あ け ま し て お め で と う ご ざ い ま す
 今年もよろしくお願い申し上げます。

 今年最初のテーマは「しまなみ海道ウォーキング」です。今まで歩いたルートの中では、環境のすばらしさ、歩きやすさ、景観の美しさなどナンバーワンでした。お天気もよく、お世話になった方々も大変温かく快適なウォーキングでした。

第3回瀬戸内しまなみ海道スリーデーマーチ

 昨年10月3日から3日間、「第3回瀬戸内しまなみ海道スリーデーマーチ」に参加し、初秋のウォーキングを楽しんできました。
 約2年前の2001年12月、法事で愛媛県伊予市に帰省し、東京に戻る時高速バスで松山から尾道まで「しまなみ海道」を通りました。そのときの感想を手賀沼通信第47号「『瀬戸大橋』と『しまなみ海道』を通る」に次のように書いています。
 「しまなみ海道は歩いても自転車でも渡ることが出来ます。12月初めのせいか、自転車の人はいませんでしたが、歩いている人は大勢見かけました。目のくらむような高さから来島海峡の渦潮を眺めながら渡るのは気分がいいはずです。春か秋に一度尾道から今治まで歩いてみたいという気になりました。歩くためのルートマップも用意されており2泊もすれば歩き通せる感じです。」
 その思いがほぼ2年後に達成されました。インターネットで「第3回瀬戸内しまなみ海道スリーデーマーチ」のホームページを見つけ参加しました。スリーデーマーチは、今治市から尾道市までの間の各市・町と日本ウォーキング協会、朝日新聞社が主催し、事務局は今治市役所イベント推進課にありました。
 本州と四国を結ぶ橋のルートはご存知の通り3つあります。今大赤字で注目を浴びている本州四国連絡橋公団が建設したもので、兵庫県と徳島県を結ぶ明石海峡大橋・鳴門大橋ルート、岡山県と香川県を結ぶ瀬戸大橋ルート、広島県と愛媛県を結ぶしまなみ海道ルートです。どのルートも自動車専用道が基本ですが、瀬戸大橋は鉄道との併用橋で、しまなみ海道は125CC以下のバイクの専用道(一部は歩道と兼用)と自転車と人が通れる歩道がついています。しまなみ海道ウォーキングはこれらの橋と島の景色の美しい道を歩くのです。
 しまなみ海道は7つの橋、6つの島からなっています。本州側は広島県尾道市です。尾道と向島の間には尾道大橋と新尾道大橋がかかっていますが、歩道が狭くて危険なためここだけはフェリーを利用します。尾道水道の幅は狭い所は250メートルくらい、ゴルフのパワーヒッターならドライバーでらくらく超せます。向島の先は、因島大橋(吊橋)、因島、生口橋(斜張橋)、生口島、多々羅大橋(斜張橋)、大三島、大三島橋(アーチ橋)、伯方島、伯方・大島大橋(吊橋)、大島、来島海峡大橋(吊橋)、を通って四国愛媛県今治市までです。
 
 早速資料を取り寄せたところ、8キロから40キロまでの合計9コースがありました。尾道から今治まで通して歩くと80キロになりますが、通しコースは3日で80キロを歩くコースと、2日で80キロを歩くコースの2つです。2日コースはきついので、30キロ、20キロ、30キロの3日コースに決めました。
 10月3日、尾道市「しまなみ交流舘」を朝9時45分に出発し、3日間の歩きが始まりました。3日間コースの参加者は約600名、8月15日までに申しこんだ人の氏名はスリーデーマーチのパンフレットに載っていましたが、北は北海道、南は鹿児島からとほぼ全国から参加していました。やはり地元の愛媛県が一番多く、広島県、大阪府、兵庫県、千葉県がそれに次いでいました。背中に氏名、都道府県、参加コース、参加回数、一言メッセージなどを書いたゼッケン付けて歩くため、スリーデーマーチの仲間はすぐわかります。大半は中高齢者ですが、若い女性のグループや男性のグループ、若いカップルなども混じっていました。あとで主催者に電話で問い合わせたところ、全コースを会わせて、登録者2286名、延べ参加人数は3763名とのことでした。
 
 初日は17時5分前にゴールに到着しました。2日目は10時出発の14時35分到着、最終日は8時30分出発の15時50分到着でした。歩く距離のわりにはスタート時間が遅く設定されていました。理由は途中の宿泊場所に旅館や民宿の数が少ないため、間際に申しこんだ人は島に宿が取れず、ゴール後とスタート前にそれぞれの地点と尾道や今治とをバスで移動する必要があるためとのことでした。初日は昼食を取る場所についた時は13時30分になっていました。また朝のスタート時にカードにはんこを押してからの一斉スタートという方法をとっていました。スタート時には本部のテントに大群衆が殺到して混乱していました。その混乱を避けるため、最終日ははんこなしで所定の時間より1時間早く出発しました。途中のチェックポイントで朝のスタートの分も押してくれましたが、本部でも最終日は30分繰り上げて出発させたようです。日本スリーデーマーチのように時間帯を設けて順次スタートさせるか、一斉スタートにするなら読売新聞主催のみずウォークのように、スタート時のはんこなしでスタートさせれば混乱は防げます。3回目なのでまだまだ運営になれていないのでしょう。
 本部の運営はともかく、ボランティアの方々の歓迎には心温まる思いでした。昼食時の味噌汁や瀬戸内の小魚の入ったお汁は素晴らしい味でした。ゴールした時には今治名物の鯛めしが配られました。他のウォーキングではお目にかかれないことです。
 それになによりコースが今までのなかで最高のコースでした。それもダントツの素晴らしさです。3日間、秋晴れの好天に恵まれたこともありますが、高い橋の上からの壮大な眺め、6つの個性ある橋をいろいろな角度から見る美しさ、瀬戸内海のきれいな海や島々を見ながら歩くゆったりした道路、澄みきった空気と潮風の香り、どれをとっても超1級の環境です。立止って眺めたり写真を取りたいところばかりです。
 大会期間中の宿は本部で予約してくれました。申し込みが早かったのでゴール地点に近い島の中に宿泊できました。男女別の相部屋です。初日の宿は生口島の瀬戸田町の歴史を感じさせる日本旅館でした。瀬戸田町は日本画家の平山郁夫さんの出身地、ゴール地点の道路の反対側に立派な平山郁夫美術館がありました。また西日光といわれる耕三寺の門前町で、かなり賑わっていました。3人の相部屋でしたが、一人は大阪在住でウォーキング大会に次から次へと参加している70歳台の男性、もう一人は高松在住で1日2時間のウォーキング、生涯6万キロを目指す60歳台の男性でした。
 
 2日目は伯方島の日本旅館で、島のささやかな中心部にありました。伯方島は6つのうち1番小さな島で農業と漁業しかなく、橋が出来るまではほとんど訪れる人もなかったのではないでしょうか。旅館も釣人相手のような感じで、トイレとお風呂は大人数に対処できるようにはなっていませんでした。同室は岡山と大阪と横須賀から来た高齢者でした。横須賀の人は昨年はしまなみ海道スリーデーマーチの2日で80キロのコースに参加したとのこと、四国八十八ヶ所も歩いた70歳台の人でした。一人歩きの、はやばやと申しこむような人は皆さんそれなりの経験を持っています。
 旅館では皆さんあまりアルコールも飲まず、初日は8時30分、2日目は7時40分に寝てしまったので、普段夜更かしの私だけ起きているわけにもいかず、飲み足りない話し足りないまま、蚊にさされながら布団にくるまって眠らざるを得ませんでした。
 橋は下を大型船が通れるよう地上数10メートルの高いところに架橋されています。島の自動車専用道路は山の中に作られているため橋にそのままつながりますが、一般道路は平地を通っているため、橋の高さに登るためには専用のとりつけ道路を延々と上り下りする必要があります。橋が6つですので取り付け道路は12ヶ所ありました。車が通らないのでのんびり歩けますが足にはかなりの負担でした。
 来島海峡大橋を渡って今治市に入りゴールの今治城までが1番きつく、回り道させるコース設定にちょっと腹立たしくなりましたが、ゴールについた時はなんとも言えない感激でした。

しまなみ海道にかかる橋についてにわか勉強

 今回歩いたしまなみ海道の6つの橋は3つの吊橋、2つの斜張橋、1つのアーチ橋からなっています。それぞれ技術面と景観に合わせた最適な形を選んでいます。ここで来島海峡大橋と多々羅大橋を例に長大橋について解説してみましょう。出典は藤川寛之著「本州四国連絡橋のはなし−長大橋を架ける−」(成山堂書店)とインターネットの本州四国連絡橋公団のホームページその他です。

1.来島海峡大橋(世界初の3連吊橋)
 来島海峡大橋は日本でも有数の急潮流(最強時10ノット、秒速5メートル)で知られる来島海峡に建設された世界初の3連吊橋です。3つの吊橋を連続して架橋し、1日2000隻の船が行き来する国際航路の来島海峡をまたいでいます。約1キロの橋が一つと約1.5キロが2つで、全長は4105m、中央支間長の長さは、600m、1020m、1030mとなっています。明石海峡大橋の中央支間長1991mの世界一の長さにはおよびませんが、明石海峡大橋の全長3911mは超えています。吊橋は現在の架橋形式の中ではもっとも長い橋が作れる方式です。
 来島海峡大橋は本四架橋の最後に建設された橋梁であり、因島大橋、瀬戸大橋、明石海峡大橋などで培われてきた吊り橋技術の蓄積を背景に本四架橋の集大成で、さまざまな改良・工夫された工法が採用されました。
 吊橋はお台場のレインボーブリッジを見るとよく分かりますが、橋桁、2本のケーブル、2つの塔、ハンガー(ケーブルから橋桁を吊り下げているもの)、アンカレイジ(ケーブルの両端を定着させる重し)からなっています。上述の中央支間長とは2つの塔と塔の間の距離をいいます。
 吊橋がもっとも長い橋の建設を可能にしているのはケーブルです。まず普通乗用車3〜4台を吊り下げることが出来る直径5ミリ程度の強力なワイヤーを127本束ねた6角形のストランドを作ります。明石海峡大橋の場合はそのストランドを290本合わせて直径1122ミリのケーブルにして橋桁を吊っています。ケーブルの架設は2つの塔が建設されたあと1本のロープを向う側に渡すことから始まります。このケーブルをパイロットケーブルといいます。パイロットケーブルが張られるとそれをもとにロープを順次太いものに張り替えていき、運搬用ロープ、足場用ロープ、キャットウォークという足場が作られて、ケーブル架設となります。
 パイロットロープの渡し方も吊橋を架けるたびに改良され、タグボートやクレーン船を使う方法から、明石海峡大橋や来島海峡大橋の場合は国際航路を閉鎖しなくても済むようにヘリコプターでロープを吊り下げて対岸の塔に渡す方法がとられました。
 吊橋の強敵は風と地震と温度差です。1940年にシアトル近郷のタコマナローズ橋がわずか風速19mの風で落橋するという惨事がありました。風の力により橋桁にねじり振動が発生し、振幅がどんどん大きくなって破壊されたのです。地震については阪神大震災が近くで発生しました。そのような巨大地震と架橋地点周辺で起こる不特定多数の地震を考慮する必要があります。温度変化による伸び縮みの凄まじさは例えば明石海峡大橋の場合は1度の温度変化で橋の中央が6.5センチ上下します。いずれも詳細なコンピュータによるシミュレーションを行うとともに、風洞実験や世界中の地震データの分析などによる耐風設計・耐震設計、温度差の生じない真夜中のケーブル架設などいろいろな面から対策を講じました。また海峡の潮の流れの速さも十分考慮に入れて架設されています。
 
 塔を支える基礎となるケーソンの設置についての苦心談が10月21日のNHKプロジェクトX「男達の不屈のドラマ瀬戸大橋」で紹介されていましたが、来島海峡大橋のケーソン設置にもその貴重な経験が活かされました。
 景観重視の設計思想はラーメン形式の塔の採用と6本の塔の高さを調節しなだらかに見えるようにしたことです。長大吊橋では始めてのことです。ルート周辺の島々や海の美しさと見事に調和しています。

2.多々羅大橋(世界最長の斜張橋)
 多々羅大橋は橋の長さ1480m、塔と塔の支間長890m世界最長の斜張橋です。横浜のベイブリッジも斜張橋です。塔から直接ななめに張ったケーブルで橋桁を引っ張りあげている形は、白鳥が羽根を広げているように美しいといわれます。吊橋と比べると吊ケーブルがなく、吊ケーブルを両端で固定するアンカレイジがありません。従来は支間長が500mを超えると斜張橋でなく吊橋で架橋されるのが通例でした。
 多々羅大橋も最初は吊橋で計画されていました。ところが生口島側のアンカレイジ建設場所は山肌が迫っていて地質が悪く、地形の大幅な変更が必要でした。多島海美に恵まれた地域の景観を損なうおそれがあり工事費も多額になると予想されました。斜張橋ならアンカレイジは不要、工期工費も少なくて済みます。当時工事中の生口橋(支間長490m)の経験をもとに夢の挑戦が決まったのです。
 
 斜張橋は吊橋以上に塔が景観の主役となります。塔は同規模の吊橋より高くなり、形も構造的に選択の幅が広く、より景観を考えた美しい設計を取り入れることが出来ます。多々羅大橋の塔は逆Y字型の優美な形をしています。塔の真下に立って上を見上げると、高いところから下を見下ろした時のようにくらくらします。塔の真下の歩道には拍子木が備え付けられており、叩くと反射音が2本の柱を駆け上って行きます。拍手でも響きます。「多々羅の鳴き龍」と呼ばれています。本四公団のホームページでもその音を体験できます。
 斜長橋の橋桁の架設は「やじろべえ工法」といわれます。吊橋の場合はケーブルを貼り終えてから橋桁を架設していきますが、斜張橋では桁の架設とケーブルの架設を交互に繰り返します。塔から両側へ橋桁を少しずつ張り出しながら架設します。この「バランシング工法」は両側に腕を均等に張り出したやじろべえに似ているためそう呼ばれるのです。吊橋と違って、橋桁が連結するまでの間、塔が単独で頑張らなければなりません。多々羅大橋では橋桁を結合する直前には桁の長さが435mにも達しました。横方向に対しては抵抗力が弱いのですが、この時期に小さな台風が2度も襲来しました。先端にある大きなクレーンを出来るだけ後退させて、間近に迫っている向う側の桁とロープで繋いで事無きを得ました。

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