あけましておめでとうございます

 今年も手賀沼通信をよろしくお願いいたします。
 今年こそ経済再生を果たして欲しいものですね。
 今年の最初のテーマは昨年秋に日本シニアオープンで体験した「ゴルフボランティア」です。
 また、「ガン」についても取り上げます。「ガン」は昨年も取り上げました。今回で3回目です。ご参考になればと思っています。

ゴルフボランティア体験記

1.日本シニアオープンとは
 2002年10月30日から11月3日までの4日間、第12回日本シニアオープンゴルフ選手権競技会が、地元我孫子市の我孫子ゴルフクラブで開催されました。優勝は8月に50歳になったばかりの福沢孝秋でした。福沢は9アンダー、地元出身で60歳の青木功は8アンダーで2位でした。3位には同じく我孫子出身の海老原清治が5アンダーで入りました。若さが地元の利に勝った結果になりました。福沢はレギュラー、シニアを通して初めてのツアー優勝とのことです。日本シニアオープンゴルフ選手権は日本オープンや日本女子オープンなどと共に日本ゴルフ協会(JGA)が主催する公式大会です。JGAのホームページには参加資格は次のようになっていました。
 次のいずれかに該当する男子ゴルファー(但し、本競技1日目〔10/31木〕までに満50歳以上に達する者)に参加資格を付与する。
(1) 2001日本シニア 上位5位
(2) 2001日本シニアオープン ローアマチュア
(3) 日本シニアオープン過去10年間の優勝者
(4) 2001日本シニアオープン上位15位
(5) 2001PGAシニアツアー賞金ランキング上位30位
(6) 2002年8月25日までのPGAシニアツアー賞金ランキング上位20位
(7) 最近5年間の日本プロシニア優勝者
(8) 前年度本競技の次週から当年度本競技前週までのPGAシニアツアー競技優勝者
(9) 日本シニアオープン予選競技通過者
(10) JGA特別承認者
 注:資格(1)、(2)で出場する選手はアマチュアである場合のみ参加できる。
 ゴルフの世界では50歳以上がシニアです。ご存知の通り青木功は米国シニアツアーで大活躍しています。ただ年齢制限のないレギュラーの大会と比べるとマイナーという感じは拭えません。日本オープンが賞金総額1億2千万円、優勝賞金2千4百万円に対して、日本シニアオープンは賞金総額5千万円、優勝賞金1千万円となっています。尾崎将司が50歳を超えていながらシニアオープンに出ないのは、まだレギュラーで活躍出来るというプライドがあるからなのでしょう。同じ日程で兵庫県のABCゴルフ倶楽部で開催されたフィリップモリスチャンピオンシップは賞金総額2億円、優勝賞金4千万円でした。

2.青木功と我孫子ゴルフ倶楽部
 この大会を盛り上げたのは青木功プロです。青木功のオフィシャルホームページにプロフィールが出ていますが、青木は1942年8月生まれの60歳、我孫子市に生まれ我孫子中学卒業です。14歳からゴルフを始めています。師匠は林由郎プロ、我孫子ゴルフ場がホームグラウンドでした。キャディをやっていたと聞いています。1970年以降の優勝記録を追ってみると、国内25回、海外9回となっています。
 今回、日本オープンが我孫子ゴルフ場で行われるためアメリカから帰ってきました。青木の人気は大変なものでした。まるで青木一人のための大会のようでした。ギャラリーの9割くらいは青木の組について廻っていた感じでした。決勝トーナメントは最終組でしたが、予選は途中の組でそのあとを打つ選手は気の毒でした。誰も見ていないところで試合をしていました。
 我孫子ゴルフ倶楽部は名門と言われています。私は15年前にバイクを運転中転んで、鎖骨を粉砕骨折、30日間入院しました。そのあともあまり調子が良くなかったのでゴルフとテニスはきっぱりやめてしまいました。へたくそゴルファーだったので未練はなかったのですが、ゴルフについての情報には全く疎くなっていました。我孫子ゴルフ場にも足を運んだことはありません。そこでインターネットの「PLUS−WEBのGOLF HOTLINE」で得た我孫子ゴルフ倶楽部の情報と、一緒にボランティアをした我孫子ゴルフ倶楽部の常連から聞いた話をご紹介しましょう。
 我孫子ゴルフ倶楽部は今から72年前の1930年の開場です。手賀沼のそばの小高い丘の上にあります。今では住宅地に取り囲まれていますが、おそらくその頃は我孫子も人は少なく廻りは原野だったのではないでしょうか。交通の便がよく電車なら上野から35分、クラブバスで10分です。車なら常磐自動車道の柏インターから約30分です。
 GOLF HOTの情報では我孫子ゴルフ倶楽部の会員権の相場は約1千3百万円、千葉県の102のゴルフ場の中では3番目に高い値段です。正会員は約800名。会員になるためには10年以上在席の正会員2名の紹介などいろいろ条件があるようです。プレーの値段は諸経費やキャデーフィー込みで、会員は8千円、ビジターは平日2万7千円、土日は3万2千円です。最近の料金の相場は知りませんが、かなり高いのではないでしょうか。食事代や都心からの交通費を含めると平日でも3万円を超えるでしょう。1泊どまりのバスツアーなら夫婦で行ける料金です。手賀沼通信の発行は1回6千円くらい、多くの方から切手代や通信費をお送りいただいているのを考慮すると、1回のゴルフ料金で1年間の手賀沼通信が発行できます。
 コースは林間コースです。距離はあまりありませんがグリーンが小さく難しいとのことでした。バンカーも多いようです。会員の話ではこの大会に備えてグリーンを難しくするために、芝を短く刈って、ローラーだけでなくアイロンをかけたといっていました。グリーンにアイロンは初耳なのでどんなものか分かりません。そのためグリーンが極端に速くなり、選手のインタビューでもピンを狙うのではなく寄せる感じで打たないとすぐオーバーすると言っていました。

3.ボランティアにも競争があった
 ボランティアの募集があるのを知ったのは5月1日付けの「広報あびこ」でした。開催から約半年前でした。サッカーのワールドカップが開催されたとき、昔の職場の同僚が横浜市でサッカーのボランティアとして参加しました。その話を聞いて、そんなスポーツのボランティアがあれば参加してみたいと思っていました。そこで早速公民館で募集の申込書をもらいました。
 ボランティアとしての条件は同じ仕事に4日間で延べ2日間以上参加出来る方ということだけです。例年11月3日は我孫子市の文化祭で民謡大会の出演が決まっているので、3日を除く3日間に応募しました。
 当初の募集人員は次の通りでした。
 ・スコアラー 延べ140名(主として女性)
  競技中選手に同行し、スコアを記録し、大会本部に通報する。
 ・キャリングボード 延べ140名(男性)
  競技中選手に同行、選手のスコアをプラカードタイプのボードに掲示し、スコアをギャラリーに知らせる。
 ・マーシャル 延べ440名(男女)
  グリーン、ティーグラウンドの周辺、コース内のクロスウェイ等でギャラリーの整理を行う。
 ・練習場 延べ20名(男女)
  練習場でギャラリーを整理したりボールを集める。
 合計すると、延べ740名です。
 応募したのは5月でしたが10月になっても返事が来ません。3連休で行楽のお誘いが次々に入って来ます。最初はボランティアの仕事があるからと断わっていたのですが、返事が来ないので心配になりシニアオープン準備委員長に電話しました。すると、応募が千数百人あり、しかも日にちがそれぞれ違うので調整に時間がかかり、返事は10月半ば過ぎになるとのことでした。私の推測ですが、我孫子ゴルフ倶楽部としては初めての大きな大会なので慣れないため、ボランティアのアサインに手間取っていたのではないかと思います。応募は用紙に記入し、郵送かFAXか持参する方法でしたが、通常は応募を受けた段階で何らかの方法で「申し込みは確かに受け付けました。いつごろ返事をいたします。」と知らせるのが常識です。
 10月半ばをすぎてアサインされた仕事は速報板の係りでした。当初の募集にない仕事です。ボランティアの仕事の種類が増え、ボランティアの世話をするボランティアや本部のサポートをするボランティアに割り当てられた人もいました。
 本部のボランティアに聞いた話ですが、結局延べ千数百人の応募者の中から、5日間(予備日を含む)で延べ1千人、1日2百人にボランティアを依頼したとのことでした。
 ボランティアにも競争があったのです。

4.楽しかった初めてのゴルフボランティア
 1日目と2日目は予選ラウンドのため6時集合です。夜がしらじら開け始めた手賀沼遊歩道を自転車を飛ばしました。我孫子ゴルフクラブまでは20分足らずですが、寒波が襲来したため寒さがこたえます。ボランティアはクラブハウスには立ち入り禁止、クラブハウスの裏手の大きなテントに集合し、おそろいの帽子とウィンドブレーカーと腕章を受け取りました。朝早いので軽食とお茶が用意されていました。
 それぞれの仕事ごとに担当者から説明がありました。速報板係は会場の中の6ヵ所に設置された速報板に選手の名前やスコアを掲示する仕事です。スコアラーやキャリングボード係は、担当する選手について一緒に廻り、担当する組が終わると開放されますが、ハーフが終わるまでは途中トイレに行くというわけにはいきません。それにくらべて速報板係りは同じ場所で分担を決めて仕事をします。トイレや食事は交代できますが、最終組が終わるまで仕事は続きます。
 1日目の仕事はギャラリーのゴルフ場入口のゲートのところで、次にスタートする選手の名前のボードを掲示するという仕事でした。そこは1番ホールのティーショットが飛んでくるあたりで、2打目を打つ選手の姿を見ることが出来ました。初日と2日目の予選ラウンドは3人1組で10組が1グループとなり、4グループの120名の参加です。アイウエオ順に並んでいる選手のボードを箱から取り出して、プレー順に並べる仕事がちょっと大変でしたが、そのあとはボードを入れ替えるだけなので比較的楽な仕事でした。最終組が1番を打ち終わると、今度は上位5人の名前とそのスコアを入れる仕事に変わります。ゲートから帰る人がその日の上位者が誰かということを確認できるようにとの配慮から主催者が考えたのですが、ほとんど見る人はいませんでした。ギャラリースタンドのところに詳しいスコアがあったからです。日中は暖かくなるという天気予報につられて薄着で行ったため、日が陰ってくると寒さがこたえます。最終組が終わる4時半頃にはすっかり暗くなりました。最後の2時間くらいは震えながらじっと待つだけでした。
 2日目は天気予報通り雨でした。9時頃から降り出した雨は1日続きました。激しい降りではありませんが、間断なく降り続きます。前日の寒さに懲りたため、真冬用の厚ぼったいズボン下をはき、上は厚手のセーターの上にベストを重ね、支給されたウィンドブレーカーの上に雨合羽を着ました。靴もスニーカーをやめ皮のウォーキングシューズにしました。
 2日目も1日目と同じ場所です。1日目と違うところは、1番からスタートする20組60人については初日のスコアを入れて掲示するという仕事が追加になりました。どのボランティアの仕事も傘をさすわけにはいきません。カッパを来ているものの、かがんだり伸び上がったりしているうち濡れてきます。ウールの登山用の靴下が水を含んで冷えてきます。ギャラリーも初日に比べると半分以下です。それでも入ってくるギャラリーは、「いま青木さんはどの辺を廻っていますか」と青木プロ目当ての人がほとんどでした。
 後半の組が打ち始める頃になると雨に加えて霧がたちこめてきて、1番のティーグラウンドも1番グリーンも見えなくなってしまいました。私たちの目の前に突然ボールが飛んできます。距離は出なくなりましたが、視界がはっきりしていたときと変わらず結構フェアウェーをとらえています。さすがプロだなと感心しました。ただやはりスコアは落ちているようでした。
 40組が1番を打ち終わるとあとは帰る人のために上位5人の名前とスコアを掲示する仕事が残っていましたが、青木がはやばやと上がったため、早めに帰る人が多く、ギャラリーもマバラになってしまいました。本部と交渉して上位5人の掲示は中止にし帰宅させてもらいました。翌日分かったことですが、アウト、インとも4組がホールアウトできず、3日目の決勝ラウンドの前に残りのホールを廻ることになりました。
 3日目は快晴です。天気予報では冬型で風が強いということでしたが、風もあまりなく絶好のゴルフ日和となりました。3日目の担当場所は、18番グリーンの前にある一番大きな速報板です。遠くからでも見えるようかなり高く作られています。その待機場所は18番だけでなく9番グリーンや1番のティーグラウンドも見わたせる最高の場所でした。2階半くらいの高さの細長い場所にはしごと足場を使ってよじ登り待機します。その場所にアサインされた人数は12人でした。12人はとても登れず、4人で十分なので3交代で勤めることにしました。4人ひと組で、1人がヘッドホンで本部から送られてくるスコアを聞き取り、1人がシートに書きこみ、1人がスコアボードを探し、1人がボードを速報板の所定の位置に掲示します。速報板に出すのは上位10人ですが、トップから4人くらいのスコアを掲示するときは馬型脚立の上に立ってスコアボードを入れます。芝生のグラウンドからはかなりの高さになります。高所恐怖症の私にとってはかなりスリリングな仕事でした。
 30分仕事をして1時間休むという仕事を4回続けましたが、休みの間はプレーを見ることが出来ます。9番ホールでは青木のバンカーからのチップインショットを見ることが出来ましたし、3回目の休みの間は大勢のギャラリーに混じって青木を3ホールほど追っかけました。我孫子ゴルフクラブの会員と一緒だったためコースについての解説つきでした。
 4日目が都合で参加できなかったのは残念でしたが充実した3日間でした。

第4の対ガン戦略 ハイパーサーミア(ガンの温熱療法)

 手賀沼通信第54号と55号にガンの免疫療法の記事を載せたところ、松山南高校時代の同級生の近藤元治さんからご自分の著書「第4の対ガン戦略 ハイパーサーミア(ガンの温熱療法)」が届きました。
 近藤さんは同級生きっての秀才です。京都府立医科大学を卒業後、ハーバード大学へ留学し、京都府立医科大学第一内科教授や京都府立医科大学付属病院院長を歴任し定年を迎えました。定年後は同大学名誉教授や各種学会の理事を勤めながら、医療法人恒昭会藍野病院院長として患者を救うためバリバリの現役で頑張っています。また、病気や医療について10冊以上の分かり易い著書があります。私達は将来第二の日野原重明さんになるのではないかと熱い期待を寄せています。
 著書の文章(『』でくくった部分)を引用しながら、ガンの温熱療法についてお知らせしましょう。
 ハイパーサーミア(ガンの温熱療法)はガンが熱に弱いことから考え出された治療法です。
『今から1世紀以上も前のことです。ガンの患者が丹毒、天然痘、マラリア、結核などの感染症で<高熱>を出したときに、そのガンが「自然に小さくなる」ということが経験的に知られていました。
 そして1900年頃には、アメリカ人の医師コーリーが数種類の細菌毒素のカクテルを注射して発熱させ、手術のできない手遅れのガン患者に延命を見たと報告しています。
 そうしたことを参考に、近代医学では特別の機器を使って、ガン組織を選択的に温めるという試みが生まれてきたのです。』
 ガン治療の3本柱はご存知の通り外科手術と化学療法と放射線療法です。外科手術はメスや内視鏡を使ってガンを根こそぎ切り取ってしまう方法です。化学療法は抗ガン剤を使いガン細胞を殺したり育ちにくくさせたりする方法です。放射線療法はエックス線、ガンマ線、電子線、粒子線などを照射してガンを破壊する方法です。
 これに加えて、以前ご紹介した免疫療法があります。近藤さんの本によれば、それ以外にも、ガン細胞の栄養補給源を断つ塞栓療法、マイクロ波でガンを焼くマイクロ波焼灼療法などがあるそうです。ハイパーサーミア(ガンの温熱療法)はこれらの療法と同様、第4の対ガン療法と言えるのだと思います。
 近藤さんの勤務する藍野病院ではハイパーサーミアはCTに似たサーモトロンRF8という加温機器で電磁波を使って患部を温めます。患部の温度は42〜43度に上昇し、ガンをやっつける好中球、マクロファージ、NK細胞、キラーT細胞といった免疫細胞がガン細胞に向っていくとのことです。
 著書に添えられた近藤さんのお手紙には次のように書かれていました。
 『ガンの局所の温度を上げて治療する「ハイパーサーミア」は、ガン治療の中で注目されつつある分野ですが、まだ日本では加温機器が100台に満たないためこの恩恵に浴する患者の数は限られています。
 また臨床にたずさわる医師の多くが、ハイパーサーミアの経験がないため、これが患者のQOLを高め、うまく行けばガンの縮小や患者の延命に連なるという事実をご存じないようです。そのため患者さんから「ハイパーサーミアはどうですか」との質問に、的確なアドバイスができないのが現状です。
 一方患者さんやご家族は、口コミやインターネットでハイパーサーミアのことを知り、期待を込めて受診される方が増えています。他の代替医療で高額の支払を求められるのと異なり、なによりも「健康保険」で治療を受けられるのがメリットです。
 もちろんこうして訪れる患者さんのガンは、化学療法などが効かなくなった<したたかな>相手です。「ハイパーサーミアでガンが消えるのではないか」という過大な期待を持つのは間違いです。
 本書をお読みいただければ、ハイパーサーミアが副作用のない、それでいてさまざまなメリットのある治療法であることがお分かりいただけるはずです。』
 この療法を知りたい方は次の本をご覧ください。
・「第4の対ガン戦略 ハイパーサーミア(ガンの温熱療法)」 近藤元治著 いわはし書店真田堂
 (TEL:075−211−1016) 1000円

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