今月は読者の大山様から頂いた旅行記をご紹介いたします。
 原文は6ページの長い文章でしたので、私の一存で4ページに収まるよう短くさせていただきました。8章までは原文通りですが、9章の訪問記は大幅にカットさせていただいております。
 文章の連続が不自然のところや説明不足の部分は、原文に落ち度はなく、ひとえに編集者の責任です。深くお詫びいたします。

特別寄稿
ベトナム旅行記
         大山 清


1.はじめに
ニャンチャンのホテルの窓から
ニャンチャンのホテルの窓から
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 私はここ7・8年、毎年正月に息子に旅費を出してもらって、海外旅行に行くようになった。今年はベトナムに行ってきた。私はベトナムについては何も知らず、ベトナム戦争位で、それも詳しくは知らなかった。そこでこの機会にベトナムについて調べてみることにした。
 今回は1月4日11時成田空港出発、ハノイ・ノイバイ空港着現地時間15時25分(日本との時差2時間、日本時間17時25分)、2日滞在、6日飛行機にてニャチャンへ13時着、8日13時50分ニャチャン発、ハノイ15時35分着、市内観光後ハノイ・ノイバイ空港発9日0時05分、成田空港着朝6時40分成田着の日程で行ってきた。このように2か所しか回っていないのですべてがわかったわけではなく、むしろわからないことの方が多いが、参考書やテレビ・新聞報道を参考にしながら、わかる範囲で書いてみたい。

2.ジェネラルインフォメーション
 ベトナムの位置は北緯8.35度〜23.4度、東経102.8度〜109.4度で、スリムなS字形をしている。正式国名は『ベトナム社会主義共和国』と言い、面積は日本の約90%の32,9241u、人口は約8579万人(09年)、首都はハノイで人口は約634万人(09年)である。通貨は「ドン」を使用し、1円が約203ドン、1000ドンで約4.9円、下3けたを削って5倍したのが大凡の日本円になる。日本との時差は2時間遅らせればよい。1976年4月30日までは、サイゴン1時間、ハノイでは2時間の時差であったが統一後はハノイ時間の2時間で統一された。通貨も南ではピアストルを使っていたが、統一後はドンだけが残った。
 ベトナム国家が、現在ベトナムを構成している民族として認定しているのは54民族である。このうち90%位がキン族(あるいはベト族)で、ハノイを含め紅河デルタ・中部海岸平野・メコンデルタが居住空間である。この同じ空間に住む民族としては中国系ベトナム人(華人)や中部海岸平野・メコンデルタに住むチャム族・クメール族などがいる。そして山間部・高原地帯には少数民族の居住空間となっている。最近では人口過剰状態になり、併せて山間部の経済開発を促進するためキン族の山間部への移住が奨励されている。

3.物価
 ついでに物価を見ると非常に安い。7人で夕食を食べ、飲んで(飲むのは3人だが)も5、6千円で済む。日本の3分の1ないし4分の1程度である。買物も帽子が200円位、土産物も安い。でも日本へ帰ってきてからのテレビ報道によると、野菜が4万ドンで買えたものが最近は7万ドンになりインフレが進んでいて困っているという。ちなみに1月20日の新聞報道によると、昨年(2010年のことだろう)のインフレ率10%近くに上がったようである。まだベトナム戦後の復興が途上である様である。今年の1月19日にベトナム共産党大会が終了、この10%近くに上がったインフレ率への対処が急務。

4.食べ物
 しかし、食べ物はおいしい。特に米は、私はインディカ米かと思っていたが、そうではないらしい。言葉が通じないので聞くことができず確認できなかったのは残念であったが、ご飯はもち米をくわえたような、何んとなく粘りがあるような感じで、非常においしいものであった。粒も細長くはなかった。ベトナムでは米の輸出は世界第2位で外貨も稼いでいるようである。ベトナム料理にはいろいろあるが、そのうちの一つ「フォー」もおいしかった。日本のソーメンみたいな物であるが、実は米粉を使ったもので味も良かった。1月21日、日本のクノール食品会社の見学会に参加、売店に「ベトナム・フォー」のカップ食品があったので買ってきて食べてみたが、麺がやや硬くベトナムのものとはちょっと違っていた。しかし味はよくそれなりに美味しかった。ベトナム人は体つきも日本人に似ているが、食べ物も日本人に合っているのだろう。先日テレビで女優の石田ゆり子氏がイタリアを紹介していたが、その時、イタリア人が女優を見て「ベトナム人か?」と聞いていた。外国人が見ると、それほど似ているのだろう。

5.共産党支配とドイモイ
 ベトナムでは1976年の南北統一以降、共産党による一党支配が続いており、政治面での統制は厳しく、共産党以外の政党の存在は一切許されていない。しかし、腐敗は著しく、例えば2008年に日本のODA事業として建設中だった東西幹線道路建設で市高級幹部の汚職が発覚し、2009年に円借款が凍結される事態が発生した。経済面では1986年に「ドイモイ」(刷新と訳される)と呼ばれる改革路線が打ち出され、経済面に限定され「市場経済導入」「対外開放」の2本の柱に沿って進められた。今でも継続されている。今年の第11回共産党大会が1月19日に閉幕、一党独裁を堅持しながら市場経済化を図るドイモイ政策の継続が採択された。ドイモイを加速し、今後5年間の年平均成長率の目標を7〜7.5%に設定、2009年に一人当たり1064ドルだった国内総生産(GDP)を、2015年には2000ドルに引き上げる目標を掲げた。

6.ハノイ
 さて、飛行場からハノイに行く途中、巨大な鉄筋の橋昇竜橋を渡った。これが紅河(ホン河)で、鉄分の多い紅い土が水に混じっているのだ。それで紅河と言っている。全長約1140km,中国の雲南省に源を発し、ベトナム領内ではラオカイから約500kmを流れている。ハノイは紅河デルタの中にある。ちなみにハノイの「ハ」は河、「ノイ」は内側という意味だそうだ。その辺の土は白っぽい。それもそのはず、中国との国境を成すあたりは1000m級の石灰岩質の丘陵地帯だそうである。
ハノイ市街
ハノイ市街(画像のクリックで拡大表示)
 ベトナムの首都・ハノイに入ってまず驚いたのは「バイク」の多さであった。自動車も結構走っているが、それと一種にバイクが1車線を占領している。道を横切るのも容易ではない。よく事故が起きないものと感心した。1987年頃までは自転車が主流であったというが、徐々にバイクに変わり、今の状態になったようである。自転車は非常に少なく、観光用として輪タク見たいな自転車の前に観光客を乗せて走る物もたまに通っている。車もバイクも日本車が多いようである。日本の企業も多く進出しており、トヨタ、パナソニック、キャノン等目に就いた。飛行場からハノイに入る途中に工業団地があったが、ガイドさんの話では90%が日本企業とのことであった。
 ハノイは北緯22度くらい(東京は35度くらい)であるが非常に寒い。日本と同じくらいであった。緯度の違いだけではないようである。

7.服装
 飛行機はベトナム航空であった。そして添乗員の女性の服装に関心を持った。ベトナムではドイモイの中で伝統文化への再評価が進み、一時は見かけることが少なくなったアオザイ姿が再び目に付く様になり、高校生の白いアオザイ姿が復活し、航空会社のフライトアテンダントもアオザイを着るようになったとの事。ベトナム伝統の深く切れ込んだ裾が特徴である。上着(アオ)と長いパンツ(クワン)で全身をすっぽりと包みこみ、露出が少なく清楚な感じ。細長い切れ込みからチラリとのぞく肌やウエストを絞り、胸とヒップを強調したシルエットからはほのかな色気が漂う。アオザイは、昔はストンとしたスタイルだったが、1960年代にあるデザイナーが身体にフィットするデザインを考案、定着したという。近年はパンツ丈と同じくらい長いものが流行とか。また、昔はパンツの色も既婚女性は黒、未婚者は白と決まっていたが、現在は自由化している。アオザイは基本的には礼服として着用するもので、一般的にはハレの日にしか着用しなくなっている。
天秤棒を担いだ大山さん
天秤棒を担いだ大山さん(画像のクリックで拡大表示)
日頃見かけるのは学校やサービス業の制服としての物だけとのこと。一般にベトナム人は背が低く、小柄で肩幅も狭い。しかし、引きずるほど長いパンツをとその下に厚底のサンダルを履けば身長をカバー、肩の下の切り替えがなで肩の魅力を活かすという。
 キン族の女性はクワンというズボンをはいているが、ムオン族は1枚の布でできた腰巻を着用している。そのほか各民族によりそれぞれの衣装がある様である。
 また、ハノイの街では三角の菅笠をかぶり、天秤棒を担いで行商をしている姿を見かけた。ベトナムの一つの風物詩ともいえるのだろう。市場や商店、露店などでのお金の管理は女性が行う。農業社会ではもともと女性の地位は高いのだが、儒教的な男尊女卑の考えが根強い一方で、実際には仕事をこなし、家を切りまわしているのは女性という面が強いようである。

8.工芸品
 初日の午後、陶器生産で有名なバチャンへ行ってきた。ハノイ市街から約10km南東へ行った紅河沿いの村である。凄い砂埃で大変なところであったが、販売店から窯元まで歩きまわった。窯元ではほとんど型造りで、日本のように轆轤を使って作る方法はやっていなかった。絵付けは下書きの上を手で描いていた。そして白っぽい石灰岩質の粘土で作っていた。ちょうど磁器のように見えたので確認してみたが、土ということであった。この辺は石灰岩質の山が紅河に流れ出て下流にも土が運ばれたのだろう。
 ハノイの土産物店を覗くと竹細工屋水牛の角の細工ものが多くみられた。どこで作られているのかはわからなかったが、比較的安いものであった。それぞれきれいなものであった。

9.歴史
 街の感じは中国に非常によく似ていた。それもそのはず、秦代以前から中国は雲南から海に出るルートとして紅河の支配を望んでいた。秦代末期に南海部(中国が辺境支配の為に置いた地方行政区)の支配者が独立し、今の広州を首都として南越国を建国したが、紀元前111年、中国の統一王朝となった漢が南越国を滅ぼしたことにより、ベトナムも漢の支配下に入り、これ以後約1000年間中国の支配を受けることになった。その後も中国に倣い、もともと仏教国(90%の人が仏教徒である)であるが、儒教も取り入れ、また科挙制度なども採用して中国的であった。938年に呉権が南漢の軍を破り、939年にコ―ロアを都とし、中国支配から独立した。その後も中国支配されたこともあったが、ほぼ独立国となっていた。1777年に西山(タイソン)3兄弟による支配となったが、1788年に阮映(グエンアイン)が中部ベトナムを奪回し西山党を圧倒1801年フエを落とし、翌年昇龍(タンロン)に入城、ベトナムの統一を回復したが 、この際フランスの助力を仰いだため、この後フランスの進出を許すことになった。即ち次の明命(ミンマン)帝はカトリックの布教や西欧諸国を廃絶する方向を選んだので、フランスに砲撃され、1862年にフランスへメコンデルタの一部を割譲とカトリックの布教を認めたが、一部の地方官や農民が抵抗、フランスはこれに反抗、1882年にハノイを占領し、ベトナムを植民地化した。1940年には日本も進出し、日仏二重支配を受けることになった。しかし日本の敗戦によりフランスがイギリスの支援を受け、再侵略を開始したが1950年に中国とソ連がベトナム民主共和国を承認、フランスはアメリカの支援を受け戦ったが、ディエンビエンフーの戦いに敗れ、植民地支配は終了した。この後アメリカが介入、ベトナム戦争が始まった。アメリカは中国・ソ連の共産党支配を防ごうとして南ベトナムをまとめ、北ベトナムを攻撃して、一時は17度線で南・北を別にしたが、アメリカが兵員削減などを行ったこともあって、1975年4月30日に北ベトナム正規軍と解放戦線の一斉攻撃によりサイゴンが陥落し、ベトナムが1つの国になった。
 中国の感じは残っているが、フランスの感じはあまりない。3階建てでベランダのある建物くらいだろうか。教会も余り多くはない。やはり仏教国のせいなのだろう。
 建物は芯がレンガで、その上をセメントで覆っているものが多いようである。ところどころセメントが抜け落ちて、芯のレンガが見えているところも多い。なかなか家の修理までは間に合わないのだろう。

10.訪問記
1日目(2011年1月4日)

 ベトナム航空で11時成田発の飛行機に搭乗した。16時30分頃現地係員の車で約1時間でハノイ市内「ラ ベルビューホテル」に付いた。日本より日暮は遅く18時30分くらいまでは明るい。市内の食事処を探しに散策、バイクの多いのに驚き、道を歩くのにも一苦労であった。18時30分から夕食20時に終了してホテルに戻った。2時間の時差があるので夜は長く、朝の起床も早く起きてしまった。
2日目(1月5日)
 ホテルで朝食後、8時30分現地案内人の車で「ホーチミン廟」「ホーチミンの家」(ホ―おじさんの家)「ホーチミン博物館」「一柱寺」「文廟」「バチャン」「ホアンキエム湖」「玉山祠」に立ち寄った。今日の見学はこれで終わり、その後外で夕食を取り、8時30分終了、9時には就寝した。
3日目(1月6日)
 今日からはニャチャンへ行くことになっている。ホテルで朝食を取り、8時30分に飛行場へ向けて出発、ハノイ・ノイバイ空港11時15分発、ニャチャン12時50分着、1時にはホテルの車で約40分、1時40分頃到着した。4時にはいったんホテルへ帰り、少し休んでから5時30分頃外出、夕食を取り買物をしてホテルに帰った。その後、ホテルのベランダでワインを囲みながらみんなで楽しい語らいとなった。
4日目(1月7日)
朝食後、海で波遊びを思っていたが、プールに行ったが水が冷たく入っていられなかった。そこでポー・ナガル塔へ行くことにした。その後ダム市場で買物などして1時頃昼食、午後は海岸へ行ったがやはり泳ぐことができず、海岸で昼寝。夕食はホテルの近くのレストランであったが、ウェイトレスは非常に気のきく人で、楽しく食事ができた。ホテルに帰りまたワインで乾杯となった。
5日目(1月8日)
朝食後海へ行った。波はかなり高かったが、海水につかることができた。10時過ぎ終了、11時50分ホテルを出発、12時30分ニャチャン空港着、13時50分出発、15時35分にハノイ・ノイバイ空港に到着した。それからまたハノイ市内へ。「西湖府」「タイ湖」(西湖)「鎮国寺」へ。その後 夕食を取り10時にハノイ・ノイバイ空港へ到着。0時05分発成田行き飛行機に乗ってベトナムを離れた。成田には9日朝6時40分に到着、ベトナム旅行は終わりとなった。

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