テキスト ボックス: 高齢者の豊かな生活のために      1999年11月20日発行      新田ライフプランニング
手 賀 沼 通 信 (第20号)         〒270-1147 千葉県我孫子市若松151-3
  (TEL&FAX:0471-83-2898) (E-mail:y-nitta@mvc.biglobe.ne.jp)                 新田良昭

  今月のテーマは海外旅行です。いただいたお葉書に「いつも求道的で真面目な人の話」とありましたが、今月は気軽にお読みいただけるのではないかと思います。
  7月に中国、10月にシンガポールとマレーシアに行ってきました。私にとっては3年ぶりの海外旅行、中国とマレーシアは初めてです。
  今まで国内海外とも、観光旅行は、社内旅行や親しい仲間との短い旅行を除くとほとんど家内と一緒でした。今回は家内は都合で家を空けるわけにはいかないため、多少の寂しさと後ろめたさを感じながら一人でパックツアーに参加しました。一人での参加は、素晴らしい景色や美味しい食べ物に出会ったとき、一緒にその喜びを分かち合える人のいない寂しさがあります。一方では同行者の体調や気分を気にする必要がないため、クイックデシジョン、クイックアクションが可能です。どちらもそれぞれ良さがあるなと感じました。
  いずれも短い日程で観光地を駆け抜ける慌ただしさでしたが、印象深い旅となりました。写真を入れると格好がつくのですが、ファイルが大きくなり電子メールの方にご迷惑がかかります。あきらめましょう。
  なお原稿がつい長くなったため今月もA4(コピーはA3版)となりました。


中国の街角で

  7月12日から17日まで北京、西安、上海を訪れました。H..S主催の格安ツアーで、5泊6日、添乗員同行、オール食事付き、オプショナルツアーなしで9万8千円、一人部屋特別料金は3万円です。北京、西安は各2泊、上海1泊の日程で、参加者は男性4名、女性17名でした。
  一人での参加は出掛ける前ちょっぴり不安がありました。ところがお酒の好きな国富さんや若くてしっかりした女性添乗員の山崎さんや北京大学を出たたよりになる中国のガイド張さんと意気投合して、西安の夜店をひやかしたり、私の部屋で遅くまで酒盛りをしたり、ガイドがタクシーを飛ばして買ってきた上海蟹をホテルの近くのレストランで料理してもらって食べたりで、今までのツアーと違った経験をすることが出来ました。
  手賀沼通信の読者には中国に何度も足を運んだ中国通の方が大勢おられるので、ちょっと恥ずかしい感じですが、わずか5泊6日の駆け足旅行で感じたことをいくつか書いてみたいと思います。もし見当違いのことがあったらお許しください。

1.人と自転車と車の共存する道路−13億人のエネルギー

  中国の道路を向こう側に渡るのは命懸けです。横断歩道はありません。信号はまれにしかなく、あっても作動していないことがあり、動いていても無視する人がいます。道路には車と自転車と人があふれています。まるでどこかから湧いて出たようです。30年前に韓国に初めて行ったときの記憶と似ていました。
  車はフルスピードで飛ばします。中央の仕切り線のない道路では対向車が真っ直ぐ突っ込んで来る感じであわやというときに小さい車の方がゆずります。タクシーに乗った人の話では、心臓が止まるかと思った、乗っている間中早く着いてくれと祈っていたとのことでした。
  普通のバスのほかにトロリーバスや2階建てバスがあり、窓をあけて走っている冷房のないバスも多くどれも混んでいます。バス停で待っている人は並ぶことをしません。始発のバス停ではバスがまだ停留所に止まっていないのに我先に乗ろうとして大混乱でした。
  自転車は専用道路がある広い道では専用道路を走っていますが、そうでない所では車道を走っています。車にすれすれの所を平気で通ります。バスのドライバーは自転車のほうが威張っていると言っていました。日本のように自転車が歩道を走っているのはあまり見かけませんでした。歩道は人が多すぎて走れないのでしょう。
  そしてどこへ行っても感じるのは人の多さです。総面積44万平方メートルの広大な天安門広場には毛主席記念堂に入るための人の列が延々と続いていました。1日に30万人以上の人が入場するそうです。私は明の十三陵であまりの混雑に一行とはぐれてしまい大変な思いをしました。万里の長城では仲間の1人が迷ってしまいました。人の多さは道路も同じです。車と自転車と人が交錯していますが、思ったほど事故は多くないようです。
  上海では高層アパートが林立し、人々は折り重なって住んでいるのではないかという感じを持ちました。
  いたるところで13億人のエネルギーを感じさせられた6日間でした。

2.老人の目立つ中国−太極拳とウォーキングや犬の散歩の違い

  いつもの習慣で5時前に目が覚めるため、雨だった上海の朝を除いて毎朝散歩をしました。北京ではホテル五洲大酒店の周りの公園を、西安ではホテル西安賓館から小雁塔まで約30〜40分を朝のさわやかな空気を楽しみながら歩きました。6時頃にはもう街は動き始めています。日本より早起きのようです。道路掃除のおばさんは昔の日本の2倍くらい長い竹菷で歩道を掃いています。自転車修理のおじさんは歩道にシートを敷き修理道具をならべて開店の準備をしていました。観光バスからは気がつかない街の姿です。
  2つの街で興味を引いたのは、中高齢者が早朝から集まって太極拳を楽しんでいることでした。西安の小雁塔は唐の長安時代の建造物でその周りは緑豊かな公園になっています。そこでは幾つもの太極拳グループが思い思いのパフォーマンスを演じていました。一人だけで演じる人から女性だけのグループや二十人以上のグループも見られました。若い人はあまりいませんでした。
  日本では早朝は、ウォーキングやジョギングをしている人、犬をつれて散歩している人を多く見かけます。中国ではジョギングをしている人はかなり見かけましたが、ウォーキングは少なかったように思います。そして4日間で犬の散歩を見かけたのは1回だけでした。西安のホテルは近くに住宅もかなりあったので犬がいれば散歩しているはずですが、犬を見かけないのは食べてしまうためなのかなどと馬鹿なことを考えたりしました。
  街角では何もしないでたたずんでいる中高齢者の姿を多く見かけます。ガイドの張さんの話では中国は定年やリストラの年齢が若く、その分街に中高齢者の姿が多いのだそうですが、なんだか10年後の日本の姿を見るような気がしました。ミニスカートの女性はいますが、茶髪や上げ底靴の若者はいません。少子化の日本で若者が目立ち、1人っ子政策の中国で若者の姿が目立たないのは、日本の若者のほうがわがままなのかもしれません。

3.笑顔のないサービス業−半分に値切ってもまだ高い

  ツアーで行くと観光の合間におみやげ屋に立ち寄ります。特に中国は観光地のトイレがあまり清潔でなく、トイレ休憩のためにもみやげもの屋によることになります。私の場合は一人での参加で買い物は苦手なため、家内に出発前にお土産は買わないよと宣言して出てきました。ところが1日に何度もおみやげ屋に立ち寄り、つい手持ち無沙汰に日本語の出来る店員と話している内、がらくたをいくつか買うハメになってしまいました。
  みやげ物店は値段がついていますが、値切るのが当たり前なのでかなり吹っかけた値段となっています。ところが半分に値切ってもまけるとなるといったいいくらで買ったら安いのか、分からなくなってしまいます。最初は3割も値引きをされると得をしたように思いましたが、だんだん疑心暗鬼になってきました。たいした物は買わなかったのですが、おそらく結構高い買い物をして、店員がほくそ笑んいたのではないかと思います。西安のスーパーで13元(195円)で紹興酒を買いましたが、翌日みやげ物店では35元(525円)の正札がついていました。約2.7倍です。
  ところで中国では笑顔をあまり見かけませんでした。中国人の文化なのか共産主義時代の遺産なのかは知りませんが、みやげもの屋をはじめとしてホテルでもあまり笑顔にはお目にかかりません。サービス業なら競争に勝ちぬくために笑顔を見せた方がいいと思うのですが、笑顔を見せるのはなにかマイナスになることがあるのでしょうか。
  そう言えば昔仕事でやりあった香港のキャリアウーマンも笑顔を見せることはなかったと記憶しています。中国人の文化なのでしょうか。

4.日本の都市との比較−北京と東京、西安と京都、上海と大阪

  日本の都市と中国の都市では、北京は東京に、西安は京都に、上海は大阪に似ています。姉妹都市になっている所もあると聞きました。
  北京は人口13億の国の首都だけあって風格があります。元の大都の時代から明、清の首都であった歴史を感じさせます。地下鉄ですが山の手線のような環状線もあります。整然とした町づくりで、スケールが大きいという印象を受けました。都市の広さ、道の広さ、公園の広さなど東京以上かもしれません。空港はお粗末でしたが、新しい空港を建設中とのことです。また、街が予想以上に清潔でした。裏町は知りませんが、市内の観光地でもビンやカンのポイ捨てはあまり見られなかったように思います。
  西安は言うまでもなく唐の時代の長安です。それ以前に秦、漢、隋の首都でもありました。長安の時代はいろいろな国から様々な人種が集まった世界一のグローバル都市でした。今その面影はあまりありません。城壁は残っていますが、唐代の遺跡は大雁塔、小雁塔くらいで、京都のほうがよほど歴史を感じさせます。空海はよくこんな遠くまで来たなという感じを受けました。しかし秦の始皇帝の兵馬俑坑はすばらしく、中国の偉大さに恐れ入りました。
  上海はいかにも新しい町といった感じを受けます。歴史的に見てもあまり古いものはありません。上海租界時代の建物が残っている外灘も中国4千年の歴史から見ればついこの間の建物です。商業都市で、あまり緑がなく、騒々しい感じは大阪そっくりです。しかし北京にない新しさがあります。エネルギッシュな抜け目の無さがあります。レストランの大ビンのビールも北京では6元(90円)とか10元(150円)でしたが、上海では15元(225円)でした。(それでも中ビン500円の日本よりははるかに安い。また飲み物の値段は東京より大阪のほうが安いので、ここは日本と違います。)
  それぞれ性格の違う3つの都市を急ぎ足で見た感じは、中国をもっともっと見てみたいということです。私もすこし中国のとりこになったのかもしれません。


華人経済とイスラム文化

  7月の中国旅行に引き続いて、1018日から22日にかけて、シンガポール・マレーシア旅行に行ってきました。こちらは日本旅行主催、4泊(うち1泊は機内)5日(実質3日)、現地添乗員、全食事つき、オプショナルツアー不要で、56,800円(別に一人部屋料金14,000円)のこれまた格安料金でした。
  料金が安いだけにスケジュールはきつく、成田を夕方6時に出発、シンガポールのホテルの部屋に入ったのは深夜の1時30分、翌日はシンガポールの市内観光をしたあとマレーシアに入国、ジョホールバールのホテルに1泊。3日目はマレー鉄道とバスを乗り継いでマラッカ市内観光、クアラルンプールのホテルに着いたのは夜10時過ぎ、最終日はクアラルンプール市内観光後、夜9時帰途につき、シンガポール乗り換えで成田に着いたのは朝6時という、まことにタイトで無駄の多い日程でした。
  途中、兵庫県と広島県の高校の修学旅行生と一緒になりました。両校とも我々とほぼ同じようなコースをたどっていたようです。修学旅行で海外に出掛けることがいいことかどうか議論の分かれるところですが、ホテルのロビーをスリッパで歩いていたり、お土産屋で時間をつぶしているのを見かけたりすると、事前に教師がしっかりと教育しているのかと疑いたくなってしまいました。ただ旅行会社任せのスケジュールでなく、異文化や考え方の違いや政治や経済やその他広く世界を知ることのできる旅行にしなければ、わざわざ外国に出掛ける意味はないのではないでしょうか。

1.クリーン・アンド・グリーン シンガポール

  正直なところシンガポールについて語るにはあまりに短い滞在でした。夜中に着いたため名物の屋台に行く時間もなく、熱帯の朝は7時を過ぎてやっと明るくなり始めるのと雷を伴った大スコールのため期待していた早朝の散歩もできず、街をゆっくり観察するチャンスはありませんでした。おまけに昼間の市内観光は、観光スポットと同じ数の3ヵ所のお土産店に立ち寄るという買い物おばさんむけのコースになっていました。
  観光地でのわずかな時間とバスの車窓からの観察では、パンフレットにある「クリーン・アンド・グリーン」は本当でした。12年ほど前に来たときはバスのへッドレストのカバーが薄汚れていたのを覚えていますが今回は清潔でした。通りは緑の街路樹や植え込みが見事に整備されており、原色のいろいろな花で彩られていました。バスは狭い裏通りを通らないということもあるかもしれませんが、ゴミはほとんど見掛けません。オーチャードロードは近代的なビルと豊かな緑がすばらしい調和を見せていました。
  マレーシアとの違いがはっきり感じられたのは、バスでジョホール水道を通ってマレーシアに入ったときです。近代的な建物は古いひなびたものに変わりました。とたんに道端にゴミが目立ち、緑もあまり手入れされていません。ただマレーシアの名誉のためにマレー鉄道の車内とクアラルンプールの公園や大通りはクリーンだったことを付け加えておきます。その気になってお金と人手をかけるかどうかがポイントなのでしょう。
  シンガポールはインフラが整備されています。水道の水が飲めるのも東南アジアではシンガポールだけのようです。通信や国際会議場などは日本以上に完備しているといわれています。今度は家内と共にもっとゆっくり来てみたいと思います。

2.イスラム文化と油椰子の国 マレーシア

  マレーシアの首都クアラルンプールには世界1ののっぽビルのペトロナス・ツイン・タワーがそびえています。文字通り2つのビルで、上の階にいくにしたがって丸みを帯びて細くなっており、最先端はポールとなっています。おそらくイスラム教のモスクを形どったものなのでしょう。その超近代的ビルに被り物をかぶった女性が次々とすいこまれていく風景はちょっと驚きでした。
  マレーシアはマレー系45%、中国系32%、インド系9%、原住民少数民族14%の多民族国家ですが、中国系やインド系よりも貧しいマレー系に配慮した政策が取られており、またマレー系民族の宗教であるイスラム教が国教となっています。イスラム教は戒律が厳しく、豚肉を食べてはいけないとか、お酒を飲んではいけないとか、1日5回のお祈りをしなければいけないとか、ラマダン中は夜明けから日没まで飲食してはいけないとか、女性は被り物をしなければいけないなどの決まりがあります。ツアーの一行もイスラム寺院を見学するときは、女性は備え付けの布をかぶるよう注意されました。マレー系の人と結婚するときは男性女性の区別なくイスラム教に改宗しなければならないそうです。宗教をイベントのきっかけとしか考えていない多くの日本人にとっては、理解を超えた世界です。
  マレーシア入国のために通過したジョホールバールの税関ではコーランの声が流されていました。
  都市を少し離れるとそこは緑一色の世界です。私たちの通ったマレーシアでは水田を見ることはありませんでした。道の両側はびっしりと油椰子が植えられています。椰子の木というと私たちは背の高い木の先端に葉っぱが茂り大きな椰子の実がぶらさがっているという、ココ椰子をイメージしますが、油椰子はそれと違い、木の高さが低く葉っぱは木の全体を覆っていて実は小さくあまり目立ちません。石鹸や洗剤の原料として、マレーシアの最大の輸出物とのことです。時々バナナやココ椰子を見掛けましたが、ほとんどは油椰子で、マレー鉄道や高速道路からの眺めは単調そのものでした。ただ時々こんな田舎にというところに立派なイスラム教のモスクが立っていました。

3.華人のたくましさ

  シンガポールは淡路島くらいの大きさの島に282万人が住み、中国系78%、マレー系14%、その他8%となっています。もともとはマレーシア連邦の一員でしたが、マレーシアのマレー人優先政策に反対して1965年に独立しています。リー・クアン・ユーの強力なリーダーシップのもとに、華人のネットワークと経済力を十二分に発揮させる国家を作り上げました。経済優先と徹底した能力主義が根づいています。
  短い滞在期間の間でさえ華人の商売熱心さに感心しました。市内観光のバスガイドとドライバーは観光案内より車内でのお土産の販売に力を入れていました。ガイドはチョコレートを初めとするシンガポールのお土産の注文を取り、またドライバーのためにライターとキーホルダーを売っていました。また1日のうちにシンガポール3軒、マレーシア1軒のお土産店に案内しました。
  マレーシアとつながる道路に車の燃料計の絵と500という数字が描かれた交通標識が立っていました。他では見かけることのない標識です。マレーシアではガソリン1リットルが30円位、シンガポールの3分の1の値段だそうです。そのためシンガポールの住民はマレーシアで安い食事を楽しみ、帰りにマレーシアでガソリンを入れて帰って来る人が増えました。シンガポールでガソリンが売れなくなったため、シンガポールを出る車はタンクにガソリンを4分の3以上入れていないと500ドル(約3万2千円)の罰金を取るという標識だったのです。安くガソリンを入れようとするほうもがっちりしていますが、それを防ぐ方法を考えたシンガポール当局もしっかりしていると感心した次第です。
  マラッカからクアラルンプールのガイドも中国系でした。マレーシアではマレー系住民優先政策をとっているにもかかわらず、経済は中国系住民が握っています。大学なども成績順に入るのではなく、マレー系に有利なように入学者数を割り振るようです。マレー系はハンデを一杯もらってゲームをしているにもかかわらず、ハンデなしの中国系にかなわないようです。このガイドも車内で商売を始めました。シンガポールの車内で買った人が多かったのですが、それでも結構売れていました。
  中国では自転車の多さに驚きましたが、シンガポールとマレーシアの間のジョホール水道ではバイクの多さに驚きました。朝バイクの大集団がフルスピードでシンガポールに入り、夕方は反対に出て行きます。マレーシアの住民が賃金の高いシンガポールで働くため、命を懸けて通っているのだそうですが、シンガポールからすれば安い賃金で3K職場の人手不足を補っているのかもしれません。

4.マレーシアのトイレ考

  マレーシアに入って一番驚いたのはトイレです。マレー式のトイレは和式のトイレのようにしゃがむようになっています。見かけ上和式のトイレと違うのは前面のカバーが着いていないのと、形がひょうたん型になっていることです。しかし最も違うのは使い方です。日本と向きが反対で、洋式のように出口のほうを向いてしゃがまないとモノが流れません。トイレットぺーパーがなく、かわりにスチールの蛇腹式のホースがついています。ガイドさんの話だと左手で処理するそうで、左手は不浄の手とのことです。具体的な方法については聞きそびれてしまいました。
  マレー鉄道のトイレでは水を流すボタンはなくかわりにシャワーが着いていました。シャワーで便器を流しましたが、マレー人は別の使い方をするのかもしれません。
  もちろんホテルや一流レストランでは洋式のトイレでした。ただ街のトイレを使うときはティッシュペーパーは必帯です。
  海外旅行は文化や風習の違いを知る上で貴重な機会を提供してくれます。今回はそれを実感したシンガポール・マレーシア旅行でした。

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