テキスト ボックス: 高齢者の豊かな生活のために     2001年10月20日発行      新田ライフプランニング
手 賀 沼 通 信 (第43号)         〒270-1147 千葉県我孫子市若松151-3
  (TEL&FAX:0471-83-2898) (E-mail:ynitta@jcom.home.ne.jp)                 新田良昭 
  http://www.mercury.ne.jp/koyukai

 今月の手賀沼通信は特にテーマがありません。短文を2つほど缶詰記事として書いておいたのですが、缶詰もあまり放っておくと賞味期限が切れてしまいます。
せっかく書いたので没にするのももったいないと思い載せることにしました。
 ところがそれだけでは紙面が埋まりません。実は今は、アメリカでの同時多発テロ事件が起きてから5日目の9月16日(日本時間)ですが、記事にまとめるにはあまりにも生々しく書くのがはばかられます。そこでまた皆様のお知恵を借りて紙面を作ろうと考えました。そして私の持論というか、日頃考えていることを極論にまとめました。異論、反論のある方が大勢いらっしゃると思います。楽しみにお待ちしております。


日本と日本人をダメにした3悪

 今、日本は先の見えない経済不況、5%を超える失業率、なかなか減らない不良債権、大型倒産、金融不安、株安など日本の構造を揺るがす問題を抱えています。小泉改革も族議員や官僚の抵抗に会って実現が危ぶまれています。なぜそうなったかを考えて見ました。そこで考えついたのが、

日本をダメにしている3悪は
 ・自民党
 ・官僚制度
 ・銀行

日本人をダメにした3悪は
 ・社会党
 ・日教組
 ・朝日新聞

ではないかということです。例によって私の意見は独断と偏見に満ちているかもしれません。そこで皆様のご意見をメールやお手紙でいただきたいと思います。そしてそれを手賀沼通信でご紹介させていただきたいと思います。お名前を出すことはいたしませんので忌憚のないご意見をお寄せくださるようお願いいたします。

 まず日本をダメにしている3悪です。
 自民党は戦後ほとんどの期間、日本の政治を独占してきました。たしかに日本の政治の安定をもたらしたという効果はあったかもしれませんが、自民党(これは自民党だけでなく国会議員や地方自治体の議員共通のことでしょうが)が追い求めてきたのは、党や派閥や自分の利益でした。何かあったときよく「これでは選挙は戦えない」という言葉が議員の口から出ます。これは自分のことしか考えていないという言葉そのものです。彼らからは「これでは日本がダメになる」「国民に申し訳ない」という言葉は決して出てこないのです。自民党は政権を独占することによって様々な利権と結びつき国民のためでなく業者と自分のための政治をしています。

 官僚は様々な規制を作り上げるとともに情報を独占してきました。規制は即、利権とつながります。今でも規制緩和に反対し、特殊法人の廃止や民営化に抵抗しています。それは彼らが営々として築いてきた利権や天下り先を失うからです。ここにも国民のためということは2の次になっています。情報の独占や隠蔽も目に余ります。この記事を書いている今日も農水省の畜産部長が狂牛病に感染した疑いのある牛が償却処分されずに家畜資料に加工されていたことについて、「違法性を知らなかった」と述べていますが、情報公開の遅れと対応のまずさは官僚の実態を見せ付けているような気がします。

 銀行はバブル経済の主役となって経済を混乱させ、今ではその後遺症で再び国民を苦しめています。不良債権処理はたしかに必要ですが、そのためにはまた失業者を生み出すことになります。そごうやマイカルの倒産にはどんどん貸しつけた銀行にもその責任の一端がありますし、生命保険会社の倒産は保険会社の体質の問題もありますが、銀行を守るための超低金利政策もその原因の一つです。現役サラリーマンを不安に陥れている厚生年金基金の積立不足や高齢者の資産運用をゼロにした原因も超低金利政策が原因です。銀行も合併やリストラで体質改善を図っていますが、メーカーのリストラに比べると中途半端な感じですし給与水準も高いままです。手賀沼通信の読者には銀行出身の方も多く申し訳ないことを書きましたが、積極的な反論を期待しております。

 次に日本人をダメにした3悪です。
 社会党(今の社民党)は自民党に対抗する最大野党として戦後の日本人の期待を集めました。しかし自民党に対抗できる政党にはなり得ませんでした。土井さんの「ダメなものはダメ」という言葉に代表されるように、対案や代替案を出す意欲に欠け、政府や与党に反対するだけの政党でした。口では自民党政府を倒すといいながら、実態は中選挙区制度にたよって自分たちの地位を守ることにキュウキュウとしていたように思います。冷戦構造の時代、世界平和とか、戦争放棄とか、平和憲法死守という一種のイデオロギーは日本国民に共感をもたらしました。特に労働組合のしっかりした大会社のサラリーマンを引きつけました。しかし社会党には世界の現実を見つめての政策はありませんでした。日本人が今のように世界から取り残されるようになった原因の一つは、社会党のようにお題目を唱えていればよいという日本人の体質だと思います。そのお手本となったのが社会党ではないでしょうか。

 今の日本人を作ったのは日本の教育です。制度を作ったのは文部省ですが現場で教えたのは教師です。そしてその先生方を引っ張ったのは日教組なのです。文部省の影響も大きいと思いますが、先生方の考え方や教え方の影響のほうが大きかったのではないでしょうか。今の学校はなるべく競争をさせないようにしているようです。得意なところを伸ばすより、不得意なところをなくすことに重きを置いているとも聞いています。日本人の英語の能力はアジアの中では下から数え何番目というほど劣っています。算数や理科が好きな子供は少なく、韓国や中国より学力は下です。ボランティアに関心がある子供(これは大人のほうがもっと悪いかもしれませんが)は欧米より極端に少ないと聞いています。生徒へのアンケート調査では将来の夢より今楽しく暮らせればよいという意見が外国と比べると突出して多いそうです。

 小泉自民党が選挙に勝ち小泉内閣が出来たとき新閣僚の記者会見が行われました。私はテレビで見ていましたが、朝日新聞の記者が誰よりも早く発言し、バカの一つ覚えのように「あなたは靖国神社に参拝しますか」と質問していました。あれだけ小泉さんが改革を唱えて選挙を戦ったのですから、私は「新閣僚として改革にどう取り組むつもりですか」とか、「何を基準に政策を考えますか」とか聞いて欲しいと思ったのですが、見ていてがっかりしました。これが朝日新聞の体質なのです。中国や韓国で教科書問題に火をつけたのは朝日新聞と聞いています。以前仕事でしばらくの間、朝日と読売と日経を読み比べたことがあります。朝日と読売は両極端でした。新聞は偏向しているのはしかたがありません。それぞれの主義主張があって当然です。しかし一紙しか購読していないと知らず知らずその新聞の言っていることが正しいと信じるようになる人が多いのではないでしょうか。朝日新聞は日本の知識人に圧倒的に読まれているようです。今の日本人を作った栄光と責任は朝日新聞にありと言えます。

 以上勝手なことを書きました。私自身、日本や日本人がそれほどダメとは思っていません。必ず立ち直ると確信しています。また3悪も、悪いところばかりでなくその功績も多いと思います。あえて面白くするため「ダメ」とか「3悪」とか書かせてもらいました。紙上でのディベートの意味もあります。


オールナイトウォーク

 8月25日の23時20分から翌朝の5時20分にかけてオールナイトウォークに挑戦いたしました。我孫子市レクリエーションクラブ主催で、コースは千葉県鎌ヶ谷市の新鎌ヶ谷駅から我孫子市の中央公民館までの約22キロ、休憩時間も入れて6時間の道のりです。私は今年初めての参加でした。

 新鎌ヶ谷駅に集まったのは、小学生から70歳台までの52名、予想以上の人数でした。ほとんどは仲間や家族のグループでの参加、一人での参加者はごく少数でした。世話役の人から発光する腕輪とスニーカーに貼りつける反射テープを受け取り、「車にはくれぐれも気をつけるよう」、「あまり無理をしないように」、「体調を崩したときは遠慮せず申し出るように」との注意事項を聞いて予定より10分早く出発しました。レクリエーションクラブのメンバーが先導と最後尾につき、要所要所に散らばって一行が離れ離れにならないよう気を配っていました。途中で歩けなくなった人を拾っていくためと、お弁当を運ぶための車が2台、後になり先になり伴走してくれました。
 コースは船取県道船橋我孫子線に沿って、車を避けるため出来るだけ裏道を通り、途中から県道にもどって狭い歩道を行きます。途中から県道を離れて沼南町の大津ヶ丘団地に入り、手賀沼の西端の柏ふるさと公園でゆっくり時間をかけて深夜のお弁当を食べた後、手賀沼沿いの遊歩道と沼畔の堤の上を歩いて県道沿いの沼南町の「道の駅」に出、手賀沼大橋をわたって我孫子市の公民館につくというこれ以上ない遠回りの道のりでした。まっすぐ行くと行程が短すぎて目的地に深夜についてしまいます。主催者が苦心して考え出したコース取りでした。

 半月の月があるはずでしたが、曇り空のためか最後まで月と星は見ることはありませんでした。100円ショップで買った腰にぶら下げる中国製のライトが足元を照らしてくれて、手に持つ懐中電灯より使い勝手がよく、いい買い物をしたと喜んでいたのですが、何しろ単三電池2個の光源のため途中でだんだん光が弱くなり、最後は消えてしまいました。交換用の電池を持っていかなかったため、最後は足元がおぼつかないまま歩くことになってしまいました。 裏道はあまり街灯がありません。大きな木が茂っているところや人家のないところは大勢で歩いていればなんともありませんが、一人ならおそらく気味悪いことでしょう。裏道はたまに車がすごいスピードで走ってきますが、われわれに気がつくとあわててスピードを落とします。50人もの人間がぞろぞろ歩いているのできっと気味悪がってブレーキを踏むのではないでしょうか。人家の近くを歩くと犬が大声でほえます。深夜の大勢の足音と人声に驚くのでしょう。ちょっぴり申し訳ない感じがしました。しばらく海上自衛隊下総航空基地沿いの道を取りましたが、寂しい道であまり楽しい道ではありませんでした。
 それでも県道よりはましです。船橋我孫子線はほかに幹線道路がないため国道並の交通量があります。歩道が狭く、深夜驀進する大型車の排気ガスをまともに浴びます。騒音も激しく、暴走族がバイクを連ねて走ってくると恐怖感さえ覚えました。四国八十八ヶ所を歩いて回った友人も、一番きつかったのは険しい山道ではなく国道のトンネルだと言っていました。よくわかります。空がひらけていても怖いのですから、閉ざされたトンネルの中で、体すれすれに大型車の排気ガスと騒音を浴びたら、死ぬ思いをするのではないでしょうか。

 深夜のコンビニはいわば砂漠ならぬ街道のオアシスです。汗びっしょりでのどをからからにして歩いているところにセブンイレブンの明るい看板が見えたときは正直ほっとしました。私達は最初の本格的な休憩を県道沿いのセブンイレブンの駐車場でとりました。早速冷たい飲み物とお握りを買っておなかにつめこみました。生きかえった感じがしました。
 県道を離れて団地の中に入りましたが、団地の中の道は快適でした。歩道が広く街灯が整備されており、排気ガスと騒音もありません。足取りも軽くなりついピッチが上がります。団地を抜けると手賀沼までは田んぼの中を行きます。真っ暗な中を黙々と歩きました。懐中電灯の中に色づき始めた稲穂が浮き上がります。突然行く手の田んぼの中に車が突っ込んでいてそばに若い男女が呆然と立っているのが目に入りました。暗いので道を見誤ったようです。声をかけたらJASの到着を待っているとのことでした。はるか遠くに国道16号を車が疾走しているのが見えました。県道沿いを歩いているときは早く静かな道を歩きたいと望みましたが、闇の中に入ると灯りが心強く感じられました。

 足が痛くなり始めた頃柏ふるさと公園につきました。そこで世話役の方が車で運んでくださったおにぎりが配られました。ゆっくり休んで元気を取り戻しました。ここまで来ると時々ウォーキングで来るなじみのある場所です。あと30分か40分でゴールです。でもまだ夜明けまでには大分時間があります。早く着きすぎるのではないかと心配しましたが、その心配は無用でした。
 参加者全員で闇の中の写真を撮ったあと手賀沼遊歩道をゴールと反対のほうに歩き始めました。手賀沼をグルっと回って3倍くらいの時間をかけるのです。これなら明るくなったあとゴールに着くことになります。私にとっては歩きなれた道、手賀沼の湖面を見ながら、車の心配をしないでのんびり歩く快適な遊歩道です。水の汚れワースト日本一を20年以上続けている手賀沼も夜は光を反射してきれいに見えます。遊歩道にそって北千葉導水路の工事用に作られた立派な道路が走っていますが通る車はありません。ところがところどころに乗用車がエンジンを懸けっぱなしにしてとまっています。無料のラブホテル代わりにしているのでしょう。ただ、歩いている仲間は高齢者が多く、縁のなくなった人達ばかりなのか気にせず通りすぎていました。

 沼南町の「道の駅」が見えてくる頃になって空が明るくなってきました。やっとナイトウォークの終わりが近づいてきたのを感じました。道の駅で小休止をとったあと、今年全部が完成したばかりの手賀沼大橋を渡って我孫子市中央公園につきました。今回は誰も伴走の乗用車に乗ることもなく全員歩き通しました。小学生も70歳台の高齢者も予定の時間の朝5時30分までに到着しました。車に拾われる人が出なかったのは今までで初めてのことだそうです。「来年も参加したいですか」の問いに、「参加する」という声が大半でした。
 ゴールの我孫子市中央公民館前で幹事さん心づくしの味噌汁をいただき解散となりました。家に帰って風呂に入りビールを引っ掛けて朝寝を決めこみました。快い疲れが全身を包んでくれました。


おもちゃデジカメ

 今ちょっとしたブームになっているおもちゃデジカメを購入しました。使った感じをご報告いたします。
 おもちゃデジカメははっきりした定義があるわけではありませんが、日経パソコンでは、ポケットやかばんの中にしのばせて、ちょっとした外出に気軽に持ち歩けて、1万円前後の価格のものをおもちゃデジカメとして各メーカーの製品を比較、紹介していました。
 昨年どこかのセミナーで元一橋大学教授の中谷巌さんのIT革命についての講演を聞きました。渡された資料はなく正面の大スクリーンにパソコンの画面を写しながらの熱演でした。すばらしい内容で資料がなかったのが大変残念でした。そのときデジカメを持ってこなかったのを悔やんだものです。スクリーンをカメラにとってパソコンに移し、プリントすればきれいな資料になります。ただ私のもっているオリンパスのカメディアは普段持ち歩くにはちょっと重すぎます。もっと手軽に持ち歩けるものはないかなと考えていたときに日経パソコンを見たのです。

 そこでは9種類のおもちゃデジカメが紹介されていました。その記事を参考にして一番高性能の日立マクセル製の「スリム」を買いました。撮影枚数127枚、35万画素で1万2800円です。なによりの特徴は小型軽量ということです。カメディアの重さ360グラム、厚さ5センチ以上とくらべると、重さは電池込みで100グラム、厚さは2センチありません。中味の入った定期入れや2つ折財布と比べてもそんなに代わりません。ワイシャツのポケットに入れて持ち歩いても全く気にならない重さです。当然普通のデジカメと比べると画質は落ちると書いていましたが、35万画素なら最初に買ったソニーのマビカ(4年くらい前で8万円)と変わりません。早速かばんに入れて持ち歩きました。
 ところが期待したような使い方は出来ないことがわかりました。ソニーのマビカは重い上にフロッピーディスクに書きこむものでしたのでフロッピー1枚でせいぜい20枚しかとれませんでしたが、画像そのものは印刷しても使えました。手賀沼通信も最初の頃はソニーのマビカで撮った写真を載せております。ところがスリムで撮った写真は画像の質が35万画素とは思えないほど悪いのです。特に印刷すると大きい被写体はまずまずですが、小さいものやこみいったものは判別できなくなります。遠くの人の顔など誰の顔か分からないならともかくどこが目でどこが鼻かわからなくなってしまいます。「デジカメDE同時プリント」や「PhotoDeluxe」などのソフトで修正をかけてもだめなのです。セミナーでも一番前の席に座って使ってみました。大きい字は何とか判読できますが、ちょっと小さい字はパソコンの画面上でも印刷してもにじんでしまい、資料としてとっておくという目論見は見事はずてれしまいました。

 日立マクセルの「お客様ご相談センター」に写真を印刷したものを同封し、「私のカメラは不良品ではないか」、「もし正常ならこのカメラの使い方を教えて欲しい」という手紙を出しました。メーカーからは検査するのでカメラを送ってほしいというメールが入りました。なんとなく結論が見えていると思いつつ、乗りかけた船と面倒なカメラの託送を行いました。メーカーではいろいろ検査をしたらしく次のようなメールが届きました。
 「ご不便をお掛け致しております。弊社調査部門にてWS30SLIM本体をお調べ致しましたが本体は異常は無く正常品との調査結果が出ました。新田様ご要望通り弊社にてインクジェットプリンタにてプリントアウトさせていただき画像を確認させていただきましたが新田様に送付いただいたプリントアウトの画像の様に画質の劣化が再現されませんでした。」
 しかし送られてきたプリントは私の印刷したものとあまり変わってはいませんでした。

 また使い方については、「製品のコンセプトとしては手軽にスナップ写真を撮影していただき、パソコンの画面での観覧や、画像データの容量が小さい為、加工無しでメールへ添付していただいたり、メモリの容量や電池残量、フィルム代を気にせずご使用していただけるようにコンセプトを設定して開発させていただきました。」とありました。
 しょせんおもちゃデジカメはおもちゃと割り切って使うしかありません。時々遊びに来る4歳の孫が撮りまくっています。軽いのとフラッシュがついているので気に入ったようです。撮ったものを見るわけでなく、デジカメを持ったことがうれしいのかもしれません。

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