今月は恒例のこの1年をふりかえって「4年目の退職生活」をテーマといたします。
 特にこれといって変わり映えのしない1年間の私の生活について皆様にお読みいただくのは申し訳ないことですが、毎年この時期には1年間を振り返ることにしています。そしてこれから退職される方や、あるいは既に退職生活を楽しんでおられる方に、多少のご参考か半面教師にでもなるのではないかと自分勝手に考えています。
 最後までお付き合いくだされば幸いです。

退職後ほぼ4年がすぎました

1.高齢者の仲間に入る

 この1月で65歳になりました。友人や知人から退職のご挨拶をいただく度に、「自分の時間を自分のために自由に使える60歳代は人生の黄金時代、今までやりたいと思っていて出来なかったことに挑戦してみてください」と返事を出していますが、私の場合、その黄金時代を早くも半分終了し、いよいよ今年から高齢者の仲間入りをしました。
 ところで高齢者の定義はどうなっているのでしょうか。厚生労働白書によるとはっきりした決まりはないようです。しかも時代とともに変わってきています。戦前の平均寿命は50歳台でした。日本の国勢調査では1960年までは60歳以上を高齢者としていました。60歳になると還暦のお祝いをするのは、昔はおそらく60歳が長生きの証しだったのでしょう。ところが平均年齢が男性77.6歳、女性84.6歳(2000年)になった現在、60歳を老人という人はごくまれです。現在では、厚生労働省の定義は15歳未満を「年少人口」、15〜64歳を「生産年齢人口」、65歳以上を「高齢者人口」とし、65歳以上の人の全人口に占める割合を高齢化率としています。この分類は国連での国際比較にも使われています。なお余談ですが、厚生労働省では統計上高齢者を65〜74歳を前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と区分けして別扱いしています。
 そういうわけで65歳の高齢者人口の中に含まれるようになったのですが、自分の意識では高齢者とは思っていません。厚生労働省の調査でも高齢者とみなす年齢は70歳以上が一番多く、しかも高年齢になるほど自分は高齢者ではないと考え、高齢者とみなす年齢が高くなっていきます。
 しかし意識と関係なく制度は高齢者扱いとなります。我が国の社会保障制度では、介護保険、国民年金、厚生年金(生年月日により違います)が原則65歳からサービスの対象となります。確定申告も年金の控除額が増え、また老年者控除の対象となります。男性は65歳からJRのジパングクラブに入ることができ、JR運賃が2割〜3割安くなります。定年の60歳からの5年間のあいまいな扱いに比べてこれらのメリットはありがたく享受しようと思っています。
 今の制度では70歳になると老人保健法が適用され医療費が安くなります。将来75歳に年齢が引き上げられる可能性もありますが、老人医療の対象となるまでは高齢者ではないと考えて生涯学習、生涯現役で今までどおり生活していきたいと考えています。

2.何年ぶりかの入院生活

 退職後4年目の生活は入院で始まりました。詳しいことは手賀沼通信38号と39号に書きましたが、台湾旅行中に排尿がストップし、帰国してすぐ入院、前立腺肥大の手術をしました。途中一度退院しましたが、すぐ再入院、結局21日間病院生活を送りました。本格的な入院は約15年前鎖骨を粉砕骨折して1ヶ月間外科医院で過ごしたのに続いて2度目です。
 前立腺肥大の兆候があったことに気づかず、というより兆候に気づいていながらその意味や重大さを無視した報いでした。もう少しで膀胱破裂という大事に至るところでした。おかげで健康の大切さを久方ぶりに知らされた次第でした。約1ヶ月お酒を自粛、6月末まで仕事をキャンセルしました。
 入院生活は人と人とのふれあいの場であり人間観察の場です。大袈裟な言い方をすれば、先生、看護婦さん、ヘルパーさん、同室の患者の人間性がよく分かります。明確に説明してくれる先生と聞いてもよく答えてくれない先生、こちらの気持ちを明るくしてくれる看護婦さんやヘルパーさんと上手に手抜きする看護婦やヘルパー、元気な患者といつも愚痴や不平ばかり言っている患者、面白い経験でした。そして多くの方に大変お世話になった21日間でした。
 特に真向かいのベッドの前立腺のガンの患者さんには大変感動させられました。ガンが転移して抗がん剤を打ちながら何か月も入院しているのにも拘らず、明くる患者さんにアドバイスしていました。話題や趣味も広く、入院中はその人と話すのが一番の楽しみでした。
 ところで入院生活で覚えたことで今まで続いていることがあります。それはラジオで「NHK深夜便」を聞くことです。病院生活で一番つらかったのは病気の痛みや手術後の不自由さではなく夜眠れないことでした。私の場合、通常5時間寝れば十分です。それ以上は眠れません。夏は12時頃寝て5時起床、冬は寒いので7時頃まで布団の中にいますが5時には目を覚ましています。ところが病院では夜9時消灯、差額ベッドの個室でなく部屋代のかからない6人部屋のため、隣りのベッドに遠慮しながら見るテレビもせいぜい10時までが限度です。テレビの明るさがカーテンや天井に映ります。
 そこでラジオを聞くことが夜中の習慣になりました。狭いベッドの中で寝ながらイヤホーンを耳に入れ窮屈な格好で毎晩聞いていました。最初は色々な局にダイアルを合わせていたのですが、そのうちNHK深夜便がお気に入りになりました。うとうとしながら聞くには心地よさが不可欠です。番組のテーマや内容や音の響きが神経を休め、眠りに誘うものでなくては目が覚めてしまいます。
 NHK深夜便は11時20分から5時までの長時間番組です。中高年のアナウンサー(この番組ではアンカーといっています)が日替わりで担当し、国内や海外の各地のレポート、エッセイ、講演、インタビュー、海外の音楽、日本の音楽などが組み合わされています。アンカーの語り口は民放のキンキン声のアナウンサーと違って静かで落ち着いており、音楽も私達の年代がよく知っている懐かしいものばかりです。音楽の合間には、番組の熱心なファンからのたよりが読みあげられますが、ファンも中高年ばかりのようです。現役世代が夜中にラジオなど聞いていては昼間の仕事に支障が出ますが、退職したサラリーマンや子育てが終わった主婦なら夜中に聞き入っていても誰にも迷惑がかかりません。
 退院した後も深夜はこの番組なしには寝られなくなってしまいました。音を殺してつけっぱなしにしておき、夜中に目が覚めたときに聞くとはなしに聞いてはまた眠りにつくといった状態が続いています。

3.泥棒に入られる

 メールで手賀沼通信をお送りしている方にはお知らせしましたが、昨年12月8日早朝泥棒に入られました。1階のリビングルームの窓のガラスを割りサッシの鍵を回して窓を開け侵入したようです。雨戸があったのですが、雨戸の鍵はかけておらず、サッシの鍵も回転止めのポッチを押していないという油断がありました。
 取られた物は2500円くらい入った財布だけでした。デジカメや普通のカメラはそのままで、車のキーも手を触れていませんでした。その日は近所の2軒も被害に会ったと聞きましたのでおそらく同一犯人が現金だけを狙ったのでしょう。その夜は私は外で一杯やって遅く帰り、風呂に入ったりして寝たのは2時頃でした。家内は眠れず3時頃まで起きていました。おそらく我が家が一番最後で、3時頃から4時頃までの間に入り、急いで物色して去ったのではないかと思います。
 じゅうたんの上には泥棒の足跡がついていて、15ヵ所くらいの引出しのついているところは全部引出しが途中まで開いていました。リビングの隣りには台所があり、流しの下には包丁をしまっているのですが、そこも開けられていました。包丁に触った気配はありませんでしたが、もしそのとき家人がリビングに降りていったりしていたらどうなったかは分かりません。私と家内と息子は2階に寝ていたのですが、玄関のホールをはさんだ反対側には義父が寝ていました。そちらに行った形跡はありませんでした。玄関の鍵がしまっていたのでおそらく侵入したところから逃げたのではないかと思います。大した被害がなく家人に危害が加えられなかったのは幸いでした。
 その日のうちにジョイフルホンダで3種類くらいの補助キーを購入し、サッシのガラス戸に取りつけました。台所の鍵は性能の良い新しいものに取り替え、補助キーが取りつけられないところは警報ベルを取りつけました。取られたお金よりも割られたガラスよりも高くつきました。安全はタダで買えないことを実感した次第です。それでもなかなか不安は解消されず、夜中の物音に驚いたり、一度災難にあった人が経験するトラウマがなかなか拭えません。
 ちょうどウィルスが猛威を振るっている時でしたので、その日のうちに手賀沼通信をお送りしている方に「ウィルスと泥棒」という警告のメールをお送りしたところ、37名の方からお見舞いのメールをいただきました。自分の家にも入られたとか、実家や同僚や友達がやられたという方が11名もいらっしゃいました。ウィルスのほうは8名の方が侵入されたとのことでした。家もパソコンも安全対策の必要性を痛感しています。

4.若い時の趣味を再度始める
 昨年の秋から民謡の尺八を習い始めました。10数年前から我孫子市の愛友会という民謡の会に入り、唄のほうを楽しんでいたのですが、唄うだけでなく伴奏もやってみたいという気持ちになり、米谷流の名取りでもある愛友会の大先輩に教わるようになりました。民謡の伴奏には三味線と尺八と太鼓が使われます。津軽三味線のブームもあって三味線をやる人が一番多いのですが尺八を選びました。というのも40数年前の学生時代、尺八のクラブに入っていて多少の心得があるためと楽器を持っていたためでした。
 民謡はカラオケと違ってその人が出せる最も高い音階で唄います。その音階は通常尺八に合わせます。尺八は短いほど高い音が出ます。女性で高い人は1尺3寸らい、男性の低い人は2尺3寸くらいです。また唄う唄によって多少高さが違ってきます。そのため尺八の伴奏をする人は8本から10本くらいの尺八をそろえる必要があります。尺八は1本十数万円から高いのになると数十万円します。
 私は一尺六寸と一尺八寸のものを持っていたので、ほかに5本を買足しました。ただ、高いのをそろえても続けていけるかどうか自信がなかったので、材料が竹でなく木でできた木管にしました。木管なら1本1万円前後です。まだ始めてから数か月ですが、少しづつ唄についていくことが出来るようになりました。ただ、若いときのようには上達しません。マイペースでやるしかないと思っています。
 もう一つの趣味は山登りです。最初に就職した保険会社でハイキング部に入りました。その会社には4年半くらいしかいなかったのですが、社業よりもハイキング部の活動のほうに熱心でした。ハイキング部は冬になるとスキー部に名前が変わるという軟弱なクラブでしたが、当時の保険会社は若い女性が多く、月に1、2回、若い女性の先頭に立って山やスキーに行ったものでした。ところが2度目の会社にはいると、仕事が忙しかったのと仲間がいなくなったため山やスキーは止めてしまいました。
 その後50代後半になって時々山に出かけましたが、また中断していました。昨年秋たまたま友人に誘われてひさしぶりに2千メートルを越える山に登りました。そこで昔の感触を思い出したので、また始めようと考えています。
 40年くらい前に山に行っていた時は、夜行列車の3等寝台(座席の下)で近くの駅まで行き、そこからバスで登山口に着いて、長いアプローチを歩きました。頂上に立つまでは結構時間がかかりました。今では車で高速道を飛ばして、登山口からさらに奥の車が入れるぎりぎりの所まで行って、そこから頂上に登るという効率の良い登山が普及してきています。また、登山のパックツアーもあり、ガイドがついてあまり経験がなくても一人でも参加しやすくなっています。昔は登山は若者のスポーツでしたが、いまは高齢者ばかりといった感じです。
 こちらのほうもマイペースで取り組むつもりです。
 なおウォーキングも続けていますが、昨年6月から全国の温泉を歩いて回ることを試みています。と言っても実際に歩いて廻るのではなく、ウォーキングをした万歩計の歩数をパソコンからインプットすると、それを毎日加算してくれて、結果的に全国の温泉を歩いて回ることになるというお遊びです。万歩計の愛用者には結構励みになります。もし興味のある方は次のホームページに行ってみてください。
 http://www.arukou.com/top.asp

5.パソコンと通信事情
 私のデスクトップパソコンは購入から2年4ヶ月ですが、最新のパソコンに比べると性能のみすぼらしさが目立つようになってきました。1999年11月にそれまで使っていたパソコンが急に壊れたため、当時デビューした10万円を切るパソコンを買って、モニターが小さいためそれまで使っていた17インチのモニターをつけて使っています。ウィンドウズは98のセカンドエディションですが、ワードやエクセルは97です。日経パソコンなどの記事を読んでいると、最新のソフトで解説されているためなんとなく取り残されたような感じになります。何より不便なのはCD−ROMのため書き込みができません。今だにバックアップはフロッピーにとっています。装置を買い足せばいいのでしょうが、そのうちパソコンを買いかえると無駄になると思いタイミングを逸しました。今年こそは新しいパソコンに買い換えようと思っています。
 インターネットの通信のほうは一昨年の6月にCATVを入れたとき、通信もISDNからCATVに変え、家内と息子のパソコンを無線LANでつなぎました。当時は無線LANを使っている人は少なく、回線速度もISDNの64Kビットから512Kビットと速くなったためなんとなく時代の最先端を行くと感じて得意になっていました。ところがそれから2年もたたないのに世の中の通信事情は大きく変わりました。今やADSLの時代となり、無線LANもパソコンに組みこまれるものが出て来ました。
 一昨年12月には加入がわずか1万世帯に満たなかったADSLはブロードバンドの主役となって、昨年の12月末には150万世帯を突破しました。昨年12月の1カ月だけで新規加入者は30万世帯を超えたそうです。スピードは最大8メガビット、1ヶ月の使用料金は2000円を割っています。CATVも対抗するため8メガになりましたが、料金を考えると苦戦しています。
 通信速度が速くなるに従いデジカメも急速に普及しています。ISDNのときはデジカメで撮った写真を送ると容量の大きい写真の場合は相手に迷惑がかかりましたが、ADSLなら心配要りません。
 これからはデジタル機器を使える人とそうでない人のデジタル・デバイドがますます大きくなってきます。高齢者も思い切ってパソコンに挑戦しましょう。

6.4年目の手賀沼通信
 4年目の手賀沼通信については2つの話題をご紹介しましょう。
 一つは昨年11月、元IBMの羽根田さんにご招待いただいて、埼玉県の越谷地区で活発な活動をされている「東彩会」で「情報発信のススメ」というテーマで講演をさせていただいたことです。
 今まで「定年後の生活」「年金」「資格取得」などについては、いくつかの集まりでお話をしたことはあるのですが、手賀沼通信については話をする機会がありませんでした。手賀沼通信を出すという情報発信を始めて、色々な新しい発見があったのでぜひ一度まとめてみようと考えていたところでした。思いがけなくそのチャンスをいただき、楽しくお話をすることが出来ました。その上嬉しかったことはまた新しく読者の方が増えたことです。4月にはまた東京都中推協で同じテーマでお話することになっています。書くことに比べると、どちらかというと口下手で講演は苦手ですが、新聞に書けないような裏話もお話もできますのでできる限りお引き受けしようと思っています。
 ニつ目は読者参加方の紙面をがれたことです。正直なところ、経験をベースにした記事を心がけているとだんだんネタ切れになってきます。病気の体験談に対して一番反響が大きいのですが、色々な病気を自ら求めて体験するわけにはいきません。そのため今までも何人かの方から体験談をいただきましたが、読者の目を引くような体験談は限られています。
 そこで皆さんのご意見で紙面が作れないかと考えました。第40号で「明るく楽しく老年期を過ごし惜しまれて死ぬための12章」、第43号で「日本と日本人をダメにした3悪」について皆様方のご意見をいただきました。おかげさまで活発なご意見をいただいて普段と違った特徴のある通信が編集できました。今後もテーマを選んで同じようにご意見をいただきたいと考えています。
 手賀沼通信は、メールでは213人の方にお送りしています。紙では100部コピーし、そのうち約50人の方に郵送しています。残りは手渡しでお配りしています。新しい会に出席するときは名刺代りに持参しています。名古屋でJLC社労士会の総会があったときは、テーマに「確定拠出年金」を選んで作成し持参しました。少なからず自己満足のところもありますが、単に名刺をお配りするだけよりはコミュニケーションが取れるように思います。
 なお、皆様方のご寄稿をお待ちしております。よろしくお願いいたします。

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