テキスト ボックス: 高齢者の豊かな生活のために      1999年7月20日発行   新田ライフプランニング
手 賀 沼 通 信 (第16号)     〒270-1147 千葉県我孫子市若松151-3
  (TEL&FAX:0471-83-2898) (E-mail:y-nitta@mvc.biglobe.ne.jp)             新田良昭

  今月のテーマは、「定年後」です。このテーマはこれからも時々取り上げることになるでしょう。
  第13号では、私の退職後の1年をつづりましたが、今月号では昨年退職され第2の人生を楽しんでおられる大野耕一さんからエッセイをいただきました。大野さんとは日本アイ・ビー・エムの人材育成で一緒に仕事をし、その後もウォークラリーや、飲み会でお付き合いいただいています。
  私の書棚に大野さんの本が3冊あります。エッセイの中にも出てきますが、3冊の本は、作文、写真撮影、挿し絵、編集、ワープロ打込、コピー、装丁、製本すべて大野さん一人の手造りで、他所では決してお目にかかれないこだわりの本となっています。後になるほど手が込んできて、3冊目はゴッホのアルルの跳ね橋の場所で現在の跳ね橋をスケッチし、水彩画に仕立てて、その特殊なカラーコピーを1冊毎に綴じ込んでいるというほどのこりようです。現物をお見せできないのが残念です。

  なお、「ハローワーク体験記」は退職後ほとんどの人が関係する雇用保険の受け取りについてまとめてみました。大野さんの寄稿とともにご参考になれば幸いです。


特別寄稿
「第4楽章」を生きる                          大野耕一                                  

◆平成5年6月日本アイ・ビー・エムを退職、同年7月関連会社のアワーズに入社、平成10年12月同社を退職。一貫して人材育成と生涯設計セミナーを担当されました。◆

  私は、昨年12月に、40年余りの会社生活にピリオドを打ちました。それから半年が経ち、やっと落ち着いてきたので、退職後というか、還暦以後の生活の変化について考えてみました。
  一番大きな変化は、やはり定職がなくなったことでしょう。「やっと仕事から解放された」と喜ぶ人もいますが、私達は、「まだこんなに元気なのに、仕事をしなくてもよいのか」に、悩む方の世代です。正直言って、私も最初の1、2ヵ月はそうでした。しかし、半年も経つと、IBM時代に「生涯設計セミナー」で、60代はゴールデン・エイジ、これからは自分の時間を自由に生きようと提唱してきたことの実感が、徐々に湧いてきました。
  私は音楽が好きなので、人生をほぼ20年ずつ、4つの楽章に分けて考えています。第1楽章は学生時代、つまり仕込みの時期です。第2楽章は会社生活の前半期、プロとしての自分自身を確立する頃ですし、第3楽章は会社生活が集大成される時です。
  そして重要なのは、定年を迎えたときに、ステージが変わったということを認識することでしょう。つまり、定年後は曲想の変わった第4楽章に入ったのであって、第3楽章の延長ではないのです。第4楽章は、ベートーヴェンの第9交響曲だと、歓喜の歌を唄い上げる時であり、人生の収穫期です。自分の人生を、自分なりに生きる時です。定職がなくなったかわりに、自由が得られました。
  その自由は、まず趣味の領域で生かされています。このところ、2、3年毎に海外に出掛け、その成果を旅行記の形にまとめています。1回の旅行は1国に決め、テーマもしぼり、これまでに『オーストリア、音楽の旅』、『イタリア、こころの旅』、『フランス、美術の旅』と3冊書きました。いずれも、A5版で100ページ前後のものですが、すべて手造りなので、完成した時には、何とも言えない快感が味わえます。

  定年後、家にいる時間が長くなると、家族との関係も、気になるところです。一番影響を受けるのは、妻でしょう。一般的には、妻はそれまで自分のペースで家事をしていますが、夫が家にいて、それが乱されるようになると、イライラが募り、ひいていはストレスの原因になるとも言われています。夫としては、共同生活をしていることを、あらためて自覚しなければなりません。
  当家の場合、私の退職を待っていたかのように、家内が骨粗しょう症による背骨の圧迫骨折をしてしまったので、私が食事の後片付けや買物、ふとんの上げ下ろし、それに病院への送迎等をしなければならず、家事労働の時間が増えました。しかし、これも考えようによっては、私の自立のためだと思って、頑張っています。
  人は、人との関わりの中で生活しています。サラリーマン時代は、それが会社という大きな組織の中ででしたが、退職後はその比重がぐっと小さくなります。かわって、生活の場である地域との関わりが重要になってきます。私は、東京の鉄砲洲(中央区湊)というところで生まれ育ち、現在は神奈川県の平塚に、30年近く住んでいます。

  まず、ふるさとに何か恩返しはできないものかと考え、小学校の同期会の開催を思い立ちました。戦後まもなくの卒業なので、150名余の消息を調べるのに2年の歳月を費やしましたが、昨年6月、卒業50周年記念の同期会を開催することができました。50年振りの再会で懐かしさが一挙に込み上げてきたせいか、1回の集まりでは満足しきれず、その後も何回か小グループで会合が持たれ、皆さんに大変感謝されています。
  現在住んでいる平塚では、今までの疎遠を反省し、少しでも地元のお役に立ちたいと思い、市政モニターをやったり、市民団体「フレッシュひらつか21」に入り、市民の立場から行政に提言する等の活動をしています。また、神奈川県在住の40歳以上の男性で構成する地域ネットワーク「じゃおクラブ」にも参加し、《一日社会塾》の講師、湘南海岸の清掃、農園ボランティア、高齢者食事会等を行っています。
  この原稿の構想を練っている時に、社団法人ビューティフルエイジング協会から、週2日でいいから手伝っていただけないかという話が舞い込んできました。もし引き受けるとなると、家内の家事労働がまた増えてしまうので一時は躊躇しましたが、「やっても大丈夫よ。」との声に押されて、再び働く気になりました。

  こうしていろいろな団体に所属して活動していると、サラリーマン時代とは違って、毎日、違った時間に家を出て、違った場所で何かをするということになるので、その準備とスケジュール管理に結構時間がとられます。
  したがって、定職がなくなっても、暇になるなんていうことはなく、毎日、忙しくしています。私の性分でしょうか、じっとしていることが出来ないようです。
  こうして、仕事、趣味、家族、地域社会に関わり、毎日の生活から充実感を感じられることが、取りもなおさず、私の生き甲斐になっているのでしょう。


ハローワーク体験記

  6月22日約1年2ヵ月にわたったハローワーク(公共職業安定所)通いが終わりました。アコムを期間満了で退職した後、雇用保険の失業給付(基本手当)を受けるためでした。私の年齢(62歳)では、20年以上勤務の一般被保険者は300日を限度として支給され、さらに一定の条件を満たした場合は最高60日まで延長されます。したがって通常は最長1年ですが、私の場合は受給期間中にときどき日本アイ・ビー・エムの新入社員研修のお手伝いをしたためその期間が後ろに持ち越されて、1年2ヵ月かかったわけです。
  これから退職される方のご参考に、雇用保険の失業給付に関する体験をまとめてみました。雇用情勢の悪化のため、以下の体験が今後もそのまま当てはまるかどうか不明ですが、退職が目前に迫っている方には参考になると思います。

1.ハローワークへの届け出は出来るだけ早く

  いわゆる失業保険は正確には雇用保険の失業等給付の基本手当といわれます。ハローワークで渡された資料によると「雇用保険の被保険者が、定年、倒産、自己都合等により離職し、働く意思と能力がありながら就職できない場合に、再就職までの一定期間の生活を安定させ、安心して就職活動を行い、一日も早く職業生活へ復帰していただくために支給されるものです。」とあります。
  「働く意思と能力」と「失業」がキーワードです。したがって、定年後仕事をしないでゆっくり楽しもうという人には支給されません。そして、4週間毎にハローワークに出頭し、その期間失業中の認定を受ける必要があります。
  退職すると間もなく、勤務していた会社から離職票が送られてきます。私の場合は3月31日に退職したのですが、思ったより早く4月2日に届きました。ハローワークへの届けには離職票が欠かせません。通常3月31日は退職者が多いので人事部の担当者の方は大変だったと思います。
  離職票には過去6ヶ月間の給与支払額が月毎に記載されています。ハローワークではこの総額を180で割って賃金日額を算出し、その5割〜8割を基本手当の1日あたりの金額とするのです。ただ上限があり、60歳〜64歳は9910円となっています。昨年4月の受給開始時は9810円で、途中で100円上がりました。
  さっそく離職票に基本手当の振込先銀行の確認印をもらい、翌4月3日に松戸市馬橋のハローワークに行き求職の申込みをしました。写真が1枚必要です。厚生年金の請求は会社の近くの社会保険事務所に行くことになっていますが、ハローワークは自分の住所の近くです。
  求職の申込みをすると、説明会に出るよう、日にちと時間を指定されます。私の場合は4月10日でした。説明会では、松戸ハローワークの利用方法や失業認定申告書の書き方やその他いろいろな注意事項の説明がありました。最初の認定日は4月28日と指示され、以後、4週間おきの同じ曜日に通うことになりました。
  基本手当は求職の申込みの日を含め7日間は支給されません。これを待機期間といいます。私の場合は4月3日に求職の申込みをしたため4月10日から支給されることになりました。基本手当の支給は離職の日ではなく求職の申込みをした日と関連しています。大切なことは出来るだけ早く求職の申込みをすることです。
  もう少し詳しく解説しましょう。私の場合、給付日数は300日です。ところがこれは離職の日の翌日から1年以内、つまり3月31日退職なら翌年の3月31日までが受給期間です。それを過ぎると給付日数があまっていても支給されません。通常は1年あれば300日受給できるのですが、途中で就労するとその期間は支給されず後ろに持ち越されます。1年を超えて持ち越されると支給はカットされてしまいます。私の場合もカットされましたが、早めにハローワークに求職の申込みをしたため、就労によるカット日数を最小限にすることが出来ました。

2.失業の認定

  4週間毎の失業の認定は決められた認定日の指定された時間に行くことになります。どのハローワークでも同じかどうか分かりませんが、松戸ハローワークの場合は午前9時30分から30分毎の時間を指定されます。もしその日が祝日の場合は別の日を指定されます。
  しかし、指定の時間より早く着いてもOKで、30分毎に分けて書類を入れる箱が置いてあり、そこへ雇用保険受給資格者証と失業認定申告書をセットにして入れておけば後は名前が呼ばれるのを待つだけです。
  窓口の担当者から呼び出されたのは、就労の報告をした時だけで、仕事の内容の確認のためでした。後は担当者と言葉を交わすことはありませんでした。

3.その他の注意点

  その他気のついたことをまとめてみます。

・自己都合退職の場合は、7日間+3ヵ月が過ぎた後支給されます。この場合は1年間の受給期間はその分延長されます。
・定年退職の後しばらく休みたい場合は、退職後一定期間求職の申込をしないよう届ける事が出来ます。この場合は受給期間も後ろに延ばすことができます。
・就職したり自営業を始めたりすると基本手当は打ち切られますが、支給残日数が3分の1以上残っている場合は再就職手当が支給されます。
・途中で就労した場合や内職・手伝いをした時は届け出ることが必要です。もし届け出ないと不正受給になります。私の場合は、日本研修サービスでの就労のスケジュールを前もって届けて了解をとりました。なお就労は受給を後ろに持ち越せますが、内職・手伝いの場合は支給額が減額されます。
・就労した場合、1週間に1日や2日の場合はその日だけ後ろに繰り越されますが、私の場合週4日勤務が1週間おきとか連続して続いたため、その期間が終わるまでは一定期間支給がストップし後ろに繰り越されました。内規があるようですが詳細は不明です。
・病気、怪我、冠婚葬祭などで認定日に行けない場合は、連絡すれば認定日を変更できます。
・退職時の年齢・退職理由・求職活動状況と一定の条件を満たした場合、基本手当ての支給が最高60日まで延長されます。条件については明らかにされていませんが、定年やそれに準ずる場合は延長されているようです。
・昭和13年4月2日以降に生まれた方は、雇用保険の失業給付と厚生年金はどちらか1つの選択受給となります。通常の場合は、雇用保険のほうが金額が多く、税金もかからないので、こちらを選ぶ方が多いと思われますが、状況によっては年金の方がいい場合もあるため、一応検討するようお勧めします。

  以上私の経験から気のついたことを書いてみましたが、現状では60歳を過ぎるとハローワークで新しい仕事を見つけるのは至難のワザといえます。門の外まで人があふれ、担当者は息つく暇もないほど忙しく、流れ作業で事務処理をさばいているといった雰囲気です。
  早く景気が回復し雇用情勢が好転するよう祈るほかありません。


新田ライフプランニング 発足

・7月1日付けで柏税務署に「個人事業の開業等届書」を提出し、「新田ライフプランニング」が発足しました。「新田ヒューマンディベロップメント」にしようかと迷いましたが、こちらを選びました。
・今までのささやかな経験をもとに「人材育成と高齢者の豊かな生活実現のお手伝い」を目指したいと思います。手賀沼通信のテーマでもあります。多少でも世の中のお役に立つことを自分の能力の範囲で挑戦してみようと思っています。
・といってお金もうけのつもりはありません。ボランティアでの仕事が大半になるかと思います。届け出た動機は、ハローワーク通いが終了して開業規制がなくなったのを機に、自分に対して刺激とプレッシャーを与えるためと、確定申告をわかりやすくするためです。
・社会保険労務士の資格が活かせないものかと考えています。実務経験がないため社労士としての細かい仕事は無理でしょうが、この資格がなにかのきっかけになればと思っています。いずれ社労士登録を予定しています。
・人材育成や高齢者セミナーや地域活性化のお手伝い、原稿書きや講演会などでお役に立てればと思っています。
・それにしても知らないことばかり、記憶力の衰えと戦いながらとにかく勉強が必要です。「明るく楽しく前向きに」頑張るつもりです。

ぜひ皆様のご支援ご指導をお願いいたします。

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