手賀沼通信第2号をお届けします。
第1号では、言い訳にはならないかもしれませんが、初めてで慣れないのと慌てて出したため初歩的なミスが目立ちました。特に最初から「手賀沼通信」を「我孫子通信」と間違え、しかもそれに気づかなかったのは大チョンボでした。最初は、一人新聞のタイトルを「我孫子通信」にするつもりでしたが、後で「手賀沼通信」の方がおもむきがあると変えたための間違いでした。また、知っておくと便利のところの「特別支給の老齢基礎年金」は「特別支給の老齢厚生年金」が正しいのです。読み返したのですが見過ごしたようです。そのうえ校正ミスもいくつかありました。すみません。これからは気をつけます。
3月29日に、同居していた家内の母を亡くしました。今回は入院から葬儀までの体験をもとに、老人医療と葬儀について考えてみたいと思います。
老人医療について
1.老人医療についての素朴な疑問
昨年12月の末87歳になる家内の母親が胃がんのためK病院に入院しました。それから亡くなるまで約3ヶ月老人病棟での入院生活を見聞して、現在の日本の老人医療に対する素朴な疑問を感じました。それは次のような点です。
・終末医療は命を長らえさせることか
・入院患者への心のケアはどうなっているのか
・看護婦の数がなぜ少ないのか
・付添婦の解消は家族の負担を増しているのではないか
K病院はあまり大きくはありませんが、評判のよい病院です。そのためかいつもとても混雑しています。おそらく日本の標準的な病院ではないかと思います。5階が老人病棟のような感じになっており、40人くらいのおとしよりが入院しています。寝たきりの人が多くこの病院が最後の場所となる人もかなりいるようです。
確かに病院は自宅に比べるといつでも医師が側におり安心です。特にこの病院は看護婦さんがすばらしく、有能で、手際良く仕事をしています。患者に対しても、明るく声を掛けながら元気づけています。しかし自分が年老いた時、ここに来たいかといわれると、ノーといわざるを得ません。家内の母のように病気の場合は入院するしかありませんが、介護が必要なだけなら、出来れば自宅で最期を迎えたいなという気がしました。
病院での生活は流れ作業のようです。食事、検温、おむつ取り替えなど時間どおりに看護婦さんや補助員さんがテキパキと片づけて行きます。しかし、そこには個人の生活のあかしはほとんど感じられせん。ただじっと時の経過を待っているだけという感じを受けました。
また、治療は点滴が中心です。ほとんどの患者が点滴の針を刺して横になっています。おそらく点滴の中には、薬と栄養剤とがたっぷりと入っているのではないかと思います。そのため患者は心臓が衰えるまで生きることができます。確かにこれは命を守る上ではすばらしいことであり、それを否定するつもりもありません。ただ、生きていることが苦痛を伴うのであればその苦痛から早く逃れるためとか、また意識がはっきりしていながらただじっと死を待つような運命になった時などには、延命治療を拒否できるような選択肢があってもいいのではないかと感じました。
入院患者の中には長期間病院で生活をしている人もいます。プライバシーのない生活を耐え難く思っている人もいると思います。患者は自分の気持ちや意見を医師や看護婦に言っても、今の日本の医療システムではそれを取り上げて個人個人に合わせて対応するということはむづかしい感じです。そんな余裕は医師や看護婦にはなく、またそれを処理できるような病院経営にはなっていません。
もし、病院が民間の会社のように、患者をお客様と考え、顧客サービスを第一と考えるようになったとすれば、患者の気持ちに応えることがあたりまえになります。今の病院には患者に対する配慮はあまり見られません。これはこの病院が悪いということではありません。おそらくどこの病院でも診療所でもあまり変わらないと思います。長年の日本の厚生省の医療行政や日本医師会のエゴや国民の医師に対する意識などが原因になっているのではないでしょうか。台湾の合弁会社に勤務し、最近帰国した友人から聞いた話では、台湾の医療システムは患者に対する配慮がとても行き届いているとのことでした。
日本も現在金融ビッグバンで金融システムの改革が迫られていますが、医療システムもサービス提供側の理屈だけでなく、サービスを受ける側の当然の権利が認められるようになる必要があると思います。
この病院の5階の病棟には看護婦と補助員は昼間はあわせて15人程度いるようですが、夜間になると看護婦2人補助員2人の合計4人の勤務体制となります。これだけの要員で40人ほどの患者をみるとなるといつも大忙しです。患者に何かあった時はさらに大変で、戦場のようになるとのことでした。その超人的な活躍には本当に頭の下がる思いがしますが、一方で、なぜもっと看護婦や補助員を増やさないのかという気持ちを強く感じました。
朝日新聞社の「知恵蔵」の「付添い看護の解消」の項目を見ると、「96年4月から、入院している患者が頼んでいる付添婦による世話が原則として廃止された。付添婦の代わりに病院がもっと多くの看護婦か看護補助者を雇いなさい、その分は出すという制度改正だ。普通の病院では、患者10人に対して看護婦と看護補助者が5人いることを目標に料金を決める。老人病院では患者9人に看護婦と看護補助者が3人を最低条件とする。人手を多くすれば病院の料金収入も上がる仕組み」となっています。看護婦が少ない理由は別のところにあるのでしょうか。
痴呆の進んだ義母の固定された手を一刻も早く解きたい一心で、家内とその姉は交代で3ヶ月間毎日病院に通いました。そして補助員の仕事の一部を替わってすることもありました。付添婦の制度が残っていれば、おそらくそんなに通う必要はなかったかもしれません。病院では必要なことはやってくれますが、手が足りないため、病人がして欲しいことまではなかなか手が回りません。それを出来るのは以前は付添婦でしたが、今では家族がやるしかないという状態です。
2.あらためて見直す女性の強さ
企業の中は男性社会でした。女性はどうしても補助的な仕事となってしまいます。特に金融機関ではそれがあたりまえのような感じでした。
ところが退職していろいろなところに顔を出してみて感じることは、企業社会以外では女性が主役です。女性は元気いっぱい、特に中高年の女性のパワーはとても同世代の男性が太刀打ちできるものではありません。遊びも、学習も、仕事も女性の力が勝っています。
特にそれを感じたのが、医療や介護の現場です。お医者さんこそ男性の方が多いですが、看護や介護になると、専門家の看護婦さんを始め、家族の介護でも女性の力なくしてはどうしようもありません。私の両親は2人とも最後まで妹が見取りましたし、今回も家内の介護にかける姿勢と努力は見事で、側で見ていても胸が熱くなる感じがしました。
男性の場合は、妻に介護して欲しいという希望が一番多くなっているようですが、女性の場合は夫よりも娘に介護して欲しいという希望が多いと聞いています。介護される人の心とからだについての細かい気の使い方や思い切った対処の仕方はやはり女性にはかなわないと感じています。
葬儀について
1.準備できることはしておく
人の死というものはいつやってくるか分かりません。しかし必ず訪れます。なんとなく死んだ後のことは考えたくない、病人にかわいそうだという気持ちになり勝ちですが、必ずやってくるということを考えると、準備できることはしておくことが大切です。
たとえば、葬儀をどこへ依頼するか、また自分の家代々のお寺が遠い場合はどこのお寺に頼むかといったことから、遺影の写真はどれを使うかなどといった細かいことまでできる準備は前もって決めておく、そろえておくと、いざという時に慌てなくてすみます。
特に一家の大黒柱が亡くなった時に大切なことは、さしあたって必要なお金を下ろしておくことです。銀行が死亡を知った後は、死亡した人の預金は簡単に下ろせなくなります。これは銀行が遺産相続の揉め事に関わることを避けるためで、事情を話せば多少の金額は下ろせる銀行もありますが、なかなかうんと言わない厳しい銀行もあります。
用意のよい人は自分の戒名を生前に決めておく人もいるようです。そこまでする必要はないかもしれませんが、お墓のない人は、出来ればお墓をどうするかくらいは生前に話し合っておくほうが後に残された遺族の負担が減ります。
私どもの場合は、家内の父が健在ですので父の意向を確かめながら、ある程度の準備を進めることが出来ました。葬儀は家内が加入していた互助会に依頼し、お寺については霊園を管理しているところにお願いしました。それでもお墓はやっとのことで納骨式に間に合うかどうかのタイミングとなりました。
2.出費はできるだけ押さえ目に
「葬儀の費用はどれくらいかかるか」、葬儀を行う時に一番頭を悩ますのが費用の問題です。葬儀はそうしょっちゅうあるものではありませんし、やってみないと分からない要素もあります。したがって費用は出来るだけ押さえ気味にした方がいいと思います。予想していない出費がでてきます。
葬儀社の人を呼ぶと、まず最初にいくらの祭壇になさいますかと聞かれます。葬儀社はやはりより高い豪華なものを薦めます。喪主は動揺していますのでどちらかというと葬儀社の言いなりになり勝ちです。そこを誰かが冷静に判断する必要があります。
葬儀社はいろいろの点から自宅でなくホールで行うよう薦めます。今回は入院中義母が家に帰りたがっていたので、自宅でお通夜と告別式を行いました。祭壇は自宅で行う時は家の広さにあわせて小さ目の方がうまく収まります。あとで花輪やお供え物が送られてくることが多いのでそのスペースも必要です。
次に聞かれるのが何人くらい会葬者があるかということです。会葬者がどれくらい来ていただけるのかはなかなか予想がつきません。今回も歳が歳だし、兄弟も皆なくなってしまっているし、娘だけで男の子供はいないし、あまりお付き合いしている人もいないから、会葬者はごく少ないと予想していたのですが、自宅で葬儀を行ったせいか、親戚のほかに近所の方や家内やその姉の友人など思ったよりも多い会葬者がありました。特に現役の男性が死亡した時などは、会社関係や子供の学校関係など予想外の人数になることが多いようです。
もちろんただ安いからよいというものでもありません。心のこもった葬儀にすることが一番です。大切なことは、葬儀をささやかなものにするか、ある程度規模の大きいものにするかをはっきり決めそれに応じた注文を出し、状況判断を冷静に行うことだと思います。
今回かかった費用を参考までにまとめてみると次のようになります。これは一般の葬儀からするとおそらくささやかな葬儀だと思います。
項目 |
合計 |
値引き |
支払額 |
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葬儀社 |
831,500 |
268,500 |
591,150 |
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(祭壇) |
700,000 |
210,000 |
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[祭壇・黄金宮型霊柩車・納骨具・寝台車・お棺・内張り・棺用布団・特上仏衣・ローソク線香・仏菓子・位牌・ドライアイス・後ろ飾り段一式・清め塩・会葬礼状100・テーブル・椅子・室内飾り幕2・飾り付け・片付け・写真前生花・受付用具一式・記帳品一式・文具セット・受付所一式・焼香所一式・お清め所一式・式立ち会い進行がセットで含まれる] |
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(東葛火葬料金) |
1,500 |
1,500 |
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(カラー写真) |
25,000 |
17,000 |
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(運搬用布団一式) |
10,000 |
0 |
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(枕飾りセット) |
10,000 |
0 |
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(マイクロバス) |
35,000 |
0 |
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|
(大看板) |
10,000 |
0 |
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(サービス料) |
30,000 |
30,000 |
|
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|
(諸届手続き) |
10,000 |
10,000 |
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会葬お礼 |
178,080 |
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186,984 |
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(お茶3000円×53、お酒360円×53) |
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住職 |
375,000 |
|
375,000 |
|
|
(お通夜・告別式・ |
350,000 |
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初七日・戒名料) |
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(お車代) |
20,000 |
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(精進落し) |
5,000 |
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||
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|
||||
料理 |
165,900 |
165,900 |
|
||
(お通夜−精進揚げ5000円×1、煮物5000円×3、 お寿司10000円×5) |
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(告別式−幕の内4000円×22) |
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||||
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||
飲み物・食べ物その他 |
27,267 |
|
27,267 |
|
|
|
|
||||
お供え菓子・果物 |
4,540 |
|
4,540 |
|
|
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||||
心づけ |
41,000 |
|
41,000 |
|
|
(遺体搬送運転手) |
3,000 |
|
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(霊柩車運転手) |
3,000 |
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|||
(マイクロバス運転手) |
3,000 |
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|||
(火葬場係員×2) |
6,000 |
|
|
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|
(セレモニー係員×2) |
6,000 |
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(お手伝い×2) |
20,000 |
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合計(単位:円) |
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1,391,841 |
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消費税の関係で必ずしも合計
- 値引き = 支払額にはなりません。なお、値引きは互助会に入っていたため適用されました。
これ以外に、しばらく間を置いて四十九日の法要と納骨、香典のお返し、お墓、仏壇などの費用がかかります。お墓、仏壇については、すでにお持ちの方はわずかですみます。
3.お寺への支払いは住職さんに聞く
お寺への支払いは、地方によって、お寺の格式によって、戒名に何をつけるかによって、導師の人数によってなどさまざまな事情で異なってきます。いろいろ気を回して考えても分からないことが多いので、前もって直接お寺に聞くのが一番よいと思います。もしお寺に聞きづらかったり、聞いてもはっきり答えてくれない時は葬儀社の人に聞くのがいいのではないでしょうか。
今回は直接住職さんにうかがったところ、明解な答えが返ってきました。お金の包み方も、答えてくれました。私の田舎の四国では、お通夜、告別式、初七日、戒名料、お車代、お膳料などをそれぞれ分けて細かく包む習わしでしたが、今回は一括でいいとのことでしたので、お車代とお膳料だけ分けて包みました。
またこのお寺は本来は日蓮宗ですが、お寺が管理している我孫子霊園にはいろいろな宗派の人がお墓を持っているため、住職さんは日蓮宗にこだわらず葬儀を進めてくれます。今回も曹洞宗でお弔いをお願いしました。最近はお寺にお墓を持つよりも、○○霊園にお墓を作る人が増えているのでこのようになっているのでしょう。
この後、死亡後の諸手続きがあります。「夫の大往生、妻の立ち往生」といわれるくらい、一家の主人を亡くした時は後処理が大変です。これについてはまた機会をあらためて書いてみたいと思います。