先月号の発行月日が1月1日になっていました。3月1日の間違いです。お詫びいたします。
 今月は「手賀沼遊歩道の草刈問題のその後」と「死亡時の諸手続き」続編と恒例の「1年間の振り返り」をまとめました。

手賀沼遊歩道の草刈はやはり必要

 手賀沼通信80号に「これぞお役所仕事」というタイトルで、手賀沼遊歩道の草刈について千葉県と我孫子市の対応をレポートしました。遊歩道と手賀沼の間の傾斜面が1昨年まではきれいに整備されていたのに、昨年急に草刈がされなくなったことについて我孫子市長と公園緑地課長に手紙を出した顛末です。
 結局草刈は行われなかったのですが、昨年12月と今年2月の2回にわたってお手紙をいただきました。今回はその手紙の内容とその後問題の場所がどうなったかを報告いたします。

1.遊歩道の草刈を提案
 平成16年9月27日に私が出した手紙は下記の通りです。
 
我孫子市 福嶋市長 殿
我孫子市 公園緑地課長 殿
(前文省略)9月中旬から下旬にかけて遊歩道の草刈が行われ大変きれいになりました。ところが、手賀沼大橋沿いの漁業組合の看板のあるところから、手賀沼大橋をくぐるトンネルまでの遊歩道脇の沼側の斜面が草ぼうぼうとなっており、草刈が行われておりません。この斜面は大橋の完成のときに整備され、素晴らしい景観が楽しめるところですが、草ぼうぼうでは見苦しいかぎりです。これから渡り鳥が戻ってくる季節になるとお年寄りや子供達が鳥と遊ぶ絶好の場所になるのですが、このままではそれも適わなくなります。

草刈が行われていない場所
 9月17日に公園緑地課におうかがいし、斜面の草苅の予定を質問しましたところ、そこだけは県の管轄なので、市の方では草苅の予定はないとのことでした。
 長い手賀沼遊歩道の一部だけが県の管轄というのは遊歩道を毎日散歩している市民にはちょっと納得が行きません。県のほうもほんの一部だけの草刈は非効率で、もしかしたら忘れてしまっているのかもしれません。
 そこでお願いがあります。
@県の担当部署に市の方から草刈を至急行うよう催促していただく。
A今後はできれば市の草刈のときに市が県に代って行う。
 経費だけ県に請求すれば、市と県が別々に行うより、早くしかもコストが安くなると思います。
(以下省略)

2.我孫子市長から返事をいただく
 草刈は行われず、結局は何も起こらないかとあきらめていたところ、突然12月3日に下記のお手紙をいただきました。

 新田良昭様     我孫子市長 福嶋浩彦
              都市部長 袴田修平
(前文省略)お手紙にある場所の草刈について、千葉県東葛飾地区整備センター柏整備事務所では、歩行者の利用を考慮して舗装の端からおよそ1mの範囲について草刈を行っていますが、その他は、手賀沼の水辺と一帯になっており、昆虫類を含め動植物の保護の観点から基本的に行っていません。なお当該地は、落蓋式U字溝と土留めの構造物があり、利用者にも支障がないため草刈は行わず、そのまま残す方針です。
 市としても、こうした県の考え方を尊重していきたいと思いますので、ご理解くださるようお願いいたします。

 県は動植物の保護のため草刈は行わないとの方針のようでした。これで終わったかと思っていました。それから約2ヵ月後の平成17年2月7日にまた市長からお手紙をいただきました。

 新田良昭様     我孫子市長 福嶋浩彦
              都市部長 袴田修平
(前文省略)千葉県東葛飾地域整備センター柏整備事務所に再度確認したところ、手賀沼を管理していくうえでの考え方として、斜面の部分も水辺と一帯と考え、昆虫類を含め動植物の保護の観点から、そのまま残す方針です。
 また、鳥の博物館にも確認したところ、この斜面は小鳥たちのねぐらとしても餌場としても必要な場所であり、遊歩道をはさんで人から隠れることができる緩衝帯にもなっています。
 したがって市としても、県の考え方を尊重していきたいと思いますので、ご理解くださるようお願いいたします。 
 
 市民のささやかな提案に2度も返事をいただくとは思ってもいませんでした。市民の意見を無視せず、返事を出していただいた市の姿勢は高く評価したいと思います。
 実は手賀沼通信は第1号から福嶋市長にお送りしています。おそらく、私の手紙だけでなく手賀沼通信も読まれて2度手紙を書かれたのではないでしょうか。

3.その後の状況

市民ボランティアが草刈

とても鳥のねぐらにはならない

葦の生えた鳥のねぐら
(別の場所)
 ところがその後のその場所を見ると手紙の内容とは違った状況になっています。その場所 市民ボランティアが草刈は4分の1くらいがボランティアの手できれいに草刈が行われ、えさをやる場所となって市民と鳥とのふれあいを取り戻していました。残りの4分の3はセイタカとても鳥のねぐらにはアワダチソウの枯れ枝や
 枯葉が汚らしく残っていて中が見通せます。
 市の手紙では昆虫も含めた動植物や小鳥のねぐらとしてそのまま残したいと書かれていますが、急な狭い斜面のため鳥は落ち着けず、しかもねぐらになる葦も生えていず、とても小鳥のねぐらになっているとは思えません。ほかのねぐらになっている場所と比べると大違いです。
 意地の悪い味方をすれば、草刈をしない理由を考えるため、昆虫や鳥を引き合いに出したのではないかとかんぐりたくもなります。おそらく市の職員の方も鳥の博物館の係りの方も現場を見ていないのではないでしょうか。
 責任ある方がその場所を訪れてしっかり見て、本当に鳥のねぐらになるかを検討して、もし鳥や昆虫のために草刈をしないままにしたほうがいいなら、その旨を書いた看板などを立てて市民に知らせ、鳥好きのボランティアに草刈をしないよう注意しないといただいた手紙の主旨は活きないと考えます。
 ほったらかしの今のままなら今年の草刈はしっかりやるべきと思います。

死亡時の諸手続き−続編
   −準確定申告−
 手賀沼通信83号で「死亡時の諸手続き」をまとめました。今回は死亡した人の確定申告についてご紹介しましょう。死亡した人が給料や年金をもらっていて、給料や年金から所得税が控除されていた場合、年の途中で死亡すると通常税金が戻ってきます。理由は所得税は年間を通じて所得があることを前提にして課税されているため、年の途中で死んだ場合年間の所得が少なくなることと、死ぬ前に高額の医療費を払っていたときは医療費控除が発生するからです。
 ただこれも申告をしないと税金は戻ってきません。この申告を準確定申告といいますが、私が経験したことをまとめてみます。
 毎年確定申告を郵送していたため、1月末に確定申告書Aが本人宛に送られてきました。税務署に事情を話し「死亡した者の平成16年分の所得税の確定申告書付表」と「委任状」の用紙を相続人宛送ってもらいました。
 確定申告書Aは生前と同じように記入します。死亡後送られてくる源泉徴収票を忘れずとっておく必要があります。我が家の場合はなくしてしまったので再発行をしてもらいました。共済組合だったので再発行してくれましたが、厚生年金の社会保険庁は再発行してくれるかどうかは不明です。
 「死亡した者の平成16年分の所得税の確定申告書付表」と「委任状」は相続人が書きます。税金は相続人の1人が代表して受け取るよう決められているため、他の相続人が代表者に委任することになります。
 死亡後、国民すべてに申告が義務づけられているかどうかはわかりません。税金を納付すべき所得のある人が死んだ場合は当然と思いますが、必ずしも義務でないなら相続人が多いと結構面倒なので、還付される税金が少ない場合は申告をやめてもいいのではないでしょうか。

退職後7年が過ぎました

 また1年間の振り返りの月になりました。退職後7年目を迎え、1月には68歳になりました。
 この1年はいろいろな事件の多かった年でした。まず頭に浮かぶのは世界を襲った津波や日本に被害をもたらした地震や台風などの災害です。ここではそれはさておき今回もプライベートな出来事を中心に振り返ってみます。プライベートに興味がない方は、この章はパスしてください。
 サラリーマンの退職後の人生は人によってまちまちです。あまり参考にはならないと思いますが、1つの例としてお読みいただければと思います。

 実は手賀沼通信は第1号から福嶋市長にお送りしています。おそらく、私の手紙だけでなく手賀沼通信も読まれて2度手紙を書かれたのではないでしょうか。

1.健康に悩まされた1年
 先月号に「心臓冠動脈カテーテル治療体験記」をまとめましたが、この体験までにも、痒さと痛みに悩まされた1年でした。
 1昨年暮れころから体中にジンマシンができ痒さに悩まされました。皮膚科に通いましたが原因はわからず、何かのアレルギーか内蔵の変調ではないかということでした。すっかりかゆみから開放されたのは、4月末になってからでした。その次は痛みです。お尻からふくらはぎ、もものあたりまでの体の裏側に痛みが走りました。朝が特にひどく歩くのにも苦労しました。痛みを我慢して歩いているとだんだん痛みが消えます。近くの大学付属病院で精密検査をしたところ、背骨の腰の辺りの骨の間隔が少なくなって痛いのだといわれました。完治する見込みはないとのことでした。仕方がないので時々痛み止めの薬を飲みましたが、後は何もしませんでした。今はだいぶ痛みが少なっていますが、いつも爆弾を抱えている状態です。そのあとが心臓カテーテルでした。
 健康は失われてそのありがたみがわかります。これからは病気や痛みと折り合いをつけながらマイペースで行くしかないと思っています。

2.お金を使わないで人生を楽しむ
 年金生活者らしく、だんだんお金を使わないで人生を楽しむ習慣がついてきました。昨年体験したそのいくつかをご紹介します。
(1)読書
 この1年、主に図書館で借りた本を年間66冊読みました。主に歴史小説、時代小説、翻訳小説、随筆などです。退職後は現役時代の電車の中という読書室がなくなって読む本の数が大きく減りました。そこで最近は深夜に読むことにしました。深夜1度目が覚めた時、1〜2時間読むのです。疲れるとまた眠って朝を迎えます。おかげで多少読書量が増えました。
 読む本は今まで読みたくて読みそびれていた本や以前読んで感銘を受けた本などです。最近の芥川賞や直木賞受賞作品などには手が出ません。カラオケで唄う歌が最近の若い歌手の歌でなく懐メロになってしまうように、読む本も歴史物や時代物だと司馬遼太郎、池波正太郎、藤沢周平などになってしまいます。歳のせいでしょうか。

(2)スポーツテレビ観戦
 昨年は、アテネ・オリンピック、メジャーリーグ、高校野球と大いにテレビ観戦でスポーツを楽しみました。アテネ・オリンピックは予想以上に日本がメダルを獲得しました。メジャーリーグは両松井とイチローの活躍で日本中が沸きました。高校野球はふるさと愛媛県の済美高校が初出場で春優勝、夏準優勝と大活躍でした。またプロ野球のスト騒ぎや新球団の加入があり、おかげでテレビを見る時間が増えました。
 一方巨人が弱かったので巨人戦は殆ど見ませんでした。巨人ファンとしてはさびしい1年でした。

(3)日帰りバス旅行と1泊バス旅行
 ある事情で海外旅行を避けていたので、一泊のバス旅行と日帰りのバス旅行に出かけました。一泊のバス旅行は3回、日帰りバス旅行は7回ほど利用しました。バス旅行のいい点は費用も安いですが、近くの駅から出発することです。ツアーは土産店に立ち寄りすぎるわずらわしさがありますが、効率的に観光地を回ることができます。山梨県に行ったのに帰りのお土産に鮭の新巻やカニやアワビが出た風変わりなバスツアーもありました。浜名湖花博日帰りツアーではバスに乗っている時間が12時間強、見物している時間が3時間弱という強行軍でした。

(4)ウォーキング
 昨年もしまなみ海道スリーデーマーチに参加しました。1昨年はじめて歩いたのですが、コースのすばらしさに魅せられて弟とまた歩きました。
 東京国際スリーデーマーチや多摩川みずウォーク・ツーデーマーチを一日だけ歩きました。大江戸御符内八十八ヶ所めぐりでは般若心経を唱えながら歩きましたし駅からハイキングにも何度か参加しました。歩くことがすっかり生活の一部になっています。

(5)中国語の勉強
 数年前から中国語のラジオ講座を聞いていましたが、昨年4月から我孫子生涯学習センターで開催されている中国語講座に参加することにしました。やはり仲間がいると励みになります。参加費は月3回で3000円、楽しみながら学んでいます。先生は台湾出身の頼りがいある女性です。台湾の北京語という感じで、文字も繁体字と日本の漢字のミックス、簡体字はほとんど使いません。ピンインの代わりに中国の発音記号を使うため、戸惑っていますが何とかついて行っています。
 若いころに比べて格段に落ちた理解力と記憶力を奮い立たせて学んでいます。

3.加入している会やサークルの見直し
 今まで加入していた同好会や趣味の会をいくつか辞め、新しい会に入りなおしました。
 やめた事情はそれぞれ違います。東京ハイキングクラブは集合場所が遠くて早いため、民謡の愛友会はマンネリになったため、東京都中推協はイベントの開催場所が遠いため、生涯大学歩こう会は会員数があまりにも多いためなどという理由です。
 一方新たに加入したのはいずれも地元の会です。NPO法人あびこ・インターネット・博物館、生涯大学我孫子校友会、あけぼの会です。
 「無理をしない」がモットーです。

4.7年間続いている仕事
 サラリーマンをやめたあとお手伝いしている日本アイビーエムグループの新入社員研修の仕事が7年間続いています。昨年は新入社員の数が減ったためお手伝いの日数は減りましたが、若々しい受講者の前に立つと身が引き締まります。
 私の担当するクラスは、家庭や学校での教育で欠けているマナーを徹底することから始めますが、受講生は素直に聞いてくれます。半年間で成長する姿を見るのが楽しみになっています。

5.7年目の手賀沼通信
 昨年も多くの方からすばらしい文章をいただきました。そのためもあって昨年は6ページ立てが3回にもなりました。
 また我孫子市民図書館が我孫子市の資料を集めている書架に手賀沼通信をおいてくださることになりました。第1号からコピーして持参しました。その後も毎月お届けしています。生涯大学で我孫子生涯学習センター長が講演をされたとき、発行したばかりの手賀沼通信を名刺代わりにお渡ししたのが発端です。大変名誉なことと感じています。

6.パトロールのボランティア
 我孫子市若松は30数年前に手賀沼を埋め立てて作った住宅団地です。住民がだんだん高齢化して、若松でなく老松だなどと皮肉っています。ご多分に漏れず最近は空き巣や忍び込みや車上荒らしの被害を受けています。我が家も3年ほど前に夜中に忍び込み泥棒に入られました。そして1昨年から昨年にかけて被害が多くなりました。
 そこで何人かの仲間と防犯パトロールを始めました。防犯マークの帽子と腕章を身につけ、赤色に光る警棒を持って自治会の道筋を1周します。参加者で手分けして週2回パトロールしています。

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