今月は半年ぶりの手賀沼通信ブログからの抜粋です。

鈴木章、根岸英一両氏がノーベル化学賞を受賞(平成22年10月8日)

 平成22年10月6日、鈴木章、根岸英一両氏にノーベル化学賞が贈られることになりました。いろいろ問題の多い今の日本にとって久しぶりに大変嬉しいニュースです。
 ノーベル化学賞を受賞したのは、両氏とアメリカのリチャード・ヘック氏の3人です。
 受賞対象となった業績は「有機合成におけるパラジュウム触媒を用いたクロスカップリング」です。
 鈴木章氏は北海道大学名誉教授で80歳、根岸英一氏はアメリカのパデュー大学特別教授で75歳、現在アメリカ在住です。両氏はパデュー大学のハーバート・ブラウン教授に学んだ同窓生です。
 これでノーベル賞を受賞した日本人は18名、化学賞は7名になりました。
  賞受賞者
・1949物理学賞湯川秀樹
・1965物理学賞朝永振一郎
・1968文学賞川端康成
・1973物理学賞江崎玲於奈
・1974平和賞佐藤栄作
・1981化学賞福井謙一
・1987生理学・医学賞利根川進
・1994文学賞大江健三郎
・2000化学賞白川英樹
・2001化学賞野依良治
・2002物理学賞小柴昌俊
化学賞田中耕一
・2008物理学賞南部陽一郎
小林誠
益川敏英
化学賞下村脩
・2010化学賞鈴木章
根岸英一
 ノーベル賞受賞で私の印象に強く残っているのは、1人目の湯川秀樹氏と4人目の江崎玲於奈氏です。
 湯川さんが受賞したときは私は中学1年生でした。ノーベル賞の存在を初めて知りました。そしてそれが世界一レベルの高い賞で湯川さんが日本人で始めて受賞したということも知りました。
 当時は終戦後4年のまだまだ混乱の残っている時代、そこに飛び込んだとびっきりの明るいニュースでした。日本中が湧きかえりました。
 江崎玲於奈さんはIBMのワトソン研究所に勤務しているときに受賞しました。私は日本IBMに在籍していました。社員みんな大喜びでした。その後江崎さんは何度も帰国し、日本IBMの社内の会議やお客様の団体などの会議で度々講演されました。
 多少どもりながら味のある内容の話をされ、聞く人に感銘を与えていました。

ジャイアンツの敗因を考えてみた(平成22年10月29日)

 ちょっとタイミングがずれましたが、今年のジャイアンツの敗因を考えてみました。
 平成22年10月25日から27日までの読売新聞に今年のジャイアンツの総括が出ていました。
『25日:勝負弱さ 包囲網破れず  原監督「同じ投手、同じチームにやられた印象」。名古屋ドームでは9連敗を含む2勝10敗。クライマックスシリーズでも1勝しかできなかった。昨年無かった同一カード3連敗が5度。
26日:先発投手陣 次々と脱落
 昨年34勝をあげたゴンザレス、グライジンガー、オビスポの外国人投手陣が今年は7勝しかあげられなかった。
27日:2番と5番 途切れた打線』とありました。
 私は今年のジャイアンツは「おごりと油断とコンプレックス」で敗れたと見ています。
 ジャイアンツは開幕から快調で、中日には最大8ゲームの差をつけていました。そこに「今年も優勝間違いなし」というおごりが生じたのだと思います。
 5月に始まった交流戦ではジャイアンツは12勝12敗、中日は11勝13敗、阪神は11勝12敗1引き分けでした。6月末には2位に最大5ゲームの差をつけていました。ここで油断したのです。7月と8月は連続負け越しでした。
 最後はコンプレックスです。名古屋ドームでの9連敗が示すように蛇ににらまれたカエル。中日には結局9勝15敗となりました。最終成績は中日とは1ゲーム差です。中日と対等に戦っていれば、ジャイアンツは問題なく優勝でした。
 おごりと油断とコンプレックスが個人の成績にもうかがえます。
 打撃成績ベスト5に、中日2人、阪神2人に対してジャイアンツはゼロです。ベスト10に小笠原がやっと9位に入っているだけです。
 ホームランはジャイアンツが圧倒的に多かったのですが、打線のつながりに欠けていたのです。
 投手成績では、防御率ベスト10に中日が2人に対してジャイアンツは東野が5位に入っているだけです。
 来年はもっと練習してこの欠点を克服してほしいです。

よくやった尖閣ビデオネット放映(平成22年11月6日)

 手賀沼通信ブログでは政治の問題はあまり取り上げないのですが、今回は胸のすっとするニュースなので書きます。
 平成22年11月5日、尖閣諸島沖の漁船衝突事件の状況を海上保安庁が撮影したと見られるビデオ映像がインターネットの動画投稿サイト「ユーチューブ」に流出したことがわかりました。
 マスコミではどういうルートでビデオが流出したのか大騒ぎしています。確かに海上保安庁と検察当局が保管する刑事事件の証拠用ビデオが外部に流れたのはセキュリティ上重大な問題ですが、事件が発生したときに公開しておれば今回のような問題は発生しなかったはずです。
 政府は中国に遠慮して出さなかったのでしょうが、いかにも今の民主党政権を象徴する事態となってしまいました。
 1972年の沖縄返還に際して「外務省機密漏洩事件」がありました。毎日新聞の西山太吉記者が、返還にあたって日米間で取り交わされた密約をつかみ、当時の佐藤内閣を新聞等で糾弾したのです。「密約問題」が国民の「知る権利」を犯すものとして取り上げられました。
 今回のビデオも国民の「知る権利」を考えれば、もっと早く一般公開すべきだったでしょう。一部の国会議員がこそこそと密室で見たようですが、陰湿な感じを与えました。国会議員は国民より偉いのでしょうか。国会議員は国民によって選ばれているということを忘れてはなりません。
 11月7日の読売新聞社説では「尖閣ビデオ流出 一般公開避けた政府の責任だ」とありました。日経新聞社説にも「迫られる尖閣ビデオの一般公開」とありました。朝日新聞だけが「尖閣ビデオ流出−冷徹、慎重に対処せよ」と一般公開はすべきでないとしていましたが、これは左に偏向している朝日新聞の体質なら仕方ないことでしょう。
 誰がネットに流したか知りませんが、よくやったと快哉を叫びたい気分です。

手作りの本を出す(平成22年11月13日)

 平成22年9月1日手賀沼通信が150号を迎えました。
 手賀沼通信はサラリーマンをやめた平成10年4月から毎月一回発行している一人新聞です。勝手に作って勝手にお送りしています。最初は70部くらいでしたが、今は350人ほどの方にメールでお送りし、50部紙に印刷して郵送や手渡しでお配りしています。
 150号を記念して3冊目の本を作りました。
 50号のとき、「未知との遭遇」と題して、それまでの手賀沼通信から海外旅行記をまとめました。
 100号のときは、「手賀沼通信こだわりの記事」と題して、それまでの手賀沼通信から読んでいただきたい記事をまとめました。
 今回は、「未知との遭遇 パートU」というタイトルで、51号以後の海外旅行記といくつかの国内旅行記を載せることにしました。
 手賀沼通信はA4横書きです。本はA5の縦書きにしました。英数字は漢数字に、ワードの置換機能を使って変換しました。パソコンで1部オリジナルを印刷し、必要部数だけ文房具店でコピーしました。ただ、カラーのページはコピー代を節約するため、自分で印刷しました。
 A5版ですが、使った用紙はA4です。A4の用紙を二つ折りにして、袋とじでA5版になりました。大型ホッチキスで綴じて、製本テープで裏を隠しました。
 50部作りました。一番大変だったのはA4の用紙を二つ折りにする手間です。
 45枚(90ページ)×50部=2250枚の用紙を二つ折りにしたのです。
 かかった費用は、約25000円ほどです。1部500円ほどでできました。
 ・コピー代 17500円(35×50×10)
 ・用紙代 1500円(610×2+280)
 ・インク代 約4000円
 ・その他 約2000円
 時間はあるがお金がない、年金生活の高齢者にとっては手作りが向いています。
 それに何より、時間をかけて作っている間の充実感というか、楽しさがたっぷり味わえました。
 「未知との遭遇」は25部、「手賀沼通信こだわりの記事」は40部、今回は50部と増えてきたのも、楽しさを味わう時間を多くしたいためでした。

行方不明者を保護する(平成22年11月26日)

 平成22年11月25日、我孫子市の「防災あびこ」のネットワークで放送されていた行方不明者を保護するお手伝いをしました。
 毎週木曜日午後5時から「若松ふれあい会」で、地元の若松第2自治会地区の防犯パトロールを行っています。
 当日パトロールに行く直前に、近くのスピーカーから「若松の住人で81歳の女性が行方不明になっています。緑色の帽子をかぶり、杖を持っています」という放送が聞こえました。近所の人が行方不明で放送されたのは初めてだったのでちょっと気になりました。
 パトロールは5人が参加したので、2組に分かれて歩き始めました。私はKさんと2人組でした。
 歩き始めてすぐ、鉄骨マンションの近くで、女性から前を歩くおばあさんが放送された行方不明者ではないかと声をかけられました。その女性は不審に思っておばあさんの後をつけていたのです。女性はそのおばあさんが行方不明者の身なりに合致している、先ほどから歩き回っていると言いました。
 たしかにそれらしいと感じたので、そのおばあさんに追いつき、住所氏名を聞きました。1××のUですと答えました。どこへ行くのと聞くと家に帰るといいます。受け答えははっきりしているのですが、行く方向が違っています。日が暮れて暗くなっていました。
 おばあさんは家と違う方向に早足で懸命に歩いていました。3人でおばあさんの足を止めようとしましたが、小柄な体のどこにそんな力があるのか止められません。体を抱えると振りほどき、「私はそんなにぼけていない」といいます。
 阻止できないままふれあい道路の車道に出ようとします。このままでは危険と感じて、近くの人の携帯電話を借りて110番しました。放送では見つけたら警察に電話するように言っていたからです。
 110番では我孫子警察ではなく千葉県警が出ました。通じたかどうか不安でした。ちょうどアビスタ前に差し掛かったのでアビスタの受付で我孫子警察に電話してもらいました。
 おばあさんはどんどん家と反対方向に歩こうとしていましたが、受付の女性も応援してくれ、みんなで警察が来るまで待ちました。
 しばらくたってからやっと警察のミニパトカーが駆けつけ、女性を保護しました。
 おばあさんは認知症だったのではないかと思います。
 時間がかかったのは私達2人と発見者の女性が誰も携帯電話を持っていなかったからです。大きな反省点でした。

東北新幹線全線開通(平成22年12月5日)

 平成22年12月4日東北新幹線は、八戸駅から新青森駅までの81.8キロが開通し、東京−新青森駅(713.7)間の全線が開通しました。従来より39分短縮され東京−新青森間は3時間20分となりました。
 東北新幹線は1982年に大宮−盛岡間が開業して以来、28年ぶりに全線開通になったのです。
 東北新幹線は東海道新幹線、山陽新幹線、上越新幹線が始点から終点まで一度に開通したのと違って、開業区間を少しずつ延ばしてきました。
 また途中駅からミニ新幹線の山形新幹線と秋田新幹線につながっています。
 東北新幹線は次のような経過をたどりました。
・1982年 大宮−盛岡 開業
・1985年 上野−大宮
・1991年 東京−上野
・1992年 山形新幹線(福島−新庄)
・1997年 秋田新幹線(盛岡−秋田)
・2002年 盛岡−八戸
・2010年 八戸−新青森

 今後の新幹線の開業予定は以下の通りです。
・2011年3月 九州新幹線 博多−新八代           (鹿児島ルート全線)
・2014年 北陸新幹線 長野−金沢
・2015年 北海道新幹線 新青森−新函館

 1964年10月1日に東海道新幹線(東京−大阪)が開通して新幹線時時代を迎えました。東京オリンピックが開催される10日前です。私は当時最初の会社をやめて次の会社に入るまで1ヶ月間の休みがあったので、10月2日の新幹線に乗り帰郷したのを覚えています。10月1日の切符は取れませんでした。それから46年がたちました。
 そして世界中でも高速鉄道時代を迎えています。

大相撲八百長防止の私案(平成23年2月7日)

 大相撲が八百長問題で危機に直面しています。平成23年2月6日日本相撲協会は臨時理事会を開き、春場所の中止を決定しました。また年内の地方巡業を全て中止することになりました。
 事件の全容が解明されるまでは、大相撲は開催できないとのことから、5月場所の開催も微妙です。
 いままでに判明したことは、八百長は十両の千代白鳳、春日錦(現竹縄親方)、清瀬海、三段目の恵那司の関与が認定され、それ以外に10名の名前が挙がっています。ほとんどが十両力士です。
 なぜ十両力士が中心となって八百長をやったか、その理由は十両と幕下とは待遇に雲泥の差があるためです。十両以上は関取といわれ、以下の待遇を保証されます。相撲部屋では個室が与えられ、付け人がつきます。幕下に落ちると、待遇が落ち、逆に関取や親方の付け人になる必要があります。
 八百長は十両力士中心に、十両から陥落しないようにうまく星勘定を合わせるためやったのです。

<主な番付の待遇比較>
幕下十両幕内
・月給なし103万6千円130万9千円
(幕下以下は替わりに本場所手当等がある)
・力士報奨金なし16万以上24万以上
・優勝賞金50万200万1000万
・マゲちょんまげ大銀杏
・服装着物・羽織・がいとう紋付・羽織・はかま
・本場所のまわし黒色・木綿カラフル・博多織しゅす
なお、三役、大関、横綱はそれぞれ地位に応じて、月給や力士報奨金が違います。

<八百長防止私案>
 私の勝手な案です。もう1回八百長が発覚したら大相撲はお終いでしょう。
 八百長を起こさないことが第一です。
・収入面での十両と幕下以下との差を少なくし、十両には付け人は付けない。
・審番団は無気力相撲を監視し、無気力相撲2回で黒星1つとする。
・八百長の懲罰規定(除名しかない)を明確に取り決め文書化する。
・親方の連帯責任を明確に取り決め文書化する。
・力士および親方に対し、八百長禁止について再教育をする

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