今月は森實様から闘病記をいただきました。 森 實 平成13年11月我孫子市のレントゲン検査にて、おかしな影が撮影されておるとの市保健所から連絡を頂きお礼を申し上げると、フィルムを貸しますから取りに来てほしいとの話、大きな病院で精密検査を受けたら良いでしょうとアドバイスを頂き、治療に通っていた松戸市民病院の血管心臓外科で事情を説明し検査を依頼した。 医師はCT撮影を手配、指示に従いレントゲン室に行き造影剤を入れながらの検査を受けた。 フィルムを預かり、医師に届け、検査結果を聞き、始めて胸部(弓部)大動脈りゅうと三井医師(医師らしい人だが無愛想な方だなーとそのとき感じたが、まさかこの医師が後日自分の手術の執刀医とは気づかなかった)から宣告され、自覚症状がなくショックを受けた。 大きさは5cmでこの大きさは当面は手当ての心配はなく、(半年)毎にCT検査をしてゆき結果をみながら都度検討してゆきましょうとの話であった。 三度目の検査の平成17年7月の検査で大動脈りゅうが5.5センチの大きさになり、診察した芝入部長先生が、このまま放置しておくと破裂し死を招くと説明を受け手術をすすめられた。 帰宅後丁度その夜神戸に住む次男が東京出張で来たとうまい具合にきたので、家族会議を開き親父が今死んでは困る、生きる方向を考えろと結論がだされ手術の方向が決まった。 次の外来診察で手術を受ける旨話し、すぐにカテーテル検査入院(2泊3日)が決まり6月23日〜25日の日程となった。 当日身支度を整えて、身一つ気軽に病室に入り病室には、心臓病の人が多く大半が年配者であった。夜寝付かれそうになく、看護師に睡眠薬を頂き9時消灯にあわせ飲んだ。 夜中いびきやナースコール、痰を出す音等騒がしく、目がさえて寝付かれず、おきだして看護師のおる場所に行き、とても寝られない睡眠薬でなくトンプクを寄こしたのではないかと文句を言ったら、医師に聞いて新しい薬を持参する由。(この経過が後日の入院で看護師の反撃にあうこととなった)持参した睡眠薬を服用、強烈に効き目があり翌朝も目覚めず、昨夜の看護師に起こされる始末、失敗の第1回目。 カテーテル検査については、事前に知人の体験記事を読んで予備知識は持ってたつもりだが、いざ検査のベッドに横たわると不安感が走った。 カテーテル検査 最初は右手首に麻酔を打ちカテーテル検査が開始、途中右肩のあたりでもぞもぞしてたが、担当医がこれ以上進めない、場所を変更しょう、心臓外科の主治医に連絡し急遽左手首に変更、再度麻酔を打ちカテーテルを入れなおしで再開、今度は円滑に行った、心臓・動脈りゅう・肺等必要な写真撮影に成功、予定の時間を経過したが完了したようだ。 血管内の流れを妨げるものが多かったためスムースにいかなかったようだ。 入院患者にあとで聞いてみると、大半の患者が高齢者のせいか同じような経過で検査を終えていたようだ。 入院準備 貯血 手術の際の輸血用の血液は自らの血液を事前に用意し貯血する由、1,200ccを400CCずつ3回に分けて採血した。 これとは別に血液検査を行い、C型肝炎、エイズの有無、血液型等しらべた。 MRI検査 以前脳梗塞の経験があり、脳の状態を調べたようだ。 レントゲン検査、心電図、肺活量。エコー検査等様々な検査を事前に受けた。 入院するとネームバンドの装着が義務づけられ(左腕)、退院までつけている。 私の入院暦(結婚後) @S36年ヨコハマ松島肛門科入院 AS46年平高木耳鼻咽喉科入院 BS49年名古屋本郷外科スポーツで転倒、足にヒビ入院 CS53年胆石浦和共済病院入院 DS55年慢性間接リュウマチ虎ノ門共済病院(水戸から通院治療、上野駅に着くと体が硬直、次の動作に 移るのがきつかった。) ES63年脳梗塞千住内田病院入院 職場の紹介で広尾日赤に転院入院(投薬治療で完治) FH3年硬膜下血腫松戸市民病院手術入院 GH12年硬膜下血腫松戸市民病院入院(投薬治療で完治) H今回胸部大動脈りゅう(入院手術) 入院合計9回 発病の要因か 5年間単身赴任をした名古屋熱田の店(中間管理職)、酒付き合いとマージャンの付き合いが多く、自宅の家族のさまざまな生活の苦しみを無視した生活であった。このため自分の血管をボロボロにしてしまった。 この当時ダメと言えなかった。今更反省しても後の祭り。 手術について 予め担当医師から手術についての説明を受けた。家内と二人で聞いた今回の手術は、高額医療費に当たり保険外だと400万くらいの費用がかかる。このために、我孫子市に事前に文書で承認申請をしますとのことだ。さいわい私は高齢者保険受給者なので心配は要らないでしょうとのことだ。 7月22日朝9時に迎えが来て手術室に向った。途中点滴で麻酔をかけられ、手術の完了まで何も判らずじまいでした。 (所要時間7時間30分)、あとで家内から聞いた話だと、執刀医からもし6時を過ぎて連絡のない場合あきらめてほしいと事前に言われていた由。 医師から麻酔を覚ます声がかかり、名を呼ばれ反応したようで、成功したと話され生還できたのだと知った。待合室で待機していた家族にも連絡ありホットしたようだ。 その晩は集中治療室に入った。 最初に家族の対面が行われ、まだ麻酔が効いている身、次男が最初に声をかけてきたが(親父大変な手術良くガンバった)、その後は家内、娘、長男が順番に話しかけたらしいが覚えていない。 集中治療室は大変騒々しくナースコールの音、痰きりの音でとても寝付けなかった。(痰きりは肺炎予防のため看護師、医師から必ず取り組むように注意された) 結局この部屋に3泊させられた。 なお、手術の翌日に重湯とグレープジュースの食事が出されたようだが覚えていない。 やっと一人部屋に移されたが、体中に器具が取り付けられ身動きできない状態で看護師の世話になった。 なにはともあれ生還できたことに感謝感謝です。 同じ時期に入院した人で手術途中で亡くなった方もおられた。 貯血をともにした私より少し年下の姫子さんは、手術前日病室でお会いし大変心配されておられたが、彼女は動脈りゅうが2カ所ある由、貧血気味であり自覚症状がなく、手術をいま受けることに疑問を感じてたが、私が医師が今の時期を決めた以上全て医師に任せ、まさにまな板の上の身、悪い部分を除去してもらう以外道はないのだから安心して受けましょうと話していたが、気の毒に帰らぬ人となってしまった。翌日娘さんが私の病室にこられ、生前最後の言葉を掛けて頂きありがとうございましたと挨拶にこられた。正直返す言葉がなかった。 同じ病室の方で2〜3人の人が帰らぬ人となったようだ。私はしわがれ声になったが、無事生還できただけ幸せ者だ。 看護師(看護婦)について 病室の看護師は、30〜40人をベテランと若手を混成して、チームを組んで仕事しておるようだ。 看護師さんは、患者のお世話を全て担当するので確かに多忙で夜間勤務もあり、IT化でパソコンの修得も加わり、やさしく思いやりを持って患者に接する等の余裕などとても望むのは無理なようだ。もっとも看護師さんも色々な性格があるようで、患者の理想の人も何人かおられた。 完全看護を目指しておるので多忙は止むを得ないのかも知れないが、様々な患者と接する仕事を望んで選んだ職業なので患者のために頑張ってほしい。 家族の絆 今回の入院で一番世話になったのはやはり家内で、感謝の気持ちで一杯だ。看護疲れから段々顔色が悪くなるようで気がかりであった。 病院の食事は塩分抜きで味がなく、全粥で他に食べるものが与えられないため全部食べたが、夕食時家内が立ち会うとき、普段家庭で箸をつけないようなものを食べている様子を見て、冷ややかな目で見られ辛かった。 ついで我が息子が中高生位から反抗し、今も私と向き合って話をしない子が、妻と交代で看病してくれ、回りの人から良い息子さんがいてよいですねと言葉をかけられ、複雑な気持ちであった。退院後も二人で面倒を見てくれており感謝感謝です。 退院後の療養 8月17日無事退院、自宅の玄関に入ると匂いの違いに気づき、かえってきた実感が沸いた。 暑さ厳しい時期で夜分寝ていても汗をかき、下着の交換で大変で、翌日洗濯物の山で、またまた家内の世話になる始末であった。 毎日朝、昼、晩の薬の準備と血圧測定、体温の測定(長男担当)、手術で切られた鼠部の傷跡治療(家内が担当)、体調は長い入院で足腰の弱りから歩行が困難で、早朝家内と二人で森林浴を兼ねた朝の散歩をしたが、天気が悪いと中止し無理せずゆっくり回復を待つようにしてきた。 毎夜の汗はその後もあり、外来で病院に伺った折、三井医師に聞くに人工血管が体にまだ、なじまないのかもしれないとのことであった。 毎日3回は着替えをする始末であった。医師に横になると胸の両方が痛むと話すと手術のときに肋骨をこぶしほどの間隔で左右に開いたので肩にかけて痛みが残ると初めてきいた。 多くの方にご心配をお掛けし、一日も早く元気を取り戻したい気持ちで一杯だ。 手術後しわがれ声になり十分に話せず辛いが生還できたことで我慢我慢だ。 NHKラジオ深夜便へのお願い 高齢者の方には、夜11時20分から朝5時までのラジオ深夜便を聞かれた方が多いと思います。 私も4年前に前立腺肥大症の手術で入院したとき以来、ラジオ深夜便を聞くようになりました。特に、午前2時からの「ロマンチックコンサート」と、午前3時からの「にっぽんの歌、こころの歌」が好きで、うつらうつらしながら小さな音で聞くともなしに聞いています。 「ロマンチックコンサート」は、クラシック、ジャズ、シャンソン、タンゴ、映画音楽、などの洋楽中心の番組です。「にっぽんの歌、こころの歌」は歌謡曲、フォークソング、小学唱歌、邦楽などを聞かせてくれます。なつかしのメロディが多く、ファンのほとんどが高齢者です。 番組はアンカー(碇)と呼ばれるシニアなアナウンサーが1人で担当します。私がお願いしたのはアンカーによって曲の間に入る手紙の読み上げをやめてもらえないかということでした。手紙の内容はほとんどプライベートなことで、書いた人の思い入れがいっぱい、聞いている人にはあまり価値のないものが多いのです。それよりは1曲でも多く音楽を聴きたいという気持ちがあります。 そこで下記のような手紙をアンカーの人数分コピーして出しました。 NHK ラジオ深夜便 アンカーの皆様へ アンカーの皆様には真夜中のお仕事大変と存じます。ありがとうございます。 いつもラジオ深夜便を楽しみに聞かせていただいております。特に午前2時からと3時からの音楽番組を楽しみにしております。 ところがその中でいらいらするというか、時には腹立たしくなったりやめて欲しいと思うことがあります。それは曲や歌の間に聴取者の「お便り」が入ることです。アンカーの方の中にはお便りを入れられない方や最後にまとめて入れる方がいらっしゃいますが、お便りを途中で入れる方も多くいらっしゃいます。 お便りが聞いている人間にとって何らかの価値をもたらすものであれば我慢できますが、殆どは自分や家族や友人の思い出などのプライベートな内容でこちらにはほとんど聞く価値がありません。せっかく1曲でも多く聴きたいと思っているところに、無関係な人のお便りが入るとがっかりいたします。興をそがれること大です。おそらく喜ぶのはお便りを出した人とその関係者だけではないでしょうか。 アンカーの方もご自分が担当された番組に対してお便りをいただくことはうれしいことでしょう。それを紹介したいお気持ちはよく分かります。 そこで提案があります。お便りを番組の途中で入れるのではなく最後に時間をとってそこでまとめて発表するようにしていただきたいのです。そうされるアンカーの方がおられますが、私たちの気持ちを汲んでくださっているものと感謝しております。お便りを出した方もいつ自分のものが読み上げられるか、番組の間中耳を凝らしている必要もありません。またお便りを聞きたくない人はその間は音を小さくしておればいいのです。ぜひ私の提案を採用されるようにお願い申し上げます。 深夜便をより気持ちよく聞けるようご配慮のほどお願い申し上げます。 じつは同じように感じていた人がいて、私よりも前に手紙を出し、その手紙がアンカーの1人によって放送されていました。 私の手紙はそれと同じ考えの人がいるということを知ってもらい、お願いを聞いてもらうためでした。 結果は、番組の途中での手紙読み上げが少し減って、番組の最後に読み上げを持ってきてくれるアンカーが増えたような気もしますが、確信はありません。以前NHKにラジオの英会話の時間を変えて欲しいとお願いして実現していただいたことがあるのですが、今回は目に見えて結果が見えるものではないので、お願いをお聞きいただけたかどうかは分かりません。 NHKに勝手なお願いをしましたが、考えてみればこの手賀沼通信も、私の思い入れや思い込みばかりで、深夜便の「お便り」と同じく、読者の方にとってはあまり価値のないものかもしれません。そのときは遠慮なくメールを消すか新聞をゴミ箱にお入れください。 |