読書の秋です。最近は活字離れが進んでいるといわれています。ときどき電車の中でいい年をした大人がマンガの本を読んでいるのを見かけますが、それでも読まないよりはマシなのかも知れません。
私の場合も退職して時間ができたはずなのに読む本の数が少なくなってしまいました。仕事を持っていると、少しでも時間を見つけては本を読んでいましたが、いつでも読めるとなると返って読まなくなるようです。パソコンをたたいている時間の方が長くなったように思います。
とはいえ秋の夜長です。じっくり読書に取り組みたいものです。
今日は私の一番好きな作家で今なお根強い人気を保っている司馬遼太郎を中心に話題を追っていきたいと思います。
「街道を行く」を読み返す
10月からNHKスペシャルで「街道を行く」第2回シリーズがはじまりました。第1回シリーズは昨年の10月に開始され、今年の3月まで6回放送されました。「街道を行く」は司馬氏自身が映像にはなり難いと言っていたのですが、出来上がってみると美しい自然や人々の営みが克明に捕らえられていてすばらしい映像になっています。それに田村高廣の朗読が一層作品に味を添えています。
私は平成8年に司馬遼太郎氏がなくなった後、「街道を行く」の再読を始めました。最初は週刊朝日に連載されたのが単行本になると、順番を気にせず図書館で借りて読んだのですが、今回は全43冊を買い揃え1冊目から順に読みました。昨年秋に42冊まで読み終え、最後の1冊はなんだか読み終わるのが惜しい気がしてそのままにしてあります。最後の1冊は「濃尾参州記」で氏の絶筆となりました。したがって未完のまま終わっています。
「街道を行く」は、氏が小説を書かなくなった後も継続して書き継がれました。それは紀行文の枠をはみ出した壮大な歴史論であり文化人類論と言ってもいいと思います。地理や歴史や文化や民族やなどに関するや豊富な知識をもとに、何事も現地へ行き自分の目で見て確かめながら考え判断するという立場を、信念を持って守っていました。そして氏が最も嫌いだったのは、なんとか主義やイデオロギーでした。そんなものは役に立たないもの、それ以上に世の中を毒するものとして排していました。その例として、太平洋戦争を引き起こし日本国民を大量に死に至らしめアジア諸国に多大の被害を与えた、日本の軍国主義に対して激しい怒りを表しています。
ここで「街道を行く」43冊に収録されているデータをまとめてみましょう。1冊に2ヵ所の街道が入っていたり、1つの街道が2冊に分かれていたりして、街道の数と冊数とは必ずしも一致していません。
・連載雑誌:週刊朝日
・連載期間:1971年1月1日〜1996年3月15日号(25年3ヵ月、1147回)
・街道の数
−国内:北海道 2ヵ所
東北 6ヵ所
関東甲信越 9ヵ所
中部北陸 4ヵ所
近畿 22ヵ所
中国 3ヵ所
四国 3ヵ所
九州 7ヵ所
沖縄 1ヵ所
−海外:12ヵ所(韓国−2ヵ所・モンゴル・中国−3ヵ所・スペイン・ポルトガル・アイル
ランド・オランダ・アメリカ・台湾)
・同行画家:須田剋太・安野光雅
「街道を行く」の各編はそれぞれ違った趣がありますが、私の好きなのは海外編です。氏は旅に出る前に周到な準備をします。それは主として文献を読むことのようでした。「竜馬が行く」を書いた時は神田の古本屋から坂本竜馬と竜馬を取り巻く人に関する本が司馬氏に買い占められて消えてしまったといわれているくらいです。旅行は同行の画家のほかに夫人と朝日新聞社のスタッフが加わり、そして現地の人との出会いと交流があります。
街道での移動は国内はタクシーが主で、海外の場合はマイクロバスとなります。旅行中は取材ノートにメモを取り、自分でも画やスケッチをすることもあったようです。
単なる紀行文に終わっていない理由は事前の勉強と、いろいろな人との出会いを楽しみながらも鋭い観察力と推理を働かせたことにもあると思います。
なおこの期間に氏の長編小説も大半読み返しました。そしてあらためて司馬遼太郎の偉大さを実感するとともに、不世出ともいえる作家を同時代に持った喜びをしみじみかみしめています。
司馬遼太郎の歴史小説に学ぶ
司馬遼太郎氏は平成8年2月12日になくなりました。当時私はアコム株式会社の教育部の顧問をしており、教育部から全社員に出している教育機関紙「すてっぷ」に下記のような一文を乗せました。
そのページは自己啓発について社員に呼びかけるコラムだったのですが、今読み返してみると、氏の突然の訃報をいたむ追悼文にもなっています。教育部発のためややお説教臭くなっていますが、、ご紹介したいと思います。
去る2月12日、作家の司馬遼太郎氏が亡くなりました。10日に自宅で倒れた後突然の訃報でした。
2月29日の週間文春には、次のような書き出しで追悼の特集が組まれていました。「日本とは、日本人とは何か―この国に熱き思いを馳せ続けた、戦後最大の国民作家が亡くなった。享年七十二。膨大な資料をもとに縦横無尽に語られる著作の数々は、歴史小説という枠を越えて、人間の生きる姿を生き生きと描き出し、多くの読書人に愛された。観念主義にとらわれない氏の文章は戦後日本人への激励であり、また日本への警鐘でもあった。後世への大きな贈り物を残して、惜しまれながら巨匠は逝った。」 本当に残念としか言いようがありません。
私が司馬遼太郎の作品を読んだのは、30年近く前「竜馬がゆく」が初めてでした。面白くて一気に読みましたが、読み終わったときの感激は今でも覚えています。竜馬については、同じ四国の出身なので以前から親しみは感じていましたが、たんに幕末の志士というくらいの理解しかしていませんでした。ところが読み終わった後、日本にこんなに新しい考え方をする若者がいたのだという思いと、司馬遼太郎という作家はこの後どんな物語を書いてくれるのだろうかという期待でいっぱいになりました。
それから、司馬遼太郎の長編小説が発表される度に全て読みました。そこには平安時代の空海に始まって、明治時代の日露戦争にいたるまでの、歴史上の事件と人物が縦横に描かれています。とくに戦国時代と幕末については、氏の小説を読めばほかのものを読まなくても歴史がわかるといっても過言ではありません。そして、しっかりした論証の上に立った深い歴史観に引き込まれてゆきます。また小説の主人公に対しては、常にあたたかい目で見守っているのが感じられます。
文芸春秋臨時増刊「司馬遼太郎の世界」によると、ベスト3は次の通りです。
順位 作品名 主人公
経営者が好きな作品
1 坂の上の雲 秋山好古・真之(日露戦争が主人公)
2 竜馬がゆく 坂本竜馬
3 翔ぶが如く 西郷隆盛・大久保利通
一般社員が好きな作品
1 竜馬がゆく
2 坂の上の雲
3 国盗り物語 斉藤道三・織田信長
これらの作品が選ばれたのは、いずれもその時代の壮大なドラマがあり、主人公たちの夢とロマンが読者に広く支持されたためです。
ところで私たちは、司馬遼太郎の歴史小説から多くのことを学ぶことができます。
まず第一は、私たちが人生や仕事の上で、困難や苦しみに直面したときにそれに打ち勝つ力を与えてくれることです。それは司馬氏自ら「私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。歴史の中にもいる。そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。」と書いているように、ほとんどの小説の主人公は前向きに人生の目標を達成しようと努力をしています。
第二は、楽しみながら歴史に強くなれることです。面白さという点でも一級のエンターテインメントであり、代表的な長編小説の主人公には次の英雄たちが生き生きと登場してきます。
平安時代−空海、最澄、義経
室町時代−日野富子
戦国時代−斉藤道三、北条早雲、織田信長、豊臣秀吉、黒田如水、雑賀孫市、徳川家康、
石田三成、長曾我部元親と盛親、淀君、豊臣秀頼
江戸時代−千葉周作、高田屋嘉兵衛
幕末 −吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、大久保利通、山内容堂、坂本竜馬、河井継之
助、大村益次郎、近藤勇、土方歳三、松本良順、松平容保、徳川慶喜、江藤新平 明治時代−秋山好古、秋山真之、正岡子規、乃木希典
中国 −項羽(楚)、劉邦(漢)、ヌルハチとホンタイジ(清)
これらの主人公の周りには、さらに多くの登場人物が彩りを添えます。小説のため、もちろんフィクションの部分もありますが、歴史の大きな流れは史実に基づいており、驚くべき博学と膨大な資料に裏打ちされて私たちの前に見事に展開されます。
第三は過去の歴史と今の時代を見直し、先の時代を読むことの必要性を痛感させられることです。氏の歴史を見る目は「司馬史観」といわれているように、従来の観念的な見方を打ち破り、1つ1つの事実から歴史をとらえています。そこには、私たちを納得させるいわば新しい文明論があります。そして氏の歴史観から現代に通ずるものの見方が得られます。「韃靼疾風録」以後、氏は小説を書くことをやめ、「街道をゆく」や「この国のかたち」で鋭い文明批評や日本社会のあるべき姿を描き続けました。これも私たちに対する大きな遺産といえるでしょう。
まだ司馬遼太郎の歴史小説を読んでいない方は、まず「竜馬がゆく」を読んでみてください。必ず竜馬が好きになります。また女性だから幕末の志士は敬遠するなどと言わないでください。昨年11月竜馬を偲ぶ竜馬祭が檮原(ゆすはら)という高知県の山奥で行われましたが、そこには全国から若い女性が大勢集まりました。竜馬ファンは老若男女を問わないようです。
それからは自分の好きな主人公の小説を読んでみましょう。小説は読まないという主義の方も、マンガしか読まないという方も、だまされたと思ってトライしてみませんか。
健康器具を使ってみて
エアクリーナー
7月に居間に置くための空気清浄器を購入しました。サンヨー製で、実売り価格3万5千円です。説明書には
・お部屋に舞い上がった汚れた空気を清浄します
・カビ・菌はもちろんウィルスの活動を抑えます
・たばこの煙などを感知して自動運転します
という効能が書かれていました。我が家ではたばこを吸う者はいませんが、1歳9ヵ月の孫がしょっちゅう遊びに来て絨毯敷きの居間を駆け回るので、清浄器があればアトピー性の皮膚炎なども防げるのではないかとなんとなく安心です。また愛煙家のお客さまもあまり気にせずたばこを吸うことができます。
自動運転にすると、空気がきれいな時はファンをまわさずイオンの働きで空気をきれいにするようですが、汚れている時はその程度に応じて、強風または弱風でファンが回ります。手動では3つの運転状態をリモコンで選ぶようになっています。イオン運転では消費電力はわずか5ボルトですので、家電製品の待機電力並みです。
空気清浄器はエアコンのように効いているのかどうかを体で直接感じることはできません。本当に効果が出ているのかどうかは信じるほかないようです。ただ、以前は居間で焼き肉などしたとき、翌朝までそのにおいが残っていましたが、今回そのにおいが消えていました。また、1ヶ月後にペーパーフィルターを取り替えた時、かなり汚れていたのでそれなりの効果はあるのではないかと思います。
新入社員研修のお手伝い
前月号では高齢者のパソコン教室のお手伝いをした感想を載せましたが、今度は若い人の研修のお手伝いの経験について書いてみたいと思います。
7月から10月にかけて日本研修サービスが実施する新入社員研修のお手伝いをする機会がありました。この研修は日本アイ・ビー・エムとその一部の関連会社に入社した新入社員を対象にした研修で、コンピュータを中心とするインフォメーションテクノロジーについての営業とシステムエンジニアを育成するコースです。
私が日本アイ・ビー・エムの教育部にいた頃は1年とか1年半をかけて育成していましたが、今はすべてにスピードが要求されています。そんな悠長なことが許される時代ではありません。
ところで退職した者が何を教えられるのかと疑問に思われるかも知れません。まったくそのとおりで、とても今の時代のハードやソフトについて講義したり、教えたりができるはずはありません。私の現役の頃は大型コンピュータの時代で、その頃の知識はまったく通用しません。私の役目は研修でのロールプレイのお客様役を演じることだったのです。
前半は幕張で、昨年4月に入社した社員のテクニカルアセスをするコースに、後半は新潟県の苗場プリンスホテルで、今年4月に入社した新入社員の卒業試験のようなコースに登場し、いずれもお客様になりました。
合計36日、特に10月は3週間、実際はお客様役だけでなく、生徒の評価もあったのでかなりきついスケジュールでしたが、無事終了できました。
若い人を相手に全力でぶつかるのは、本当に楽しいことでした。今は心地よい疲れを感じています。
そんなわけで、今月号は以前書いた記事を再度載せることでスペースを埋めました。お許しを。