今月は「手賀沼通信50号記念号」です。
 1998年3月末にサラリーマンをやめたとき、気ままな生活が気ままに流されないための防波堤として、なにか定年後の生活のよりどころになるようなことはないかと思い、勝手に作って勝手に送り始めたのが手賀沼通信です。つまり暇つぶしとボケ防止のためでした。
 最初は1年続けばと思っていたのですがなんとか50号までたどりつけました。50号記念などというのは作っているほうの勝手な思い入れで、読者の方にはあまり関係のないことですが、50という数字が最初の目標でしたので、記念になる号にしたいと考えました。ところが気のきいた記事が思い浮かびません。
 いろいろ考えた末、NHKテレビなどでアンコールアワー番組があるのを思いだし、読者の方の少なかった最初の年に出した記事の中から反響の大きかったものを再度掲載することにいたしました。ちょっと苦し紛れとはしゃぎ過ぎかと思いますがお許しいただきたいと思います。
 1998年2月の第2号の「葬儀について」と同じ年の11月の第8号の「司馬遼太郎の歴史小説に学ぶ」がその記事です。
 「葬儀について」は1998年3月29日、同居していた家内の母がなくなったときの経験をまとめたものです。
 「司馬遼太郎の歴史小説に学ぶ」は司馬さんがなくなったときに別のところで発表したもので、アンコールのアンコールになって恐縮です。

葬儀について

1.準備できることはしておく
 人の死というものはいつやってくるか分かりません。しかし必ず訪れます。なんとなく死んだ後のことは考えたくない、病人にかわいそうだという気持ちになり勝ちですが、必ずやってくるということを考えると、準備できることはしておくことが大切です。
 たとえば、葬儀をどこへ依頼するか、また自分の家代々のお寺が遠い場合はどこのお寺に頼むかといったことから、遺影の写真はどれを使うかなどといった細かいことまでできる準備は前もって決めておく、そろえておくと、いざという時に慌てなくてすみます。
 特に一家の大黒柱が亡くなった時に大切なことは、さしあたって必要なお金を下ろしておくことです。銀行が死亡を知った後は、死亡した人の預金は簡単に下ろせなくなります。これは銀行が遺産相続の揉め事に関わることを避けるためで、事情を話せば多少の金額は下ろせる銀行もありますが、なかなかうんと言わない厳しい銀行もあります。
 用意のよい人は自分の戒名を生前に決めておく人もいるようです。そこまでする必要はないかもしれませんが、お墓のない人は、出来ればお墓をどうするかくらいは生前に話し合っておくほうが後に残された遺族の負担が減ります。
 私どもの場合は、家内の父が健在ですので父の意向を確かめながら、ある程度の準備を進めることが出来ました。葬儀は家内が加入していた互助会に依頼し、お寺については霊園を管理しているところにお願いしました。それでもお墓はやっとのことで納骨式に間に合うかどうかのタイミングとなりました。

2.出費はできるだけ押さえ目に
 「葬儀の費用はどれくらいかかるか」、葬儀を行う時に一番頭を悩ますのが費用の問題です。葬儀はそうしょっちゅうあるものではありませんし、やってみないと分からない要素もあります。したがって費用は出来るだけ押さえ気味にした方がいいと思います。予想していない出費がでてきます。
 葬儀社の人を呼ぶと、まず最初にいくらの祭壇になさいますかと聞かれます。葬儀社はやはりより高い豪華なものを薦めます。喪主は動揺していますのでどちらかというと葬儀社の言いなりになり勝ちです。そこを誰かが冷静に判断する必要があります。
 葬儀社はいろいろの点から自宅でなくホールで行うよう薦めます。今回は入院中義母が家に帰りたがっていたので、自宅でお通夜と告別式を行いました。祭壇は自宅で行う時は家の広さにあわせて小さ目の方がうまく収まります。あとで花輪やお供え物が送られてくることが多いのでそのスペースも必要です。
 次に聞かれるのが何人くらい会葬者があるかということです。会葬者がどれくらい来ていただけるのかはなかなか予想がつきません。今回も歳が歳だし、兄弟も皆なくなってしまっているし、娘だけで男の子供はいないし、あまりお付き合いしている人もいないから、会葬者はごく少ないと予想していたのですが、自宅で葬儀を行ったせいか、親戚のほかに近所の方や家内やその姉の友人など思ったよりも多い会葬者がありました。特に現役の男性が死亡した時などは、会社関係や子供の学校関係など予想外の人数になることが多いようです。
 もちろんただ安いからよいというものでもありません。心のこもった葬儀にすることが一番です。大切なことは、葬儀をささやかなものにするか、ある程度規模の大きいものにするかをはっきり決めそれに応じた注文を出し、状況判断を冷静に行うことだと思います。
項目合計値引き支払額
葬儀社831,500268,500591,150
(祭壇)700,000210,000 
[祭壇・黄金宮型霊柩車・納骨具・寝台車・お棺・内張り・棺用布団・特上仏衣・ローソク線香・仏菓子・位牌・ドライアイス・後ろ飾り段一式・清め塩・会葬礼状100・テーブル・椅子・室内飾り幕2・飾り付け・片付け・写真前生花・受付用具一式・記帳品一式・文具セット・受付所一式・焼香所一式・お清め所一式・式立ち会い進行がセットで含まれる]
(東葛火葬料金)1,5001,500 
(カラー写真)25,00017,000 
(運搬用布団一式)10,0000 
(枕飾りセット)10,0000 
(マイクロバス)35,0000 
(大看板)10,0000 
(サービス料)30,00030,000 
(諸届手続き)10,00010,000 
    
会葬お礼178,080 186,984
(お茶3000円×53、お酒360円×53) 
    
住職375,000 375,000
(お通夜・告別式・初七日・戒名料)
350,000  
(お車代)20,000  
(精進落し)5,000  
料理165,900 165,900
(お通夜−精進揚げ5000円×1、煮物5000円×3、お寿司10000円×5)
(告別式−幕の内4000円×22)
    
飲み物・食べ物その他27,267 27,267
    
お供え菓子・果物4,540 4,540
    
心づけ41,000 41,000
(遺体搬送運転手)3,000   
(霊柩車運転手)3,000   
(マイクロバス運転手)3,000   
(火葬場係員×2)6,000   
(セレモニー係員×2)6,000   
(お手伝い×2)20,000  
    
合計(単位:円)  1,391,841
 今回かかった費用を参考までにまとめてみると右のようになります。これは一般の葬儀からするとおそらくささやかな葬儀だと思います。消費税の関係で必ずしも(合計 - 値引き = 支払額)にはなりません。なお、値引きは互助会に入っていたため適用されました。
 これ以外に、しばらく間を置いて四十九日の法要と納骨、香典のお返し、お墓、仏壇などの費用がかかります。お墓、仏壇については、すでにお持ちの方はわずかですみます。

3.お寺への支払いは住職さんに聞く
 お寺への支払いは、地方によって、お寺の格式によって、戒名に何をつけるかによって、導師の人数によってなどさまざまな事情で異なってきます。いろいろ気を回して考えても分からないことが多いので、前もって直接お寺に聞くのが一番よいと思います。もしお寺に聞きづらかったり、聞いてもはっきり答えてくれない時は葬儀社の人に聞くのがいいのではないでしょうか。
 今回は直接住職さんにうかがったところ、明解な答えが返ってきました。お金の包み方も、答えてくれました。私の田舎の四国では、お通夜、告別式、初七日、戒名料、お車代、お膳料などをそれぞれ分けて細かく包む習わしでしたが、今回は一括でいいとのことでしたので、お車代とお膳料だけ分けて包みました。
 またこのお寺は本来は日蓮宗ですが、お寺が管理している我孫子霊園にはいろいろな宗派の人がお墓を持っているため、住職さんは日蓮宗にこだわらず葬儀を進めてくれます。今回も曹洞宗でお弔いをお願いしました。最近はお寺にお墓を持つよりも、○○霊園にお墓を作る人が増えているのでこのようになっているのでしょう。

 この後、死亡後の諸手続きがあります。「夫の大往生、妻の立ち往生」といわれるくらい、一家の主人を亡くした時は後処理が大変です。これについてはまた機会をあらためて書いてみたいと思います。


司馬遼太郎の歴史小説に学ぶ

 司馬遼太郎氏は平成8年2月12日になくなりました。当時私はアコム株式会社の教育部の顧問をしており、教育部から全社員に出している教育機関紙「すてっぷ」に下記のような一文を乗せました。
 そのページは自己啓発について社員に呼びかけるコラムだったのですが、今読み返してみると、氏の突然の訃報をいたむ追悼文にもなっています。教育部発のためややお説教臭くなっていますが、、ご紹介したいと思います。

 去る2月12日、作家の司馬遼太郎氏が亡くなりました。10日に自宅で倒れた後突然の訃報でした。
 2月29日の週間文春には、次のような書き出しで追悼の特集が組まれていました。「日本とは、日本人とは何か―この国に熱き思いを馳せ続けた、戦後最大の国民作家が亡くなった。享年七十二。膨大な資料をもとに縦横無尽に語られる著作の数々は、歴史小説という枠を越えて、人間の生きる姿を生き生きと描き出し、多くの読書人に愛された。観念主義にとらわれない氏の文章は戦後日本人への激励であり、また日本への警鐘でもあった。後世への大きな贈り物を残して、惜しまれながら巨匠は逝った。」 本当に残念としか言いようがありません。

 私が司馬遼太郎の作品を読んだのは、30年近く前「竜馬がゆく」が初めてでした。面白くて一気に読みましたが、読み終わったときの感激は今でも覚えています。竜馬については、同じ四国の出身なので以前から親しみは感じていましたが、たんに幕末の志士というくらいの理解しかしていませんでした。ところが読み終わった後、日本にこんなに新しい考え方をする若者がいたのだという思いと、司馬遼太郎という作家はこの後どんな物語を書いてくれるのだろうかという期待でいっぱいになりました。
 それから、司馬遼太郎の長編小説が発表される度に全て読みました。そこには平安時代の空海に始まって、明治時代の日露戦争にいたるまでの、歴史上の事件と人物が縦横に描かれています。とくに戦国時代と幕末については、氏の小説を読めばほかのものを読まなくても歴史がわかるといっても過言ではありません。そして、しっかりした論証の上に立った深い歴史観に引き込まれてゆきます。また小説の主人公に対しては、常にあたたかい目で見守っているのが感じられます。

 文芸春秋臨時増刊「司馬遼太郎の世界」によると、ベスト3は次の通りです。

順位    作品名     主人公
経営者が好きな作品
坂の上の雲 秋山好古・真之(日露戦争が主人公)
竜馬がゆく 坂本竜馬
翔ぶが如く 西郷隆盛・大久保利通
一般社員が好きな作品
竜馬がゆく
坂の上の雲
国盗り物語斉藤道三・織田信長
 これらの作品が選ばれたのは、いずれもその時代の壮大なドラマがあり、主人公たちの夢とロマンが読者に広く支持されたためです。

 ところで私たちは、司馬遼太郎の歴史小説から多くのことを学ぶことができます。
 まず第一は、私たちが人生や仕事の上で、困難や苦しみに直面したときにそれに打ち勝つ力を与えてくれることです。それは司馬氏自ら「私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。歴史の中にもいる。そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。」と書いているように、ほとんどの小説の主人公は前向きに人生の目標を達成しようと努力をしています。
 第二は、楽しみながら歴史に強くなれることです。面白さという点でも一級のエンターテインメントであり、代表的な長編小説の主人公には次の英雄たちが生き生きと登場してきます。
  平安時代空海、最澄、義経
  室町時代日野富子
  戦国時代斉藤道三、北条早雲、織田信長、豊臣秀吉、黒田如水、雑賀孫市、徳川家康、石田三成、長曾我部元親と盛親、淀君、豊臣秀頼
  江戸時代千葉周作、高田屋嘉兵衛
  幕末吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、大久保利通、山内容堂、坂本竜馬、河井継之助、大村益次郎、近藤勇、土方歳三、松本良順、松平容保、徳川慶喜、江藤新平
  明治時代秋山好古、秋山真之、正岡子規、乃木希典
  中国項羽(楚)、劉邦(漢)、ヌルハチとホンタイジ(清)
 これらの主人公の周りには、さらに多くの登場人物が彩りを添えます。小説のため、もちろんフィクションの部分もありますが、歴史の大きな流れは史実に基づいており、驚くべき博学と膨大な資料に裏打ちされて私たちの前に見事に展開されます。
 第三は過去の歴史と今の時代を見直し、先の時代を読むことの必要性を痛感させられることです。氏の歴史を見る目は「司馬史観」といわれているように、従来の観念的な見方を打ち破り、1つ1つの事実から歴史をとらえています。そこには、私たちを納得させるいわば新しい文明論があります。そして氏の歴史観から現代に通ずるものの見方が得られます。「韃靼疾風録」以後、氏は小説を書くことをやめ、「街道をゆく」や「この国のかたち」で鋭い文明批評や日本社会のあるべき姿を描き続けました。これも私たちに対する大きな遺産といえるでしょう。

 まだ司馬遼太郎の歴史小説を読んでいない方は、まず「竜馬がゆく」を読んでみてください。必ず竜馬が好きになります。また女性だから幕末の志士は敬遠するなどと言わないでください。昨年(平成7年)11月竜馬を偲ぶ竜馬祭が檮原(ゆすはら)という高知県の山奥で行われましたが、そこには全国から若い女性が大勢集まりました。竜馬ファンは老若男女を問わないようです。
 それからは自分の好きな主人公の小説を読んでみましょう。小説は読まないという主義の方も、マンガしか読まないという方も、だまされたと思ってトライしてみませんか。

本を作る

 50号を記念して本を作ってみました。最近本格的な本を自費出版する人が増えています。出版社や大型書店でも自費出版に応じてくれるところがあり、比較的簡単に本が出せるようです。
 私の本はそんな立派なものではなく全て手作りです。幸いなことに身近にお手本がありました。もと日本アイ・ビー・エムの同僚、大野耕一さんは奥様とヨーロッパに出かけてはその旅行記を手作りの本にし、親しい方に配布されています。大野さんは、音楽とか美術とか文学とかテーマを決めて旅行し、克明なメモと写真やスケッチをもとに簡潔で力強い文章で仕上げます。それに装丁が凝っており、出版社で作る本に引けを取らない出来映えになっています。今までに3冊出していますが、現在4冊目を作成中とのことです。
 私の場合、決めていたことは今まで手賀沼通信に書いた記事をテーマを選んでまとめてみようということでした。ところがまず最初に何をテーマにするかについて迷いました。「高齢者の豊かな生活のために」を標榜している以上、福祉や健康について書いたものをと考えたのですが、せっかくなら自分が楽しめるものにしたいという気持ちに変わりました。そして今まで書いた7回の海外旅行の記事にすることにしました。本のタイトルは「手賀沼通信第50号発行記念・海外旅行紀行文集『未知との遭遇』」としました。家内からは「人の旅行記など誰が読んでくれますか」と言われました。そうかもしれません。
 大野さんの本を真似てA5縦書きにすることにしました。制作は今まで書いた記事をパソコンで編集しなおし、数字などを縦書きの様式に変更するだけですみました。表紙はちょっと厚手のフォトペーパーにパソコンで1枚づつカラー印刷、本文はコピー、カラーのページのみパソコンで印刷、製本のために大型のホッチキスと製本テープをアスクルで購入しました。
 製本にはコピーしたA4の用紙を半分に折る仕事が一番時間がかかります。大野さんは最新号は120部も作ったそうです。多分6000枚以上の紙を折らねばならなかったのではないでしょうか。私の場合は手賀沼通信で発表済みの記事ですので25部だけ作ってみました。それでも約1000枚の紙を折る必要がありました。自作の本づくりは初めてでしたが結構楽しい経験でした。

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