テキスト ボックス: 高齢者の豊かな生活のために     2000年2月20日発行      新田ライフプランニング
手 賀 沼 通 信 (第23号)         〒270-1147 千葉県我孫子市若松151-3
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 今月のテーマは「無料のセミナー」と「2000年問題」です。
 昨年6月発行の手賀沼通信第15号に「無料のセミナーを探す」の記事を載せたところ多くの方から反響がありました。
 その続きとして,昨年出席したセミナーの中からベスト2を選んでみましょう。

 あれほど騒がれた「2000年問題」は、まだ1月しかたっていないのにもうはるか昔の過去のことのようになってしまった感じです。でもあの問題がどうして起こったかを正確に理解していた人は少なかったのではないでしょうか。ここで2000年問題が何故出てきたのかを,私の経験から振り返ってみたいと思います。


平成11年無料セミナーベスト2

 日記を繰ってみると、昨年1年間に出席した無料のセミナーは40コース、51日間となりました。8月と9月は仕事に取られた日が多かったので、あまりセミナーに出席する機会はありませんでしたが,それ以外の月はわりとまんべんなく参加しており,忙しいときには週に2〜3回出席したこともありました。

 今回は昨年出席したセミナーの中から大変印象的だった2つのコースを選んでご紹介したいと思います。

1. シンポジウム「人間の安全保障を求めて」

 このシンポジウムは日本国際問題研究所が創立40周年を記念して1999年12月11日と12日の2日間、東京都渋谷区神宮前にある国連大学で開催したものです。日本国際問題研究所はイギリスやアメリカの同種の機関に範をとり、学会,官界,政界,財界,言論界などが協力して創設した研究機関で,初代会長は吉田茂元首相です。

12月11日(土)

900 開会挨拶   平岩外四(日本国際問題研究所会長)
           ファン・ヒンケル(国連大学学長)

910 基調講演   小渕恵三(内閣総理大臣)
           ブトロス・ブトロス=ガリ(前国連事務総長)

1010 パネルディスカッションT「紛争予防措置」
    小和田恆(日本国際問題研究所理事長)
    ブトロス・ブトロス=ガリ
    ユスフ・ワナンディ(元インドネシア戦略問題研究所会長)
    志村尚子(津田塾大学学長)
    ケネディ・グラハム(国連大学ディレクター,ヨルダン)

1400 パネルディスカッションU「持続的開発の促進」
    ヘスス・エスタニスラオ(フィリピン・アジア太平洋大学教授)
    モーリス・ストロング(国連事務総長特別補佐官)
    ティジャン・ティアム(コートジボアール計画大臣)
    広野良吉(成蹊大学名誉教授)
    シャヒード・フセイン(元世界銀行上級副総裁)

12月12日(日)

930 パネルディスカッションV「人間の尊厳の推進」
    ファン・ヒンケル
    明石康(日本予防外交センター会長)
    エマ・ロスチャイルド(ケンブリッジ歴史経済センターディレクター)
    波多野里望(学習院大学教授)
    テオドア・メロン(ハーバード大学客員教授)

1400 パネルディスカッション・最終セッション「人間の安全保障構築への戦略」
    小和田恆
    ブトロス・ブトロス=ガリ
    ファン・ヒンケル
    ヘスス・エスタニスラオ
    モーリス・ストロング
    明石康

 このシンポジウムで驚いたのは、メンバーおよび場所の豪華さとテーマおよび内容のレベルの高さです。

 総理大臣が基調講演をするのは腰の軽い小渕さんでもめずらしいことでしょうし、外国からのメンバーをこれだけそろえることも大変だったことと思います。小和田さんは皇太子妃の雅子さまの1回目のご懐妊報道の翌日で、私も、もちろんその後のことは露知らず、さぞかしお喜びのことと思いながら元国連大使の話を聞いていました。明石さんは都知事選挙での敗戦を感じさせない堂々たる論戦を展開し、都知事よりは現職のほうがよっぽど適任です。津田塾の志村さんは、学長就任の前に国連職員としての長い経験を活かした発言でした。ガリさんはエジプトなまりの分かりにくい英語ながら独特の風格があります。PKOなどの国連の機能を積極的な姿勢に変えた実績を感じさせていました。

 国連大学は今までその存在さえ知りませんでしたが、青山学院大学と青山通りを隔てた反対側に立つ1992年に完成した近代的な建物です。人類の平和と発展という国連の目的に学術面で寄与する国際的学術機関で、教授も学生もいないという変わった大学です。会場となったホールは最新の設備が備わっており、いすや机もゆったりとして、国際的なイベントを実施するにふさわしいホールでした。午前と午後のコーヒーブレークにはおいしいコーヒーが無料で振舞われました。聴衆は私のような読売新聞の応募者のほか、外国人、新聞記者、国会議員、官僚、学者などが占めていました。

 「人間の安全保障を求めて」というテーマは、ベルリンの壁が壊されて米ソによる世界の2極対立は解消したものの,内戦や地域紛争による殺戮,難民,対人地雷,テロ,組織犯罪,薬物中毒,感染症などの人々の安全を脅かす脅威が生まれている、今や国家の安全保障ではなく、人間の安全保障を確立することが最も重要な問題になってきているということから選ばれました。メンバーは皆さんその道の専門家や国連などで実際に紛争解決に携わった方々です。小渕首相の講演を除くと基調講演もパネルディスカッションでのスピーチやディスカッションも迫力万点でした。
 最初のうちこそ,日本人のメンバーは日本語で、外国人のメンバーは英語で発言していましたが,初日の午後に誰か一人の日本のメンバーが英語で話し始めると,それ以後はほとんど全員が英語でのやり取りになってしまいました。英語のヒアリングの勉強をかねて,出来るだけそのまま聞こうとしましたが,乏しい英語力と高度な内容に理解できないことが多く、結局は同時通訳のレシーバーにかなりお世話になりました。

 今回のシンポジウムで残念だったことが1つあります。それは宗教についての発言や議論が少なかったことです。世界各地の紛争は国家や民族間の争いもありますが,宗教が最大の原因になっているように思います。自分自身が無宗教なためなのでしょうか、人間の幸せを最大の目的にしている宗教が、何故他の宗教を否定するのか、何故他の宗教を許せないのか、ということが常に疑問でした。北アイルランドにしてもコソボにしてもチェチェンにしても東チモールにしても宗教が深く絡んでいます。今回の討論でその辺のことが突っ込んで討論されるのではないかと期待していました。最終セッションでも話題に上らないときはぜひ質問してみたいと構えていました。しかしその時が来たときには手を上げる勇気は出ませんでした。広い会場に気後れしたこともありましたが,これだけのメンバーがそろっていて宗教の話があまり出ないのは,やはり宗教はタブーなのではないか、それともあまりに難しすぎて答えられない話題なのではないかと気を回してしまったからです。司会の明石さんがどんな顔をしたか、手を上げなかったのはあとで考えるとちょっぴり残念だった気もします。

2.「グッドライフカレッジ」

 さわやかちば県民プラザ主催のグッドライフカレッジは、昨年10月13日から12月22日まで,毎週水曜日の1時〜4時の間、10回にわたって,我孫子市の中央学院大学で開催されました。会場となった中央学院大学は、手賀沼通信読者の元日本アイ・ビー・エムの早川芳敬さんが講師を勤めておられる比較的新しい大学で、市民のために有料無料の各種の講座を開いています。
 この講座のプログラムは、NPO法の制定をふまえて、市民活動を進めていく上での情報やノウハウを学習する講座でした。我孫子市の社会教育ゼミでもNPOについて勉強していましたので、欠席せずに10回出られるかどうか不安でしたが申し込みました。

NPO法の周辺

10/13 @高齢社会と市民活動 米山孝平氏(流山ユー・アイ・ネット代表)

10/20 ANPO法の施行と市民活動 米山孝平氏

10/27 BNPO法Q&A 千葉県企画部員

11/10 C法人格を取得して変わったこと 安藤美代子氏(佐藤病院看護部長)

11/17 DボランティアとNPOの違い 米山孝平氏

元気な市民活動

11/24 @コミュニケーションの取り方 藤井誠氏(国際理解教育情報センタ代表)

12/1  Aグループ運営の方法 藤井誠氏

12/8  B活動の計画と評価 藤井誠氏

12/15 C外国のNPO・ボランティア 蒲田尚司氏(さわやか福祉財団グループリーダー)

12/22 D市民・行政・企業とのパートナーシップ 蒲田尚司氏

 このコースが良かったのは、1日3時間10回という長い期間でじっくり学べたこと、講師に適任者を選任し一般的な知識でなく実績に基づいた話が聞けたこと,ワークショップ方式をとり入れ体で覚えることが出来たことです。

 流山ユー・アイ・ネットの米山さんは、流山の住所地の自治会長時代に近くを通る常磐自動車道を地下方式に替えさせた実績を持つ方です。その後流山ユー・アイ・ネットという家事サービスのボランティア団体を立ち上げて地域の市民活動の中心として活躍し、NPO法が成立するといち早くNPO法人の資格を取得し、介護保険の指定事業者にもなっています。堀田力さんのさわやか福祉財団の中心メンバーの1人でもあります。藤井さんは偶然ですが私と同じ愛媛県伊予市の出身、バイタリティイあふれる研修スタイルで参加者を魅了しました。その他の講師の話も体験に基づいた貴重な内容でした。
 さらにコースの効果を高めたのは参加者の真剣な学習態度とワークショップでのお互いの協力でした。参加者はほとんど中高年の男性と女性で、すでに何らかのボランティア活動にかかわっている方も大勢出席していました。

 退職後の生き方は1人1人違います。いろいろな生き方がありますが,自分で設計しなければなりません。出来れば世の中の役に立つことを楽しみながらやってみたいと考えている人が多いと思います。そんな人には大変ためになるグッドライフカレッジでした。


2000年問題のルーツ

1.世界を巻き込んだ2000年問題

 全世界が1999年から2000年に変わる瞬間を注視しました。テレビでは時差とともに移り変わる都市での新しいミレニアムのカウントダウンを追っかけていましたが、世界各地のイベントの光の影で2000年問題がどんな形で噴出するかという心配も世界を駆け巡ったわけでした。幸い大きな事故はありませんでした。一部に騒ぎ過ぎではなかったかとの声が出ましたが、これだけ騒いだから対策の手が打てたと考えるほうが正しいと思います。おそらく多くの方が泊り込みや自宅待機などで今年のお正月はゆっくり出来なかったのではないでしょうか。

 私は一昨年と昨年、日本アイ・ビー・エムの新入社員研修のお手伝いをしました。入社1年後の研修では、セールスやシステムズ・エンジニアの卵たちがオンザ・ジョブ・トレーニングでかかわったプロジェクトでの経験を発表するコースがあります。その中で、日本を代表すような企業から中小企業までの多くのお客様が、日本アイ・ビー・エムのセールスやSEとともにY2K問題に懸命に取り組んでいるいくつかの例を聞くことが出来ました。2000年問題については以前から知っていましたが、Y2Kという言葉を始めて知ったのもこの研修でした。内容はY2K対策の完了したハードやソフトの導入、新システムの構築、アプリケーションプログラムの書き換えなどの話が主でしたが、時間をかけてそれだけの対策を講じていたのです。たまたま何も起きなかったのではないということが分かります。

2.2000年問題とは

 2000年問題というのは、一言でいえば、コンピュータが西暦2000年を1900年とみなして誤作動を起こすことです。これは年の表示を4桁で扱っていれば起こり得ないのですが、西暦の下2桁で処理していたため起こる問題です。
 例えば西暦の年を平成の年になおすには、通常西暦の下2桁から88を引くプログラムが組み込まれています。1999年まではそれでいいのですが、2000年になると、00−88=−88となってしまいます。実際に起こった例として、JR四国で発売された乗車券の有効期間が88年と印字されるケースがありました。これは単純な例ですが、プログラムの組み方によってはもっと複雑なエラーとなって発生する可能性があります。

 Y2K対策ではこのようなプログラムを訂正する作業が行われました。訂正するといっても1つの企業や団体などで使われているプログラムは数百本から数千本になります。しかも古いプログラムになるとそれを作った人はいなくなっており、資料もなくなっていることもあります。訂正するより新しく作りなおしたところもあったことでしょう。
 さらに深刻だったのは、これらが目に見えるプログラムでなく、いろいろな機械に組み込まれている半導体チップの中にロジックとして2桁で年を処理するように組み込まれているのではないかという恐れがあったことです。チップの中の場合は外から見えないため何が起こるか分かりません。大晦日から元旦にかけて飛ぶ飛行機に乗らないほうがいいといわれたのは、飛行をコントロールする計器に組み込まれた半導体チップがどうなっているか予測がつかなかったからです。事故が起こらなかったのは、メーカが前々から4桁の年号のチップを利用していたか、そうでなければ新しい対策済みのものに取り替えたからでしょう。

 そんな中で何よりも安全を重視しなければならない全国の5つの原子力発電所で、計10件の不具合が発生したのは「おそまつ」といってもいいのでないでしょうか。

3.2000年問題のルーツ

 そこでなぜこの2000年問題が起こったかを私の体験を通してご紹介してみたいと思います。

 私が大学を卒業して三井生命に入社したのは今から40年前の1960年(昭和35年)です。そのとき配属された職場で日本アイ・ビー・エムのPCS(パンチ・カード・システム)を使うことになりました。PCSは80桁のカードに数字をパンチし、そのカードをデータとしていろいろな機械で処理し、統計を取ったり書類を作成するシステムです。いわば当時の最先端の情報処理技術を駆使する職場でした。今のパソコンや大型コンピュータと違い1つの機械は1つの機能しか持っていませんでした。パンチ、ベリファイアー、インタープリーター、ソーター、リプロデューサ−、コレーター、アカウンティングマシーン、カルキュレーターなどという機械を順番に使って、必要なアウトプットを得ていました。PCSはアイ・ビー・エムとユニバックしかなく、今の国産のコンピューター・メーカーはまだどちらかのPCSのユーザーでした。
 PCSを使用する上での条件はデータは80桁(ユニバックは90桁)に収めなければならないということでした。この80桁(または90桁)に収めなければならないということが、2000年問題のルーツだったと確信しています。

 生命保険契約が取れると、保険の申込書から必要なデータをカードにパンチします。申込書からは少なくとも、被保険者の生年月日と保険契約の始期をパンチする必要があります。保険の長期性を考慮して昭和ではなく西暦でパンチしていました。本当は満期日も必要なのですが、これは桁数を倹約するためインプットせず、必要に応じて保険期間を加えて算出していました。年を4桁にすると、生年月日と契約始期だけで16桁取ってしまいます。年を2桁にすると4桁節約できます。カードをデザインするときはそんなことを計算しながら、80桁に出来るだけ多くのデータを入れられるよう工夫していたのです。はっきりとは覚えていませんが、それでも会社全体としては、20種類以上のカードを作っていたと思います。今のように桁数を心配することなく自由にデータベースを設計できたら、恐らく数種類ですんだかもしれません。決算の時期になると、数十万枚のカードをソートするため、何日も徹夜したのを覚えています。
 これは保険会社だけでなく、当時PCSを導入していた会社はどこでも経験したことです。年の桁数は西暦で下2桁というのが常識でした。

 その翌年IBM650型コンピュータが導入されました。これは真空管を使った馬鹿でかい機械でした。よく故障や誤作動しましたが、それでもPCSとは比較にならない性能でした。でもデータは80桁のカードでした。それに続いて、IBM1401とかIBM7070などというコンピュータが導入されました。これは磁気テープで処理しましたが、最初のインプットはやはりカードでした。

 1964年三井生命を退職し、日本アイ・ビー・エムに入社しました。この年、その後のコンピュータの世界的な標準機種になるシステム/360がアイ・ビー・エムから発表されました。しかしやはりデータインプットはカードの手助けを借りざるを得ませんでした。年を表す桁数は依然として2桁が主力でした。それで何の問題も起きなかったのです。何十年も先の2000年のことを考える人はいませんでした。
 その後データインプットはカードでなくフロッピーに変わりましたが、申込書や伝票を外注業者に持ちこみフロッピーに打ち込んでもらう方法が一般的でした。データを今のようにデータの発生部門から直接パソコンやワークステーションでインプットするようになったのは、恐らくここ数年くらい前からではないでしょうか。
 年の桁数を2桁から4桁に変えるにはプログラムの書き換えが必要です。一度作ったプログラムを書き換えることは大変な手間と時間とお金がかかります。その上プログラムの修正には,修正ミスというリスクを伴います。そのリスクを回避してそのままにしているうち2000年問題というリスクが起こってきたのではないかと推測しています。

 1月1日には大きな事故はありませんでした。ただこれで終わったわけではありません。新たに年数を計算する必要が発生したとき、2000年対策がとられていないプログラムが今年始めて動くような場合はまだ発生する恐れがあります。しばらくの間は要注意です。

手賀沼通信をホームページに掲載

 電子メールでお送りしている方にはお知らせしましたが,一橋大学の関恒義ゼミの卒業生の集まりである恒友会のホームページから「手賀沼通信」が読めるようになりました。ホームページのアドレスは手賀沼通信のタイトルの下にも入れておりますが、次の通りです。

  http://www.mercury.ne.jp/koyukai

 これは恒友会6回生で日立情報サービス勤務の北村尚巳さんの好意でリンクしていただいたものです。自分でホームページを開くつもりでおりましたが,もたもたしているうちに助け船が現れました。ありがたいことです。パソコンお持ちの方は試してみてください。

 その後このアドレスは変わりました。新しいアドレスは

http://www.josuikai.net/semi/koyukai 

となっています。                                       

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