今月は「皇居参観」と投稿いただいた旅行記とエッセイを取り上げました。

 皇居参観は柏あけぼの会の家田会長のご尽力で実現しました。家田様は手賀沼通信に何度も投稿いただいています。皇居は眼からうろことか興味津々といった場所ではありませんが、皇室に多少なりとも関心のある平均的な日本国民なら1度は行ってみたいところ。特に自由時間のたっぷりある高齢者にはおすすめです。その気になれば多少手間はかかりますが、思ったより簡単に参観できます。その手続もご紹介しましょう。

 鈴木さんの旅行記はメコン川に沿った4カ国の感想を簡潔にまとめておられます。鈴木さんは最近はあまり人の行かない地方を中心に旅行されています。以前シベリア旅行記を投稿いただき好評でした。

 「言葉のインベーダー」は私の弟から送られてきたものです。「自然」はペンネーム、エッセイを書く会に所属して、いろいろなテーマでエッセイを書いています。

初めての皇居参観

1.あけぼの会バス旅行
 3月19日、柏のあけぼの会のバス旅行で皇居参観に行って来ました。今まで皇居前広場は訪れたことがありますが、皇居の中に入ったのは初めてでした。皇室には良くも悪くも特別の感情は持っておりません。今までは無関心でお正月にも天皇誕生日にも皇居に行ってみようという気にはなりませんでした。皇族のお姿を見かけたのは、小学生の時、生まれ故郷愛媛県伊予郡郡中町で昭和天皇行幸の時だけです。
 あけぼの会は千葉県生涯大学14期生の家田様ご夫妻が創設された老人会です。あけぼの会では年3回の柏市のバスを利用しての日帰り旅行、年3回の河崎監督をお迎えしての映画とトーク、年1回の1泊旅行その他いろいろのイベントを楽しんでいます。その企画、運営、会報発行などは全て家田様ご夫妻お二人で精力的に担当されています。

富士見櫓
 今回の皇居参観は人気があり、最初の予定をはるかにオーバーしてバスで43名、現地合流8名の合計51名になりました。当日は天気は晴れ、前日東京の桜の開花が発表されたばかりの暖かい日でした。その靖国神社に立ち寄り、パレスホテルで昼食をとった後、桔梗門から皇居に入りました。入場の前に皇宮警察が人数点検をしました。

二重橋上から丸の内を望む
 参観者はまず窓明舘で宮内庁管理部参観係の担当者から、ビデオによる皇居の説明と参観上の注意がありました。当日の午後の参観は約150名、その内あけぼの会が3分の1を占めています。参観は富士見櫓の下を通って宮殿の前に出て、伏見櫓を見上げながら、正門鉄橋(二重橋)を渡ったところで折り返す、約2.2キロ、所要時間1時間15分のコースです。高齢者も混じっているためゆっくり歩き、必要な方には車椅子も貸してくれます。窓明舘には手荷物を持って歩かなくてもいいように無料のコインロッカーがありました。見どころでは立止って、参観係の担当者が携帯スピーカーで説明をしてくれます。

皇居内の桜
 広大な皇居は静かです。新年や天皇誕生日に皇族が一般参賀を受けられる長和殿とその前の宮殿東庭は特に広々としていました。既にかなり花をつけている桜の木もあり、柳も芽吹き始めていました。意外だったのは通行する車が多いことです。二重橋(皇居前広場から見える奥の橋)から見る丸の内方面の眺めは見事でした。

伏見櫓
 参観コースは皇居のほんの一部を歩くだけです。そこから見える建物はいわば皇室のオフィスビルです。皇室のお住いの吹上御苑は全く見ることが出来ません。いただいた地図にも吹上御苑の建物は一切載っていませんでした。
 皇居の清掃に全国から奉仕団の人が集まります。当日も鹿児島や静岡などから来た人が清掃していました。友人の話では農協(JA)が企画する観光旅行とセットになったツアーがあるとのことでした。

2.参観までの諸手続
 皇居参観の手続はかなり手間がかかります。
 先ず参加資格です。
 参観出来るのは18歳以上。18歳未満の場合は次の条件で参観可能となります。
 ・成年者が同伴または引率すること
 ・成年者が同伴または引率しない場合は1件の申しこみは9人までとし、中学生以上で修学旅行等のため
  学校から申請があること
 参観出来る日時は午前10時からと午後1時30分からの1日2回実施され、次の日や時間を除いた毎日で
 す。
 ・土曜日、日曜日、祝日
 ・7月21日から8月31日までの午後(熱中症など暑さによる事故を防ぐためでしょうか)
 ・12月28日から1月4日まで
 ・行事等の実施のため支障のある日
 申し込みは電話またはインターネットの2つの方法があります。(代理人による申し込みはできません)
(1)電話を利用する場合(03-3213-1111)
 @電話による予約
  参観希望日の前月1日(土・日・祝日・年末年始は翌日)の8時45分から参観希望日の10日前まで受けつけます。参観日時、団体名(10人以上の場合のみ)、代表者名、連絡先、申し込み人数を予約します。家田あけぼの会長は2月2日(月)(1日が休日の時は後にずれます)の8時45分から電話を掛け始めましたが話中で、やっとつながると今度は内線がふさがっていて、予約できたのは9時半だったそうです。最初は45名で申し込んだそうですが、希望者が増えたため、50名、52名、53名と3回人数を増員しました。シーズンに入ると増員は難しいという感触を受けたそうです。  A参観希望者名簿の提出と参観許可証の取得
  参観日の10日前までに、電話で予約した、参観日時、団体名、代表者名、連絡先、申し込み人数を明記した用紙(様式は問いません)に参加者名簿(氏名、住所、職業、年齢)2部を宮内庁管理部管理課参観係窓口へ持参するか、切手を添付した返信用封筒を同封して宮内庁参観係へ郵送する必要があります。

皇居参観の人々
 今年の4月から用紙以外に、宮内庁のホームページから所定の様式をダウンロードして書き込んだフロッピーまたはCD-ROMでもよくなりました。
 名簿の提出後は参観日時、人員等の変更は出来ません。代理で参加も出来ません。
 持参した場合はその場で、郵送の場合は後日参加許可書が送られてきます。
 あけぼの会は会長が直接宮内庁に出かけ参観許可証を貰ってこられました。
 (2)インターネットを利用する場合
 今年の4月から電話だけでなくインターネットによる申し込みが可能となりました。
 アドレスは http://sankan.kunaicho.go.jp/
 上記のアドレスにアクセスして必要事項を入力します。手続完了後参観の許可が通知されます。
 受付期間は参観希望日の前の月の1日午前5時から、希望日の7日前までです。

中国・雲南省・シーサンパンナからベトナム・サイゴンまで

鈴木康夫     

 1月末よりメコン河にそって、中国・雲南省から、ラオス、カンボジア、ベトナム・サイゴンまで19日間の旅行に行ってきました。
 雲南省のシーサンパンナで夜に飲み屋にビールを呑みにいきました。蛙や、魚の空揚げとビールを飲んで一人140円でした。少数民族の少女が飲んでいる席で非常に上手なマッサージをしてくれます。10分で140円でした。
 少数民族の家は、日本の古代の家と同じで高床式でした。既に、田圃には稲の苗が植えられていました。焼畑農業もみました。若い女性も畑で働いていました。

 ラオスは素朴でなかなか面白いところでした。ラオスで小学校を訪問したら、3年生よりフランス語の授業をしていました。仏領時代から引き続きフランスの力の強さを見せつけられました。
 ラオスの少数民族の村に行きました。人と牛、豚、鶏、犬が一緒に住んでいます。飼い主は餌をあたえないで、家畜は自分で餌をさがして食べるのです。

アンコールワット
 ラオスからカンボジアへの飛行機で15名のツアーに席が2席足りなかったが、ガイドが飛行機会社と話し合い、操縦室とスチュワデスの席を確保しました。勿論、袖の下を渡したと思いますが。日本では、客を操縦室に乗せるなんて、考えられませんね。  カンボジアではアンコールワットに行きました。凄い建造物で、日本人の観光客が大勢来ていました。カンボジアのブノンペンからベトナムのサイゴンまで4泊5日のメコン河を下りました。
 メコン河は広いので、橋がなくフェリーが所々にあります。生活が河で成り立っています。河で魚を取る。灌漑の水、交通の通路(道路の役目)等河でアメリカ輸出の為の「なまず」の養殖も見ました。
 食事はどこでも、中国と同じで4人に肉料理、魚料理、野菜料理が一皿ずつでた。ほとんどは油炒めや、油であげた物でした。西欧人も平気で食べていました。
 カンボジアのブノンベンではポルポト時代の収容所をみてきました。監禁室や凄い拷問道具や殺された人の写真を見てきました。

ベトナムのホーチミン市
(阪急交通社のHPより)
 ベトナムのホーチミン(サイゴン)の郊外で米国とのベトナム戦争時代の蜘蛛の巣状に、地下深く掘られたトンネルを見てきました。60M程トンネルを歩きましたが、這ってやっと歩けるようなものでした。ベトナム兵はそこを武器を以て移動との事です。落とし穴もみました。昔の獣を取る方法から考られたそうです。沖縄戦の地下壕とは、全然違います。米軍が爆弾を落としてもびくともしないトンネルでした。

 アンコール・ワットも良いですが、お勧めする所は「ラオス」です。
 旅行会社はワールド航空で、旅費は45万円でした。

言葉のインベーダー
新田自然     

 言葉が乱れているといわれて久しい。いやそれは大昔より言われ続けていることなのかもしれない。言葉が生きていて、時代とともに変わり続けて、最初不自然だったものが話されているうち認知された言葉となってしまう、つまりそれが時代の変化の証左だという説もある。「全然」などという言葉は否定でなく肯定にも使われてあたりまえになってきた。だからあまり神経質になる必要はないなどという意見もあるが、私にはどうしても違和感があって、その言葉を聞くたびに、なんでこのようなときにこの言葉が使われねばならないか、引っかかって引っかかって仕方のない言葉がある。
 それが「立ち上げる」という言葉である。たとえば一月十八日付けの朝日新聞の社説にこういう表現があった。
 「・・・拉致被害者の家族の帰国は最優先に実現させなければならない課題だ。そのためには政府間の公式の協議を立ち上げる必要がある。・・・」
 なぜこの場においてことさら「立ち上げる」という言葉を使わねばならないのか。朝日新聞は今年になってから社説にこの「立ち上げる」をすでに二度も使用している。「立ち上げる」が好きなマスコミはなにも朝日新聞だけでなく、他の新聞、雑誌、テレビ番組でもほぼ毎日のように読まされ聞かされている。だから「もういい加減にしてくれ」といいたくなるのだ。
 辞書にはどう書かれているかを調べてみた。小学館の「大辞林」には「コンピューターでプログラムを起動させる(ワープロソフトを‥‥げる)」とある。三省堂の「新明解国語辞典」には記述さえなく、ようするに認知さえしていないのだ。載っていてもあくまでコンピューター用語としての解説しかないのである。
 この「立ち上げる」という言葉は当初コンピューター技術者達の話し言葉として「コンピューターが立ち上がるのを待つ」といった使われ方をしていたのだろう。そして「コンピューターを立ち上がらせる」という使い方を、面倒くさくなって「立ち上げる」としたと想像できる。それらが「サイトを立ち上げる」「ホームページを立ち上げる」などに進化(?)し、さらに「企画書を立ちあげる」「プロジェクトを立ち上げる」となり、もうなんでも立ち上げてやれと言うこととなり「地域通貨を立ち上げる」「物作り教育を立ち上げる」なかには「水槽を立ち上げる」なんて使い方をするようになった。
 よいではないか「リストラ」だって「バブル」だってある時から使われはじめ、一般用語として認知されたのだから、という意見もあるかもしれない。しかしちょっと待っていただきたい。この「立ち上げる」は自動詞の「立ち上がる」を他動詞化したもので「起き上がる」を「起きあげる」と言うか?「わき上がる」を「わき上げる」というか?。私には落ち着かない語感が残って仕方がないのである。たしかに「仕上がる」に対し「仕上げる」という言葉はある。それがよくてどうして「立ち上げる」がダメなのかと言う反論もある。
 だから百歩譲ってコンピュータ用語に限って「立ち上げる」の使用を認めたとしても、なんで「公式協議を立ち上げねばならない」なのか?、どうして「地域通貨を立ち上げ」ねばならないのか?。そこまでジャーナリストの語彙が貧弱となってしまったのか。なんで「設立する」とか「開始する」とか「発足させる」とか言えないようになってしまったのか。ましてこのようなくだけた話し言葉を使って書けば流行に乗っていると思っているのだったら笑止千万である。
 共同通信のデスクが調べたところによると1989年にはまったく使われていなかったのが、2000年には433件使われ、その後の別の調査によれば2002年にはなんと42300件におよぶという。こうなっては奔流のように使われ、もう押しとどめるなんてことはできず、なんでもかんでも「立ち上げる」事態となる。そのうち「家庭を立ち上げる」 「子供を立ち上げる」「料理を立ち上げる」「ビルを立ち上げる」となり、「建てる」なんて字は不要となり「オール立ち上げ」万歳となる。恐ろしい言葉のインベーダーである。
 インターネットを使って「立ち上げる」をチェックしてみると、上記した使い方の溢れるなかに、いくつかの同意見の人たちがいて心を強くした次第である。著名人では金田一春彦先生、ジャーナリストでは読売新聞の橋本五郎氏などがすでに意見を出しているようである。まさかこの人達は「反対意見を立ち上げ」てはいまいが…。
 (通信はワード97という古いもので作っていますが、バージョンが違う方から、2行はみ出し5ページになるという警告をいただきました。今後は2行ブランクで作ります)
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