今月は投稿いただいた2編の旅行記です。
永井さんは松山南高校時代の同級生、成田さんは東京都中高年福祉推進員協会の仲間です。

退職記念 ヨーロッパ旅行                 永井克男

 昨年7月末で43年間のサラリーマン生活を終了。退職記念と称して、JTB熟年旅行<ヨーロッパハイライト15日間>―9月10日〜9月24日―に参加した。熟年夫婦中心の小グループのツアーで、体力的に一寸強行軍すぎるかなと心配だったが、終わってみれば参加者に大好評で、成功だったと思う。

1.旅のあらまし
(1)訪問先、移動の方法、通貨など
●今回の旅は、ロンドン → パリ → スイス → ドイツ → イタリア の各地を、2〜3泊ずつする15日間の旅で訪問した国−都市・町は、通過のみを入れると8ヶ国−16都市になる。我ながら覚えきれない程よく廻ったものだと思う。
 (イギリス)−ロンドン・ウィンザー
 (フランス)−パリ・ヴェルサイユ
 (スイス) − ローザンヌ・インターラーケン・ルチェルン
 (リヒテンシュタイン)−ファドーツ
 (オーストリア)−(通過のみ)
 (ドイツ)−ミュンヘン・ハイデルベルグ・ローテンブルグ・ウィスバーデン
 (イタリア)−ローマ・ナポリ・ポンペイ
 (バチカン市国)−バチカン(ローマの一部分)
●各地間の移動も、ロンドン → パリ は(ユーロスター)、パリ → ローザンヌは(フランス新幹線G.T.V.)を利用したので列車好きの人には、特に好評で、飛行機、バス利用とは一味違った旅を楽しむことが出来た。
(2)通貨
●今回訪問した各国の通貨は次の通り。
 (イギリス)−ポンド
 (フランス)−ユーロ
 (ドイツ)−ユーロ
 (イタリア)−ユーロ
 (スイス)−スイスフラン(ユーロ等も比較的通用する)
●ユーロが通用する地域が多く、思ったより便利であった。イギリス(ポンド)がユーロに統一されれば、殆ど支障はないと思われる。通貨が統一されたことで、旅行者にとっては、通関等もユーロ建てであれば、最後に通過するユーロ使用国でまとめてチェックを受ければよく、この面でも非常に便利になった。
(3)全体的な感想
●同年代の夫婦が多く(16人中6組)、小グループだったので比較的気楽な旅が出来た。
●私にとっては、ハイデルベルグ・パリは約15年ぶりの再訪で、非常に懐かしかったのと、その他の所は初めてでもあり、色々なことを考えたり、比較したりしながら大変興味深く見物することが出来た。
●今回の旅で共通して云える事は、ローマを初め各国とも日本に比べて、非常に古い歴史を持っているということである。それが一国のみの歴史と云うより、各国が複雑に絡み合った歴史を持っているということが、日本と大きく違う点だと思う。例えば、ローマ(古代→共和制→帝政時代を通じて)の進撃の跡がドイツ・フランスなどの各地に今でも残されており、各国の交流が古い時代から行われていたことがよく判る。
(4)EU雑感
●今回のツアー参加を計画した昨年春頃からEU(欧州連合)のニュースを目にすることが多くなった。最近ではEU拡大(今年5月に新に10ヶ国が加盟して合計25ヶ国となる)もあってかなり大きな話題となっている。
●今回の旅は、偶々現在のEUの中心地域(イギリス・フランス・ドイツ・イタリア等)を廻ったことになるが、最近ますます関心が高くなっている。
●地理的に見ても、イギリス以外は陸続き(ユーロトンネル完成でイギリスも実際には陸続きと云える)で、自動車・鉄道で短時間で移動出来、通貨統一も加わり、国境を意識することが少なくなったと思われる。
実際、スイス→ドイツ(ミュンヘン)のバス移動の途中、運転手の提案でスイス→(オーストリア)→ドイツのルートを取ったが、(スイス→オーストリア)は運転手と先方の係官が簡単に話し合っただけで、パスポートのチェックもなかった。又、(オーストリア→ドイツ)国境は小さな川が国境となっており、橋をひょいと渡るともうドイツであった。
●経済的にも、EU加盟により域内関税の廃止→域内市場の拡大等により、経済的なメリットは定着していると思われる。
●後は、政治的な問題であるが、既にEU憲法が検討され始めており、このまま推移すれば、近い将来(10〜20年后か)には、全ヨーロッパ的にゆるやかな連邦制の成立も考えられる。

2.アルプスの山々
 今回の2週間の旅は、それぞれに忘れられない毎日であったが、矢張りハイライトは(スイスアルプスの山々)であった。旅行メモより、この部分を抜き出すことにする。
(1)パリ → ローザンヌ → インターラーケン
 9月14日(日) 快晴
(パリ)→(ローザンヌ)
 7:44 ― パリ・リヨン駅発 フランス新幹線 9261号(スタンダード)
 11:40 ― ローザンヌ着 乗車時間−4時間
●パリ・リヨン駅はなにかの映画かTVで見たことがあった様な気がする。ホームには色々なタイプの車輛が並んでいたが、あまりスマートなデザインのものはない。幅も日本の新幹線より少し狭い様だった。内装も質素な作りで少々ガッカリした。
●沿線もフランス国内はほぼ平地で、主として牧草地で牛が散見されたのみである。フランスは農業国だと思った。
●ローザンヌ到着1時間位前から登りにかかり40分位前に国境を通過。―スイスの審査官が車内でパスポートをチェックしたのみ。いよいよ山に分け入ってローザンヌ到着。
(ローザンヌ)→(インターラーケン)
 13:20 ― ローザンヌ発(バス) 
 18:00 ― インターラーケン着
●アルプスの山々のことだけに気をとられていたが、着いて見ればローザンヌは大きな湖―(レマン湖)に面した落着いた美しい町であった。対岸はもうフランスである。
ガイドの説明では、IOC本部があり、ローザンヌ大学も経済学の分野で有名である。(ローザンヌ学派というのがあった筈)。又、秋には世界的なバレーコンテスト(ソロ)があり日本人も結構好成績を残しているとのこと。湖畔のホテルで昼食を取ったが、雰囲気もよく、料理もあっさりした味でグッドであった。
●昼食后バスで湖畔沿いにインターラーケンに向う。湖畔の斜面はブドウ畑一色であり、スイスワインの産地とのこと。途中湖畔にあるシヨン城を見学。(バイロンの「シヨンの囚人」のモデルになった城とのこと)
●レマン湖畔は有名な保養地でもあり、チャップリン、ソフィアローレン等や、その他著名人の別荘があったとのこと。
●シヨン城辺りの対岸はフランスの(エビアン)であり、有名なミネラルウォーターの産地であると共に、昨年春サミットが開催されたことでも名を知られた。
●バスが進むにつれて、山の狭間に入って行き、雪をかぶったアルプスの高峰が姿を見せる様になり、夕方インターラーケンに到着。
(インターラーケンの街)
●山々と2つの湖(プリエンツ湖・トウーン湖)に挟まれた小さな街で、ホテルや土産物屋のならぶ町並をブラブラ歩いても、15分位で終わる清潔な感じの保養地である。
アルプスの高峰にかこまれたオーバーラント地方の中心地であり、アルプス観光の出発点となっている。街中の公園から見上げると、4000mクラスの高峰が顔を出している。
ホテルは超豪華ホテルも一つあるが、後は古くからある中級のものが多い。私達の泊まった(ロイヤル・サンジョルジュ)もクラシックな構えであるが、部屋は軽井沢あたりのペンション程度の設備である。
(2)ユングフラウヨッホ(登山電車の終点の展望台)
 9月15日(月) 快晴
●今日は待望のアルプスの雄峰―アイガー・メンヒ・ユングフラウにお目にかかれる日である。
●頂上では気温が0℃位になるとのことで、セーター、ジャンパーを着込む。5:45モーニングコール、7:20ホテル出発、インターラーケン駅へ。朝が早いが張り切っているので苦にならず。
●本日の目的地は(ユングフラウヨッホ―3454m)で、ヨーロッパアルプスの最高地の展望台の為、トップ・オブ・ヨーロッパとも呼ばれる。ここから、アイガー(3970m)・メンヒ(4099m)・ユングフラウ(4158m)の連峰がすぐそばに見える。
●登山電車はインターラーケン・オスト(東)駅より出発。電車は思ったより大きく、グループ別にまとめて同じ車輛に乗車出来るので好都合である。平地からまもなく山に入り、切り立った山と山の間を登り始める。両側の斜面は牧草地で、その中にログハウス風のスイス独特の木造のがっしりした家が点在している。どの窓にも赤い花が飾ってあり、美しい風景である。家々の窓際には薪が積み上げてあり、冬近しと感じさせる。
●その中に両側の山はだんだん高くなり、切り立った山と山の間を登山電車が登って行く。時々山と山の間に白峰がチラッと見えて来た。
●途中一度乗り換えた後で、ウス黒い岸壁が垂直に切り立っているアイガー北壁の裾を巻いて、クライネ・シャイデック駅に到着。目を上げると、(アイガー)―(メンヒ)―(ユングフラウ)三峰が白く、まばゆく輝いて見える素晴らしい景色である。
●昼食后、電車を乗り継いでユングフラウ展望台を目指す。山肌に沿って登って行き、間もなくトンネルに入る。アイガーの山肌近くを掘り抜いた花崗岩盤のトンネルである。終点間近で2駅に停車。駅構内の窓からアイガー北壁の外側が眺められる様になっている。
●駅員より、(走るな!ゆっくり歩け!)との注意がある。―空気が薄く高山病状態になる為である。そう云われてみれば、足が重くなり、呼吸も少し苦しくなったようなので、それからは、深呼吸をしながらゆっくり歩く様にした。
●展望台は土産物や、郵便局(記念葉書を出すため)、ティーコーナー、氷のトンネル、氷の彫刻展示場等もあり、結構大きなものであった。
ところどころに、外に出られるトンネルもあったが、外は一面の雪原で、スキーやスノートレッキングも出来るとのこと。
●ユングフラウ駅に接続した展望台(3454m)から更に高速エレベーター(150m)でスフィンクス展望台(3571m)に昇ることが出来る。この展望台からの眺めは、流石にここまで登ると小山程度にしか見えない丘状のものがあるだけで、一面雪一色で、雪原と氷河地帯で、小さなクレバスも見える。
●ユングフラウヨッホには、約2時間滞在、帰途はグリデルワルド廻りで、登山電車を乗り継ぎ、インターラーケンに帰る。(17:00)。車窓からみていると、好天の中をハイキングしている人がかなり多く、こうした楽しみ方もあるのだなと思う。
●今日一日、快晴で素晴らしい圧倒的なアルプスの山の景色を眺めて、大感激、大満足であった。
●インターラーケンでは散歩と買い物の后、オイルホンデューの夕食。アルパインホルン、ヨーデル、民族ダンス等のアトラクション付きで楽しかったが、食事は全くの期待外れであった。
―昼間の大感激に免じて我慢するか。

韓国・世界遺産紀行             成田健次郎

 10月13日から4日間のコース「韓国・世界遺産紀行」ツアーに参加してきました。

 成田空港集合時間から待つこと2時間20分、韓国・釜山空港には、2時間後に到着した。集合時間から搭乗までの時間を考えると、機上時間の短かったこと、あっという間であった。
 出迎えのガイドの指示に従って韓国通貨「ウオン」に、日本円1万円を両替したら、10万3千ウオンになり、何となく大金持ちになった感じを受ける。韓国内での各お店内での円換算では、100円が1000ウオン、日本円での支払は、多くの店で可能であったが、為替の変動に関係なく市内では、日本円の10倍換算がウオンである。為替の変動を考慮すると、空港などで両替をした方が得と感じました。
 今回の旅では、韓国が世界遺産に登録した8ヶ所、@石窟庵で朝日鑑賞=早朝5時起きと天候悪化とのことで、ツアー参加者17名全員がキャンセル、A仏国寺、B八万大蔵経が保存されている海印寺、C水原城、D江華群コインドル(支石墓)、E江華山城、F宗廟、G昌徳宮、その他にソウル市内の南大門内、東大門内にある市場であった。

 私の興味は、大きく分けて、3つになります。

(1)朝鮮動乱のニース映画で見た光景が、その後どうなっているのか。
 @100年〜300年前後の木造建物が、あのニュース映画でみた朝鮮動乱の中で、破壊されずに残っていたこと、驚きであった。その時に破壊された所は、近年に修復されたと思うが、朝鮮動乱の痕跡が、ほとんど見られなかった。
A各地の遺跡内、大看板での説明書は、韓国語、日本語、英語、中国語の順番で統一されていた。だが、日本語の説明と英語の説明が違っていたことである。英語では、この遺跡内には、??があったが、日本が統治時代に日本へ持って行ってしまったとかの説明があった。日本語には、その辺のことが書いてなかった。
B南大門、東大門の石積みに、朝鮮動乱時に受けたと思われる銃撃の弾の痕跡が、数カ所に見られた。
C釜山から慶州、大邱にかけては、慶州から韓国大統領が3代続いて出たとかで、高速道路などの建設ラッシュで、いたる所で道路建設がおこなわれていた。利権かなーと、感じたのは私だけでなかった。
D毎月10日か15日に、戦時下を想定しての軍事演習がおこなわれていることを知った。15日は、朝から市内の多くで軍服姿が目立っていた。水原城を見学寺に、ガイドがこの時だけ、なぜか急がしたのだ。たまたま私が集合時間に5分間遅れた。その5分間が30分以上も遅れる原因を作ってしまったのを、あとで知ることになった。理由は、国全体の軍事演習があり高速道路の入口が閉まったのだ。演習が解除されないと高速道路の入口が開かないのです。ただし、演習時間前に高速道路に入れば、高速道路内での移動は可能とのことであった。高速道路以外の一般道路上のの車は、演習が解除されるまでは、全車ストップなのです。そのことを知ったのも、驚きであったが、韓国大統領二代が、太陽政策と称しての北朝鮮との融和政策、不思議が二乗以上になって、理解できなくなった。
E江華群コインドル(支石墓)を見学し、仁川の河口からソウル市内を目指したが、仁川の河口が朝鮮動乱時に反撃の上陸地点だったとかで、仁川両岸には有刺鉄線が張られ、しかも高圧電流が通電していると聞き、戦時下を想定しての軍事演習と重ねて、二重の驚きであった。また、ガイドからは、幾度となく撮影禁止の言葉が出た。それだけに、太陽政策そのものに、大きな疑問を持ったのは、私だけではなかったようです。
Fソウル市内に駐屯している米軍施設の広大さにも、驚きました。

(2)日本国内に比べて、進歩しているといわれる韓国内のパソコン通信の現状
 市内を細かく視察したわけではないが、パソコン喫茶などは、見つけられなかった。
 韓国内でも一流といわれるホテルに宿泊したが、ホテル内の客室内にパソコンを利用する所が無い、パソコンを接続できるジャックがある所、パソコンが設置してあり所とホテル内のパソコン事情はまちまちであった。室内に設置されているパソコンを立ち上げてみると、韓国語、日本語、英語版が選択できるようになっていたのには、驚きであった。
 日本国内の一流といわれるホテル、旅館に宿泊する機会がないので、何ともいいようがないが、日本の現状を知りたいものです。

(3)キムチは、韓国国内の消費量の70%の生産量しかなく、輸入に頼っている。
 @ 矢張りそうだったのかと、初日に感じた。夕食にキムチが出たが、自分で食べられるだけお代わりをして欲しいと、話された。食べ残されると無駄になるといけないからと。参加者のある人が、以前は、こんな話はなかったと話していました。
A 楊枝使用禁止の店、キムチを含めて、食べ残しの中に「楊枝」が入るとリサイクルに問題が出るので、楊枝の使用を禁じている店があった。よく聞いたら「残飯」は、豚の餌になるが、楊枝が元で豚の胃に楊枝が刺さって、死んだケースがあるからだと教えてくれた。

 今回韓国を旅して、
@日本語が通じること。
A時差が全くないこと。
B日本人の女性には、見られない韓国女性の首が太いこと。
C韓国の車事情は、早朝は物資を運搬する車、7時頃からはトラックに乗用車が加わり、交通渋滞が起こるのは日本と似ている。
D最近完成したマンションの室内には、床暖房といわれるオンドルがあるなど、近くて遠い国、現地に行かないと解らないことだと思いました。

 年末に、韓国三世で、韓国日本大使館に勤務したことがある人と話す機会がありました。
@韓国出国時の身体検査、現在は靴を脱いで靴の中まで検査していることについては、以前はなかったと。テロ対策ではないかと話された。
A太陽政策の戸惑いについて、彼は、北朝鮮の現状は、一般市民に報道されている以上に、悲惨な生活を送っている現実がある。太陽政策については、疑問を感じていると。

 日本の世界遺産は、自然環境が多く登録されているように感じます。韓国では多くの「木造建築」が、世界遺産に登録されている。昨今の日本の報道では、韓国と同じに木造建築が世界遺産に登録されようとしている。良いことだと思います。

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