今月はもと日本アイビーエムの同僚の木澤さんからスペイン旅行記をいただきましたのでご紹介いたします。
 木澤さんは退職後、中国蘇州大学で2年間日本語を教えておられました。その間の記録を「蘇州からの便り−中国での日本語講師奮戦記」と題して出版されました。鋭い観察力と躍動感あふれる文章には定評があります。

 今回いただいた旅行記はA4版で19ページもありました。手賀沼通信に載せるため私の方で勝手に約半分に短縮させていただきました。木澤さんの文章はブロック毎に書かれているため、文章には手をつけずブロックをそっくり抜かせていただきました。もしつながりに不自然のところがありましたら、それはひとえに私が短縮したためです。面白いエピソードも大分カットしております。お許しいただきたいと存じます。
 ただ少しでも多く収容するためページを6ページにしました。また、紙面の両端の余白を少なくし、1行の文字数と1ページの行数を若干増やしました。ちょっと文字が多くなって読みにくいかもしれません。これもお許しいただきたいと思います。

 もし全文読んでみたい方がおられましたらご連絡ください。メールに添付してお送りいたします。紙でお送りしている方はご容赦ください。

スペインよい所 一度はおいで!!

木澤要治

はじめに
 12月3日に出発する8日間の旅ですから、大方の人は最も避けたい時期でしょうし、したがって値段も安く、天候も寒さもあまり期待できるものではないと思っていました。
 また出発前には、イラク戦争のあおりを受けて恨みの的にされてしまったのか、日本の外務省のお役人とスペインの駐留軍人とがテロの被害に会う事件が起こってしまいましたが、偶然のこととはいえ、日本の飛行機でスペインを訪ねるというダブルの恨みを買いそうな組み合わせに、かすかな不安を覚えていたことも白状しなければなりません。
 不安はそれだけではありませんでした。
 実際に行くことになってから、手当たり次第にインターネットでスペインのあれこれを調べてみましたが、何よりも目を引くのが治安に対する注意の羅列でした。特にマドリードとバルセロナでは、こそ泥の範囲を超えて集団強盗が多発しており、パスポートやら現金が入った財布を首から下げたり、腹巻の中に隠すのは最も危険だそうで、何故ならば彼らは日本人がそうするのを先刻ご承知で、隠せば隠すほど首の紐を引きちぎろうとしたり、腹巻をナイフで切って財布を取り出そうとするからだ、などの親切な注意が見られました。要するに強盗様には抵抗することなく、ポケットから相応の現金を所持金の全額だというふりをしておとなしく渡すこと!というのが最も適切な教訓のようでしたから「えらいところを選んじゃった!」との不安がますます掻き立てられました。

1.マドリード/トレド

植物園になった旧アトーチャ駅
 危険だと言われたマドリード市内の団体観光には、プラド美術館とスペイン広場だけが予定されていたようですが、辛うじてピカソのゲルニカがある美術館か、または近所にある国営のスーパーへ行くという限定された自由行動時間が与えられました。私達は勿論ゲルニカを選びましたが、そこへは必ず幾人かで固まってタクシーで往復することとのガイドの強い指示があったのも危険防止のためでした。大部分の方々は、50m位しか離れていないスーパーへ買い物に行ったようでした。私達もゲルニカを鑑賞した後で立ち寄ってみましたが、日本のダイエーほどの規模のものかと想像していましたが、実際はセブンイレブン程のものでしたから、日本へのお土産を物色しようとしていた人たちには何の役にも立たなかったでしょう。
 以前に来たとき泊まったホテル(ホテル・リッツ)はプラド美術館のすぐ向かい側にありましたが、当時ゲルニカはプラド美術館と同じ敷地内にある目と鼻の先にある別館にありましたから、文字通りフラリと立ち寄り何度か鑑賞することが出来ましたが、今回は少しはなれた新幹線の発着するアトーチャ駅の前にある「ソフィア王妃美術センター」に引越しをしていました。

 このアトーチャ駅は、ほぼ市の中心部にあり、昔からスペインの各地へ向かう列車の拠点だったと聞きましたが、昔の広い駅舎は外壁を残したまま内部は清涼感に溢れた植物園に生まれ変わり、通りすがりの人々の心を癒しています。この植物園に背中を向けた向こう側が、現在新幹線の発着駅となっておりますが、この場所が過日イラク戦争に関する連続列車爆破テロによって多くの被害者を出した現場です。
 あの平和な環境が一瞬にして阿鼻叫喚の世界に陥ったとは、現場を見てきたばかりの私にとっても最も考えにくいことで、何ともやり切れない思いがしております。


フランスが競り勝った新幹線
 此処を拠点とする新幹線は、日本とフランスとの間で激烈な売り込みの結果フランスに軍配が上がったものだそうですが、韓国の新幹線といい最近は中国の北京・上海間のものといい、日本の新幹線がフランスに敗れているのはどうしてでしょう?
 現地のガイドによれば、きっちりと決められたとおりに操作出来れば日本の新幹線のほうが数段上なのだが、「スペイン人の感覚ではそのような細かい操作は無理デス。だからフランスの新幹線の方がスペインにとってはよかったのです。」とスペイン人が聞いたら怒り出しそうなことを、悔しさを滲ませながら話しておりました。

 さて、スペインの目玉の一つプラド美術館は、前述のようにホテルからぶらりと2・3度訪れはしましたが、勿論解説者がいたわけでもなく簡単な旅行者用の効能書きみたいなガイドブックが全てでしたから、日本の画集で見かけた絵がたくさんあることだけで興奮していたというのが本当のところでした。
 しかし今回は旅行社の美術に詳しいガイドに恵まれ、いくつかの絵だけを時間をかけて説明してくれましたからとても参考になりました。


ベラスケスのラスメニーナス
 彼は、ゴヤの「着衣のマハ」と「裸のマハ」とベラスケスの「ラスメニーナス(女官たち)」だけに絞って詳しく説明してくれました。これらは以前に見た記憶だけはあるのに、今回は初めて良く理解できて、以前には一体何に興奮していたんだろうと情けなくなりました。
 特に「ラスメニーナス」は、前回見たときの感想文には、何故これが特に優れたものとして扱われているか理解できない、と書いた記憶がありますが、今回はその理由がある程度理解できたようなつもりがしております。

 ガイドの説明によると、トレドは、もともとは世界遺産の第1号に指名されたのですが、トレドは「そのような援助がなくてもわれわれはこの町を守り抜きます」と断ったそうです。現在のトレドには、14世紀から16世紀までの家屋台帳が残されているそうですが、その台帳そのままに町全体が外観を保つように法律で保護されているそうです。中世の町そのままに迷路のように曲がりくねる道と、その両側の家々は、まさに博物館そのものの様相を示しており、誰が見てもこれこそが世界遺産だ、と納得させられる気品さえ感じ取れました。現地のガイドも、日本の富士山が申請しても汚いからダメ!と言って断られているのとは対照的だと自虐的に嘆いて見せておりました。


古都トレドを背景に
 トレドといえば、エル・グレコの「オルガス伯爵の埋葬」は欠かせません。この絵の良さ加減は、さまざまな宗教的な意味合いが込められていることなど、多々あるらしいのですが、例によって私には不可解です。しかし、この絵の中にエル・グレコが自分の姿を1登場人物として描き残したあたりは、宗教的な堅苦しさを越えた人間的な親しみを訴えるのでしょうか、これもまた満員の大盛況です。もともとはこのサント・トメ協会の中にあったのですが、絵だけを見にくる人が多すぎて祈りの妨げになるので、この絵のためだけの別室を作って掲げられることになったとのことでした。この日も4・5団体が建物の中にさえ入れずに待っているのに、フランス語の団体のガイドが後を気にもせずに長々と説明を続ける無神経さと、これを咎めもせずに悠然と待ち続けるヨーロッパ人団体の鷹揚さにも参ってしまいました。
 ヨーロッパのエレベーターには、「開」のボタンはあっても、「閉」のボタンはありませんが、すぐ「閉」のボタンを探してしまう日本人は、このような場面でもついいらいらしてしまいますね。

2.ラ・マンチャ地方
 スペインの人々にとっては、ラ・マンチャ地方への旅行の目玉は、コンセグラという街にある有名な闘牛場だとのことですが、われわれにとってはなんと言っても、ドン・キホーテの物語にはなくてはならぬ白い色の風車です。


ラマンチャの白い風車
 しかし、お目当ての白い風車は、見晴らしのいい丘の上に4つほどポツネンと立っているだけで、観光客がくるとそのうちの1軒の風車小屋だけドアが開き、一人の男が顔を出して片言の日本語交じりで大声を張り上げながら高価とはいえない小物を宣伝して、客が買わないとなるとすぐパタンと戸を閉めて全く静かな世界に戻るという単調さでした。私は、風車の姿を見ること以外に、漠然と何かがありそうだと期待したのが間違いだったと気付きはしましたが、「ドン・キホーテ」の情緒に浸る余韻さえ殆どなかったのが残念でした。

 多くの方はご存知だと思いますが、この作者のセルバンテスという人は、生涯貧乏神を背負っていたような人でした。
 貧しい家に生まれ、ろくな教育も受けずに苦労を重ね、ようやくありついた徴税士という税金を取り立てる職に就けたのですが、取り立てた公金を大切に積み立てたはずの銀行が潰れて、その金を返すことが出来ないことで公金横領の罪で牢屋に入れられました。後には持ち前の正義感から時の政治を批判したかどで逮捕され、リビアに奴隷として売られてしまったり、遂には更にトルコに身売りされるところを、すんでのところで奇跡的に助けられたりなどの、波乱万丈の連続だったようです。
 この「ドン・キホーテ」を書き始めたのも牢屋の中だったとのことですが、出版された途端にベストセラーになって、めでたし!めでたし!となったのかと思ったら、出版の直前に貧乏の極地にあったかれは、既に原稿をただ同様で出版社に著作権ごと売り渡してしまっていたために稿料も殆ど入らなかったとか・・・。いやはやひどい人生もあったものですね。

 この著者が、世の中に対する積りに積もった恨みを「ドン・キホーテ」と名付けた、頭がおかしい主人公に託して愚痴をこぼした・・・と、さぞ暗いイメージに溢れた小説かな?と思ってしまいますが、ところが読んでいるうちに、主人公の「ドン・キホーテ」が、騎士の持つべき正義・公正・信仰などの精神を一途に信じ、悪を退治すべきだとただ思い続け、非常識な奇行を続ける主人公の馬鹿さ加減がだんだんと貴重なものに思えてくるから不思議でした。しかも、読み進むに連れて、作者が、庶民に対しては勿論、あれだけひどい仕打ちを受けた国に対しても温かい愛情を注いでいることが伝わってくるにつれて、不器用な主人公の純粋さに拍手を送りたくなってくるという代物でした。
 まあ、本人が真面目であればあるほどどこか温かい可笑しさが出てくる関取の「高見盛」に似たところがあるのでしょう。

3.コルドバ/メスキータ(イスラムのモスク)
 コルドバはスペインの南部のアンダルシア地方にあって、イスラム文化が栄えた800年間世界で有数の大都市として栄えた町だそうです。アンダルシアにはさらにセルビアとかグラナダとかの何やら情熱的な響きを持つ町があって、音楽の世界でも「カルメン」や「セビリアの理髪師」などの歌劇の舞台として、更にはサラサーテのバイオリンの名曲「アンダルシアのロマンス」、ギターの名曲「アルハンブラの想い出」などなど、さまざまな想像を掻き立ててくれる地方です。

イスラム教のモスクメスキータ
 その地方にあって、コルドバは過去のイスラム文化の担い手としてのモスク「メスキータ」によって有名です。この「メスキータ」は、本来イスラムのモスク(イスラムの教会)でありながら、キリストが同居していることで有名ですが、実際何処から見てもイスラム然としたこのモスクの中に突然キリスト教の「カテドラル」が現れるのにはびっくりしました。

 実質的には二千年も続いているといわれるパレスチナの紛争を評して「イスラムとキリストの2大宗教がある限り、紛争は不滅です!」などと、長島監督の口調で解説を気取る人が見られますが、過去のスペインでは、一時的にもせよこれらの2大宗教が共存していた事実を参考に、現代の英知を結集して紛争解決はならないものか、と考えさせられました。

 それにしても、「メスキータ」は、巨大な建物です。サッカー場ほどもありそうなモスクの中には、赤と白が交互にまだらに塗られた無数の柱が立っていますが、それらは上のほうでアーチ型に湾曲した壁で繋がっており、見方によってはヌードに近い多くの女性が手を繋ぎ会っているようでもあり、その女性達が中にいる人々を見下ろしているようでもあり、一種妖しげな雰囲気を漂わせています。四方の壁面は、ゆうに50mはあろうかと思われる天井の天辺までスペイン特有の象嵌細工のような細かい作りで埋め尽くされており、とにかくこの「広い!」「高い!」「細かい!」の3拍子は想像をはるかに越えるものでした。

4.ロンダとミハス
 コルドバからグラナダへ抜けるには、途中険しい山が連なり、箱根のような曲がりくねった急坂をかなりの時間下らなければなりません。この坂道は箱根と違って急な崖側にもガード・レールがありません。折からの雨と、グラナダまで7時間はかかるという長丁場を遅れずに突っ走ろうという忙しげな運転手のハンドル捌きと、たった今起こりましたという風情の事故まで見せつけられては、バスの崖側に座った人たちは生きた心地がしなかったようでした。

 この7時間の疲れを癒す休憩所として格好の距離にある2ヶ所が、ロンダとミハスです。
 ロンダには、18世紀に作られたというスペインで最も古い闘牛場があることで有名なのだそうで、あの闘牛好きのヘミングウエイの別荘が崖の上にありました。牛を殺すのが、何が面白い?と闘牛に対する食わず嫌いで全く関心がない私ですが、旧市街と新市街の間に挟まれている高さ300mを越すほどの深い谷と、その間の断崖絶壁を繋ぐ橋を眺めて、このようなところにわざわざ旧市街と新市街とを配置しなければならなかった不思議さには大変興味を覚えました。
 おまけに、切り立った絶壁に張り出すばかりに造られた瀟洒な家々が、地震国の日本人の眼には震え上がるほどの危険なものに映りました。日本なら小さな地震の一揺れで間違いなく谷底に落ちるはずの場所をわざわざ選んで家を建てる感覚は、日本人にはどう努力しても慣れきることは無理でしょう。この感覚の差は、かつてサンフランシスコあたりのマンションの値段が、家具の傷み方を考えるために、南向きよりも北向きの部屋のほうが値段が高いと聞いたときの驚きと似ていましたが、こちらの方が危険を伴うだけに強烈な印象でした。

白い壁の町 ミハス
 一方ミハスは、白い壁の町として有名だそうです。丁度雨が降り出したので、青空に映える白い街という色彩の対比がやや薄れてしまったのは残念でしたが、確かに白壁一色の町並みは清潔感に溢れて素敵なものでした。「白い壁に黒い瓦屋根」というのは、私が住んだことのある中国の蘇州の景観の売り文句ですが、このミハスも、先に訪れたコルドバのユダヤ人街「花の小径」も、瓦の色がオレンジ色の違いはありますが、壁の白さには相通じるものがあると感じました。それもそのはずで、後から分かったことですが、実は蘇州の白壁も古くからユダヤ・イスラム系の影響を受けていたとのことでした。

5.グラナダ
 グラナダといえば、同名の歌で超有名ですが、今回は到着時間が遅すぎたせいでしょうか市内観光らしきものもなく素通りという感じでした。その代わりに到着したホテルのロビーで、多くの着飾った紳士淑女がシャンパングラスを片手におしゃべりに余念がないといった風情の結婚式の一場面を見ることが出来ました。
 今の流行なのか、毛皮のハーフコートに身を包んだ若い女性達は、いずれも大きな目と濃い眉と高い鼻のはっきりとした顔立ちで、仮に日本人女性の中に誰でもこの中の1人だけ紛れ込んだとしても美人として目立つでしょう。しかし、全員がカルメンのようなキリリとした顔立ちというのは、少し慣れてしまうと逆にきつすぎてやはり日本人の柔らかい表情のほうがいいな!などと思ってしまいました。

 遅い時間の観光がなく、早寝をした代わりに、早朝目が覚めて5階ほどの窓から通りを眺めていましたが、偶然にもこれまで不思議に思っていた前後の狭い幅からの車の発進技術を見て、ビデオに収めることが出来ました。
 ヨーロッパの一部の地域、例えばイタリアのナポリあたりでは、前後の幅が30cmほどしかない駐車をたくさん見かけます。場合によってはその幅のまま3重列くらいに駐車していて、中ほどにある車は絶対に発進不可能と思えるような駐車をしているのを見かけるのですが、そのような場所から発進出来ることが不思議でなりませんでした。

6.アルハンブラ宮殿
 今回のスペイン旅行の間にNHKが「世界遺産の旅 スペイン」という題名で、スペインからの生中継を放送することになっておりましたが、この放送はちょうど私達が不在中の6日間にわたって行われることになっていました。私達の旅行の内容をカバーしてくれるはずのこの放送の録画を撮り損ねないように、新たに最高160時間録画できるDVDレコーダーを買ってセットしてから出発してきたのですが、偶然にもアルハンブラ宮殿の放送日と私達のこの宮殿への見学日とが同じであることがわかって、ひょっとしたらテレビに我々も写るかもしれないなどと冗談を言っておりました。

 帰国してからNHKが放映した「世界遺産の旅 スペイン」と私が撮影したビデオとが、内容が同じで、しかも同じ日に撮影できた一対のものとして残すことが出来るという思いつきは、子供じみてはいますが、我ながら良いものだと思いました。


アルハンブラ宮殿
 そのアルハンブラ宮殿自体は、私に掛け値なしの興奮を与えてくれました。地元の訛りが濃い、しかしかなり流暢に日本語を操るガイドの「この宮殿は神様の作品である」との説明に対して、口を尖らす隙を全く与えない風格は、世界遺産の中でも最たるものであることに疑いを感じさせないものでした。

 13世紀に整備されたとされるこの宮殿は、建物の素晴らしさだけでなく、宮殿に対峙するアルバイシンの丘、遠くに望むことが出来る白雪を頂いたシェラネバダ山脈、宮殿を囲む天を目指す糸杉などが、渾然一体となって一幅の画を形作っているといえます。また、この画は、単に静けさとか和やかさなどだけを我々に与えるだけでなく、この世の神々が手を差し伸べるような、人間を超越した感覚で迫ってくる積極さもあります。とにかく、昔のイスラムの神々は、このような雰囲気の中に存在したのかと、妙に納得させる景色でした。もっとも、単純な私などは、パレスチナやらイラクあたりの砂漠を見ても同様に今のイスラムの神々の存在を簡単に納得させられるかもしれませんが・・・。


天井と壁の細工
 中庭を含む建物の配置の妙については、言葉で表現しようとする無駄を省きますが、細工について言えば、壁やら天井の全てが、女性に人気がある象嵌細工のブローチの細かさで仕上げられていて、その見事さには声を飲む出来栄えです。日光東照宮の細工の細かさは、素人の私などでも驚くほどの緻密さではありますが、細かい点ではこちらのほうが上かもしれません。この宮殿も完成までに200年かかったといわれていますが、その他の例えばガウディの聖家族教会に代表されるスペインの建造物などは、完成するまで大雑把に数百年かかると言われています。その理由は寄付金の集まり具合などいろいろあるようですが、仮に「この細工の細かさを人手で行うから」との説明を受けたとしても、これもまた文句なしに納得でしょう。

 ちなみにインターネットや、下記の写真を眺めながら説明文を読んでみても、実物から受ける強烈な印象からまるでかけ離れたものでしかないのが残念です。

 スペイン旅行の人気が高いのは、単なるミーちゃん・ハーちゃんの軽はずみなものでないことがわかりました。
 スペインに、38箇所もの世界遺産が登録されているのは伊達じゃないことを改めて痛感した次第です。

7.地中海の砂浜とスペイン料理
 地中海に面した海岸線(コスタ・デ・ソル/コスタ・ブランカなど)は大変美しい海岸ですが、名前から白一色の砂浜かと思っていたらそうではなく、ごく普通の色をした浜辺でした。しかし、日本では見られないような様々な小石があちこちに転がっていて、これまでの国内・国外の海岸で拾った小石の美しさ・面白さとは一風変わった様相を示していました。特に、赤・色・黒のそれぞれ異なる成分が重なり合ったり、斑点を作っているものやら、レンガとコンクリートが重なり合った、かけらのようなものなど、我々にとってははじめて見る珍しいものでしたから、多くの人が拾っては皆で見せ合ったりしていました。このあたりが世界最古の文明社会だったとの潜在意識が更に広がって、さては大昔の知られざる建造物の破片ではなかろうかなどとつい想像してしまいたくなる雰囲気の砂浜でした。
 その砂浜に面した町のレストランで、パスタパエリアの昼食をとりました。そのレストランにも、われわれのグループと同じ行程を辿っている日本人の一行が別室で先にテーブルについていました。突然彼らの部屋から拍手が聞こえてきたのには何事ならんと耳をそばだてておりましたが、やがて二人の店員が我々の部屋に、小さな丸テーブル程もある底の浅い鉄鍋を掲げて静々と運んで来ました。全体が赤茶色で見事な色合いの大きなえびがトッピングされた見た目には極めて豪華なパエリアを指しながら、搭乗員嬢が「さあ!パエリア様のご到着デース!カメラをどうぞ」と叫ぶと、我々もつい別室と同様に大きな拍手してしまうという見事な演出でした。

 自分の席から立ち上がってしきりにフラッシュを焚くカメラマン達に囲まれたパエリア様は、まるでスターのように輝いて見えましたが、私のビデオカメラは、むしろその人たちの興奮振りを写すほうが面白かったようでした。というのも、やがて小皿に分けられて目の前にちんまりと収まってしまったパエリア様は、もはや作られたスターの神秘性を失ったかのようで、その美しさを今度は舌でじっくりと味わいたかったのに、"特に騒ぎ立てる程のことはなかった"と私に冷静さを取り戻させてしまったからでした。

 私は舌で味わう段になると、いつも他の人より評価が辛口になるようです。いつも反省はしているのですが、どうも味に対する興味が他の人より少ないようですので、一般の評価は私の評価を何倍かしたものだと判断されるよう、スペインのためにもお願いいたします。

8. バルセロナとガウディ
 マラソンの有森選手が銀メダルを手にしたバルセロナ・オリンピックのメイン・スタジアムは市街を見下ろすモンジュイックの丘の上にありますが、大木に覆われたゴール直前の綺麗な山道を辿る時には、当時の選手達の激しい息使いが聞こえてくるような錯角を覚えました。また「あのプールは、最近北島選手が世界新記録を出したところです」などのガイドの解説などは、なぜかこの町を殊更に身近に感じさせる効果があります。これは、サッカーのスペイン・リーグなど、日本でも話題になりがちな様々なイベントがあって、日頃からこの街の名前に親しんで来たからなのでしょうか?

 しかし、名前に親しんでいることからすれば、何と言ってもガウディで、このツアーのバルセロナの取り上げ方も、全てがガウディに始まりガウディに終わることに傾注しているかのように感じました。


グエル公園
 先ずはガウディのよき理解者でありパトロンでもあったグエル伯爵と組んで都市再開発の一環として手がけた「グエル公園」は、ガウディ特有の全てが丸みを帯びた線や面が特徴です。この手の芸術への理解が乏しい私には、このように必要以上に常識を超えたデザインを思いつく頭脳を、「天才」と呼ぶのか、「狂った」と形容していいのか判断に苦しむところでしたが、奇妙な形と色の組み合わせがやや薄気味悪く、正直言って好きになれませんでした。


サグラダ・ファミリア
(聖母子教会)
 さて、大方のお目当ての「サグラダ・ファミリア」(聖母子教会)については、あまりに有名すぎて解説を試みるなどする気にはなれませんが、実際に眺めたこの化け物のような教会(私にはそのように感じてしまいました)の私の心への響き方は、意外に小さく「なるほど!こんなものか!」というのが私の率直な印象でした。それというのもアルハンブラ宮殿やらメスキータ、また世界で3番目の巨大さを誇るセビリアの大聖堂などで、すっかり圧倒されたあとでの「サグラダ・ファミリア」でしたから、意外性が薄められてしまったのかもしれません。
 ホテルに戻ってから改めてこのツアーが、スペインの良さを存分に示してくれたことを妻と確認しあい、最後の夜を満ち足りた心で安らかに過ごせることに素直に感謝したい気持ちになりました。

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