今月は弟のエッセイと私の「ホームページ開設記」をご紹介いたします。
 弟はエッセイを書くクラブに入っていて、毎月一編のエッセイを書いています。
 「ホームページ開設記」は3月に公開したホームページ作成の体験談です。ご参考になれば幸いです。

特別寄稿
菜の花についてのとりとめのない思い

新田慎二     

この国のかたちは見へず菜の花忌
 2月12日は菜の花忌、司馬遼太郎の命日である。彼はこよなく菜の花を愛で、そして1996年、この花が咲き始める時期に逝ってしまった。今年の菜の花忌、その一週間後中山道近江路を歩いた。「湖東」と呼ばれるこの辺りは水郷と呼ばれるだけあって、澄んだ水の小川や、そこから水を引いた掘り割りがそこここにあり、掘り割りには大きな鯉が浮かび、こんもりとした木々の大きな屋敷がある。湖東は近江商人発祥の地なのだ。折からの雨の中で、菜の花が濡れてしっとりしていた。司馬さんは晩年「街道を行く」という紀行文に力を注いだが、この地方についての記述もあった。特殊な計算能力を持った渡来人が住んでおり、その末裔が近江商人になったのではないかと、またこの地方に散在する寺のいくつかは明らかに渡来人系の寺であると、そんなふうにも書かれていた。

 歩いて菜の花を見ながら、この花との出会いを思った。私にはこの花との印象的な出会いの記憶はない。それはこの花が日本の農村部ではきわめて一般的な農作物だったからであろう。四国では「なたね」といっていた。だから菜の花が咲いたと言わずに「菜種の花が咲いた」と言っていた。「野菜」ではなく「種物」と見ていたようだ。

 初めて菜の花を意識したのは、小学校の教科書に載っていた志賀直哉の「菜の花と小娘」であった。志賀作品との初めての出会いでもあった。流されてゆく菜の花と少女の会話がなぜか記憶に残っている。文章のすばらしさもこの時味わったのかもしれない。後年私は志賀直哉の文章を真似したことがある。志賀の「城の崎にて」「焚火」や串田(孫一)の「山のパンセ」ような文章が書けたらと思ったものだ。

 子供の頃はこの花の匂いはむしろ嫌いであった。ツーンと来る刺激的な匂いは花の香というにはほど遠く、あまり好きなものではなかった。しかし唱歌の「朧月夜」は子供心ながらすばらしい季節感を感じた。あの頃の小学唱歌は季節感に溢れた歌が多く、特に好きだったのがこの歌と「早春賦」そして「夏は来ぬ」だった。話は飛ぶが、東海道を歩いていた頃伊勢の石薬師という小さな宿場町を通った。そこには佐々木信綱記念館があり、卯の花が植えられていた。「夏は来ぬ」の作詞者佐々木信綱の生家だった。静かな佇まいの家はきれいに掃き清められていた。
ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲
 この流れるような美しい歌が信綱の歌であることを知らなかった。「の」がとても美しい日本語だと思った。「の」の度に視線は上がりついに空にいたる。啄木の有名な「東海の小島の磯の白砂に…」の歌も「の」の美しい歌だがこちらは「の」の度に小さな世界に入り込んでゆく歌でもあった。

 菜の花に戻ろう。数年前妻と飯山という北信濃の美しい町へ行ったことがあった。千曲川に沿って飯山線が走りおだやかな田園風景が広がっていた。この辺りが「朧月夜」や「故郷」を作った高山辰之の生まれたところであった。飯山でお会いした水彩画家の岩上隆静先生の絵にも菜の花が多く描かれていた。先日新聞を読んでいたら、この歌詞は蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」を受けているという。なるほど「なの花畑に入り日薄れ…夕月かかりてにおい淡し」まさに蕪村の世界が歌い込まれているではないか。そんなことはまったく認識しないでこの歌を歌っていた。柿本人麻呂の歌に「ひむがしの野にかぎろひの立つ見へてかへりみすれば月傾ぶきぬ」というのもあり、蕪村もこの歌が意識の中にあったかもしれない。

 菜の花の別名「アブラナ」はその名の示すとおり「油菜」すなわち行灯の油として珍重された。油売りという商売が信長の時代にも現れ、斎藤道三はもと油商人だったといわれている。北ヨーロッパ原産といわれるこのアブラナは中国を経て奈良時代にはわが国に来ていたと言われ、食用、灯り用として広く栽培された。蕪村が詠んだのは江戸時代であったが、その時代の主要農産物であったことは想像に難くない。明治に入って「西洋アブラナ」にとって代わられたのは収量が違ったことによると辞典にある。

 京都土産に菜の花漬けという漬物があった。大学時代四国の母親も、東京小平の下宿のおばさんもこの漬け物が好きで、往復の途中で菜の花漬けを買ったものだ。単なる塩漬けの菜の花で、取りたてていうほどの味でもないが、大人達は季節感と大原あたりの風景を食べていたのかもしれない。母親も下宿のおばさんも土産を買ってきたというだけで大喜びし、その後の副産物は初期投資を一けた上回って戻ってきた。あの頃の土産はほかに「静岡のわさび漬け」「小田原の蒲鉾(東京むけ)」「横浜のシュウマイ(四国むけ)」だった。

 会社に入って九州に赴任した。山好きな仲間を誘い北部九州の山を歩いた。ある時「万年山」という大分の山を歩いた。九大線という博多ー大分を結ぶラインは筑紫次郎と呼ばれる筑後川をさかのぼり、日田盆地を過ぎ分水嶺を過ぎると大分に向かって一気の下りとなる。久住山地の北部に万年山はあった。山頂は展望が開け下には線路と蛇行する川と盆地が開けていた。ちょうど菜の花の頃で、菜の花の黄色とれんげ畑のピンクがパッチワークのように模様を描いていた。

 仙台での菜の花の思い出は奥松島である。辺鄙なところだが菜の花がきれいだというので出かけてみた。目的の「朴島」には船で渡るしかない。ほとんど誰も乗っていない連絡船で15分ばかり、島は菜の花の中にあった。全島が菜の花に覆い尽くされあの強い春の香りをまき散らしていた。この島は種苗会社が菜の花の種子を採るため、島民に委託して栽培してもらっているという。「どうして?」と聴くと、島が海に囲まれ蜂の往来がなく花の交配がないため純粋な種子を採れるのだとか。
 なにかを叩く音がしている。覗いてみると牡蠣打ち場だった。5・6人の女性が蠣を叩いて殻と身を分けている。「食べてみるかい?」と初老の婦人からひょいと渡された牡蠣は大きかった。飲み込むと冷たい牡蠣の身が塩味のする重量感を味わせて胃の中に落ちていった。スケッチがあって90・4・25と記されている。
蠣打ちの小屋は菜花に埋もれて

 こんなことを書きながら本当にこの国に生まれてよかったと改めて感じている。この季節感、不思議にリズミカルな韻を持つ言葉によって醸し出される季節感、そのなかで生活出来る充足感を味わっている。今日は雨、この水気を含んだしっとり感がまたいい。雨は土の中に音も立てずにしみこんでいく。やがて、一気に草の芽が萌えだし繚乱の春となる。菜の花はそんな春を待ちかねて今を盛りと燃えている
楠の木の元まで濡らせ菜種梅雨

ホームページ開設記

1.ホームページ開設を思いつくまで
 ホームページを作ってみようと思いついたのは、ちょっとしたきっかけからです。
 昨年NPO法人「あびこ・インターネット・博物館」の会員になりました。この会は我孫子市内の伝統文化、自然環境、市民活動、我孫子で生まれ社会貢献した方々の伝記などを映像作品にまとめ、インターネットのホームページで公開しています。地域の文化資産を構築する事業で、ビデオ制作が活動の中心です。ところが私はビデオはやらないため、ホームページで会の趣旨に合ったお役立ち情報を考えるしかありません。
 そこで手賀沼を目玉に、観光案内を載せようと考えました。自分の趣味を活かしてウォーキングガイドにすればそこそこのものができるのではないかと思ったわけです。
 昨年、東京都中推協がホームページを作ったとき、ワードで原稿を作りました。私は手賀沼通信を作っているのでワードはある程度使えますが、ホームページ作成の知識はまったくゼロです。ホームページ作成はお手のものという仲間がその原稿を元に画面をデザイン、あっという間にホームページを作りあげ公開しました。今回も原稿さえ作ればベテランの仲間が「あびこ・インターネット・博物館」のホームページの中に組み込んでくれるだろうと安易に考えていたのです。
 ところがその後自分で構成やデザインを考える必要があるというのがわかってきました。会のホームページは、ITが得意だった(?)森首相のときに作ったインターネット博覧会(インパク)出展内容が元になっています。内容が豊富でかなりレベルの高いものです。そこにど素人の作ったものをど素人が組み込むと、足を引っ張ること間違いありません。
 ここは別に自分のホームページを作って、会のホームページとリンクを取り合うほかないと思うようになりました。私のホームページのタイトルは「手賀沼へいらっしゃい」と決めました。

2.まずホームページビルダーとJCOMの勉強
 2年半前に買ったIBMのデスクトップのNetVistaにはホームページビルダーのバージョン6.5ライトがついていました。今までは一度も使っていなかったのですがこれに頼るしかありません。パソコンに組み込みのソフトのためマニュアルは印刷する必要がありました。
 ホームページビルダーはホームページ作成のソフトとして圧倒的な人気を誇るだけあってよくできています。たしか8年程前に買った2代目のパソコン、Aptivaにホームページビルダーのバージョン1がついていたのを覚えています。そのときはあまり使い物にならなかったのではないかと思いますが、今はバージョン9になって格段に進歩しました。
 ホームページの画面を作るには通常HTMLという言語を使ってプログラムを書きます。ホームページビルダーは全くHTMLの知識がなくても画面をデザインすることができます。
 ホームページは契約しているインターネットのプロバイダーのサーバーの中に保存され、ユーザーがホームページのアドレスを指定するとそこから読み出されます。私のプロバイダーはJCOMです。ホームページを公開するには、自分のパソコンの中で作ったファイルをJCOMのサーバーに転送する必要があります。JCOMは無料で100メガバイトの場所を提供してくれます。その場所をWebSpaceといいますが、登録するとまず10メガのSpaceがアサインされ、その後必要に応じて増やすことができます。JCOMでは5つまでのホームページを持つことができます。
 ホームページのアドレスは
 http//members3.jcom.home.ne.jp/アカウント名/
です。アカウント名にはメールアドレスの@の左側の名前になります。私の場合はynittaです。
 「あなたはxxxxx目の訪問者です」といったアクセスカウンターもプロバイダーが用意しており、ユーザーがホームページを見るたび計算して表示してくれます。
 このようなルールはプロバイダーのホームページに出ているのでそれを注意深く読みました。当然のことながら登録や転送のときに1文字でも間違えるとホームページが思ったとおり動きません。私の場合も一度ではうまくいかずやり直しました。

3.準備は楽しい
 「手賀沼へいらっしゃい」は手賀沼ウォーキングを楽しみたいという人に、月別のお勧めコースを紹介するものです。
 準備としては
@他の観光案内HPを調べ、ダブらないように毎月のベストのコースを設定する
Aコースの観光スポットの写真を撮る
Bコース地図を描く
CリンクするHPのオーナーに了解を取る
などがありました。
 手賀沼は古くは白樺派の文人が暮らした風光明媚な場所として、最近では日本で最も汚染された沼として有名になりました。そのため手賀沼観光ガイドのホームページも少なくありません。我孫子市の「我孫子ふるさと散歩ガイド」や手賀沼を囲む2市合同の「ふるさと手賀沼を巡る旅ガイド」などすぐれたホームページと同じようのものを作っても意味がありません。
 そこで月別にお勧めコースを設定することにしました。12ヶ月分を一挙に設定するには時間がありません。そこでまず4月から6月のコースを決めました。
 見てもらうためには視覚に訴えるのが一番です。そこでできるだけ写真を入れることにしました。今まで撮り溜めしていた季節の写真を利用することにしましたがそれでは足りません。お天気のよい日を選んでカメラ片手に自転車で手賀沼を1周しました。公共機関のホームページの写真を使うことも考えましたが、著作権の問題があります。全部自分で撮った写真をそろえました。
 コース地図が一番の課題でした。絵心のあるひとなら簡単に書けるでしょうが、子供のころから図工がもっとも苦手の科目でした。そこで簡単なお絵かきソフトはないだろうかと息子たちに相談したら、フリーソフトとシェアウェアの一覧が出ているHPを紹介してくれました。そのなかから「かんたんマップ」をダウンロードして使うことにしました。説明に「小学校の低学年の生活科の学習で使用することを考えて作成しました」とあったので、私でも使えると思ったからです。何度か失敗しながら下手な絵を何とか描きました。
 リンク先には親元の「あびこ・インターネット・博物館」ほか、我孫子や手賀沼の定番有名HPを選びました。リンク先に電話で了解を求めたところ、ぜひお願いしますという答えが帰ってきました。私の「手賀沼へいらっしゃい」も、ご遠慮なくぜひリンクして欲しいと思っています。
 またこのHPでは製作者がまったく見えません。手賀沼通信が掲載されているHPへリンクしていますが、これは大学の後輩北村尚巳さんが作っている大学ゼミ恒友会のHPのなかの手賀沼通信のページです。ここで始めて私の名前が出てきます。

4.手探りの作成
 ホームページビルダーは大変使いやすいソフトですが、その特徴をつかむのに少し時間がかかりました。最初ワードで作った原稿をホームページビルダーのページにコピーしましたが、文字と図と写真の配置がうまくいきません。文字と図と写真が鬼ごっこを始め、収めたい場所に収まりません。お互いが干渉しあって動いてしまいます。
 ワードからのコピーは文書だけにして、図はホームページビルダーの素材から取ってきて、写真はデジカメのファイルから持ってくるようにしました。
 画面分割も試みましたが、内容が分割するほど複雑でないので結局やめました。最初背景は白でしたが、ほかのホームページが背景やデザインに凝ったものが多いので、ちょっとばかりまねをしてみました。もともとデザインなどのセンスがないので幼稚なものになってしまいました。文字の色が見にくいところがあるとのご指摘もいただきました。少しずつレベルアップを図ります。
 各ページが完成したあと、自分のパソコンでうまく動くのを確認して、JCOMのサーバーに登録をしました。そしてインターネットで動くことを確認した後今度は検索サイトに登録しました。YAHOO,INFOSEEK,GOOGLE,LYCOSに登録しましたが、検索できるようになるには5日から10日くらいかかりました。
 「手賀沼へいらっしゃい」と入れると当然のことながら一発で出てきます。5月15日現在、「手賀沼」で検索すると、ヤフー以外の検索エンジンでは数千から数万件出てきます。多すぎて探しようがありません。「手賀沼」と「月ごと」で検索すると出てきます。なぜかヤフーは「手賀沼」で検索すると、わずか21件しか出てきません。私のものは当然その中には入っていません。キーワードが合っているのに不思議です。ヤフーはほかと違った検索方法をとっているようです。

5.今後の計画
 これからの計画はまず年間の月ごとのコースを入れて、ホームページとして完結することです。
 花などは昨年以前に撮りだめした写真を使っていますが、できれば今年のものを入れたいと思っています。モデルを決めて一貫性やストーリー性を持たすことも考えています。理想はすべてビデオやDVDの動画にすることですが、無料で使える100メガでは無理でしょう。
 デザインや内容ももっとあか抜けたお役に立つものにしたいと思っています。皆様方のご意見やご批判をいただきたくよろしくお願いいたします。

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