今月は「健康」についての話題を取り上げます。 特別寄稿 森 正男 1.最初の手術は平成4年 2.平成14年12月23日入院 3.注意事項は以下の通りです 余談、痔の話 痔を患ったついでにHPで痔について調べてみました。日本人の3人に1人は痔を持っているそうで、痔は私達にとって身近な病気のひとつだそうです。 痔の語源 やまだれに寺というと「お寺」に関係あるように思はれますが、お寺とは関係ないそうです。 中国に仏教が伝来する以前から痔は使われていたとのことです。角川「大字源」に「寺」と言う文字は、つかさ、役所で西域から来た僧侶に役所を住居として与えたところから「てら」の意に用いるとあります。「痔」と言う文字は「そば立つ、じっととどまる、峠」の意から由来し、仏教の寺院などとは無関係である。この文字は仏教伝来以前の春秋戦国時代にも存在していたと言う。そしてはじめは「痔」とは各種の突き出した病変を包含していたが、宋時代頃から肛門のものにかぎられるようになった。 痔に悩んだ人々 ナポレオン ワーテルローの戦いの前夜、1815年6月17日ナポレオンは激しい痔痛に見舞われ、馬に乗れず、馬車で移動せざるを得なかった。幕舎の中で激痛に耐えられず、地べたに転がり廻った。この最後の戦いで勝利を得られなかったのは痔の痛みが原因で、戦略を誤ったものと言われている。 加藤清正 この人のトイレの長いのは有名で、痔がひどく1時間も入っていたそうです。清正が熊本在城のある夜、トイレに行くのに小姓二三人がつきそった。清正は不浄を嫌って一尺もある下駄を履いていたが、中でトントン踏みならし、小姓が近づいて用件を問うと、「今急に思い出した。庄林隼人を呼べ」と命じた。庄林隼人は急用だと言うので乱髪のまま登城すると、清正はまだトイレの中にいたそうです。 松尾芭蕉 芭蕉の死は元禄7年51歳で、死因は毒茸を食べたのが原因とされていますが、辞世の句に「病中吟、旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」を詠んでいますが、芭蕉は自信の持病を「疝気」と「痔」と記しています。毒茸の他に痔等の病に悩んでいたようです。 中村勘三郎 昭和19年1月勘三郎にも水戸49連隊への召集令状が届く、1月31日入営したが、入隊したその日に持病の痔のお陰で即日帰郷を言い渡される。「検査にはねられた気持ちはどうだ」と聞かれ、「名残り惜しいであります」と答えると、「ウソをつけ」と怒鳴られた。 桂 米朝 高座で熱演中、大いにわいているところへ、突然激痛がはしる。以前から脱肛の痔持ちで悩んでいたが、まさか高座でこうなるとは思わなかった。その日はぐっとこらえて、翌日からは一席喋って下りてくると、楽屋の風呂に飛び込んで脱肛を押し込み、しびれ薬をガーゼにつけてガムテープで固定して再び舞台へ、こうしてお客に気付かれることなく、全席を終えることができた。 ちょっぴり老いを感じる 石原慎太郎氏の「老いてこそ人生」がベストセラーになりました。私も常々60歳代は人生の黄金時代と唱えて、気持ちだけは若者に負けないと自負しているのですが、65歳になった昨年から、いくつか健康上の問題で正直なところ老いを感じさせられています。 恥を忍んでご参考までにそのいくつかを書いてみましょう。 一つは耳の変調です。昨年11月、北海道からの帰りの飛行機の中で突然10分間くらい全く耳が聞こえなくなってしまいました。気圧の変化に耳の調節機能がついていけなくなったのです。今まで何十回飛行機に乗ってもそんな経験はなく今回がはじめての経験でした。音のない生活がどんなものかということがしばらくの間ですが理解できました。つばを飲みこんだり、あくびの真似事をしてみたりしましたがなかなか元に戻りません。着陸後しばらくして左耳は治りましたが、右耳は耳鼻咽喉科に2度通い鼻から空気を入れるなどの治療をしましたが、なかなか良くなりませんでした。元に戻るまで2ヶ月くらいかかりました。 今年の2月にまた飛行機を利用する機会がありましたが、そのときは大丈夫でしたので、一過性の症状だったようです。 2つ目はパソコン使用中に突然睡魔が襲ってきて椅子からころげ落ち、右側頭部を机の角でしたたか打ったことです。電車のつり革につかまっているとき、一瞬居眠りして足ががくんとなる経験は何度かありましたが、椅子から落ちたのははじめてです。居眠り運転で事故を起こすのはこんなときかもしれません。多分お酒を飲んでパソコンを使っていたのが原因でしょう。 2、3日痛みが続きましたがその後痛みがなくなったのでそのままにしておきました。ところが3か月くらいたった頃、時々側頭部が痛みます。森山法相が自宅で転んで3週間ほど入院したとか、生涯大学の健康の講座で硬膜下出血の話などを聞いて気になり、近くの病院で頭のMRIをとりました。結果は特に問題は発見されなかったのですが、いまも時々痛みを感じることがあります。 3つ目は足の痺れです。昨年の4月頃に両方の足の向うずねに痺れを感じました。それがなかなか引かないのです。だんだんひどくなり夜寝ているときに痛みます。その部分が青白くなっています。まず糖尿病の気があるため合併症を心配しました。また閉塞性動脈硬化症の恐れもあります。下肢を切断した村田英雄やサンダー杉山の姿が頭をよぎりました。定期的に糖尿の検査をしているホームドクターに相談したところ、検査の結果ではその心配は当たらないとのことでした。 ところが痺れはよくなりません。2年前に前立腺の手術をした病院で前立腺ガンの検査をしたときに足の痺れの話をしたら超音波の検査をしてくれましたが、血管の専門医ではないため、とりあえず血流をよくする薬を飲んで、症状が変わらないなら専門医に行くように言われました。 結局、ホームドクターと3つの病院(泌尿器科、脳外科、心臓血管外科、整形外科)で足の超音波検査をし、頭と首と脊椎のMRIをとったり,血管の動脈硬化を検査したりした結果、頭と首と血管は年齢相応の使い古しはあっても特にこれといった問題は見つからず、原因はどうやら背骨が曲がってずれているため、神経を刺激した結果痺れにつながっているのではないかということになりました。血流をよくする薬を飲んだり、ブロック注射をしたり、首を牽引するなどの治療方法がありますが、完治するための決定的な方法はないようです。用心しながら一生付き合っていくしかないのではないかと感じています。 本の紹介「蘇州からの便り」 「蘇州からの便り」中国での日本語講師奮闘記 木澤要治 著 定価 1000円 文芸社(TEL:03−5369−2299) 本の帯封のスーパーには次の言葉がありました。 「海外ボランティアで、中国の蘇州医学院と蘇州大学で、2年間日本語講師を勤める。 向学心に燃え、純情でおおらかな学生達との心からのふれあいを感動的に綴る。 バイタリティーあふれる現代中国の素顔を余すところなく伝えてくれる!!」 著者の木澤さんは日本アイ・ビー・エムを退職後、中国の蘇州の大学で日本語講師として合計2年間を過ごしました。その間、蘇州での生活や日本語教師としての苦労や中国の若者達の素顔を「蘇州徒然草」「新蘇州徒然草」というタイトルで、知人や友人に電子メールで送りつづけました。私も木澤さんの定期便のメールを楽しみにしていた一人です。 その徒然草をまとめて本にしたのが「蘇州からの便り」です。昨年、木澤さんと一緒に仕事をしていた仲間6人で蘇州を訪ねました。そのときの記録は手賀沼通信第54号でお知らせいたしましたが、今改めてこの本を読んでみると、旅行者としてのものの見方と生活者としてのものの見方の差が愕然とするくらいはっきりと出ていることに気づかされます。 この本は一言で言えば大変面白い本です。海外のレポートによくある独り善がりや思いこみがなく、一気に読んでしまいたくなります。木澤さんの文章は躍動感があって読みやすく、細かいところに気のつく鋭い観察力と物事の本質をつかもうとする洞察力で、単なる「便り」でなく日本と中国の文明論といってもいいくらい格調高いものになっています。それに何より感銘を受けたのは、木澤さんが生徒の日本語能力を何とか高めたいと、真剣に考え、懸命に努力し、いろいろ工夫しながら目標を達成したことです。同じ様な仕事をしたいと考えている人には大変参考になります。 また徒然草を読んでいたときにはあまり気付かなかったのですが、改めてこの本を読んで気がついたことは、高齢者が何か目標を持ってそれをやりぬくには一緒に行動をともにしてくれる配偶者の存在が欠かせないということです。木澤さんにとっても奥様の存在とサポートが大変な力になっていたことを知りました。おそらく木澤さんが中国で日本語講師としていろいろな壁にぶつかったとき、奥様の慰めや励ましで解決したことが数多くあったことでしょう。昨年5月に蘇州でお会いしたとき、帰国を前にしてお二人には大きなことをやりとげたという満足感がうかがえました。 |