テキスト ボックス: 高齢者の豊かな生活のために     2001年1月1日発行      新田ライフプランニング
手 賀 沼 通 信 (第34号)         〒270-1147 千葉県我孫子市若松151-3
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 あけましておめでとうございます

 いよいよ21世紀ですね。これからの100年、どんなことが起りどんな世の中になるのでしょうか。
 昨年のお正月はミレニアムの替わり目を祝うイベントと2000年問題で大騒ぎでした。新しい世紀を迎えた今年は世界経済の不安と日本政局の混迷にゆれています。株も大幅に下がりました。20世紀最後の年はあまりいい年ではなかったようです。
 手賀沼通信第34号では「21世紀」をテーマに、21世紀に起こりうる事件や現象を予測してみたいと思います。一市民の私の全くの作り話ですので根拠があるわけではありません。笑ってお読み捨ていただきたいと思います。ただ、書いているうちに全くの荒唐無稽な話でもないなと思うようになってきました。お正月です。良い夢にせよ悪い夢にせよ初夢をみてみましょう。以下の10の出来事は1つ1つは独立したお話です。矛盾する内容があっても気にしないで下さい。下手な鉄砲も1つくらいは当たるかなと思って書いています。
 まずはショッキングな出来事からはじめましょう。


21世紀に起こりうる衝撃的な出来事

1.ついに日本の財政が破綻。国民は戦後の耐乏生活に逆戻り

 20××年○月○日、日本の国の財政が破綻しました。
 会社が倒産したときと同じように、国の債務(ほとんどは国債)は返せなくなり、国民をはじめとして国債を買っていた金融機関や企業もただの紙切れを抱えることになってしまいました。そして国の財政の破綻はいわばその子会社とも言える県や市町村にも波及し、連鎖倒産となってしまいました。国債だけでなく地方債も紙切れとなったのです。
 国や地方公共団体の従業員であるお役人は国民の安全を図る立場にある人と残務整理のために必要な人を除いて職を失ってしまいました。今後国の再建を図ることになりますが、小さな政府では半数の人で十分です。残りの半数はリストラの対象になるでしょう。
 お金の価値が急激に下がり、猛烈なインフレが襲ってきました。町にあふれていた商品は買いだめと売り惜しみであっという間に姿を消しました。海外からの輸入も急減です。
 国民は国を見限り、海外へ移住する人が増えました。国の破綻を予測していた知識人やお金持ち、行動力のある若い人達は数年前から外国に生活の基盤を移していたのです。残されたのは高齢者などまたまた社会的弱者とされる人達でした。

 日本政府はIMFや欧米を中心とする数カ国に日本の再建を仰ぎました。いわば再建の管財人の立場には、IMFが名乗り出て、日本に厳しい注文をつけてきました。閣僚、国会議員、知事、高級官僚などは即時退任、一斉の公職から追放されました。国債は数十%の棒引き、国民には戦後のような耐乏生活が強いられます。ガソリンが不足しているため車は特別の場合しか使えません。暖房や冷房も制限されます。
 ところで2001年の国家予算をよくみると今回のような事態が予測されていました。年度末の国債の発行残高389兆円、地方債を併せると666兆円にもなりました。GDPの128%にもなり、国内の稼ぎを全部借金返済に注ぎ込んでも足りません。先進国では最悪です。国民一人当たりで割ると525万円の借金です。また82兆円の歳入のうち国債の新規発行が28兆円、歳入の国債依存率は34%にもなりました。一方国債の返済や利払いに必要な国債費は17兆円となり、28兆円の新規国債も11兆円しか使えないという事態でした。
 こんなに借金が増えた原因は国債を増発して公共投資にお金を注ぎ込んでいたからです。また景気対策という名のもとに選挙対策のバラまきがおこなわれました。政治家も官僚も国民も目先のことばかり考え将来の危険に目を注がなかったためなのです。そしてそのまま借金は増えつづけ、ついに1000兆円を突破、新規国債の引き受け手が少なくなり、新規発行額より国債費のほうが大きくなって財政の破綻を招いたのです。
 国民はじっと我慢して耐乏生活に耐え日本再建に当たるしか方法はないようです。

2.アジア版EUともいえるAUが誕生したが、日本はかやの外

 20××年、ヨーロッパのEUを見習って、AU(アジア連合)が誕生しました。AUは東アジアや東南アジアの諸国が連合して、EUと同様出来るだけ国境の壁を低くし、関税を取り払い、人の行き来を自由化し、共通の通貨を持とうというものです。しかし日本はAUに加入することは出来ませんでした。
 アジアは20世紀末の政治と経済の混乱を抜けだし目覚しい発展を遂げました。中国と台湾の関係も、お互いの立場を認め現状を維持するという賢明なやり方に落ち着きました。

 AU結成に当たって一貫して指導的役割を果たしたのは中国を中心とした華人でした。中国はその広大な国土と13億人の人口でアジアの核となりました。中国人は、台湾、シンガポール、タイ、インドネシア、マレーシアなどに国民としてしっかりした地位を得ていました。そして少ない人口でその国の経済を支配し、各国共通の華人文化を確立して国際的にも広いネットワークを持っていました。そのネットワークがAU結成の中心となったのです。また東南アジア諸国連合のASEANも大きな役割を果たしました。
 一方日本は固有の文化や生活習慣を盾に、他の民族や他国の文化をなかなか受け入れようとはしませんでした。アジアの中でも極端に低い英語力も災いしました。また、政治家や官僚が自分たちの利益の追求のみに腐心し、広く世界を見ることが出来ませんでした。IT革命で韓国や中国に遅れをとったこともありました。
 アジアの一員でありながら、日本は今もアメリカの力に頼るほかないようです。

3.ついに関東大震災が発生。死者の数は約10万人

 20××年○月○日、関東地方に恐れていた大震災が発生しました。新関東大震災と名づけられました。1923年(大正12年)の関東大震災以来約1××年後のことです。
 被害は甚大で死者の数は阪神大震災の約6300人の15倍以上、1923年の関東大震災の約10万人と並びました。家が壊れたり焼けたりして家を失い避難した人は1000万人を越えました。

 地震発生が朝のラッシュアワーと重なったため、特に交通機関に関係する死者が多かったようです。新幹線をはじめ走行中の電車の脱線事故が多発しました。高架線路から下に落ちた車両も数え切れませんでした。駅舎の倒壊も多く大勢の通勤客が犠牲になりました。地下鉄や地下道では電気が消え、真っ暗闇となって大パニックとなりました。高速道路も阪神大震災のときと同じように支柱が倒れ、走行中の車が次々と落下しました。絶対安全と言われていた高層ビルのいくつかは途中でぽっきり折れました。住宅街では火災が発生し、おりからの強風に乗って火は瞬く間に燃え広がりました。海岸に面したところは津波が襲ってきました。阿鼻叫喚の大地獄とはこんな状態をいうのでしょう。家族と離れ離れになる人が続出し、自宅に帰るサラリーマンの列が線路や道路にあふれました。
 ただ、ラジオやケータイやパソコンでの通信が一部ながら可能だったため、前回の大震災のように流言飛語が飛び交って虐殺が起こるようなことがなかったのがせめてもの幸いでした。
 再建には時間とお金がかかりましたが、素晴らしいことには首都圏復興に当たって前回の関東大震災後の東京市長後藤新平がなし得なかった東京大改造がやっと実現したのです。

4.日本の人口が8000万人を切り、国土の荒廃が進みゴーストタウンが続出

 20××年日本の人口が8000万人を切りました。
 2000年の厚生白書によると国立人口問題研究所は2050年の日本の人口を低位推計で9,231万人と予測しました。2025年の予測は1億1,748万人で、わずか25年間で2,500万人以上の減少を予想しています。当時の合計特殊出生率1.34が続くと見ての数字です。予想通りその数字は数十年間続きました。少なくともこの数字が2を超えない限り人口は減りつづけます。そしてついに今年8000万人を割ったのです。
 8000万人はちょうど太平洋戦争が終わった1945年頃の人口です。戦地から続々若人が帰ってきました。そこでベビーブームが始まりました。毎年人口は着実に伸び続け、2004年には1億2700万人を超えピークを迎えました。

  しかしそれからコンスタントな人口の減少が始まったのです。
 影響はまず農業を直撃しました。後継者不足で農地はそのまま放置され、里山の荒廃が始まりました。住人のいなくなった山村も目に付くようになりました。市街地も駐車場のない昔からの商店街はなくなってしまいました。ゴーストタウンの出現です。滋賀県の長浜市や徳島県の脇町のように町ぐるみで活性化を図ったところはかろうじて生き延びましたが、何も手を打たなかったところはコンビニを除いて巨大なショッピングセンターの天下です。
 大都市では中心の住宅がますます高層化して多くの人口を吸収し、周辺のベッドタウンは空家ばかりです。公団住宅は老人ホームに作りかえられ、小学校の数は半分になってしまいました。
 企業活動にも人口の減少がボデーブローのように効いてきました。ものが売れなくなってきました。何しろ国内のマーケットのサイズがピーク時の3分の2以下になってしまったのです。輸出に頼るしかありませんが、金融業、流通サービス業、不動産業など輸出に頼れない業界は倒産が続出しました。

 一方、世界の人口は東南アジアやアフリカを中心に増えつづけています。21世紀初め60億人だった世界人口は、2050年には100億人に達しました。日本政府は今まで外国人の流入にはいろいろ制限を設けていましたが、経済を立て直して昔の活気を取り戻すため、外国人の移民を積極的に迎え入れて人口増加を図ることを真剣に考え始めています。しかし静かな環境を守りたいという人々の反対も根強いものがあり方向は定まっていません。

5.地球温暖化が進み、国土を大幅に失う国が出る 

 21世紀後半になり、地球温暖化の影響は深刻な事態をもたらしました。海水面が1メートル上昇して、太平洋中部のマーシャル諸島の一部が80%水没し、低地が多いバングラディッシュでは国土の20%が海面下に沈みました。日本でも影響は大きく、21世紀初めに環境庁が予測した通り、全国の砂浜の90%が消失しました。高潮などの被害を防ぐための護岸工事に約20兆円が注ぎ込まれ、また借金がかさみました。
 地球温暖化は石油などの化石燃料を燃やすことにより、二酸化炭素(炭酸ガス)が増え地球を覆って温室の中にいるような効果で地球全体が暖かくなることです。熱帯雨林の開発が進んで緑が減ったことも二酸化炭素が増えつづける原因になっています。

 1997年12月に京都で開催された「地球温暖化防止京都会議」では先進国全体で5.2%の温室効果ガスを削減するという「京都議定書」が採択されました。しかしその後アメリカと開発途上国が削減に賛成せず、日本も積極的な削減策は取りませんでした。その結果温暖化が進んだのです。
 温暖化の影響は海水面の上昇だけでなく、地球の気象にも悪影響を与え、異常気象や台風の発生回数が増えています。また生態系も変化してきています。
 人類みんなが協力して環境問題に取り組まない限り、22世紀にはもっと深刻な問題が発生するのではないでしょうか。


21世紀に起こりうる素晴らしい出来事

1.日本人の女性の平均寿命が100歳を超える

 20××年、日本女性の平均寿命が100歳を超えました。男性は90歳です。1950年には62歳だった女性の平均寿命は、20世紀後半急速に延び1998年には84歳となっていました。50年間で22歳の延びです。そしてついに今年100歳の大台に乗ったのです。
 平均寿命が延びた第1の原因はガンにかかる人が減ったことです。かかっても治癒したり、進行が遅くなったりする人も増えました。また21世紀になって医療保険制度が破綻し薬付けの治療が出来なくなったため、高齢者が病気にならないよう気をつけ始めました。破綻してかえってよい結果が生まれたのです。ケガの功名とはこのことでしょう。
 働く老人も増えました。それも平均寿命を延ばした大きな原因です。少子化で若者が減り、高齢者も働かなくては社会生活が機能しなくなりました。そのため高齢者の働く場や環境も整備されました。定年制度、年功序列、終身雇用といった日本の特徴だった諸制度は完全に姿を消しました。

 一方、100歳に延びたことにより、介護をどうするかが大きな問題になっています。介護が必要な人が増え介護の期間も伸びました。そのため介護施設が増えました。21世紀はじめの病院や診療所のように民営の介護施設が町中いたるところにあります。特養老人ホーム、ケアハウス、グループホーム、託老所、リハビリセンターなどです。そしてみんな気軽に利用しています。在宅介護も便利になりましたが、100歳以上の高齢者を70歳台、80歳台の人が見るため、介護ロボットが大活躍です。
 一方生きる権利があるように死ぬ権利も認められました。21世紀初めのアメリカオレゴン州の尊厳死法やオランダの安楽死法にならった法律が生まれ、生きることに耐えられなくなったときや植物人間になったときには、医師の処方で楽に死ねるようになりました。
 ともかく20世紀末に生まれたかなり多くの女性が足掛け3世紀を生きて元気で22世紀を迎えるという素晴らしい世の中になったのです。 

2.進化するロボット

 介護ロボットの話が出ましたが、21世紀はロボットの世紀といってもいいほどあらゆる分野でロボットが大活躍です。
 20世紀末から21世紀初めにかけて、自動車メーカーのホンダが人間型ロボット「ASIMO(アシモ)」を開発、人間型ロボット事業に進出しました。ソニーの犬型ペットロボット「AIBO」は発売時、大変な人気を博しました。松下電器産業は猫型ロボット「タマ」を開発、セコムは食事介助ロボット「マイスプーン」を試作しました。日立製作所は高齢者のリハビリを助ける「歩行支援機」を開発していました。
 日本が得意とする小型ロボットの開発は、これらの先進企業のたゆまぬ努力によって大成功を収めました。

 ロボットの最初の職場はいわゆる3Kの職場でした。高所、深海、工事現場などで始まり、農業、漁業、介護現場、運送などで発達して、その後は、セールス、病院、教育、研究、開発などあらゆる分野に進出しました。
 そして人間にはそれらのいろいろなロボットをうまく使っていく管理能力が要求されるようになりました。例えばパソコンの持っている機能を理解し使いこなせる能力です。ロボットはある程度自分で判断して動くことが出来るため、ロボットに命令したりロボットを使ったりする人が未熟な場合、ロボットが勝手に動き出して大変な事態になることもあります。
 そのため人に代わってロボットをうまく使うロボットも開発されようとしています。

3.石油に代わる新しいエネルギー源の出現

 人類は石炭や石油を発見してエネルギー源として使用するようになり急速な発展を遂げました。石油のない世の中は考えられなかったのです。1973年の第1次オイルショックでは石油のなくなる恐怖を人々は思い知らされました。
 あの時以来世界は石油に代わる新しいエネルギー源を求めつづけてきました。化石燃料系ではオイルサンド、オリノコタール、オイルシェールなどが候補になりました。原子力発電では20世紀末に事故を起こした「もんじゅ」に代表される高速増殖炉、再生可能エネルギーでは風力発電、太陽光発電、地熱発電、波力発電などが期待を集めました。

 そして20××年、新しいエネルギーが実用化されたのです。それは水素とメタンハイドレードです。水素はご存知どこにでもある元素です。それがエネルギー源として利用可能になったのです。メタンハイドレードは深海底に眠るメタノール系のガスです。いずれもクリーンなエネルギーで地球温暖化とは無縁です。資源の量もほぼ無限です。
 また研究段階にあった風力発電など再生可能なエネルギーも技術の進歩により、安くかつ安定的に供給可能となりました。
 資源のリサイクルも軌道に乗り地球環境も改善されています。人類の未来はばら色といってもいいでしょう。

4.IT革命が成功後、BT(バイオテクノロジー)革命が脚光を浴びる

 21世紀初頭、短命に終わった時の総理大臣が口癖のように唱えていた「IT革命」は、21世紀にはいってほぼ20年の間に目覚しい成果をあげました。
 まず通信が変わりました。通信速度はキロビットの世界から、メガビットになりました。放送も通信もすべてディジタルに変わりました。インターネットの普及率は90%を超え、電話と同じくらい家庭に入りこんでいます。パソコンの周辺から配線はなくなり無線になりました。キーインでのインプットに代わり音声でのインプットが主流となりました。しかも日本語で入れると英語や中国語に簡単に変わります。パソコンソフトはウィンドウズでなくリナックスです。
 仕事のやり方は自宅で仕事をするSOHOが当たり前となり通勤から開放される人が増えました。家の中もハイテク機器の洪水です。皆様もいろいろ想像してみてください。考えるだけでも楽しくなります。

 IT革命が一段落した後、やってきたのがBT革命です。
 20世紀最後の年である2000年の6月、アメリカのセレーラ・ジェノミックス社によって、各国の研究期間が激しく競争していたヒトゲノムの解読が実現しました。ヒトゲノムとは人間の遺伝子の情報でDNA上に並ぶ核酸構成成分の1つである塩基の配列順序です。実はこの中にガンの原因となる遺伝子があると言われているのです。ガンの発生と関係する「ガン遺伝子」は100種類以上見つかっています。それらの遺伝子を退治しておけばガンにならないというのが遺伝子治療です。この治療法が20××年ついに実用化されました。そしてガンによる死者の数は劇的に減りました。
 20世紀最後の年にNHKで「世紀を超えて」という番組が放送され評判になりました。その中で「ES細胞」という万能細胞が紹介されました。この細胞は受精卵のように肉体のあらゆる臓器になる力を持っています。1998年アメリカのウィスコンシン大学が世界ではじめて開発に成功したもので、クローン人間を生み出す技術と同じです。この細胞を利用することにより、人間の臓器が部品のように交換できることになりました。
 そのほかにもバイオテクノロジーを利用した画期的な技術が生まれました。まさにBT革命の世紀といえるでしょう。

5.第2の明治維新により日本再生が実現

 20××年、長らく低迷し沈没寸前にあった日本を救う第2の明治維新が到来しました。
 明治維新の時を振り返ってみましょう。まずペリーの黒船がやってくるという外圧がありました。今度の日本再生もまず外圧から始まりました。それは特定な国でなくグローバルといった世界の風潮でした。日本にとって強烈な、考えても見なかったような深刻な事態が起きたのです。日本は蜂の巣をつついたような騒ぎになりました。危機感に無縁だった政府や官僚や国民は初めてわが身に迫った強大な力に目覚めたのです。
 明治維新は、坂本竜馬、西郷隆盛、大久保利通、桂小五郎など20歳台30歳台の若者によってなしとげられました。第2の明治維新も既成の政治家や経済人によるものではなく内外の優秀でリーダーシップのある人達でした。全く新しい考えを持ったユニークな人々の登場があったのです。

 最初はクーデターで始まりました。少し血が流れました。
  しかし日本人の美点は生きていました。日本の歴史を振りかえると中国やヨーロッパなどと違っていつも敵を許しています。戦国時代が終わって徳川の世になった時も、また徳川が倒れて明治になった時も、事が成った後は相手側の有能な人材を重用しました。中国の歴史のように相手を徹底的に滅ぼしてはいません。日本の再生は見事なソフトランディングでした。日本人の知性とたくましさは滅んでいませんでした。(この項は内容のない勝手な想像だけですみません。)

 21世紀は日本にとっても世界にとっても人類にとっても素晴らしい世紀にしたいものです。私たちは21世紀の終わりを見ることは出来ませんが、明るさと希望をもって次の世代に引き継ぎたいと望んでやみません。

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