テキスト ボックス: 高齢者の豊かな生活のために                       1999年4月20日発行
手 賀 沼 通 信 (第13号)    〒270-1147千葉県我孫子市若松151-3
  (TEL&FAX:0471-83-2898) (E-mail:y-nitta@mvc.biglobe.ne.jp)             新田良昭

  退職して1年たちました。手賀沼通信も2年目に入りました。
  今月はこの1年間を振り返って感じたこと、気のついたことをまとめてみようと思います。他人の生活などあまり面白いものではありませんが、なぜか「定年本」が売れているとのこと、せめてこれから退職される方が「こんな生き方もあるのか」と感じる程度の参考にはなるのではないかと思います。
  なお、定年後の諸手続きや考慮点などの詳細については、号を改めて書くつもりです。


1.60歳台は人生の収穫のとき

  私が退職してサラリーマン生活から足を洗おうと考えたのは1996年の秋60歳になろうとしていたときでした。60歳の男性の平均余命は20年、80歳で人生の終焉を迎えるのが普通ですが、元気で動きまわれるのは60歳台のあと10年と考えると、そろそろ今までの人生と違ったことをやってみたいと思ったのです。

  1993年6月日本アイ・ビー・エムをセカンドキャリア支援プログラムで退職し、その年の7月からアコムで教育部顧問として社内の人材育成に携わってきました。アコム教育部はとても居心地の良い職場でした。上級管理者研修の企画実施や自己啓発支援以外には特に決まった仕事はなく、毎日9時から6時までの勤務時間を自分で自由に使えました。ただ、入社したとき少なかった教育部の管理者層が育ってくるにつれ、私の出番が少なくなってきました。
そして1996年にスタッフ部門のスリム化が発表されたとき、若い人が現場に出るのに私のような高齢者が居残っていては申し訳ない、そろそろ身をひいて次の人生に挑戦するときだと感じたわけです。そして1年半後61歳で会社生活に終止符を打ちました。
  ときどき「定年後は何をしたらよいかわからない」ということを聞きますが、やりたいこと、好きなことが集中してできるのが定年後だと思います。花の60歳台などという人もいます。花というにはむさくるしすぎるので、黄金期とでも言えるかもしれません。今までの人生で育ててきたことを刈り取る時ではないでしょうか。
  そして仕事人生であまり触れ合うことのなかった地域社会との交流を広げるとともに、家族を大切にして特に夫婦二人での生活をじっくり楽しむチャンスだと思います。


2.退職して嬉しいことと困ること

  退職して一番嬉しいことは、何といっても自分の時間を自分で自由に使えることです。もちろん一人で生活しているわけではないので、100パーセント自由になるわけではありませんが、好きなこと、今までやりたいと思っていて時間がなくてできなかったことが実行可能になったことです。一人新聞の大先輩の三好さんはご夫婦で土佐に移住し農業や酒造りや自分の手で自宅の建築まで手がけています。私設図書館を作って運営しようとしている方もいます。
  私は四国八十八ヵ所を歩いてまわる計画を立てています。全行程約1400キロ、普通に歩いて40日〜50日かかります。周囲の事情ですぐには実行できませんが、できるだけ早い時機に実現したいと考えています。
  その次にいいことは仕事や会社の束縛がなくなることです。私の場合は、アコムでは顧問という気楽な立場だったためあまりストレスは感じなかったのですが、それでもできる限りお役に立ちたいという気持ちがプレッシャーとなっていました。現在ではストレスは無縁のものとなりました。大雪や大雨のとき、体の調子が悪いときや気持ちが乗らないときに会社へ行く必要はありません。冬の寒い朝、起きたくなければふとんの中でゆっくり惰眠をむさぼるというささやかな楽しみもあります。

  一方、困ったことはなんといっても収入が減ることです。くわしくは次で述べますが、大切なことは一定の収入でどう支出をコントロールするかということです。
  2番目は困ったことというより気を付けないといけないことですが、はやく毎日の生活のリズムを作ることです。何もしたくなければしないですみます。
退職してしばらくすると体調を崩す人が多いと聞いたことがあります。現役の間は仕事で無理をすることはあっても、生活のパターンが決まっており心身ともそれに慣れています。また、年1回の健康診断で異常が発見できます。通勤も知らず知らずの内にいい運動になっているのです。ところが、退職すると自分で自分の生活をコントロールし、病気の発見も自分で心がける必要があります。現に私の民謡仲間で、奥さんを亡くした寂しさと気楽さから、退職後朝から飲んでいるうち体調を壊し、入退院を繰り返して、ついに歌えなくなった人もいます。


3.年金生活に入る

  私の固定収入は年金だけです。日本アイ・ビー・.エムを早期退職した際の退職金に替わる企業年金、国の厚生年金、アコム厚生年金基金からの年金と3ヵ所から年金を受け取っていますが、後の二つは合計しても60歳まで一つの会社にいた時に受け取る年金とほぼ同額です。日本アイ・ビー・エム勤務時と比べると収入は半分以下となりました。
  一方支出のほうは減ったものと増えたものとがあります。減ったものは家のローンと税金と厚生年金保険料と私の小遣いです。家のローンはアイ・ビー・エム退職時に一括返済してなくなり、税金は収入が減ったため少なくなり、厚生年金保険料は厚生年金の受給者となったためゼロとなりました。小遣いは外でのお付き合いが減ったため少なくてすむようになりました。
  増えたものは、家内の国民年金保険料と健康保険料です。国民年金保険料はサラリーマンの奥さんは支払いが免除されていますが、夫が会社を辞めると60歳まで払う必要があります。また、健康保険料は全額自己負担となるため増えます。
  退職後1年目で忘れてならないのが、前年の収入にかかってくる地方税です。退職金については所得税と地方税とも受け取り時に支払うため退職後は気にする必要はありませんが、前年の収入にかかる地方税は退職後に払う必要があります。失業手当を年金と重複してもらえる昭和13年4月1日以前生まれの人は失業手当を地方税にまわせますが、それ以後の方は退職金の一部で払うことを考える必要があります。
  小遣いからの出費ではなんといっても昼食代と飲み代がかなり減りました。その代わり交通費が増えました。定期券を持っていないと都心との往復に1300円くらいかかります。週2回出かけても月1万円以上になります。新聞、雑誌、書籍、パソコンやインターネットの関連費用など情報関連の費用は多少増えました。その他、6つほど入っている趣味の会や勉強会の費用、手賀沼通信発行費用、外食費などが小遣いの使い道です。たばこ、パチンコ、麻雀などには縁がありませんし、大分前にゴルフを止めたので大口の出費はあまりありません。


 4.大切な健康の維持

   退職した後特に健康のことを考えない日が続いていました。ところが昨年11月、別の件で病院に行ったとき、ついでにおこなった検査で糖尿病が見つかりました。自覚症状は全くなかったのですが、担当医に薦められて糖尿病の体験入院をするはめになり、痛くも苦しくもないのに何日間もベッドの上で量の少ない食事に耐えながら、栄養士の講義を聴いたりしました。その時言われたのが食事療法と毎日運動することでした。
  12年ほど前、バイクで転んで肩の骨を骨折して以来、腕を使うのが恐かったため、これといった運動はしていませんでした。ゴルフとテニスも止めてしまいました。そこで毎日手軽にできる運動として12月から足を使うウォーキングを始めたわけです。
  毎日1万歩が目標です。1万歩というと1時間20分〜30分歩かなくてはなりません。幸いウォーキングには絶好の手賀沼遊歩道が近くにあります。しかしいくら景色が良くても毎日だと飽きてきます。時間ももったいない感じです。歩きながらできることはないかと考え、まず思いついたのが民謡の稽古でした。以前作った練習用のテープで民謡を歌いながら歩きました。遊歩道の人家がなくなったところから歌い始めるのですが、民謡の場合大声で歌わないと意味がありません。いくら人家がないといっても、ウォーキングをしている人、ハイキングに来ている人、バードウォッチングを楽しんでいる人などとすれ違います。その人たちにとっては大迷惑です。まずいと思いやめました。いまはNHKラジオの英語講座を1週間分テープに録音し、それを聴きながら歩いています。
  東京で会合がある時は、いくつか手前の駅で降りて1時間くらいかけて目的地目指して歩きます。例えば、上野から八丁堀、高田馬場から中野サンプラザ、日比谷からホテルオークラ、半蔵門から新宿の都庁などを歩きました。
  我孫子から柏へ行く時も片道1時間あまりを歩きます。これも暇があるからできるのです。
  その代わり車には乗らなくなりました。自転車さえあまり利用しなくなりました。八十八ヵ所では30キロくらいを何日も歩かなくてはならないので、そのための訓練もかねています。


5.老人介護の始まり

  先日介護保険のシンポジウムで樋口恵子さんの基調講演を聞きました。その中で、「私たちの親の世代は兄弟も多く、またその親が若死にしたり、看取り三月といって口からものが入らなくなるとすぐ亡くなったため親の介護の経験者は少ない。いまは寝たきりでも数年は生きていられる。私たちは親の介護をするが、一方子供はあてにできない。私たちは親の介護から逃れられないが、子供からは介護されない最初で最後の世代だ」との話がありました。
  昨年3月29日、同居していた87歳の家内の母が亡くなりました。その時の医療や葬儀については手賀沼通信第2号に書きましたのでご記憶の方も居られると思います。その時は今の老人医療について疑問を抱きました。
  今度は在宅介護を体験しようとしています。88歳の家内の父は健在ですが、昨年から今年にかけて転んで3回骨折しました。最初は手の指でそれが直ったと思ったら次は肩の骨折です。いずれも軽傷だったので入院はせず自宅で直しました。
  そして今年の2月台所で転び左腕を骨折しました。今回はかなりの重傷でしたが、病院の先生も高齢のためなんとか手術をしないで直そうと試みました。3週間ほどギブスで固定し自宅で療養しました。しかし骨がつかないとわかり,思い切って手術をして現在入院中です。
  入院前は家内は夜はいつも父親からの呼び出しのベルを枕元において寝ていました。通院には半日がかりで付添いました。
  私と家内は今、老人介護の始まりを実感しています。いつが終わりか、どれだけ手がかかるかはわかりません。子供を育てるのは先が読めますが介護は読めません。介護保険がどれだけ頼りになるかも不明です。
  幸いなことは介護の始まりが私の退職後に来たことです。介護で男ができることは少ないですが、力のいることはこちらの役目と心得ています。また、我孫子市の社会教育ゼミで高齢者の問題について学んだ知識を自分の家族に活かしたいと思っています。家内は私の手伝いについて、「自分優先だ。自分の暇な時にしかしない」と手厳しい評価です。
  いずれにせよ、義父が天寿を全うするまで、退職後の楽しみにしていた夫婦二人での海外旅行のほうは封印しておこうと考えています。


6.手賀沼通信の1年

  一人新聞「手賀沼通信」は2年目を迎えました。先の見通しもなく始めたのですが、発行が結構楽しいのと皆様の暖かい励ましのおかげでここまで続けることができました。あらためてお礼申しあげます。
  手賀沼通信を発行し始めてから、ものの見方が少し変わりました。「これは記事になるかどうか」の物差しで見るようになりました。そして記事になりそうな時はメモを取るようになりました。新聞記事もずいぶん切り抜いています。ただ、そのまま記事の紹介をするのは、編集方針に反します。切り抜きはあくまでも正確を期するために使っています。
  今までの通信の中で特に反響が大きかったのは、第2号の老人医療と葬儀の感想、第8号の司馬遼太郎氏についてのエッセイです。第2号には多くの方から「私も同じ様な経験をした」という感想をいただきました。第8号には多くの司馬ファンの方からの共感のメッセージが寄せられました。
  5人の方に投稿いただきました。1人だけで書いているとワンパターンになります。いろいろな方に紙面を飾っていただくことは、内容を深める意味でも素晴らしいことと考えます。今後とも大勢の皆さんの投稿をお待ちしています。(申し訳ありませんが原稿料は出ません)
  デジタルカメラで取った写真を載せていましたが、ワードで張り付けるとファイルの大きさが極端に増えます。第3号では写真を6枚も入れたところ、3メガバイト近くになり電子メールでお送りすると30分もかかる方が出てきました。電子メールでお送りする方が増えたため最近は写真挿入をできるだけ避けています。

  お読みいただいている方も増えました。

                          第1号        第13号
・電子メール       約10名      約50名
・郵送               約60名      約70名
・送付依頼                0名      約35名

送付依頼は第12号で投稿いただいた「日本生きがいづくり協会」の上原さんが、協会の会報を送られる時に、同封してくださっているものです。
  電子メールの方が増えたのは、アドレスを追加するだけで手軽に送れるからです。迷惑メールとなっているかもしれません。
  多くの方から切手や郵送料をお送りいただきました。著書や推薦する本をお送りいただいた方もおられます。また何人かの方とはお互いの一人新聞を交換しています。地方の名産をお送りいただいた方もいらっしゃいました。そして電子メールやはがきや電話で多くの激励のコメントをいただきました。ありがとうございました。情報発信をしてみて初めてわかったことがいろいろあります。
  お読みいただいた感想やご意見をお待ちしています。

ご批判や注文でも結構です。2年目は退職準備中の方や高齢者のために役に立つ記事を載せるよう努力するつもりです。

inserted by FC2 system