テキスト ボックス: 高齢者の豊かな生活のために     2001年7月20日発行      新田ライフプランニング
手 賀 沼 通 信 (第40号)         〒270-1147 千葉県我孫子市若松151-3
  (TEL&FAX:0471-83-2898) (E-mail:ynitta@jcom.home.ne.jp)                 新田良昭 
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 手賀沼通信第36号で「明るく楽しく老齢期を過ごし惜しまれて死ぬための12章」についての私見を述べましたが、今月は読者の方からいただいた感想やご意見をお届けいたします。もう一度12章を書いておきます。

 (1)「自立」が明るく楽しい老年期のキーワード
 (2)生きがいを持とう
 (3)長生きをしようなどとは思わないこと
 (4)感謝の気持ちを忘れずに
 (5)介護を経験してみよう
 (6)地域との繋がりを持とう
 (7)ITこそ高齢者のもの
 (8)仲間づくり、ネットワークづくりを
 (9)家族を大切に
 (10)健康がベース
 (11)準備は若いうちから
 (12)人生は楽しむもの


読者からいただいたメッセージ

 電子メールで26人の方から、手紙やはがきで6人の方から感想やご意見をいただきました。電話や口頭の方を含めると約40名くらいの方がコメントくださいました。
 そのなかから、いくつかのメッセージを選ばせていただきました。紙面の都合で全部を掲載することは出来ませんでした。ご紹介させていただいた文章は、やはり紙面の都合で前後や途中の文章をカットさせていただいております。悪しからずご了承くださいますようお願いいたします。

1.多かった健康についてのご意見

 いただいた感想やご意見の中で一番多かったのは健康についてでした。やはり中高齢者には健康問題が一番の関心だとわかりました。

 東彩会という「生涯青春」を旗印に集った「地域活動メンバー」の方のご意見をご紹介しましょう。
『私は70歳半ばを過ぎ、80歳に近い年齢になりました。同年齢の友達がばたばたと死んでゆき、死なないまでも再起不能の病床にある人もいて、「死」というものを考えざるを得ないこの頃です。私は高血圧という持病があり、2週間に得ないこの頃です。私は高血圧という持病があり、2週間に1度医者に通っています。今は良い薬があるので、血圧は正常値を保っていますが、日常生活でも厳しい戒律を自分に課しております。塩分を取りすぎないよう、醤油は減塩醤油、漬け物はほとんど口にしません。風呂に入るときでも、急に温度の変化を来たさないよう妻が気をつけてくれます。煙草は70歳頃、50年間吸い続けていたのをやめました。そんな私から見て、新田さんの「みんなと同じようにやることはない」(10.健康がベース)というご意見には承服しかねます。前半に述べられているようなことを忠実に守るべきではないでしょうか。勿論、これを守ったからといって、呆け、寝たきりにならない保証は全く無いのですけれども、「人事を尽くして天命を待つ」といったところでしょうか。煙草を離せない人に煙草を止めろと言ったらかえってストレスになると言われますが、50年吸い続けていた私でも止められたのですから、要は止めようという意志の問題と思います。』

 一方、昔の私の同僚は、『健康は重要だが、意に副わないことまで無理に従うことはない、という意見は、老後を自由に生きる上で特に重要だとおもいます。』との意見でした。

 私も数年前にタバコをやめ、人一倍タバコ嫌いになりました。人に迷惑を掛けないで吸うならそれはその人の自己責任、世の中に自殺の権利があるなら、喫煙者に命を縮める権利があってもいいかなと思っています。(ごめんなさい)

 千葉市にお住まいの方からは健康法を紹介いただきました。
『我が家の健康療法の一つとして20年来“びわ葉温圧”を実践しています。そのせいか私も家内も病院と薬のお世話にならず笑顔で毎日を過ごさせていただいています。本当に感謝に堪えません。』

 小学校から高校までの同級生で高松在住の女性は、『私にとって老後とは80歳以降です。病気・ケガで寝込まないように注意し、生涯背中が丸くならないよう、姿勢をよくしていたい。』と意気軒昂です。

 67歳の男性の方からは『一人の生活になって8年になります。寂しいと思ったことは1度もありません。、私は毎日の生活にいつも感謝しております。健康第1、第2健康、健康だから人生幸せで楽しいのです。みなさん頑張りましょう。』

2.「死」については真剣に考えている方が多い

 まず尊厳死についてのコメントが2件ありましたのでご紹介しましょう。
 先月号にも登場の北柏の友人です。
『尊厳死について
@英語では"Living Will"というそうです。
A尊厳死について考えたきっかけは、大学の同窓会でのある1部上場の大会社の社員の話です。 「同僚が工場で勤務中に事故に遭い、意識不明で同社の病院に入院した。同社は可能な限りの手を尽くし一命は取りとめたが、意識は回復しなかった。以後、20年以上、同病院に入院し、いわゆる植物人間の状態でいる。」
Bその後、台湾の合弁会社に日本側代表として勤務した時、そこの工場長であった中国系台湾人と夕食を共にした際、彼に「人間としてこうありたい希望は何か?」との私の問いに対し、彼の返事は"Good Death"であった。即ち、無意味な延命のない自然死あるいは周りの人々に無用な介護をさせない死に方をしたい、と言うことでした。
C帰国後、又も大学の同窓会の席で、夫婦で日本尊厳死協会の会員になっている同窓生に遭遇し、会の住所を教えられた。
D「日本尊厳死協会」に手紙を書き、入会案内と会則の送付を受けた。
Eその後、夫婦で入会することを前提に、3っの質問をした。
・いざという時、確実に二人の意思を実行して貰えるのか?
・実行して貰うには、具体的にどのようなすればよいのか?
・近親者、例えば子供、が反対しても実行して貰えるのか?
Fその返事は以下の通りでした。
・協会の準備する宣言書に署名し、それを医療側に提示することにより、95%は実施してくれます。
・肉親が反対した場合は医療側はその方(近親者の意思)を取ります。
G結論的には、現在の日本の法律事情からは、100%確実に尊厳死が実施される保証はありません。
H従い、私ども夫婦は入会せず、とりあえず、二人で共通の認識とすることとしました。
Iその後、新聞や書物等で、公証人の立会いで遺言書を認め、それに尊厳死を規定することの方が確実性が高い事を知りました。』

 日本アイ・ビー・エム時代の友人が常に心掛けている事の一つは、
『常に小生の胸ポケットには「No.00884 日本尊厳死協会終身会員証」並びに「当ケース所有者について」のメモ(氏名、生年月日、血液型、現住所、電話番号、妻の名前、付帯情報としての近親者名とその連絡先を記載)を携帯していること。』だそうです。

 また千葉市の67歳の女性からは、
『いつまでも気持ちだけは若いと思っていても老いはまったなしにやって来ています。いかに人に迷惑をかけないで死ぬ事が出来るか、日々の生活に気をつけて、ボケないように趣味を持ち困った人には手を貸して「ボケたらあかん長生きしなはれ」を書いた98歳の方まことにその通りです』とのコメントをいただきました。

3.そのほかの点についてのご意見

 「土佐一人新聞」を出している高知の友人からは自立とITについての感想をいただきました。
『ごもっともな事ばかりでしたが、自立の件で少々問題があるようです。全て女房と共同で家事炊事等を分担するのは当然と言えば当然なのですが、どうしても女房に甘えるようになり、中々出来ないものです。だけど女房がもし病気にでもなると、自分でするし、看病も当然私がするものと思ってはおりますが、女房が元気なうちは難しいというのが、現実です。それより最近読んだ本に定年になって、夫婦が24時間顔を突き合わすのがこんなに面倒とは・・・となっておりましたが、そんなものでしょうかね。理解が出来ません。私など仲が良いのか、全くそんな気持ちになっておらず、1日が25時間でも女房と一緒に居たいと思っております。
  また、ITの件ですが、途中からのITは難しいもので、横に先生で居ると、簡単でしょうが、聞ける人が近所に全く居ないという環境では、大変難しいようです。これからもドンドンITは進んで行くので、お歳よりはその改革に着いて行けない可能性が高いようです。まあ、だけど、今のパソコンは半製品ですから、誰でも簡単にパソコンが使えるようになるでしょうから、その時はテレビでも見る感覚でパソコンを楽しめるようになるかも知れないですね』

 またITについては定年後再就職をして頑張っておられる方からは、
『人生や生き甲斐について考える時も、仲間作り、ネットワーク作りを実践する時も、I..はこれからの余生を楽しもうとしている私達の強い味方です。昨年再就職するまでの2年間、私は57歳から定年生活を経験しましたがその期間は退職を決意するに至るまでの予想に反して退屈を託つ暇も無いほど充実した楽しい日々でした。I..がそうした日々の実現に大きな働きをしてくれました。』
というメッセージをいただきました。

 日本アイ・ビー・エムに勤務していた友人からは、奥様との関係について経験談をいただきました。
『3人の子供が順に家を出て行き二人だけになり8年が経つ.末っ子が出た時、自分には殊更の意識は無かったが、妻には相応の意志が有ったようで”これからは私の時代”と宣言し自分のやりたい事を伸び伸びとやっている.その時から夫婦は同じ屋根の下に独立した人格を持つ者の同居状態が続いている.別に仲が悪い訳では無い.退職前から家での共有時間が多くなって、1ヶ月位過ぎた頃、妙にお互い相手の事にいろいろ気付く事が多くなり、あれこれ指図し始めた事があった.今更倦怠期でもあるまいにと思ったが、その頃からつかず離れずを意識している.役割分担も就業中は明確だったがこれからは基本的には自分の事は自分で、共通の事は時間が空いてる方がと考えている.お互い時間が合えば旅行もする.同じ屋根の下の同居人.相互に干渉せず.それが良いと思っている.』

 日本アイ・ビー・エムを退社後、整体師として活躍している人からのコメントです。
『私も退職独立して早八年になります。不安と期待でスタートしましたが会社人間からの離脱には正直言って時間がかかりましたが、現在は自然の成り行きにまかせ、あせらず毎朝目が覚めたときに、仕事の日には患者の痛みつらさの軽減に何をしてあげられるか、どういう方法が考えられるかを思い浮かべ、策があればメモ、なければ患者の側にたったときに何をしてもらいたいか(を考えます)。』

 「東彩会」のメンバーで、日本アイ・ビー・エムでの大先輩からは、次のようなメッセージをいただきました。
『私が通院する浅草寺病院の右側の壁に、
人のお世話にならぬよう。
人のお世話はするよう、
そして、報いは求めぬよう。
と、何代か前の浅草寺のご住職の揮毫があります。とても、清々しい人の生き方を表現しております。とても良い杖詞と諳んじていました。先週の産経新聞に「この詞が、台湾総督、満鉄総裁、東京市長、大臣を歴任した後藤新平が訪ロの帰路、ハルピン学院に立寄り、校訓としてこの詞を揮毫された」とありました。ご紹介させていただきます。』

 今までご紹介させていただいたものは、ほとんど中高齢者からのご意見でしたが、次は比較的若い女性の方からです。

『「明るく楽しく老齢期を過ごし惜しまれて死ぬ12章」は、とても良いです。うん、そうそうと頷きながら読んでしまいました。私がうん、そうそうと思ったのは、そうすれば惜しまれてなくなっていくと言うことではなく、私もそんな風に生きたいなって事です。私は老齢期ではないですが、書かれていたことは今生きている人全員にいえる事だと思うから。この12章、私も常々考えていることです。何故か、自分は生かされているのだから、人のしてくれる事を当たり前とは思わず、感謝したいなって思います。生活の基本は家族だから家族を大切に、そして自分と接してくれている人を大切にしたいなって思います。』

4.各章ごとのご意見

 3人の方から各章ごとにコメントをいただきました。

 まず、柏市で「あけぼの会」を主宰されている方です。
『1,「自立」 私は料理はしません。家内の領域は侵しません。その他の事は、手の空いた者がすれば良いとして居ます。独居となれば買い食いの方が無駄もなく、レパートリーが広くて経済的かも知れません。「緊急の時に」と言う文書を作り、救急車手配、救急病院指定、連絡先リスト、葬儀方法、財産管理等を用意してあります。
 2,「生きがい」 生き甲斐は趣味でも何でも良いのですが、個人的なモノに加えて、矢張り社会と繋がりのあるモノも欲しいです。つまり地域、他人の為に少しでも役立つ事をしたいですね。その為にも友人が大切でしょう。人は自分だけの為には生きられません。
 3,「長生き」 私は長生きよりも、健康で居る時間を長くしよう、病気は出来るだけ短くしようと言ってます。知力、気力、体力は共に関わって居ますが、気力がなくなるのが一番コワイです。その為にはお医者さんとご縁を切らぬ事です。ホームドクターを持って、月に2回血圧を測り聴診器を当てて、半年に1回血液検査、尿検査、心電図、胸のX線写真を撮ります。何でも相談します。所謂転ばぬ先の杖です。検査をしても死ぬ時は死ぬと思います。自分の身は自分で守る、医者に使われず医者を使うが私のモットーです。
 4,「感謝」、5,「介護」 その通りですが、なかなかチャンスがありません、言い訳ですが。でも、外では困って居る人には、積極的に手伝う事にして居ます。高齢者には、未知の方にも出来るだけ先にお声を掛ける様に心掛けて居ます。
 6,「地域」 私も順送りで、町会関係の事を2回やりました。狭い中でも派閥みたいなモノがあって、私の様に無派閥の者には難しい世界でした。私はやる以上は一生懸命やる質ですが、つかず離れずでしました。従って、つきあうグループ活動はもう少し広い範囲で、利害関係のない様に努めて居ます。あけぼの会は閥もなく新旧の差別もありません。
 7,[IT」 7年前に非常勤で週1回出社して居る時に、会社で始めました。子供達が家でも使って居て、是非と勧めますので、家でも5年前から使いました。最近になってやっと面白くなって、検索で調べもして居ます。その中にHPも作りたいと思って居ますが、デジカメもないし。まだまだですが、奥が深いので一生追求して行けると楽しみです。
 8,「仲間」 仲間は大事ですね。仲間と会話する事が健康やボケ予防には絶対必要でしょう。仕事を辞めた11年前に地域に友人を作ろう始めたのがあけぼの会に発展しました。会社の友人とは年1回OB会で十分ですし、気に入らぬ上司や同僚とは通り一遍です。実は中学のクラスでは万年幹事をやり、これが年に10回位、泊まりや昼食会、ゴルフとやって居ます。一寸会わないと会いたくなるから不思議です。
 9,「家族」 これは一番大事ですね。家内と私の二人で住んで居ますが、二人とも趣味・活動が異なるので、同じ屋根の下に居ても、居場所は別で、食事の時にのみ一緒になるのが実状です。でも、ウオーキング、買い物から柏シルバー大学院、講演会、病院と外出はいつも一緒です。夫婦の会話は出来て居る方と思って居ます。
 10,「健康」 自己管理、セルフ・コントロールが必要です。健康の為に生きるのではなく、生きる為に健康を保てと言ってます。糖尿の人にも、高血圧の人にも、毎日では困るけど、偶には、医者の言いつけに逆らい羽目をはずして飲み且つ喰いなさい、と言ってます。さもないと、生きる楽しみがなくなって、気力が失せますから。でも、タバコはダメです。本人にもいけませんし(肺ガン、肺気腫の危険)周りの人、家族にも害が及びます。私も47年前に25本のタバコを止めました。
 11,「準備」 定年退職5年前から、何をやるか、趣味を整理して置けと説く方が居ます。私も気をつけましたが、結局何も考えずに突然仕事を辞めました。残りの人生が勿体なかったからです。58歳で最初の会社を定年退職し、8ヶ月遊んで、第二の会社で3年、手賀沼親水広場で3年(週4日)、非常勤監査役(週1日)5年、そして完全フリーとなっ2年経ちました。一方あけぼの会も10年経ちましたが、この生き方に満足し気に入って居ます。
 12,「人生」好奇心、遊び心、プラス思考、と良い事を言われました、全くその通りです。私は一つ付け加えたいのは「感受性」です。感度は年々鈍くなりますが、好奇心と相まって感性を磨くべきでしょう。今私は「若い」より「幼い」をとって居ます。10歳若い、よりも10歳幼く、今62歳と思って居ます。私はいつも、今が幸せです。』

 次は日本アイ・ビー・エム時代の友人です。
『第1章はまだまだできていませんが、家内が旅行に出掛けて留守の場合、できるだけ家事をするようにしています。
 第2章は、仕事以外でやりたいことが山ほどあり、これらに取り組むことが生きがいです。今はほんの一部しか手についていません。
 第3章、賛成! 第4章は、これからの課題です。できるだけ感謝の気持ちを持って過ごすようにしましょう。第5章は、両親が90歳を越して健在で、ありがたいことです。そのうち、どうかなればちゃんとしようと思っています。
 第6章、近所付き合いは今のところせいぜいマンションの部屋の上と下、お隣りさんくらいしかできていません。これからの課題として残っています。
 第7章は、私も結構やれています。10年以上前にIBMを退職してからは、なんでも自分ひとりでやる必要にせまられ、知らぬ間に大体身に付きました。インターネットでの買い物はまだしていませんが、メールは大忙しです。大学時代の仲間と、芭蕉の俳句の英訳を続けています。水泳仲間と泳法の技術情報の交換もやっています。一週間家を空けると150通くらいメールが溜まり、嬉しい悲鳴です。年賀状もデジカメを使って作成しています。
 第8章のネットワーク作りはばっちりです。IBMの時の同僚や先輩はもとより、高校・大学の同窓生、IBM退職後の勤務先・出向先の同僚、水泳の仲間、在京の親戚の面々・・・とまことに多岐にわたっています。
 第9章、10章:IBM時代は仕事にかまけて家族を随分おざなりにしていましたが、これからはちゃんとしていこうと思っています。それにしてもまず健康ですね。酒は飲みすぎず、食べ物もほどほどに、睡眠も適度に、を守っていこうと思っています。
 第11章は大体できています。12章は、本当に大事なことです。幸い私は晩生なせいか、最近学ぶことが多いです。世の中の動き、仕事のやりかた、人との接し方、本の読み方、英語の書き方・読み方、水泳の上達、海外や国内の歴史・文化など、勉強することがたくさんあって全く退屈しません。』

 最後は小学校時代の同級生の女性です。
『1と2 主人にしっかり讀んで考えてもらいます。
 3 大賛成 私は原則として薬は飲みません。医者にかかりません。信頼しません。尊厳死協会の会員です。
 4 本当に良い事を教わりました 心いたします。
 5 短期間でしたがやらせていただきました。本心を言えば『恐ろしい』経験でした。自分が介護される立場は想像するだに耐えられません。主人より先に往く事を宣言しました。
 6 今の居住区全体の大問題なのです。戸建住宅群ですが、ともかく顔見知りどうし挨拶だけと撤しています。
 7 器械音痴を自認して、でも努力しています。
 8 全く新田さんがうらやましい!です。
 9 母子家庭の恨みも近頃毎夕食を作るようになって、うすれてきました。なんとかおりあってゆけそうです。
 10、11、12 私に関しては ばっちり! 問題はすべて主人のほうです。』

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