンブルグ・ウィスバーデン
 (イタリア)−ローマ・ナポリ・ポンペイ
 (バチカン市国)−バチカン(ローマの一部分)
●各地間の移動も、ロンドン → パリ は(ユーロスター)、パリ → ローザンヌは(フランス新幹線G.T.V.)を利用したので列車好きの人には、特に好評で、飛行機、バス利用とは一味違った旅を楽しむことが出来た。

(2)通貨
●今回訪問した各国の通貨は次の通り。
 (イギリス)−ポンド
 (フランス)−ユーロ
 (ドイツ)−ユーロ
 (イタリア)−ユーロ
 (スイス)−スイスフラン(ユーロ等も比較的通用する)
●ユーロが通用する地域が多く、思ったより便利であった。イギリス(ポンド)がユーロに統一されれば、殆ど支障はないと思われる。通貨が統一されたことで、旅行者にとっては、通関等もユーロ建てであれば、最後に通過するユーロ使用国でまとめてチェックを受ければよく、この面でも非常に便利になった。

(3)全体的な感想
●同年代の夫婦が多く(16人中6組)、小グループだったので比較的気楽な旅が出来た。
●私にとっては、ハイデルベルグ・パリは約15年ぶりの再訪で、非常に懐かしかったのと、その他の所は初めてでもあり、色々なことを考えたり、比較したりしながら大変興味深く見物することが出来た。
●今回の旅で共通して云える事は、ローマを初め各国とも日本に比べて、非常に古い歴史を持っているということである。それが一国のみの歴史と云うより、各国が複雑に絡み合った歴史を持っているということが、日本と大きく違う点だと思う。例えば、ローマ(古代→共和制→帝政時代を通じて)の進撃の跡がドイツ・フランスなどの各地に今でも残されており、各国の交流が古い時代から行われていたことがよく判る。

(4)EU雑感
●今回のツアー参加を計画した昨年春頃からEU(欧州連合)のニュースを目にすることが多くなった。最近ではEU拡大(今年5月に新に10ヶ国が加盟して合計25ヶ国となる)もあってかなり大きな話題となっている。
●今回の旅は、偶々現在のEUの中心地域(イギリス・フランス・ドイツ・イタリア等)を廻ったことになるが、最近ますます関心が高くなっている。
●地理的に見ても、イギリス以外は陸続き(ユーロトンネル完成でイギリスも実際には陸続きと云える)で、自動車・鉄道で短時間で移動出来、通貨統一も加わり、国境を意識することが少なくなったと思われる。
実際、スイス→ドイツ(ミュンヘン)のバス移動の途中、運転手の提案でスイス→(オーストリア)→ドイツのルートを取ったが、(スイス→オーストリア)は運転手と先方の係官が簡単に話し合っただけで、パスポートのチェックもなかった。又、(オーストリア→ドイツ)国境は小さな川が国境となっており、橋をひょいと渡るともうドイツであった。
●経済的にも、EU加盟により域内関税の廃止→域内市場の拡大等により、経済的なメリットは定着していると思われる。
●後は、政治的な問題であるが、既にEU憲法が検討され始めており、このまま推移すれば、近い将来(10〜20年后か)には、全ヨーロッパ的にゆるやかな連邦制の成立も考えられる。

2.アルプスの山々
 今回の2週間の旅は、それぞれに忘れられない毎日であったが、矢張りハイライトは(スイスアルプスの山々)であった。旅行メモより、この部分を抜き出すことにする。

(1)パリ → ローザンヌ → インターラーケン
  9月14日(日) 快晴

(パリ)→(ローザンヌ)
  7:44 ― パリ・リヨン駅発 フランス新幹線9261号(スタンダード)
  11:40 ― ローザンヌ着 乗車時間−4時間
●パリ・リヨン駅はなにかの映画かTVで見たことがあった様な気がする。ホームには色々なタイプの車輛が並んでいたが、あまりスマートなデザインのものはない。幅も日本の新幹線より少し狭い様だった。内装も質素な作りで少々ガッカリした。
●沿線もフランス国内はほぼ平地で、主として牧草地で牛が散見されたのみである。フランスは農業国だと思った。
●ローザンヌ到着1時間位前から登りにかかり40分位前に国境を通過。―スイスの審査官が車内でパスポートをチェックしたのみ。いよいよ山に分け入ってローザンヌ到着。
(ローザンヌ)→(インターラーケン)
  13:20 ― ローザンヌ発(バス)
  18:00 ― インターラーケン着
●アルプスの山々のことだけに気をとられていたが、着いて見ればローザンヌは大きな湖―(レマン湖)に面した落着いた美しい町であった。対岸はもうフランスである。
 ガイドの説明では、IOC本部があり、ローザンヌ大学も経済学の分野で有名である。(ローザンヌ学派というのがあった筈)。又、秋には世界的なバレーコンテスト(ソロ)があり日本人も結構好成績を残しているとのこと。湖畔のホテルで昼食を取ったが、雰囲気もよく、料理もあっさりした味でグッドであった。
●昼食后バスで湖畔沿いにインターラーケンに向う。湖畔の斜面はブドウ畑一色であり、スイスワインの産地とのこと。途中湖畔にあるシヨン城を見学。(バイロンの「シヨンの囚人」のモデルになった城とのこと)
●レマン湖畔は有名な保養地でもあり、チャップリン、ソフィアローレン等や、その他著名人の別荘があったとのこと。
●シヨン城辺りの対岸はフランスの(エビアン)であり、有名なミネラルウォーターの産地であると共に、昨年春サミットが開催されたことでも名を知られた。
●バスが進むにつれて、山の狭間に入って行き、雪をかぶったアルプスの高峰が姿を見せる様になり、夕方インターラーケンに到着。
(インターラーケンの街)
●山々と2つの湖(プリエンツ湖・トウーン湖)に挟まれた小さな街で、ホテルや土産物屋のならぶ町並をブラブラ歩いても、15分位で終わる清潔な感じの保養地である。
 アルプスの高峰にかこまれたオーバーラント地方の中心地であり、アルプス観光の出発点となっている。街中の公園から見上げると、4000mクラスの高峰が顔を出している。
 ホテルは超豪華ホテルも一つあるが、後は古くからある中級のものが多い。私達の泊まった(ロイヤル・サンジョルジュ)もクラシックな構えであるが、部屋は軽井沢あたりのペンション程度の設備である。
(2)ユングフラウヨッホ(登山電車の終点の展望台)
  9月15日(月) 快晴

●今日は待望のアルプスの雄峰―アイガー・メンヒ・ユングフラウにお目にかかれる日である。
●頂上では気温が0℃位になるとのことで、セーター、ジャンパーを着込む。5:45モーニングコール、7:20ホテル出発、インターラーケン駅へ。朝が早いが張り切っているので苦にならず。
●本日の目的地は(ユングフラウヨッホ―3454m)で、ヨーロッパアルプスの最高地の展望台の為、トップ・オブ・ヨーロッパとも呼ばれる。ここから、アイガー(3970m)・メンヒ(4099m)・ユングフラウ(4158m)の連峰がすぐそばに見える。
●登山電車はインターラーケン・オスト(東)駅より出発。電車は思ったより大きく、グループ別にまとめて同じ車輛に乗車出来るので好都合である。平地からまもなく山に入り、切り立った山と山の間を登り始める。両側の斜面は牧草地で、その中にログハウス風のスイス独特の木造のがっしりした家が点在している。どの窓にも赤い花が飾ってあり、美しい風景である。家々の窓際には薪が積み上げてあり、冬近しと感じさせる。
●その中に両側の山はだんだん高くなり、切り立った山と山の間を登山電車が登って行く。時々山と山の間に白峰がチラッと見えて来た。
●途中一度乗り換えた後で、ウス黒い岸壁が垂直に切り立っているアイガー北壁の裾を巻いて、クライネ・シャイデック駅に到着。目を上げると、(アイガー)―(メンヒ)―(ユングフラウ)三峰が白く、まばゆく輝いて見える素晴らしい景色である。
●昼食后、電車を乗り継いでユングフラウ展望台を目指す。山肌に沿って登って行き、間もなくトンネルに入る。アイガーの山肌近くを掘り抜いた花崗岩盤のトンネルである。終点間近で2駅に停車。駅構内の窓からアイガー北壁の外側が眺められる様になっている。
●駅員より、(走るな!ゆっくり歩け!)との注意がある。―空気が薄く高山病状態になる為である。そう云われてみれば、足が重くなり、呼吸も少し苦しくなったようなので、それからは、深呼吸をしながらゆっくり歩く様にした。
●展望台は土産物や、郵便局(記念葉書を出すため)、ティーコーナー、氷のトンネル、氷の彫刻展示場等もあり、結構大きなものであった。
ところどころに、外に出られるトンネルもあったが、外は一面の雪原で、スキーやスノートレッキングも出来るとのこと。
●ユングフラウ駅に接続した展望台(3454m)から更に高速エレベーター(150m)でスフィンクス展望台(3571m)に昇ることが出来る。この展望台からの眺めは、流石にここまで登ると小山程度にしか見えない丘状のものがあるだけで、一面雪一色で、雪原と氷河地帯で、小さなクレバスも見える。
●ユングフラウヨッホには、約2時間滞在、帰途はグリデルワルド廻りで、登山電車を乗り継ぎ、インターラーケンに帰る。(17:00)。車窓からみていると、好天の中をハイキングしている人がかなり多く、こうした楽しみ方もあるのだなと思う。
●今日一日、快晴で素晴らしい圧倒的なアルプスの山の景色を眺めて、大感激、大満足であった。
●インターラーケンでは散歩と買い物の后、オイルホンデューの夕食。アルパインホルン、ヨーデル、民族ダンス等のアトラクション付きで楽しかったが、食事は全くの期待外れであった。
―昼間の大感激に免じて我慢するか。
(平成16年3月「手賀沼通信第72号」)より

特別寄稿
中国・雲南省・シーサンパンナからベトナム・サイゴンまで          鈴木康夫

 1月末よりメコン河にそって、中国・雲南省から、ラオス、カンボジア、ベトナム・サイゴンまで19日間の旅行に行ってきました。
 雲南省のシーサンパンナで夜に飲み屋にビールを呑みにいきました。蛙や、魚の空揚げとビールを飲んで一人140円でした。少数民族の少女が飲んでいる席で非常に上手なマッサージをしてくれます。10分で140円でした。
 少数民族の家は、日本の古代の家と同じで高床式でした。既に、田圃には稲の苗が植えられていました。焼畑農業もみました。若い女性も畑で働いていました。

 ラオスは素朴でなかなか面白いところでした。  ラオスで小学校を訪問したら、3年生よりフランス語の授業をしていました。仏領時代から引き続きフランスの力の強さを見せつけられました。
アンコールワット
アンコールワット
ラオスの少数民族の村に行きました。人と牛、豚、鶏、犬が一緒に住んでいます。飼い主は餌をあたえないで、家畜は自分で餌をさがして食べるのです。

 ラオスからカンボジアへの飛行機で15名のツアーに席が2席足りなかったが、ガイドが飛行機会社と話し合い、操縦室とスチュワデスの席を確保しました。勿論、袖の下を渡したと思いますが。日本では、客を操縦室に乗せるなんて、考えられませんね。
 カンボジアではアンコールワットに行きました。凄い建造物で、日本人の観光客が大勢来ていました。カンボジアのブノンペンからベトナムのサイゴンまで4泊5日のメコン河を下りました。
 メコン河は広いので、橋がなくフェリーが所々にあります。生活が河で成り立っています。河で魚を取る。灌漑の水、交通の通路(道路の役目)等河でアメリカ輸出の為の「なまず」の養殖も見ました。
 食事はどこでも、中国と同じで4人に肉料理、魚料理、野菜料理が一皿ずつでた。ほとんどは油炒めや、油であげた物でした。西欧人も平気で食べていました。
 カンボジアのブノンベンではポルポト時代の収容所をみてきました。監禁室や凄い拷問道具や殺された人の写真を見てきました。
ベトナムのホーチミン市(阪急交通社のHPより)
ベトナムのホーチミン市(阪急交通社のHPより)

 ベトナムのホーチミン(サイゴン)の郊外で米国とのベトナム戦争時代の蜘蛛の巣状に、地下深く掘られたトンネルを見てきました。60M程トンネルを歩きましたが、這ってやっと歩けるようなものでした。ベトナム兵はそこを武器を以て移動との事です。落とし穴もみました。昔の獣を取る方法から考られたそうです。沖縄戦の地下壕とは、全然違います。米軍が爆弾を落としてもびくともしないトンネルでした。
 アンコール・ワットも良いですが、お勧めする所は「ラオス」です。
 旅行会社はワールド航空で、旅費は45万円でした。
(平成16年5月「手賀沼通信第74号」より)

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