今月も先月に引き続いて「旅」がテーマです。
 東京都中推協の仲間の稲垣さんからは、昨年5月にヨーロッパの世界遺産を訪ねたときの旅行記をいただきました。文化の香り高い世界遺産は、先月のアンコールワットとはかなり違った印象でお読みいただけると思います。
 私の場合は旅の記録というより法事で国に帰る途中感じたことをまとめたもので、旅行記というより特殊法人に対する懸念が加わったちょっとひねくれた感想といったものです。

「瀬戸大橋」と「しまなみ街道」を通る

1.四国と本州を結ぶ3つのルート
 2001年11月30日から12月2日まで母の13回忌で愛媛県の伊予市に帰省いたしました。いつもは飛行機で帰るのですが、今回はのんびりと本州と四国を結んでいる橋を通ってみたいと考え新幹線と高速バスを乗り継いで往復しました。特殊法人改革で今話題になっている本州四国連絡橋公団と日本道路公団の地方路線での現状を見てみたいという好奇心もありました。実際に通ってみてこれは手賀沼通信の絶好の話題になると感じましたのでご報告いたします。
 ご存知のように本州と四国を結んでいる橋は3ルートあります。
 以下、本州四国連絡橋公団のホームページに説明が出ているので借りてきましょう。

『本州と四国を結ぶ本州四国連絡橋は、3ルートあります。東から神戸・鳴門ルート(神戸淡路鳴門自動車道)、児島・坂出ルート(瀬戸中央自動車道・JR瀬戸大橋線)、尾道・今治ルート(西瀬戸自動車道 愛称:瀬戸内しまなみ海道)です。
 昭和63年の児島・坂出ルートの全線供用により、初めて本州と四国が陸続きになりました。
 また、平成10年4月には世界最長の吊橋である明石海峡大橋が完成し、神戸淡路鳴門自動車道の全線が供用されました。供用されました。
 さらに、平成11年5月の新尾道大橋、多々羅大橋、来島海峡大橋の完成により、3ルートの建設事業が概成しました。
 供用延長は道路約173km、鉄道約32kmで、本州四国連絡橋公団はこれらの管理を行っています。』

『瀬戸大橋(児島・坂出ルート)−道路と鉄道を渡す上下二層の長大橋梁群
 日本で最初に国立公園に指定された瀬戸内海の優美な多島海の真ん中を通る、道路と鉄道の併用ルートです。ルートは道路37.3km、鉄道32.4kmで、海峡部9.4kmに架かる6橋を総称して瀬戸大橋と呼ばれています。
 吊橋、斜張橋、トラス橋など、世界最大級の橋梁が連なる姿は壮観です。』


『しまなみ海道(尾道・今治ルート)−芸予の島々を通る道
 かつて瀬戸内海最強の「村上水軍」が勇壮な海のロマンを繰り広げた芸予海域の島々を縫う、全長59.4kmの自動車道路です。また、新尾道大橋以外の各橋には、尾道から今治に至る、歩行者・自転車・原動機付自転車(125cc以下)の専用道路が併設されており、本州と四国を結ぶ連絡道路や観光道路としての役割はもちろん、島々に住む人々にとっての生活道路としても大きな役割を果たしています。』

 四国と本州(四国人には四国が先に来ます)を結ぶ橋の架橋は、本州側から見ると必要性はそれほどでもなかったと思いますが、四国の住民にとっては長年の悲願でした。学生時代まだ新幹線はなく、飛行機は高嶺の花だった頃、東京と四国の往復は国鉄の夜行特急「瀬戸」を利用して18時間くらいかかりました。途中、岡山県の宇野と高松の間は宇高連絡船に乗り換えます。年末年始の混雑時には高松桟橋駅や宇野駅では連絡船の下船口の1番前に陣取り、港についた途端、列車まで数百メートルを全速力で走らないと座席にありつけませんでした。一度宇野から東京までの10数時間立ちっぱなしだったこともありました。連絡船は海が荒れたり霧が深いと欠航、港で待たされます。橋があったらと何度思ったかもしれません。
 ところがそれから約30年後、学生時代には夢のような話だった瀬戸大橋が完成したのです。しかもそのあと2つのルートが追加されました。
 なぜ3つも架けたのかという疑問は架かっている場所を見れば理解できます。瀬戸大橋は香川県と岡山県、明石鳴門大橋は徳島県と兵庫県、しまなみ海道は愛媛県と広島県を結んでいます。6県が猛烈な架橋合戦を繰り返し、国会議員を動員し、建設業界を味方にして、政府を動かして3つ架けることに成功したのです。

2.すばらしい景色とゆったりした高速バスと快適な走り心地
 行きは新幹線岡山駅前から松山市駅前まで瀬戸大橋を通るルートで、帰りは松山市駅前からしまなみ街道を通り新幹線の新尾道駅前までの高速バスを利用しました。行きは下津井電鉄のバスで縦3列、それぞれの席が独立している30人乗りの高速バスです。座席指定で足元もゆったりしており、トイレもついていて、セルフサービスですがお茶も飲めます。帰りは伊予鐡バスで座席こそ普通の遊覧バスのように2人ずつの1列4人掛けですが、トイレや飲み物は同じ様に利用できます。時間も料金もJRの列車を利用するより早く安いのです。(なお、しまなみ海道に代る列車はありません)
 ところが利用客は行きも帰りもわずか5名でした。
 天候は快晴、風もなく、初冬というのに暖かい日差しが降り注いでいました。バスの場合は座席が高いので、乗用車なら欄干が邪魔でよく見えない橋からの眺めは、さえぎるものがなく最高でした。ちょうど紅葉が真っ盛り、カラフルな島の装いが目に染みます。瀬戸大橋は一気に渡る感じでしたが、しまなみ海道は6つの大きな島を橋でつないでいるため、一般道や高速道をしばらく走ると思い出したように橋が現れるといった感じでした。
 行きは岡山で高速道路に乗ると松山まで高速道路だけを走ります。出発地と到着地は何ヵ所か止まりますが、あとは走り通しです。高速道路と橋の上(これも高速道路の一部)は渋滞とは無縁、道中ほとんど、はるか前を数台の車が走っているといった感じでした。
 帰りのしまなみ海道は、松山と今治の間は一般道路を通ります。島の中も半分は一般道路です。それでも渋滞はなく、早く着き過ぎたため途中で時間調節の休憩を取りました。降りて橋の写真を撮っているとバスのドライバーのほうから「この橋が1番見事な橋ですよ」と声をかけてきて、橋をバックに1枚撮ってくれました。バスも道も空いているから出来ることなのでしょう。
 しまなみ海道は歩いても自転車でも渡ることが出来ます。12月初めのせいか、自転車の人はいませんでしたが、歩いている人は大勢見かけました。目のくらむような高さから来島海峡の渦潮を眺めながら渡るのは気分がいいはずです。春か秋に一度尾道から今治まで歩いてみたいという気になりました。歩くためのルートマップも用意されており2泊もすれば歩き通せる感じです。

3.二つの特殊法人を考える
 ところが混雑と無縁の道路や橋を通っていて、はたしてこれでいいのかということを改めて考えました。いい気分に浸っている場合ではないのではないかと。利用者が少ないということはそれだけ赤字を積み上げていることになります。
 本州四国連絡橋公団は3兆8450億円、日本道路公団は26兆8080億円の長期負債を抱え、過去12年間に財政が負担した金額の合計は本州四国連絡橋公団で3874億円、日本道路公団にいたっては2兆4340億円にも上ります。長期負債は主に郵便貯金や簡易保険や国民年金などからの借金であり、財政からの負担は国民の税金なのです。赤字を続けていると一般の会社なら倒産です。
 なぜ利用者が少ないのでしょうか。四国に住んでいない私にはっきりしたことは言えませんが、幾つかその原因を推測してみました。
 まず第1は時代が変わったということです。昔橋があったらと願っていた頃は、ほとんどの人は東京から四国に帰るのに列車を利用していました。今は飛行機です。列車を利用する人は特別な理由のある人でしょう。早くて便利な上に安いからです。数年前までは航空料金のほうが高かったのですが、今では列車利用のほうが高くつきます。(正規の航空料金は今でも高いですが)。今回も列車とバスを乗り継いだ私は松山まで往復約42000円。航空機の特割り料金を利用した弟は往復約2万円でした。
 第2は橋や高速道の利用料金が高いことではないでしょうか。瀬戸大橋は普通車で片道4600円、大型車は7550円特大車は13500円、しまなみ海道は普通車5700円、大型車8600円、特大車15350円かかります。橋までとその先の高速道路利用料金は別です。往復すれば2倍かかります。観光で1度は通っても、2度3度と行くには料金を考えると二の足を踏む人が多いのではないでしょうか。製品や商品を運ぶ場合もトラック便よりも船のほうが安いかもしれません。フェリーで車ごと運ぶ方法もあります。  第3は高速道路はかえって不便ではないかということです。四国に入ってからの高速道路は多くは山際を走ります。市内から離れたところを通っています。高速道路を利用するのは長距離の旅行者か急ぎの運送業者がほとんどのようです。毎日仕事に車を使っていても高速道を利用する人は少ないと聞きました。一般道路も混雑するのは市内で、ちょっと郊外に出ると空いています。市街地のバイパスで十分なところはわざわざ高速道路を利用しないようです。
 第4の理由は利用者が少ないのではなく、それが自然なありのままの姿で、橋や道路を作るときに予想した数字が過大だったのではないかということです。地方の高速道路はどこも通過車両が予想を下回っていると聞きます。東京湾の橋とトンネルの組み合わせのアクアラインでさえそうです。橋や道路を作るのを正当化するために、お役人が鉛筆をなめて数字を作ったことにあるのではないでしょうか。
 田舎では首都圏や京阪神地区と違って時がゆっくりと流れている感じです。また人の移動する範囲も小さくてすみます。首都圏では通勤に片道1時間や1時間半かかっても驚きませんが、私の田舎で通勤にそんなに時間をかけている人はいません。ゴルフに行くのに車で50キロとか100キロ走る人もいません。少し走れば目的が達成できるのです。首都圏の価値観と使い勝手から生まれた高速道路は田舎ではそのままは当てはまらないのです。
 高速道路やダムが欲しいと主張しているのは、それを作ることによって利益を得る地元の政治家や土木業者で、一般の人はそんなに欲しがっていないのではないかと思います。もちろんのそこに住む人にとってはないよりあるほうがいいと思いますが、あくまでも費用対効果を考え、限られた財源を優先順位をつけて有効に使う必要があると思います。
 いま、財政投融資の対象の45の特殊法人の債務は306兆円にも上り、国債残高の365兆円に迫っています。小泉内閣は特殊法人の整理統合、民営化に心を砕いていますが、族議員と官庁の抵抗に会って思うようには進んでいません。
 今回快適な旅をしたにも拘らず反対にこれでいいのかとつくづく考えさせられました。
 また、行きのバス料金は4300円、帰りは3600円でした。5人しか乗客がいないと橋や高速道路の通行料金にしかなりません。バス路線はなくなるのではないかと余計な心配までしてしまいました。

世界遺産の街を訪ねる


〜チェコ、スロヴァキア、ハンガリー〜

稲垣浩一
何しろ暑かった
 五月三〇日から一〇日間のツアーに夫婦で出かけた。連日二八度から三〇度の暑さで全く雨もなく少々ばて気味。今年は異常気象だそうである。ただ湿度が少なかったので比較的しのぎよかった。まだ寒いのではという危惧は吹き飛んでしまった。長袖のセーターは無用の長物となった。日本からチェコまでの直行便がない。ドイツのフランクフルト経由で入った。チェコ、ハンガリーは3〜4年前にビザなしで入国できるようになったのだが、スロヴァキアはまだビザが要る。1993年にチェコとスロヴァキアが分離独立したとはいうものの長年、社会主義共和国の連邦制であったのでチェコと同時期前後にビザなしで行けると思っていたのだが待ち切れなくて広尾の大使館まで手続きに出かけた。

出入国がきびしい  チェコのプラハ、チェスキークルムロフ、ハンガリーのブダペストは世界遺産に登録されている。いずれもドイツから黒海まで流れているドナウ河に沿った都市である。はじめて訪ねた街なのだが町全体が博物館という噂どおりである。
 それにしても、チェコからスロヴァキアへの入国、スロヴァキアからハンガリーへの出国と入国に時間がかかった。警戒がきびしい。自動小銃を持った軍隊と警察隊が交互にならんでいる。その間、両替手続きをした。2時間近くかかった。
 プラハでは何といってもご承知のようにカレル橋が有名。皇帝カレル四世の時代につくられたといわれ、左右両側の欄干に聖人の像が15ずつ計30体が飾られている。中に日本の侍姿もあり、やはり圧巻である。夜はライトアップされると聞いたのだが、疲れていたので出掛けなかった。今にして思えば残念な気がする。

ビールが安い  さすがチェコはビールが安くてうまい。聞けばビールの種類が1200種以上あるとか。しかも一人当たりの消費量が世界一というから驚きである。昼間の街角でもビールをかたむけている。スーパーで500ミリ入りが邦貨で70〜80円には驚き嬉しくなった。
 ヨーロッパの古郡では市街地が旧と新に別れている場合が多いのだが、ここも旧、新があって川の右岸が旧、石畳の道に小さな街灯がともり、薄暗い建物がつづく。旧市庁舎の塔から見下ろした広場の風景がアーケードつきの家屋と褐色の瓦屋根に特長がある。
 チェスキークルムロフはボヘミア地方南部の街、一三世紀に創設された美しい街、中世に建てられた家には紋章の飾りがつけられている。やはりヴルタヴァ河沿いに旧市街地と城地区に分かれている。見事な建築美である。中世ルネサンスの街と称される所以かもしれない。

スロヴァキア  1968年脱社会主義と呼ばれた東欧革命によって自由な社会へと脱皮をはかり、現在チェコと分かれてそれぞれ独立国として新しい歴史を築きつつある。チェコの風景とは対照的である。チェコが優美という表現をするならばスロヴァキアの風景は荒削りで厳しい。山中の急流におおいかぶさる樹林万年雪をいただいた峰などまだまだ人の訪れが少ないようである。ここの首都プラティスラヴァの城の四つの隅にある塔がまさに「逆さにしたテーブル」である。

印象深いハンガリー  ハンガリーの首都ブダペストにはドナウの真珠、青きドナウなど様々な冠がつけられている。ドナウ河をはさんで西部に国会議事堂、これがまたネオ・ゴシックの名建築といわれている。そして王宮を持つブダ地区と東部に市街地を持つペスト地区に分かれ発展した。
 ハンガリーは日本の約四分の一の面積でヨーロッパの中心部にある小さな国である。特に印象深かったのはセンテドレの街である。ドナウ河ぞいの古郡である。セルビア人によって築かれ、ギリシャ教会が目立つ。バロックの家並みで調和が保たれている。まさに中世に迷い込んだ思いがする。

馬車とワインセラー  自由時間に街の中を一回りするのに馬車がおもしろいと聞く。五人乗りに六人乗りこむ。その御者が実に愉快なおじさんである。はじめは酔っ払っているのかと思った。走り出したとたん大きな声で歌いだす。歌に合わせて馬に鞭を当てるものの馬がかわいそうになってくる。地元の人達はそのおじさんに手を挙げて応える。どうやら御者も地元の人らしい。小さな街だから馬車も一台しかない模様である。タイミングよく乗れたものだと後で話合った。25分くらいで一回りした。ところ所で止まって建物の案内をしてくれるのはよいが、チェコ語か英語かときに日本語らしき言葉も面白おかしく混じって案内の中身はさっぱり耳に入らなかった。
 夕食はワインセラー内のレストランだが、飲み放題というのは別に珍しいことでもないのだが、宴盛んになる頃をみはからって、ウェイターがフラスコを大きくしたようなガラス瓶を持ってまわって男性の口にワインをそそぐ。私にもまわってきた。こちらが合図するまで飲み続けなければならない。どうなることかと思ったが、結構飲めるもんである。白ワインでアルコール度数が低いように感じて、かなりの量をのみ続けたように思う。同席のお客さんが手拍子で囃立てるので調子がますます上がってくる。
 ともあれ、ほんの片鱗しか訪ねていないけれど中欧の国々はほんとに歴史の深さと重々しさを感じる。はるかな記憶を辿りながら小さな記憶を作りたいと思う。も一度ゆっくり時間をかけて訪ねたいと思っている。

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