テキスト ボックス: 高齢者の豊かな生活のために     2001年8月20日発行      新田ライフプランニング
手 賀 沼 通 信 (第41号)         〒270-1147 千葉県我孫子市若松151-3
  (TEL&FAX:0471-83-2898) (E-mail:ynitta@jcom.home.ne.jp)                 新田良昭 
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 今月は「株主総会の報告」「私の弟のエッセイ」「友人の小嶋さんご推薦の本の紹介」です。

 私の弟は6年ほど前に胃がんで胃の6分の5を切り取りましたが、その後も元気に山登りを続けています。今年の3月末で退職し時間の余裕が出来たためか、エッセイを書いて送ってくれました。

 小嶋さんは昔の同僚ですが、ある本を紹介して欲しいとの依頼を受けました。小嶋さんは難病と戦う子供達の支援組織「NPO法人ファミリーハウス」のボランティアです。

 株主総会は今年で4年目、手賀沼通信の夏の定番になりました。 過去4回の総会集中日の前の週の金曜日の日経平均を比べてみると、
・平成10年 15,267円
・平成11年 17,436円
・平成12年 16,963円
・平成13年 13,044円
となっていて、今年は最低の株価です。小泉政権もこと株価に関しては今のところ期待外れです。聖域なき構造改革が成功すれば株価は急騰するだろうと信じて、今はじっと我慢のときかもしれません。
 その中でも、平均以上に株価の低迷している産業といえる銀行のみずほホールディングスとIT関連の東芝の株主総会に出席しました。みずほは6月26日、東芝は6月27日でしたので、今年の集中日の6月28日にももう1社チャンスはあったのですが、仕事が入ったため出席できませんでした。
 6月27日の日経新聞によると、集中日の28日に開催を予定しているのは1345社で全体の79.5%、集中度が80%を切ったのは17年ぶりだそうです。衛星やインターネットを利用したり、個人株主が出席しやすい週末に開催日を選ぶ企業も増え始めたと報じています。たしかに私が出席した今年の2社は「開かれた株主総会」にしようという努力が見られました。


今年の株主総会

1.最後に銀行の体質が出た「みずほホールディングス」

 みずほホールディングスの株主総会は有楽町の東京国際フォーラムのホールAで午前10時より開催されました。この会場は東京国際フォーラムの一番大きいホールで数千人の収容能力があります。入場者の発表がなかったので正確にはわかりませんが、おそらく会場には1000人以上の株主が詰めかけたのではないかと思います。
 みずほホールディングスは、第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行が設立した持ち株会社で、3行の株式を移転し、その傘下には3行ほか系列の金融会社を「みずほフィナンシャルグループ」として抱えています。平成14年4月以降は3行を統合して、みずほ銀行、みずほコーポレート銀行その他に再編されることになっています。東京三菱銀行、三井住友銀行、UFJとともに4大銀行グループの一角をなしていますが、株価は一番低迷しています。日本興業銀行は時の人そごうの水島元会長の出身銀行です。

 銀行の株主総会は昨年の東京三菱についで2度目の経験ですが、東京三菱に比べるとみずほの総会の運営は格段に洗練されていました。前面には特大のスクリーンが2面用意され、営業概況の説明の際にはパソコンと直結したわかりやすくきれいな画面が写し出されました。議長は西村会長が勤めましたが、議長とパソコンオペレーターとの息がぴったりで、東京三菱の岸頭取が株主に配布した書面を棒読みしたのとは大違いでした。スクリーンはパソコンにつないでいないときは会場のカメラとつながっていて、雛段の役員が大写しにされるため、顔色や表情がうしろの人にもよくわかりました。
 東京三菱では、株主側にはマイクが用意されていず(今まで出席した株主総会で株主側にマイクがなかったのは東京三菱のみ)、株主が無視された感じでしたが、みずほには4つの株主質問席が用意されており、質問したい人は質疑応答の時間が始まる前にそこに移動して、順繰りに質問するようになっていました。なかなかの手際の良さでした。
 中央の前3列ほどは社員株主が座っていたようですが、あまり目立たず、拍手も控えめでした。此の点も毎年少しずつ改善されているようです。

 質疑応答では10人の株主が質問しました。いわゆる総会屋はいなかったように思います。西村議長は自分で答えられるものは自分で答え、担当役員に任せたほうがいい質問は担当役員に任せていました。西村議長の回答に比べると担当役員の回答はあたり障りのない内容の乏しい解答が大半を占めていました。責任を追及されたり言質を取られたりするのを避けているようでした。株価の低迷や、役員の持ち株数が少ないことが質問されましたが、翌日の東芝での同じ質問に対する回答と比べると、まことにそっけない回答でした。慇懃無礼な銀行の体質が変わっていないという感じを受けました。
 そして最後にバブルの後遺症がまだ根強く残っている印象を与える質問が続きました。入場するとき会場の入口で幾つかの労働組合が旗を立てて、はちまき姿でチラシを配っていましたが、その人達が質問に立ったのです。

 バブル期に銀行は貸し出し競争に走りました。ところがバブルがはじけ、予定した収益が上がらなくなった企業は借りた資金を返せなくなりました。しかし借りたお金は返す必要があります。大企業の場合は債権放棄などで借金の棒引きを受けることがありますが中小企業に対しては銀行は容赦ない取立てを行います。それと労働争議がからんだ争いになっているケースが幾つかあるようです。詳しいいきさつは不明ですが最後の質問者は富士銀行の名前を挙げて文書と会場での質問を試みていました。それに対して銀行側は「労使間の協議にかかわる立場にはない」という言葉で切り捨てました。質問者はまだまだ聞きたいことがあるようでしたが、議長は強引に質問を打ち切りました。銀行の傲慢な顔がかいま見えて、怒号と拍手が入り混じった後味悪い幕切れとなりました。
 終了は12時15分。2時間15分の株主総会でした。

 昨年の東京三菱の総会もそうでしたが、銀行の場合、貸付と返済(または取りたて)を廻ってのトラブルが株主総会に持ちこまれており、一般の株主にとっては大変な迷惑となっています。どちらが悪いのかはわかりませんが、内輪喧嘩を人前でするようなものです。銀行は強い立場にあるはずなので、誠意を持って解決を測るべきだと思います。少なくとも株主総会に持ちこませるような問題ではないと感じました。
 バブル期には銀行自らがばら撒いた資金が更にバブルを膨らませ、今では巨額の不良債権となって日本経済の足を引っ張っています。そして株価の下落を招いています。

 株主に配布された案内を見ても、銀行のリストラの取り組みはまだまだ甘く、平均給与も依然としてトップレベルです。8年前に厳しいリストラを体験した私から見ると形だけのリストラをやっているとしか思えません。株主から鋭い質問が飛んでいましたが、銀行は格好だけでなくもっともっと真剣に反省すべきだと感じました。
 3年前に日産自動車の株主総会で、当時の塙社長がしきりに「選択と集中」という言葉を繰り返し、日産自動車のリストラを唱えていました。そのときも「本当にやれるかな」という疑問を抱いていたのですが、結局は自分ではリストラを実現できず、フランス人のゴーンさんが乗りこんできてやっとのことで日産の再生を果たしました。トップが本当にやる気がない限りリストラは難しいと思います。

2.感じの良かった「東芝」の株主総会

 みずほホールディングスの総会の翌日東芝の株主総会に出席しました。東芝の総会は浜松町の東芝本社の39階のホールで開催されました。本社の前ではどこかの団体が「台湾に原発を輸出するな」という抗議のデモを行っていました。みずほへの抗議に比べるとややおとなしい感じです。
 39階のホールはウナギの寝床のような縦長の会場で天井が低く息が詰まる感じで、東京国際フォーラムに比べると段違いです。私が着いたのは10時の開始時間の15分くらい前でしたが、もうかなりの株主が詰めかけていました。銀行の背広姿と違って株主もポロシャツなどの気軽な服装がかなり混じっています。席は後のほうで、前の雛壇は遠く霞んではっきりとは見えません。イスも折りたたみの椅子を並べたもので座り心地はよくありません。しかも株主が続々入ってきており、係員が折りたたみイスを狭い通路にもセットしていました。これでちゃんと総会が開けるのかと不安でした。ところが総会は前日のみずほと比べると大変後味の良い総会でした。

 定刻の10時、役員が遠慮がちな拍手に迎えられて入場、みずほに比べると半分くらいの人数です。議長は岡村社長が勤めました。恒例にしたがって事務方が株主と株式の数を報告して総会の成立を宣言したあと、岡村議長による営業報告が始まりました。前方にはそれらしいメディア機器がないので、営業報告書の棒読みかと疑いましたが、天井から間隔を空けて6ヵ所、スクリーンが降りてきました。そこに天井のプロジェクターがパソコンとデジカメで作ったわかりやすい画や表や文字を映し出しました。天井をよく見るとレールが複雑に走っており、このホールは最大8つの小部屋に仕切って、会議や研修などにも使えるように設計されているのがわかりました。
 営業報告は、詳細かつ明確に、テンポよく続き10時33分に終了しました。前期に比べると当期は大幅に利益が伸びたため説明にも力が入ったようです。ただ最近になって営業成績が落ちており、株価も安値につけていることもあって、最後は気を引き締めていました。

 そのあと前もって書面で提出された質問状と場内での質疑応答に入りました。みずほと同じ形式ですが、受けた感じは大違いでした。回答が丁寧で詳細かつ具体的なのです。たとえば台湾への原発の機器の輸出についての質問が繰り返し続いて、台湾の電力会社が判断すべき内容のような質問もありました。台湾の電力会社から直接受注したGEの下請けの立場にある東芝にとって回答できないような質問に対しては、なぜ回答できないかの理由をわかりやすく丁寧に答えていました。また、質問に対しては、都合の悪いところを避けたり、はしょったりすることなく全てに答えようとしていました。
 役員の自社株の保有が少ないことについて質問が出たのはみずほと同じでしたが、みずほが役員の仕事ぶりと株数の多寡は関係ないと答えたのに対して、東芝の場合は役員は自社株の買い増しに努めていると説明していました。
 株主からの質問が途切れたところで議案の議決に入りました。あとは筋書き通りに拍手で終了しました。12時10分でした。

 総会から受けた感じは、東芝の総会が私が出席した過去4年間の7つの会社の総会の中では一番好感の持てるものでした。できるだけ誠意を持って総会を運営しようという気持ちがうかがえました。意地の悪い見方をすれば、同業他社に比べて株価が低迷しているため、総会を低姿勢で乗り切ろうという作戦だったかもしれませんが、もしそうだったとしても悪い感じはしませんでした。
 ただ、株価の上昇には不採算部門の思い切った整理統合や競争の激しいハイテク関連部門での新製品開発など、幾つかの思い切った手を打つ必要がありそうです。この記事を書いている7月中旬には日経平均は1万2千円台の前半まで下がり、東芝の株価は600円近くにまで下がってしまいました。参議院選挙の結果次第ではまた新しいことが起こるかもしれません。


特別寄稿
尾崎喜八「金峰山の思い出」について                  新田慎二

   金泉湯の若いおかみさんは 
    どこか艶だがりんとしていたな…

 という書き出しで始まる尾崎喜八「金峰山の思い出」は昭和八年朋文堂より上梓された詩集「旅と滞在」のなかに収められている。山好きの友人から紹介されたものと思うこの詩が好きであった。友人と二人で登った奥秩父の金峰山の印象がじつに鮮やかに表現されており、「……だったな」と友人に語りかけるような表現形式と自然な文体は、高村光太郎や志賀直哉の詩文に似て新鮮だった。そして「いつか金峰山に登ってみよう」と思っていたが、果たせないまま時間だけが過ぎていき、会社人間と家庭人間にかかりっきりとなり、いつか尾崎喜八のことさえ思い出さなくなっていた。

 会社生活をはじめて二十五年経って仙台へ転勤となった。子供たちがまだ高校で単身で行かざるをえない。私にとっては初めての単身赴任である。最初恐れていた単身生活は、しかしやってみるとじつに楽しいものであった。時間はふんだんにあり、それも自分のためだけに使用でき、大半は独身時代にやっていたことではあるが、気がつけば山登り、読書、映画、絵、などを再び始めていた。つまり、単身生活は夫とか父親といった煩わしい役割分担を忘れさせ、青春時代を取り戻す感受性を与えてくれたのだ。そんなある夜、尾崎喜八の詩集、特にこの「金峰山の思い出」を読んでみたくなり本屋に飛んでいった。ところが新潮文庫にあったはずの「尾崎喜八詩集」が見当たらない、店員に聞くと絶版になっているという。検索システムで探しても何処にも在庫はないという。
 そうなるとどうしても読みたくなり、どうにかならないかという私の願いを、八重洲書房という仙台駅近くの本屋の女性店員は聞き入れてくれ、いろいろ探した結果、喜八の夫人実子さんが鎌倉に住んでおられ、そこへ連絡して入手しましょうかとまで言ってくれた。そして数日後詩集が手にはいり、めくる詩集のなかに「金峰山の思い出」は間違いなくあった。忘れていた学生時代がそこにあった。

 ……それからとうとうてっぺんだったな。
   天のほうが近かったな。
   二人っきりだったな。
   なんだかもう一皮脱ぎたいような気がしたな。
   とにかく胸をはだけて涼しい大きな谷風に
   汗みずくのシャツを帆のように膨らませたな。
   シャツがハタハタ鳴ったな。
   だが髪の毛が逆立ったのは
   風のせいばかりでもなかったな。
   それから五丈岩の下へうずくまって
   ハンケチの端で珈琲を濾したな。
   思い出せば何もかも楽しいな。
   その六月がまたくるな。……

 金峰山に登ろうと思い立ったのは、東京へ戻ってしばらくして、山好きの友人とめぐり合ってからのことであった。尾崎喜八の詩と同じルートをたどって登りたいという私の変な提案に乗ってくれ、五月の連休前に決行することになった。そのためには「金泉湯」からスタートせねばならない。金泉湯が増富ラジウム温泉のなかにあることは知っていたので、温泉のパンフレットを入手したところ旅館はまだ残っていた。古い温泉宿であった。ラジウム含有量世界一という風呂はこったつくりで十人くらい入れる湯船がある。混浴で九州から来た七十代後半と思われる夫婦や関西北関東など、温泉にわざわざ入りに来た人たちで満員だった。温泉談議はにぎやかであった。
 昭和八年頃の「若いおかみさん」は生きておられればもう八十歳を超えているだろう、そんな期待を込めて尋ねてみたが、若いバイト客室員は詩のことはまったく知らなかった。その晩三人で痛飲し、私は持っていった「金峰山の思い出」を二人の友人の前で朗読した。
 翌日は快晴で近くには瑞牆山、遠くには八ヶ岳、目を転じると雄大な南アルプスが雪を被ってそそり立っている。五丈岩は金峰山の頂上にある巨大な岩である。その毅然とした山容と山頂からの雄大な眺めは、金峰山がまぎれもなく奥秩父山系の盟主であることを示していた。ここで先生は珈琲を濾したのだなとか、当時の山行はどんな装備だっただろうかなどと考えたりした。詩によれば山案内人がいたとも記されている。私は思い立ってから数十年ぶりに実現したこの山行に満足した。

 その後尾崎喜八との不思議な関係が続く。あるときゴルフに行った帰り、それまであまり話をしなかった先輩がカセットテープを差し出し、「尾崎喜八の朗読が入ったテープだが要るかい?」と、そんな話はまったくしないまま突然くれたことがあった。聴いてみると自らの詩の朗読や、歌声まで入っているではないか、私はふってわいた僥倖に小躍りした。今ではそれほど有名でもない詩人のテープを、その先輩はなぜくれたのだろうか、その直後亡くなってしまった先輩からそのわけを聞くよしもない。

 インターネットが普及しいろんな検索ができるようになり、「尾崎喜八」で検索すると、彼の詩文はほとんど読むことができるし、喜八の波乱に満ちた人生をたどることも可能である。それによると、里子に出された幼年時代、父親との確執、願い出た廃嫡、高村光太郎との交流、白樺への投稿、ロマンロランとのやり取り、恋人との出会いと死別、父親との和解、大東亜戦争、そして長野県富士見町での生活、など、時代に翻弄されながら必死に生きていく様と心の軌跡が克明に読み取れる。それにしてもこの時代の文士は、どうしてこうも人生の隈取を激しく濃く引いているのか。しかしこの詩人の素晴らしさは、山とそれを取り巻く自然への賛歌を、平明で美しい言葉で語りかけてくれるところにある。
 喜八ファンでホームページを出している人も複数おり、情報交換により長野県富士見町に文学館があり、鎌倉文学館にも展示物があることなど教えられた。

 不思議な縁で湘南に住むことになり、今年の春鎌倉明月院に白木蓮を見に行って、入り口に尾崎喜八墓所と書いてあるのを見て、また不思議な縁を思った。この寺はあじさいで有名になり訪れる人も増え、先生の墓所も当時は静かだっただろうが、随分かしましくなっている。墓参を願い出たが、関係者以外はお断りしているとのことであった。また聞くところによると夫人の実子さんは娘さんの栄子さんと明月院のそばに住んでおられるとのこと。青春時代感動した詩人が、近所に住まいしていたという縁を貴重に感じ、ホームページを出している信奉者の方にメールしたところ、「是非会いに行ってあげてください喜ばれますよ」とのことであった。研究者でもなく、ただ一遍の詩を愛するものがと、気後れもあって実現していないが、機会あればお尋ねしたいものと思っている。

 

特別寄稿
単行本「種まく子供たち」                       小島英雄


 この本は、私がボランテイアで行っている東京のNPOファミリーハウス(下記HP参照ください)で出会いました。

http://www.nicenet.ne.jp/~kojimahi/

 短い人生ですが、真剣に懸命に、この世に感謝して生きた(いる)子供達のことが、書かれています。
 今の世の中で、大変重要なことのように私には思えます。
また、この本は、朝日新聞、読売新聞にも紹介されました。
多くの人に、このような子どもたちがいた(いる)ことを知っていただきたいとおもっています。

「種まく子供たち」(編集部より)

 小児ガンとむきあって生きる、七人の子供の体験記。いのちの重さをみつめ、毎日をせいいっぱい輝かせてゆく姿に、胸をうたれます。
 この本は、息子さんを小児ガンで亡くした一人の女性が、三年半の歳月をかけて編んだものです。
同じ体験をした仲間をあつめて、その手記をまとめました。

  佐藤律子・編
  20014月初版発行
  ポプラ社刊
  本体価格:1300 円(税別)  

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